「那須与一」の内
それ物の面白きは、夏山や、青葉交じりの木の下に、ひわとこがらと鴬と、そんぢやうその木の枝に、幾声鳴くと、目には見ずして、声ばかりどちにかけ、命も殺さず羽も散らさず、蟇目鏑の目柱に、射込うで取るぞ大事なる。
(三浦氏幸若安信本)
かの玉虫が、由来を詳しく尋ぬるに。
(短中之部)
日本一番の、常盤に劣らぬ美人とて、四季に名をこそ変へらるれ。春は青柳糸桜。夏は又藤の花。秋は七夕の、天の川瀬に関据ゑて、絶え絶え見ゆるは瀧の水。近うて色の増せばとて、名を玉虫と付けらるる。
(幸若正信本)
袖かざして立つたるは、金岡が絵図に写すとも、筆もいかでか及ぶべき。
(短中之部)
「景清」の内
五百余騎にて堅めらる。かくて南都の供養は真最中と聞こえけり。かかりける処に、物の哀れをとどめしは、平家の侍大将に、悪七兵衛景清にて、殊に哀れをとどめたり。あはれ世の中に、貧程つらき事あらじ。親しき人には遠く成り、うとき人には卑しまれ、貧者の家に生まるる程、つたなかりける事あらじ。承れば鎌倉殿、南都の供養と聞いてあり。法会の庭とは存ずれども、主君の敵でましませば、忍び都へ上りつつ、頼朝を一刀切り申し、大臣殿の孝養に、報ぜばやと思ひければ、尾張の熱田を立ち出て、忍び都へ上りけり。
(短中之部)
あら無残や。最乗坊が、頼み申す大衆達は、心変はりをし給へば、今はせん方尽き果て、乞丐人のまなびをし、真の漆を買ひ取つて、継目五体にしつかと注し、蓑裏返し着るままに、破れたる笠を首に懸け、細き杖を頼りとし、南都をば立ち出でて、ふてて都へ上りけり。奈良坂や般若寺の辺りにて、討手の勢にぞ行き合ひける。日頃は肩を並べ、膝を組みし朋輩達、目の当たりに通れども、あれはいかに最乗かと、目懸くる者もなかりけり。それも心の剛なれば、鰐の口を逃れて、鬼神が門を立ち出て、鳴海潟に下りつつ、医師を求めて療治をし、本の如くに平癒なつて、かくて最乗熊野に越え、新宮の十郎行家の御手に付き申し、治承四年の夏の頃、熱田の宮の願書の時に、最乗坊とぞ書いたりける。その後信濃に下りつつ、木曽殿の御手に付き申し、北国砺波山、于鎮の宮の願書の時、最乗坊とは書かずして、その名を変へて、木曽の大夫覚明とぞ書いたりける。あはれ漆のなかりせば、最乗坊が命は、危ふかりつるものぞかし。
かく申す景清も、それには少し違ふまじ。乞丐人のまなびをして、狙はばやと思ひて、四條の町に立ち出て、真の漆を買ひ取りて、継目五体にしつかと注す。夏の漆の物憂さは、五体をしむるぞ堪へがたき。無残や景清は、我が身をきつと見て、かく成り果つるも誰がためぞ。主君の徳と思へば、恨みとは更に思はず。
(短中之部)
施行賜べよと乞ふ時ぞ、いとど昔を恋衣、恋衣。袖は涙に朽ちぬべし。
(短中之部)
まさしく御身は、乞丐人では無くして、平家の侍大将に、悪七兵衛景清と、見たは秩父がひが事か。
(短中之部)
阿古王余りの悲しさに、この札を盗み取り、賀茂川桂川へも、流さばやと思ひしが。
(短中之部)
この事敵に知らせつつ、景清を討ち取らせ、二人の若を世に立てて、後の栄花に誇らんと、思ひ澄ませる女房の、心の内ぞあさましき。
(短中之部)
阿古王賜はり候て、清水坂に帰りつつ、その日の暮るるを待ちたるは、情けなうこそ聞こえけれ。
(短中之部)
阿古王涙を流しつつ、あらいたはしや景清。平家の御世の御時は、一時の詣にも、中間小者華やかに、馬鞍小具足尋常にし、さこそゆゆしくおはせしが、いつしか平家に過ぎ後れ、精気玉鉾やつれ果て、御供もなうて景清は、さこそ苦しくおはすらん。
(短中之部)
ゐたる所をづんど立ち、間の障子をざらりと開け、簾中に移りて、籐の枕に並み寄りて、前後も知らず臥したるは、運の末とぞ聞こえける。
(短中之部)
いはんやこれは紙障子の一重。破らん事は易けれども、日頃の情け当座の会釈、九年連れたるその情け。わ御前は心変はるとも、景清は心変はるまじ。やがて言葉を変へらるる。いかに二人の若どもよ。母こそつらくとも、今を限りの事なれば、父が姿を出て見よ。若どもとありしかば、無残や二人の若どもは、母が所を立ち離れ、父が辺りに並み寄りて、むつましげなる風情なり。
景清は見るよりも、おのれが母の心中程、つたなかりける事あらじ。それをいかにと申すに、何がしが事をば、敵の方へ訴訟して、景清を討ち取らせ、後の栄花に誇らんと思ふとも、因果忽ち報うて、全う世には出まじい。かく浅ましき心中にて、世にも只はあるまじい。又余の夫に添ふならば、一つにとれば継子の仲。又は敵の子孫とて、悪しからうずる度毎に、邪慳の杖にて打つならば、幼き者の癖として、余の事をば言はずして、父よ母よと呼ぶならば、草の蔭にて景清が、見んずる事も無残なり。いかに二人の若どもよ。恨めしき母に添はんより、父が供をせよやとて、兄花光を引き寄せて、弓手の臂のかかりを、二刀害して押し臥する。弟がこれを見て、あら恐ろしの父御前や。我をば許し給へとて、居たる所を立たんとする。景清は見るよりも。何と申すぞ花若よ。殺す父は恨みそ。殺す父は殺さいで、助くる母が殺すぞ。同じくは兄とうち連れて、閻魔の庁に参れとて、心元をひと刀。あつとばかりを最後にて、兄弟の若どもを、三刀に害しつつ、刀をかしこへからりと捨て、つがはぬ鴛鴦のゑいや声、浮かれ恋の風情にて、我が身を抱いて立たれたり。
(短中之部)
コメント