「蓬莱の山」の内

 初番の日の雑掌に、蓬莱の山を絡組み、中に甘露の酒を入れ。
(短中之部)

 跳ね釣瓶にてこれを汲む。酒にあまたの威徳あり。疎き人さへ近づく。親しき仲は猶親しぶ。遠近の、たつきも知らぬ旅人に、馴るるも酒の威徳なり。蓬莱の山の上には、李夫人が橘玄圃の梨。巣父の椎くわかくが柚。とうがんせいの栗と榧。皆色々になり連れて、その味はひは乳味を成し、まことに不死の薬ぞと、酔ひを進めて舞ひ遊ぶ。
(幸若正信本)


「九穴の貝」の内

 烏帽子着ながらつつと入り、螺に海松布の付いたるを、取り上げて参らする。頼朝は御覧じて、あつぱれ祝ひの曲かなとて、よかりける所を、百町下し賜び給ふ。
(短中之部)


「常葉問答」の内

 牛若殿は幼くて、いまだ乳母に抱かれて、明かし暮らすとせし程に、七歳に成らせ給ひけり。常葉心に思し召す。あの牛若と申すは、兄弟が中の見目良しなり。大所へ上せ置くならば、人の口も恐ろしし。都ほとりに引き籠れる、古所を尋ねて上すべし。いづくにかはありなんと、仰せ出されたりければ、或る人申しけるやうは、鞍馬寺と申すは、弓削の女院の御墓堂。本尊は大悲多門天。福智恵共に満足せり。牛若殿の御ために、よかりなんとぞ申しける。
(短中之部)

 河原を上りに参らるる。賀茂の御社伏し拝み、七曲り八町坂、鞍馬に着き給ひけり。地主権現伏し拝み、礼堂に参らせ給ひつつ、隔子の内へ御入りあり。礼盤に向かひ礼しつつ、高座にむずと上がりて、香炉取り上げ磬鳴らし、暫く念誦し給へり。
(幸若正信本)

 釈迦仏と申すは、浄飯王の御子なり。悉達太子と申ししが、十九にて出家を遂げ、檀特山に閉ぢ籠り、菜摘み水汲み爪木こり、六年給仕し給ひて、辛苦を遂げさせ給ひ、二十五にて僧に成り、瞿曇と申し奉る。又六年は定座にて、まどろむ暇もましまさず。十二年を経給ひて、菩提樹の下にて、仏と成らせ給ひて、御名をば釈迦と申すなり。三十の御年より、華厳経を説き給ふ。三七日の間なり。七処八会にこれを説く。
(短中之部)

 この言葉を論ぜば、有智無智刹利婆羅門。毘舎首陀等に至るまで、差別も更にあるまじい。
(短中之部)

 偏には女、旁には少と書いてこそ、妙とはこれを読まれたれ。妙と書ける文字の読み、数多しとは申せども、まづたへなりと読まれたり。六万九千三百、八十余字の文々は、別の事をば褒めずして、妙を褒めんがためなり。妙と書ける心は、言葉にも述べがたし。筆にもいかで尽くすべき。言語道断なる間、心行処滅なりとかや。ここを以て案ずるに、万法の頂きは、女を以て極めたり。
(短中之部)

 女人一人生まるれば、地獄の使来たりとて、三世の諸仏は舌を巻き、怖ぢさせ給ふとこそ聞け。遠く漢家を尋ぬるに、天台山の高山へ、女の参る事は無し。育王山摩犂山、清涼山に至るまで、女を許し給はず。間近き秋津嶋にも、延暦寺高野山。初瀬岡寺や当麻寺。多武の嶺に至るまで、内陣の隔子へ、臨む事のあらざれば、遥かに拝み奉る。戒行の程のつたなさよ。
(幸若正信本)

 一をば耶輸陀羅女、二の后をばいぎとて、左右なく人に見せられず。第三に瞿陀弥とて、殊に容顔美麗なり。この三人の御仲に、御子あまたおはします。耶輸陀羅女と申すは、釈迦仏の因位、儒童菩薩とおはせし時、瞿夷女といへる女に、五本の蓮華を植ゑて後、燃灯仏を供養せし。その約束の朽ちずして、今耶輸陀羅と生まれて、太子に契り籠め給ふ。大唐の育王山、清涼山に至るまで、女をそしり給ふとも、両界の法をば、やはかはそしり給ふべき。胎金両部欠けて後、定恵の二法立ちがたし。
(幸若正信本)

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