剣讃嘆
(大頭左兵衛本)
さる間、曽我兄弟の人々は、鞠子川を易々と渡り、駒を速めて打つ程に、年頃、五郎住み馴れし、箱根の別当の御坊に着かせ給ふ。いつしか児、同宿に至るまで、「珍しや。今か。」とて、対面せぬはなかりけり。人も稀なる所へ兄弟を請じ、別当、出合はせ給ひ、「いかに、兄弟。久しく見えさせ給はぬものかな。箱王殿は、男に成りて候へども、『憎し。』と更に思はぬぞ。愚僧も若き時ならば、共に男に成りたいぞ。この程はうち続き、夢にも悪しく見ゆれば、『又、何事を聞き出し、老躯に添へてこの法師が、物思はんずらむ。』と、心元なく思ひしに、富士野へ出させ給ふこそ、心元なき次第なれ。箱王殿は七歳にて、この寺へ上りつつ、十六まではいささかも、下り上る事も無く、後懐に育て置き、智者能化に成し立てて、跡を弔はれむためぞかし。かくあやなくも別れて、思ひをせむと知らずや。朽ち果つべき埋れ木の、つれなく浮世に長らへて、兄弟の人々の、親の敵と討死し、弓箭の先に懸かりなば、一時三帰の暇も無く、修羅の苦を受くべきに、『跡を弔ふべき法師の、一人あり。』と、思し召され候へ。」とて、黒鞘巻の刀をば、祐成に賜び給ふ。兵庫造りの太刀をば、時宗にこそ賜びにけれ。
別当の御諚には、「それ、人の持つ宝の、威徳を聞かねば何ならず。この刀の謂はれを、語つて聞かせ候べし。祐成に参らする刀は、木曽が家の重代なり。この刀を持つ人の、本望を遂げぬといふ事なし。又、時宗に参らする、太刀の謂はれを、語つて聞かせ申さむ。昔、天竺余当山といふ所に、龍雲といふ瀧あり。かの瀧の中に、三尺の鉄の丸かせありて、日夜に人を悩ます。或る時、しやりふむといふ者、祈り出し、柄、身、共に八尺の長刀に、打ち立てて持つたりしを、かうかむといふ者、盗み取つて、これを唐へ越す。唐よりも日本へ渡さるる。
「奈良の御門の御時、『かかる名誉の長刀を、太刀にせむ。』との宣旨にて、鍛冶の上手を召さるるに、『奥の舞草、三條の小鍛冶、彼等は名誉の上手なり。』とて、この長刀を二つに分け、二人の鍛冶に渡し給ふ。奥の舞草は、三年にて三尺に、打ち立てて参らすれば、三條の小鍛冶は、三年三月にて、二尺七寸に打ち立てて、参らせ上ぐる。御門、叡覧ましまして、「憎い鍛冶かな。いかさまにも小鍛冶は、鉄を盗み候たり。」とて、あら、無残や。小鍛冶を、土の籠に押し籠め給ふ。籠の内の住まひ、中々申すばかり無し。さる間、舞草が打つたる太刀をば、枕上と名付け、一段高き上に立てられけり。小鍛冶が打つたる太刀をば、寸無と名付け、一段下に立てられたり。
「小鍛冶、余りの無念さに、『南無や、九万八千の、鍛冶の守護神達。小鍛冶が誤り無き処の、そのしるしを見せ給へ。』と、悲涙涕泣し、肝胆を砕き、祈りければ、まことに鍛冶の守護神も、納受ありけるか、寸無、鞘を外れて、枕上に流れ懸かつて、ちやうど打つ。舞草が打つたる太刀も、化生の鉄鋳にてある間、鞘を外れて渡り合ひ、追うつ捲つつ、散々に戦うたり。御殿の内、震動す。御門を始め奉り、公卿大臣、『これは、いかなる物の怪ぞ。』と、怪しめ給ふ処に、寸無と枕上、鞘を外れて戦うたり。御門、叡覧ましまして、『あなたは枕上か。こなたは寸無か。あれはいかに。』と仰せあり、御目を覚ますばかりなり。ややもすれば枕上、受け太刀に成つてぞ廻りける。猶も寸無、無念にや思ひけむ、とある所に追つ詰め、我が丈に立ち比べ、切つ先三寸切つて捨て、元の鞘にぞ納まりける。御門、叡覧ましまして、寸無を引き替へて、友切に官途成る。さてこそ小鍛冶は、あう、土の籠をば出されたれ。
「その後、かの二振の太刀、多田の満中の御手に渡る。小鍛冶が打つたる太刀にて、咎ある者を召し寄せ、首を切つて見給へば、余りに首が速く切れ、髭をかけて切れければ、髭切に官途成る。舞草が打つたる太刀にて、これも咎ある者を召し寄せ、首を切つて見給へば、首が余りに速く切れ、膝をかけて切れければ、膝切に官途成る。その後、この二振の太刀、頼光の御手に渡る。小鍛冶が打つたる髭切にて、鬼の手を切りければ、鬼切に官途成る。舞草が打つたる膝切にて、変化の蜘蛛を切りければ、蜘蛛切と官途成る。その後、かの二振の太刀、八幡殿の御手に渡る。それよりも為義の御手に渡りけり。
「その頃、為義の嫡女に田鶴原の姫とて、熊野にこそましましけれ。かの姫、熊野にまします謂はれは、後白河の御法皇、熊野参詣ましまして、証誠殿に籠らせ給ひ、『この山に別当は無きか。』と尋ね給へば、『この山開けて、七百余歳の今に至るまで、別当は候はず。』と答へ申す。折節、夏籠りし、花摘みける法師あり。法皇、叡覧ましまして、『これをこの山の別当に定めよ。』とて、かの聖を別当に定め給ふ。『御堂寺の別当なれば、子孫に伝へて持つべきに、妻なくしては叶ふまじ。妻を語らひ給へ。』とて、為義の嫡女田鶴原の姫を、別当の妻に定めさせ給ふ。為義、聞こし召し、『何がしが婿には、源平両家を選び、弓矢を取つて器量の仁を、婿に取らんと思ひしに、行方も知らぬ法師を、婿に取るこそ無念なれ。』と、不興して音信無し。
「かかりし時の折節、都に事、出で来、戦ふべき災ひあり。教春、伝へ聞き、『我は勘当の婿なれど、舅の先途なる間、一見継ぎ見継がん。』とて、三つの山には八将神、山伏なんどを催して、紀の国をうつ立つて、淀八幡に陣を取つて、篝を焚かせて控へたり。為義、御覧じて、『あれ程の大勢は、いかなる者ぞ。』と問ひ給へば、『為義の嫡婿、田辺の別当教春坊。』と答へらる。為義、聞こし召し、『さもあれ、教春は誰が末ぞ。』と問ひ給へば、『実方の中将の末孫なり。』と答へらる。為義、聞こし召し、『さては、さるべき人にてあり。父は阿保親王とて、世に隠れなき族姓なり。為義がためには、過分の婿とおぼえたり。この時、対面申さむ。』とて、田辺の別当教春坊に対面し、嫡子に伝はる剣なれば、髭切を義朝に、蜘蛛切を、田辺の別当教春坊に引き給ふ。不興こそ許りんめ、剣賜はる教春は、熊野へ帰り給ひけり。
「かくて寿永の秋の頃、源平両家、楯を築き、戦ふべき災ひあり。教春、伝へ聞き、『我は既に、法師の身とあつて、剣持ちても詮無し。』とて、義経に参らせらる。この剣の徳により、驕る平家を滅ぼし、三種の神器、事ゆゑなく、都に返し納め申し、関東へ下らるる。梶原、讒奏仕り、酒匂の宿よりこの君、再び都へ上り給ふ。この山に上がつて、『御兄弟の御仲の、和平の祈りのために。』とて、権現に寄進あり。この時、申し下ろして、面々に奉る。『守りのため。』と思し召せ。明王の羂索は、万里が外の敵を討ち、四天王の弓矢は、四魔の軍を防がむため、この剣、祐経が首を打つべき剣なり。これを肴にて、今一つ参りて御立ち候へ。」と、珠数さらさらと押し揉んで、社壇を礼し給ひけり。別当の心中、末頼もしく見えにけり。
兄弟の人々、箱根の寺の暇乞ひの七里、山七里、嶽七里、二十一里を行き過ぎ、麓の宿で垢離を掻き、やしわの宮に参り、七番づつの笠懸、扇を立ててあそばし、「所願成就。」と祈つて、藍沢の原に出給ふ。
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