鎌田の内
觜はふたつと申せとも。とうかひとつてある間。そのとくとうにおさまりて。身体かやふれつゝ。とうたいかそむして。をのれさへに。ししたると。うけ給はりて候そ。我も人も自然は。もつてはひとしかるへし。此君と申すは。政道かしこくおはします。鎌田兵衛正清は。ならひもなきかうのもの。童に渋屋の金王は。弓箭をとつて。名人と名をえたるほとの者也。これ三人をうたむには。尾張八郡。うこきても。たやすくうたれ。給ふまし。
(彰考館幸若安信本)
しかじ唯もとひをきつてさまをかへ。浮世をいとはゞやとおもひ。年拾七と申すには。みどりの。たぶさをおしきりて。刀と共に西へなげ。づだのふちおいかたにかけ。心と衣を。すみにそめ。遁世修行に。出たりしかの。せんじやうを。見し人のほめぬ。人こそなかりけれ。
(曲節集一本)
四尺八寸の長刀をひきづへにつゐて。かうのとのゝ御前に参り。東岱前後の夕煙。きのふものぼりけふも立。北邙朝露の幻おくれ。さき立世のならひ。若うつみにてうたれずは。参りて御目に。かゝらんと。泪とともに。立出る。義朝は御覧じて。いまはしゝ。金王。かどいで悦へとのたまひて。自酒をぞ。くだされける。御暇申て。金王は。うつみの。沖へ出にけり。契りはあれど。山鳥の尾。をへだつるが。ごとくなり。
(曲節集一本)
齢傾みつからか壱人跡にのこりなは深山かくれの遅桜梢の花は。散はてゝ下枝に一房のこりて嵐を待に似たるへし我をもつれて行やとて母も自害をとけ玉ふ平治二年正月の二日の夜のことなるに鎌田をはしめ父子五人水の泡とそ消にける。
(曲節集一本)
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