「木曽願書」の内

 木曽は八幡の社領、羽丹生の森に陣を取つて、四方をきつと見渡しければ、北の外れに当たりつつ、夏山の峯の緑の木の間より、朱の玉垣ほの見えて、片削造りの社壇あり。前に鳥居ぞ立ちにける。里の人を召されて、あれに御立ちましますは、何の宮、いかなる神を崇め申すぞ。いかにいかにと問ひ給へば、八幡大菩薩を崇め奉る。当国の新八幡宮、羽丹生の八幡と申すなり。
(三浦氏幸若安信本)

 返牒を大衆僉議あつて、かの信救に書かせられけるに、清盛を平氏の糟糠、武家の塵芥と書いて、その名を上げし名人なれば、いかでか書きは損ずべき。この願書に曰く。
  帰命頂礼。八幡大菩薩は、日域朝廷の本主、累世明君の曩祖たり。宝祚を守らんがため、蒼生を利せんがために、三身の金容を顕はし、三所の権扉を押し開き給へり。ここに頃年よりこの方、平相国といふ者あつて、四海を自在とし、万民を悩乱せしむ。これ仏法のあだ、王法の敵なり。義仲、いやしくも弓馬の家に生まれ、わづかに箕裘の塵を継ぐ。ひそかにかの謀悪を見るに、思量顧みるにあたはず、運を天道に任せ、身を国家に投ぐ。試みに義兵を起こさんと欲する刻に、凶徒を退けんと、闘戦両家の陣を取る。士卒いまだ合せずといへど、一致の勇を得、今心悦を鎮むる処に、今一陣に於いて旗を上げ、戦場にして忽ちに、三所和光の社壇を拝す。機感の純熟、既に明らかなり。凶徒誅戮、疑ひ無しや。歓喜涙こぼれ、渇仰肝に染む。
  なかんづく曽祖父、前の陸奥守義家の朝臣、身を宗廟の氏族に帰服して、名を八幡太郎と号せしよりこの方、その門葉たる者、帰敬せずといふ事なし。義仲その後胤として、頭を傾けて年久し。今この大功を起こす事は、譬へば嬰児の具を以て巨海を量り、蟷螂斧を怒らかして龍車に向かふが如し。しかりといへど、君のため国のためにこれを起こす。身のため家のためにしてこれを起こさず。志の至り、信心天にあり。頼もしきかなや、喜ばしきかなや。伏して願はくは、冥顕威を加へ、霊神力を合はせ、勝つ事を一時に決し、あだを四方に退け給へ。しかれば則ち丹祈冥慮に叶ひ、宝剣加護を成すべくんば、一つの瑞相を見せしめ給へ。寿永二年五月十一日。源義仲敬白。
と書いたるかの覚明が筆勢、褒めぬ人こそなかりけれ。
(短中之部)

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