新曲
(大頭左兵衛本)
つらつらおもんみるに、いにしへより今に至るまで、朝敵を一時に滅ぼし、太平を四海に致す事、武略の功に如くは無し。されば近代は、異国襲来の恐れもなく、帝位を争ふ方もましまさず。これ、しかしながら武運の、天命に叶はせ給ふによつてなり。ここに元弘、建武の昔を思ふに、戦場にして屍を曝すのみにもあらず、或いは君臣の義を守つて、身を滄海の浪に沈め、或いは妹背の別れを悲しんで、思ひを故郷の月に傷ましむる。中にも哀れなりしは、一の宮の御息所の御事と、右衛門の府生、秦の武文が振舞ひなり。
それをいかにと申すに、その頃宮、既に初冠召され、深宮の内に人と成らせ給ひしかば、御才覚もいみじく、容顔も世にすぐれましませしかば、「定めて春宮に立たせ給ひなんず。」と、世の人、時めき合へりしかば、思ひの外に関東の御計らひとし、後二條の院の御子、春宮に立たせ給ひしに、こなたへ参り仕へし人々も、皆望みを失ひ、宮も、世の中よろづにつけて、うちしほれたる御気色にて、只、明け暮れは詩歌に御心を寄せ、風月に思ひをよそへさせ給ふ。折につけたる御遊びどもありしかど、さして興ぜさせ給ふ事もなく、さるにつけて、「いかなる宮腹、一の人なんどの御娘なりとも、『かく。』と仰せ出されば、御心を尽くさせ給ふまでの御事はあらじ。」とおぼえしに、御心に染む色もなかりけるにや、「これを。」と思し召したる御気色もなく、只一人のみ年月を、送らせ給ひけるとかや。
或る時、関白家にて、生上達部、殿上人、さし集まつて絵合のありけるに、洞院の左大将殿の出されたりける絵に、源氏の優婆塞の宮の御娘、柱に居隠れて琵琶を弾き給ひしに、雲隠れたりつる月の、俄にいと明くさし出たれば、「扇ならでも招きつべかりけり。」と、撥を上げ、さし覗きたる顔つき、いみじくらうたげに匂やかなる気色を、言ふばかりなく筆を尽くしてぞ書きたりける。宮、つくづくとこれを御覧じて、限りなく御心に懸かりければ、この絵を暫し召し置かれ、「見るに慰む方もや。」と、巻き返し巻き返し御覧じけれど、御心さらに慰まず。昔、李夫人の、甘泉殿の床に臥し、はかなく成り給ひしを、武帝、悲しみに耐へずして、反魂香を焚かれしに、李夫人の面影の幽かに見えしを、似せ絵に写して御覧ぜしに、「物言はず、笑はず、人を愁殺す。」と、武帝の嘆き給ひしも、「理かな。」と今更に、思ひぞ知らせ給ひける。
「我ながら、はかなの心迷ひや。まことの色を見てだにも、『世は皆、夢のうつつ。』とこそ、思ひ捨つべき事なるに、こは何のあだし心ぞや。花山の僧正遍照を、貫之が、『歌のさまは得たれども、まこと少なし。たとへば絵に書ける女を見て、いたづらに心を動かすが如し。」と、古今の序に書きたりし、その類にも成りぬるものよ。」と、思ひ捨てさせ給へども、猶あやにくなる御心、胸に満ちてぞ思し召す。されば、かたへの色異なる人を御覧じて、御目にだにも掛けられず。まして、時々の便りにつけて、言問ひ交はされし御方へは、一村雨の雨宿りに、立ち寄らせ給ふべき御気色もなく、せめて、「世の中にさる人あり。」と、伝へ聞こし召され、御心に掛からば、玉垂の隙求むる、風の便りもありぬべし。又、はつかに人を御覧ぜしまでの御心当てならば、水の泡の消え返りても、寄る瀬はなどかなかるべき。これは、見しにもあらず、聞きしにもなく、昔のはかなき物語、あだなる筆の跡に、御心を悩まされし御事なれば、詮方なく思ひ煩はせ給ひて、いたづらに月日をぞ過ごさせ給ひける。
「せめて御心を遣る方もや。」と、御車に召され、賀茂の糺の宮に詣でさせ給ひ、御手洗川にて御手水召され、何となく川に逍遥せさせ給ふ。昔、業平が、「恋せじ。」と禊せし事の、哀れなるやうに思し召し出て、
祈るとも神やは受けむ影をだに御手洗川の深き思ひを
かやうにうち誦じ給ふ。時しも、村時雨の過ぎ行く程、木の下露に立ち濡れて、御袖もいとど干しあへず。「日も早暮れぬ。」と申す声に、御車を轟かして、一條を過ぎさせ給ふに、誰が住む宿とは知らねども、牆に苔むし、瓦の松も年ふりて、住み荒らしたる宿なれば、物寂しげなるその内に、撥音気高く、青海波をぞ弾きける。「怪しや。誰なるらん。」と思し召し、過ぎがてに御車をとどめ、遥かに見入れさせ給ひければ、「見る人あり。」とも知らずして、有明の月の雲間より、ほのぼのとさし出たるに、御簾高く巻き上げ、いとあてやかなる女房の、秋の別れを悲しびて、琵琶を弾ずるにてぞありける。鉄、珊瑚を砕く、一両曲。氷、玉盤に落つ、千万声。かき乱したるその声は、庭の落葉に紛ひつつ、よそには降らぬ村雨に、袖もしほるるばかりなり。
宮、つくづくと、御目もあやに御覧ぜらるるに、この程、そぞろに御心を尽くして、「夢にもせめて見ばや。」と、思し召さるる似せ絵に少しも違はず、猶あてやかなる形は、いはむ方なくぞ見えたりける。宮、御心、空に憧れ、たどたどしき程に成りしかば、御車より下りさせ給ひ、築山の松の木蔭に立ち寄らせ給ふに、女、「見る人ありけり。」と、琵琶をば几帳の傍らにさし置き、内へ紛れ入りにけり。引くや裳裾もあからさまなる面影に、「又、立ち出る事もや。」と、夜更くるまで立ち休らはせ給ひたれば、怪しげなる御所侍、御格子下ろす音して、人皆静まりければ、かくてあるべき事ならねば、宮も還御成りにけり。
絵に書きたりし形にだに、御心を悩まされし御事なれば、ましてまことの色を御覧じて、「いかにせむ。」と、恋ひ悲しませ給ふも理なり。その後より、ひたすらなる御気色見えながら、さすが御言葉には出されず。常に御会に参りける、二條中将為冬、「いつぞや、賀茂の糺の御帰さの、ほのかなりし宵の間の月、又も御覧ぜまほしく思し召さるるにや。その御事ならば、いと易き御事にて候。この女房の行方を詳しく尋ねて候へば、今出川の左大臣公顕公の娘にて候を、徳大寺の左大将に申し名付けながら、いまだ皇太后宮の御匣にて候なる。切に思し召され候はば、歌の御会に事寄せて、かの邸へ入らせ給ひ、玉垂の隙も、みづから御心を顕はす御事にても候へかし。」と申しければ、宮、いつよりも御心よげにうち笑ませ給ひ、「さらば、やがて今宵、かの邸にて、褒貶の御会あるべき」由を、左大臣の方へ仰せ出されければ、公顕公、「忝し。」と取りきらめき、数寄の人あまた招き寄せ、案内申せば、為冬の朝臣ばかり御供にて、かの邸へ入らせ給ふ。
歌の事は、今夜、さまでの御本意ならねば、披講ばかりにて褒貶は無し。主の大臣、小余綾の、いそぎ御かはらけ持ちて参りければ、宮、常よりも興ぜさせ給ひ、郢曲絃歌の絶え絶えに、御さかづき賜ばせたるに、主もいたく酔ひ臥しぬ。宮も傍らに御枕を傾けさせ給へば、人皆静まりて、夜、既に更けにけり。中だちの左中将は、心ありて酔はざりければ、彼に案内せさせ、この女房の住みける西の対へ、忍びやかに入らせ給ひ、垣間見給ふに、灯し火の幽かなるに、花紅葉散り乱りたる屏風引き廻し、起きもせず寝もせぬやうにしほれ伏しつつ、只今人々の詠みたりし歌の短冊取り出し、顔うち傾けたるに、こぼれかかりたる鬢の外れより、匂やかにほのかなる顔ばせ、露を含める花の曙、風に従へる柳の夕の色、絵に書くとも筆も及びがたく、語るに言葉もなかるべし。「よそながら、ほのかに見てし形の、『世に又、類もやあらんずらん。』と、怪しきまでに思ひしは、なほ数ならざりけり。」と御覧ぜらるるに、御心も早、ほれぼれとなつて、「知らず、我が魂も、その袖の内にや入りぬらん。」と、思し召さるるばかりなり。
折節、辺りに人もなく、灯し火さへ幽かなるに、妻戸を少し押し開け、内へ入らせ給ふに、女、驚く顔にもあらず、のどやかにもてなし、やをら衣引きかづき、臥したる気配、言ひ知らずなよやかなり。宮も傍らに寄り臥させ給ひ、ありしながらの御心づくし、哀れなるまでに聞こえけれども、とかくいらへも申さず。只、思ひしほれたるその気色、まことに匂ひ深うして、花薫る、月霞む夜の手枕に、見果てぬ夢の心迷ひに、明くるも知らずうち語らはせ給へども、猶つれなき気色にて、つゆ程もなびかぬさまなるに、八声の鳥も告げ渡る。涙の氷柱溶けやらぬ、おのがきぬぎぬ冷ややかに、類もつらき有明の、つれなき影に立ち帰らせ給ひぬ。その後より、度々の御消息ありて、言ふばかりなき御文の数、「早、千束にも成りぬらん。」と、おぼゆる程に積もりしが、女も哀れなる方に心引かれて、「上れば下る稲舟の、いなにはあらず。」とおぼゆる気色になむ、顕はれたり。されども、互に人目を中の関守にて、月頃過ごさせ給ひけり。
或る時、式部少輔秀房といふ儒者を召して、貞観政要を読ませて、聞こし召されしに、「昔、唐の太宗、『鄭仁基が娘を后妃の位に備へて、元華殿にかしづき入れむ。』とし給ふを、魏徴、諫めて申すやう、『この女は既に、陸氏に約せり。』と奏し申したりければ、太宗、その諫めに従つて、宮中に召さるる事を、やめ給ひき。」と談じけり。宮、つくづくとこれを聞こし召し、「いかなれば昔の君は、かく賢人の諫めに付いて、色を好む心を捨て給ひけるぞ。いかなる我なれば、既に人に言ひ名付け、事定まりぬる中を裂けて、人の心を破るべき。」と、昔のためしを恥ぢ、世の謗りを思し召して、御心の内には、「いかにせむ。」と恋ひ悲しませ給へども、その後、御文だにも書き絶えければ、女も、「百夜の榻の端書きも、今は我や数書くまじ。」とうち侘びて、海士の刈藻に思ひ乱れて、互に月日をぞ過ごさせ給ひける。
「徳大寺、この事を伝へ承り、 『さやうに宮の思し召したらんを、いかで便なう、さる事のあるべき。』と、早あらぬ方に通ふ道あり。」と聞こえければ、宮も今は憚りなくて、御文を遣はさる。いつよりも黒み過ぎて。
知らせばや塩焼く浦の煙だに思はぬ風に靡く習ひを
女も、余りにつれなかりし事を、我ながら、「つらき心かな。」と、思ひ返す程に成りしかば、言葉はなくて。
立ちぬべき浮き名をかねて思はずは風に煙の靡かざらめや
と。その後より、かなたこなたに結ぼほれし、心の下紐うち解けて、小夜の枕をかは嶋の、水の心も浅からぬ、御仲と成らせ給ひけり。
「生きては偕老の契り深く、死しては又、同じ苔の下にも。」と、思し召し交はして、十月にだにも足らざるに、天下の乱れ出で来、一の宮は、土佐の幡多へ流されさせ給へば、御息所は一人、都にとどまらせ給ひて、明け暮れ嘆き沈ませ給ふ。せめて、亡き世の別れなりせば、憂きに耐へぬ命にて、生まれ合はんずる後の契りをも頼むべきが、これはまだ同じ世ながら、海山を隔てて、互に風の便りの音信をだにも聞かせ給はず。年頃召し仕へし青侍、官女の一人も参り通はず、よろづ昔に変はりたる、世とこそ成らせ給ひけれ。住み荒らしたる蓬生の宿の露けきに、御袖の乾く暇もなく、思ひくづほれ給ひて、「いかに涙の玉の緒も、長らへぬらん。」と我ながら、怪しき程にぞ思し召す。
宮も都を御出より、君の別れ、御身の上、ひと方ならぬ御嘆き。「御息所の御名残、今を限り。」と思し召し、「道の草葉の露霜と、消え果つるとも惜しからじ。」と、思し召さるる御命の、長らへて、つれもなく、土佐の幡多といふ所の、あさましげなる埴生の小屋、この世の内とも思はれぬ、浦の辺りに遷されて、月日を送り給へば、晴るる間もなき御嘆き、たとへん方もましまさず、思ひくづほれ給ひしを、御いたはしくや思ひけむ。御警固に候ひし、有井の庄司、情けありて、勧め申しけるやうは、「何かは苦しう候べき。御息所を忍びやかに、これへ下し参らせて、御心をも互に、御慰め候へ。」とて、色ある御衣一重ね、調進申してその外に、道の程の用意まで、懇ろに沙汰し申しければ、宮は喜び思し召し、只一人候ひし秦の武文を、御迎ひにぞ上せらるる。
武文、御文賜はりて、急ぎ都へ上りしに、幾程なきに御座所、見しにもあらず荒れ果てて、葎茂りて門を閉ぢ、松の葉積もりて道もなし。訪れ交はす物としては、古き木末の夕嵐、軒洩る月の影ならでは、住む人もなく荒れ果てたり。「さてはいづくにか、立ち忍ばせ給ひぬらん。」と、かなたこなたを尋ねけるに、嵯峨の奥なる里に、松の袖垣、隙顕はなるに、蔦生ひ掛かり、池の姿も物寂しく、汀の松風、秋すさまじく吹きしほり、「誰住みぬらん。」と、見るも物憂げなる宿の内に、琵琶を弾ずる音しけり。武文、怪しくも思ひ、立ちとどまりてこれを聞くに、紛ふべくもなく、御息所の御撥音なり。武文、余りの嬉しさに、中々案内をも申さで、垣の破れより内に入り、縁の前に畏まりければ、破れたる御簾の内よりも、遥かに御覧じ出させ給ひて、「あれや。」とばかり、御声幽かに聞こえながら、何と仰せ出さるる事はなくて、女房達、ささめき合ひて、まづ泣く声のみそ聞こえける。
武文、「宮の御使に、これまで参りて候。」と、縁に手うち掛けて、さめざめと泣きゐたり。ややありて、「只これまで。」と召さるれば、御簾の前に畏まり、「『雲居のよそに思ひ遣り参らするも、余りに詮方なき御事にて候へば、いかにも田舎へ御下り候へ。』との御迎ひに、武文が参りて候。」とて、文を捧げたりければ、急ぎ開いて御覧ぜらるるに、げにと御思ひの切なる色、「さぞ。」とおぼえて、言の葉毎に置く露も、御袖に余るばかりなり。「よしや、いかなる鄙の住まひなりとも、せめてその憂きにこそ耐へめ。」とて、やがて御門出でありければ、武文、甲斐甲斐しく御輿なんど尋ね出し、まづ尼崎まで下し参らせて、渡海の順風をぞ相待ちける。
かかりける処に、ここに筑紫人に松浦の五郎と申せし武士、これも京より田舎へ下りけるが、同じこの浦に風を待ちてゐたりしが、垣の隙よりも、御息所の御姿を見奉り、「こはそも天人の、この土に天降れるか。この世の人ともおぼえず。」と、目離れもせず目守りゐたりしが、「あな、あぢきなや。たとひ主ある人にてもあれ、又、女院、姫宮にてもおはせよ、一夜の程の契りに、百年の命を替へん事、何か惜しからん。奪ひ取つて下らばや。」と思ひける処に、武文が下部、浜の方へ出て遊びけるを、呼び寄せて酒呑ませ、引出物取らせ、「さても御辺の主の、具し奉る上臈は、いかなる人にてまします。」と問ひければ、下臈の悲しさは、酒に耽り、引出物にめでて、ありのままにぞ語りける。松浦、大きに喜うで、「今日この頃、いかなる宮にてもおはせよ、謀叛人にて流され給ふ人の元へ、忍びて下り給ふ上臈を、奪ひ取りたらんに、さして罪科はあるべきか。」と思ひければ、郎等どもに宿の案内を見せ置かせ、日の暮るるをぞ相待ちける。
夜、既に更けければ、松浦が郎等三十余人、物具ひしひしと固め、松明に火をつけ、蔀、遣戸を蹴破つて、前後より打つてぞ入りにける。秦の武文は、京家の者とは言ひながら、日頃手柄を顕はして、人にすぐるる者なれば、「強盗、入つたる。」と心得、枕に立てたる太刀押つ取り、中門さいて切つて出、進む敵を三人、手の下に切り伏せ、残る敵を大庭へ、一度にばつと追ひ出し、大音上げて名乗るやう、「右衛門の府生、秦の武文といふ大剛の者、ここにあり。取られぬ物を、『取らむ。』とて、二つとなき命を、失ふ者のはかなさよ。」と、のつたる太刀を押し直して、門の脇にぞ立ちにける。
松浦が郎等ども、武文一人に切り立てられて、門の外へ引いたりしが、「きたなし。敵は只一人ぞ。返せ、返せ。」と言ふままに、傍なる家に火をかけ、喚き叫んで寄せたりけり。武文、心は猛けれども、煙を風に吹きかけられ、かなふべきやうあらざれば、内へ走り帰つて、御息所を負ひ参らせ、向かふ敵をうち払ひ、湊の舟を招きつつ、「いかなる舟にて候とも、この上臈を暫く乗せて賜べ。」と呼ばはつて、浪打際にぞ立つたりける。舟ども多きその中に、運の極めの悲しさは、松浦が舟にこれを聞き、一番に渚へさし寄する。武文、なのめに喜うで、屋形の内へ乗せ申す。「御供の女房達をも、舟に乗せむ。」と思ひて、走り帰つて見てあれば、ありし宿には火懸かつて、我が方様の人々は、行き方知らず成りにけり。その暇に松浦は、「この上臈の、我が舟に召さるる事は、ひとへに天の与ふる処なり。急ぎ舟に乗れや。」とて、家の子郎等百余人、取る物も取りあへず、皆、舟にこそ乗つたりけれ。艫綱解いて押し出す。
武文、渚に帰つて、「舟は。」と問へば、なかりけり。見れば、沖にぞ浮かんだる。「なう、その舟、寄せられ候へ。屋形の内に乗せ申す上臈を、上げ申さん。」と、声をはかりに呼ばはれども、順風に帆を上げければ、舟は次第に隔たりぬ。武文、余りの無念さに、海士の小舟にうち乗つて、みづから艪を押して急げども、追手を得たる大船に、追つ付くべきやうあらざれば、扇を上げて、「その舟、止まれ、止まれ。」と招きけり。松浦が舟にこれを見、どつと笑ふ声しけり。武文、「安からぬものかな。その儀にてあるならば、只今海底の龍神となつて、やあ、その舟に於いては、遣るまじきものを。」と怒つて、舟の舳板につつ立つて、腹十文字に掻き切つて、滄海の底にぞ入りにける。
御息所は宵の間の、夜討の入つたる騒ぎより、肝心も御身に添はず。夢の浮橋浮き沈み、淵瀬を辿る心地して、「何と成り行く事やらん。」と、泣き臥してこそおはしけれ。舟の内なる者どもが、「あつぱれ、大剛の者かな。主の女房を人に奪はれ、腹を切つつる哀れさよ。」なんどと言ひ沙汰するを、「武文が事やらん。」とは、聞こし召しながら、そなたをだにも見遣らせ給はず。衣引きかづき、屋形の内に、泣き臥しておはします処に、見るも物恐ろしく、むくつけしたる髭男の、声いと訛りて、色の飽くまで黒きが、御傍に参り、「上臈は何をか、さのみむつからせ給ふぞ。面白き道すがら名所ども、浦々をも御覧じて、御心をも慰め給へ。さやうにては、いかなる者も、舟に酔ふものにて候。」と、とかく慰め申せども、御顔をももたげさせ給はず。「只、鬼と一つ車に乗せられ、巫の三峡に棹差すらむも、これには過ぎじ。」とぞおぼえし。むくつけ男も早、茫然と呆れ果て、舟端に寄り掛かり、これさへ呆れたる体なり。
その夜は大物の浦に碇を下ろし、夜をうら風に漂ひしが、明けければ、「風よく成りぬ。」とて、同じ泊りの舟どもも、帆を引き、楫を取り、おのが様々漕ぎ行きければ、都は早、跡の霞と隔たりぬ。「九国へは、いつか行き着かむずらん。」と、人の言ふを聞こし召すにぞ、「さては、心つくしに赴く旅なりけり。」と、御心細きにつけても、「北野の天神の、現人神と成らせ給ひし、そのいにしへの心づくし、思し召し知らせ給はば、我を都へ帰し給へ。」と、御心の内に祈らせ給ふ。
その日の暮程に、阿波の鳴門を過ぎけるに、俄に風変はり、潮向かひ、この舟、左右なく行き遣らず。舟人驚き、帆を突いて、「近き浦に寄せむ。」とすれば、沖つ潮合ひに大の穴出で来て、舟を海底に沈めむとす。水主、梶取ども、「いかがはせむ。」と慌てて、帆筵、苫を投げ入れ、「渦に巻かせて、その間に漕ぎ通さむ。」としけれども、舟、かつて働かず。渦の舞ふに従つて、浪と共に巡る事は、茶臼を押すよりも速やかなり。「これはいかさま、龍神の、財宝に目を掛け、悩ますとおぼえたり。何をも海に入れよ。」とて、鎧、腹巻、太刀、刀、数を尽くして入れけれども、渦の舞ふ事、猶やまず。「もしも色ある衣裳にや、目を見入れてもあるらむ。」と、御息所の御衣と、赤き袴を入れければ、白浪、色変じ、紅日を浸せる如くなり。これに渦は静まりけれども、舟は同じ所に、三日三夜ぞ巡りける。船中の人々、早、一人も起き上がらず、皆舟底に酔ひ臥して、あう、前後も知らずぞ成りにける。
御息所はさらでだに、生きたる御心地もなき上に、この浪の騒ぎに御心も弱り、今は早、人心地もましまさず。「よしや、生きて憂き目を見むよりは、いかなる淵瀬にも身を沈めばや。」とは思し召しつれども、さすがに今を限りと、泣き叫ぶ声を聞こし召して、「千尋の底の水屑と成り、深き罪に沈みなむ後の世を、誰かは知りて弔ふべき。あさましさよ。」と思し召す、御心の内こそ哀れなれ。むくつけ男も早、茫然となつて、「かかるやんごとなき人を、取り奉り、下る故に、龍神の咎めもあるやらん。詮なき業をもしつるものかな。」と、まことに後悔の気色なり。
かかりける処に、梶取一人、舟底よりも、這ひ出て申しけるは、「この鳴門と申すは、龍宮城の東門に当たつて候間、何にても、龍神の欲しがらせ給ふ物を、海に沈め申さねば、いつもかやうに不思議ある所にて候。これはいかさま、『この屋形の内に召されたる上臈を、龍神の思ひ懸け申されたる。』とおぼえ候。申すも中々、邪見にいたはしくは候へども、この御事一人の故に、そこばくの者どもが、非分の死を仕らむ事、不憫の次第に候へば、この上臈を海に沈め参らせ、百余人の命を御助け候へかし。」と申しければ、松浦、元より情けなき田舎人なれば、「さても、我が命や助かる。」と、屋形の内に参り、御息所を荒らかに起こし奉り、「余りにつれなき御気色をのみ見参らするも、本意なく存じ候へば、海に沈め申すべきにて候。御契り深くは、土佐の幡多とやらむ浦へ、流れ寄らせ給ひ、その宮とやらん、堂とやらんと、一つ浦に住ませ給へ。」と、情けなく掻き抱き申し、「海に沈め奉らん。」とす。これ程の御事に成りて、何の御言葉のあるべきなれば、つやつや御声をも出させ給はず、御心の内には、仏の御名ばかりを念じ思し召し、「早、絶え入らせ給ひぬ。」と見えたり。
かかりける処に、御僧の一人、便船ありけるが、松浦が袂を控へ、「こはいかなる御事ぞ。それ龍神と申すは、南方無垢世界の成道を遂げ、仏の授記を得たる者にて候へば、全く罪業の手向をば、受くべからず。しかるに、人を生きながら、忽ち海に沈め給はば、いよいよ神怒つて、一人も助かる者候まじ。只、経を読み、陀羅尼を満て、龍神の法楽を供へんこそ、真実の祈りとも成るべきなり。」と仰せければ、松浦もさすが岩木ならねば、「げにも。」とや思ひけむ、御息所を荒けなく投げ捨て奉り、「さらば、御僧の儀について、祈りをせよや。」とて、船中の上下、異句同音に観音の名号を唱へけるに、不思議なる者どもが、海上に浮かみ出てぞ見えにける。
まづ一番に、退紅の仕丁が長櫃を舁いて、通ると見えてうち失せぬ。その次を見てあれば、芦毛なる駒に白鞍置き、八人の舎人が引いて、通ると見えてうち失せぬ。やや暫くあつて、大物の浦にて腹切つて、死んだりし秦の武文、緋縅の鎧着、五枚兜の緒を締め、黄鴾毛なる馬に乗り、弓杖にすがつて、皆紅の扇を上げ、松浦が舟に向かつて、「止まれ、止まれ。」と招いて、浪の底にぞ入りにける。楫取どもがこれを見て、「灘を走る舟に不思議の見ゆるは、常の事にて候へども、いかさま武文が怨霊とおぼえて候間、そのしるしを御覧ぜむために、水主を一艘引き下ろし、この上臈を乗せ申し、浪の上に突き流し、『龍神の心をいかに。』と御覧じ候へかし。」と申しければ、「この儀、尤も。申したり。」とて、小舟一艘引き下ろし、水主一人と御息所を乗せ申し、さばかり渦の巻き返る、浪の上にぞ浮かめける。
かの早離速離が、海岸山に放されて、飢寒の愁へに沈みしも、それは人住む嶋なれば、立ち寄る方もありぬべし。これは浦にも嶋にもなく、いかでなる門の浪の上、身を捨て舟の浮き沈み、潮瀬に巡る水の泡の、消えなむ事こそ悲しけれ。されば龍神も、思はぬ仲をば裂けられけるにや、風、俄に吹き分けて、松浦が舟は西を指いて、吹かれ行くと見えしが、一の谷の沖にて、武庫山颪に放されて、行き方知らず漂ひしが、激浪、舟を覆して、底の水屑と成るとかや。
その後、浪風静まれば、御息所の御船は、武嶋に着かせ給ひけり。この浦と申すは、釣りする海士の家ならでは、住む人もなき所なれば、隙あらはなる芦の屋の、憂き節繁き住みかの、内へぞ入り奉りける。この四、五日の浪風に、御心も弱り、やがて絶え入らせ給へば、心なき海士の子どもまでも、「こはいかにし奉らん。」と泣き悲しみて、御顔に水注ぎなんどし、やうやう生き出させ給ひけり。「何しに憂き命の、そのままに絶えもせで、又、憂き目を見む事よ。」と、嘆かせ給へど甲斐ぞなき。さらでだに、涙のかかる御袖は、乾く間もなき折からに、苫漏るしづく、荒磯の、岩に砕くる浪の露、消えを争ふ風情なり。
「いつまでかくてあり合ふべき。土佐の幡多とやらむいふ所へ、送りてもあれかし。」と、うち侘びさせ給へば、海士ども申しけるやうは、「か程美しくまします上臈を、我等が舟に乗せ申し、遥々と土佐まで送り申さむに、いづくの浦、津、泊りにてか、人の奪ひ取り申さん事の候べき。ゆめゆめ叶ふまじき」由、申しければ、力及ばせ給はず。浪の立ち居に御袖を絞りつつ、今年はここにて暮らさせ給ふ、御心の内こそ哀れなれ。
さても一の宮は、かやうの事をば、いかでか知ろし召すべき。御息所の御迎ひに、武文、京へ上せられし後、月日遥かに隔つれども、何と御左右を申さねば、「いかなる憂き目にか遭ひぬらん。」と、心元なく思し召し、京より下れる人に、御尋ねありければ、「『御息所は去年の九月に、都を御立ちましまして、幡多へ御下り候ひし。』とこそ、確かに承り及びて候ひしか。」と申しければ、「さては、道にて人に奪はれぬるか。又、世をうら風に放されて、千尋の底にも沈みぬるか。」と一方ならず、思ひくづほれさせ給ふ処に、或る夜、御警固に候ひける武士ども、中門に宿直して、四方山の事ども物語しける中に、或る者の申しけるは、「さるにても、去年の九月、阿波の鳴門を過ぎて、当国へ渡りし時、舟の楫に掛かりし衣を、取り上げて見しかば、美しかりける事よ。これは、世の常の装束にては無し。内裏、院の上臈女房の、田舎へ下らせ給ふとて、難風に遭うて、海に沈ませ候ひし、その装束にてもやあるらん。あな、哀れさよ。」なんどと言ひ沙汰するを、宮、垣越しにて聞こし召し、「去年の九月の事ならば、もし、そのゆかりにてもやあるらん。」と、心元なく思し召し、「その衣、いまだあらば、いささか御覧ぜられたき事あり。持ちて参れ。」と仰せければ、「色こそ損じて候へども、私に候。」とて、召し寄せて参らせ上ぐる。
宮、つくづくと御覧ぜらるるに、御息所の御迎ひに、武文、京へ上せられし時、有井の庄司が調進申せし衣にてあり。「不思議や。」とて、残りたる衣を召し寄せて、さし合はせて御覧ずれば、綾の紋、少しも違はず続きければ、何の御疑ひのあるべきなれば、宮、ふた目とも御覧ぜず、この衣を御顔に押し当て、泣き沈ませ給へば、有井も御前に候ひしが、涙を押さへて罷り立つ。御息所を今は早、この世にまします人とは、つゆも思し召されずし、この衣の楫に掛かりし日を、亡き人の忌日に定められ、みづから御経あそばして、「過去幽霊、藤原の氏の女、並びに秦の武文。共に三界の苦海を出て、速やかに九品の浄刹に至れ。」と、祈らせ給ふぞ哀れなる。
さる程に、その年より、諸国に戦起こつて、六波羅、鎌倉、九国、北国の朝敵、同時に滅び果てしかば、先帝は隠岐の国よりも、還幸成り給ひ、一の宮は土佐の幡多よりも、都に帰り入り給ふ。「天下悉く、公家一統の御世と成り、めでたし。」とは申せども、一の宮の御方には、御息所の同じ世に、おはしまさぬ御事を、深く嘆かせ給ひしに、「淡路の武嶋に御座る」由を、風の便りに聞こし召し、御迎ひを下され、かくて都に入り給ふ。只、「王質が山より出て、七世の孫に逢ひ、方士が海に入りて、楊貴妃を見たりしも、かくや。」と思ひ知られたり。御息所は、「思はずも、心つくしに赴きし、御有様の心憂さ。浪にたゆたふうたかたの、消えぬ身ながら長らへ、二とせ過ぎし物思ひ。御推し量りも猶浅くや。」と、御袖を絞り給へば、宮は又、門渡る舟の楫の葉に、書くとも尽きぬ御嘆き、別れの中の別れとて、亡き跡弔ひし年月の、数々積もりし悲しみ。只、身一つの物思ひ。忘れかねにし有様を、語り尽くさせ給ひけり。
さしも憂かりし世の中の、時の間に引き替へ、人間の栄花、天上の娯楽、「極めず。」といふ日もなく、「尽くさず。」といふ御遊もなし。長生殿の内には、梨花の雨、土くれを破らず、不老門の前には、楊柳の風、枝を鳴らさず。「今日を千年の始め。」と、めでたきためしに、明かし暮らさせ給ひけり。
コメント