「入鹿」の内

 咎もなかりし御食子の卿に、勅勘の聖旨を蒙りて、遥かなりける東路や、常陸の国に配所ある、思ひをば雁山の、夕の雲に懸けながら、涙を遠嶋の、道より末に先立てて、見も習はざる東路や、常陸の国に下り、宮の辺りに庵して、明かし暮らさせ給ひければ、辺りの里人見参らせ、鹿嶋の宮に住めばとて、四郎祢宜とぞ申しける。
 いつしか早く落ちぶれ、農夫田者に交じはり、勧農の時を得、一茎の鋤を担ひ、寸の田を返し、一枝の桑の葉を取りて、絹帛の類を営み、いみじからねど光陰を、去年は今年に押し移り、あやめも知らず住み給ふ。
 かくて若君出で来させ給ひ、既にその年うち過ぎ、夏暮れ行けば水無月の、中の五日の暑き日に、田の草取りに出給ふ。いたはしや若君を、この田の畦に具し出て、青葉の柴を折りかざし、泣かで寝ねよと乳を含め、夫婦共に百草を、取る手に付けて苗の葉の、栄えん事を悦びて、終日取りぞ暮らさるる。
 かかりける処に、いづくからとも知らざるに、一つの狐来り、鎌を口にくはへ、幼児の枕上に置き、かき消すやうに失せければ、父母急ぎ立ち寄りて、鎌を取りて見給ふに、氷、手の内に、輝くやうな鎌であり。もしも宝に成るやとて、この子に添へて育てらる。撫育練磨の時を得、早、十六に成り給ふ。
 橘の京の御時、農夫田者の業なれば、庭の夫に指され、泣く泣く京へ上りつつ、百敷や大内の、庭の小草を清めしに、行事の弁は御覧じて、多くの仕丁夫の中に、いとけなきわつぱあり。形はやつれ果てたれども、只人ならずおぼえたり。金骨の相のあり。金骨の相とは、大臣の相の事なり。田舎へ今は下すまじ。宮中にとどまりて、御門を守護し申せとて、文章生に任ぜられ、右京太輔に経上がりて、宮中の交じはり、早雲客に成り給ふ、果報の程のゆゆしさよ。
(曲節集)

 当君の御代には、御方様ならでは、親しみ申さん便りも無し。醜女と思し召さるるとも、召し置かれ候はば、身の面目たるべしと、書きこそ送り給ひけれ。
(短中之部)

 既に浮世の生涯、余命今を限りなり。親子わりなき対面も、今度ばかりの事なるべし。入鹿の臣も北の方も、御出あれと書かれたり。
(短中之部)

 御最後の綸言に、麿が命は惜しからず。汝等他国のたばかりを、知らざりけるこそ無残なれ。必ず後悔すべきぞと、これを最後の綸言にて、忽ち崩御成り給ふ。
(短中之部)

 およそ杖にも多数あり。仏の杖は摩訶薩杖、無明常夜の民の、憂き迷ひを知る杖なり。菩薩の杖は錫杖、功徳の高きを表せり。欣求解脱の竹杖、白駝王のしゆはん杖、宗門の持てる拄杖こそ、深き心のあるなるに、今の榊の細杖は、盲路の冥闇杖、目くらの突く杖なり。照る日月は、明らかにましませど、虚空常夜の如くなれば、杖に引かれてたどり行く。故に名付つけて、冥闇杖と申すなり。
(短中之部)

 あらざる方に手を上げ、もだえ焦がれ給ふ間に、終に空しく成り給ふ。甲斐なき死骸を取り上げ、御膝の上に置き給ひ、ここはいづく前後ろ、かしこはいづく面顔。足手を探り廻しつつ、こはいかにあさましや、辺りに人はおはせぬか。など取り上げて賜び給はぬ。自未得度先度他は、菩薩の行にあらずや。あはれ片輪のその中に、目くらは殊にあさましや。かく片輪なる憂き身こそ、先立ち菩提をも、弔はれんとこそ思ひしに、眼前猛火の中に入るを、助けぬ事の無残さよ。生きて甲斐なき憂き身をも、殺して賜べや人々とて、天に仰ぎ地に伏して、流涕焦がれ給ひければ、見る人も聞く者も、皆涙をぞ流しける。
(短中之部)

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