「笛の巻」の内

 牛若なのめに思し召し、如月半ばの頃よりも、吹き始めさせ給ひつつ、その年の暮には、百二十調の楽をば、吹きこそ覚え給ひけれ。
(短中之部)

 般若台をぞ拝まれける。かの般若台と申すは、南岳大師久しくも、行ひ給ふ御寺なり。今日本に生まれては、厩戸の皇子、聖徳太子とも申すなり。衆生済度の慈悲深き、南岳大師と伏し拝み、又五千里を行き過ぎて、玉泉寺とて御寺あり。かの寺と申すは、南岳一の弟子、智顗上人の御寺なり。かの天台に通ひ、御法を説かせ給ひけり。あなたへも五千里、こなたへも五千里、一万里の道なるを、夜日七日に行き帰り、御法を説き給ひけり。かるが故に釈文にも、荊楊往復、途将万里と説かれたり。
(幸若正利本)

 足すさまじく身の毛立ち、渡るべきやう更に無し。弘法この由御覧じて、さりともこれを渡らずは、白雲万里を隔たりて、何としてかは参るべき。渡るにこそと思し召し、命を捨てて渡らるる。法力なれば相違なく、向かひに着かせ給ひけり。川上さしてよぢ登り、葱嶺の嶺に上がりつつ、遥かの空を見上ぐれば、夕日程もなかりけり。手に取るばかり近くして、霞は谷の底にあり。雷電雲を響かし、風小雲を払つて、銀漢は殊に頭たり。
(短中之部)

 童子即ち文殊と成り、五色の光を放しつつ、獅子に召されたりければ、所はやがて浄土と成る。霊山浄土これなり。
(彰考館幸若安信本) 

 五色の光を放しつつ、獅子に召されたりければ、所はやがて浄土と成る。霊山浄土これなり。そもそも文殊と申すは、浄瑠璃浄土のその中に、八大菩薩の惣一なり。
(短中之部)

 弘法剣を抜き持つて、かの竹の末の節を、三節込めて伐り給ひ、契りのあらば日本にて、巡り逢へやと宣ひて、河にぞ流し給ひける。それより元の橋渡り、はや大唐に出給ふ。唐土の、寺の初めは揚州の、白馬寺殊更尊かりけり。帰朝の東風の吹きければ、明州に出給ふ。御舟に召す時、持つところの仏具に、五鈷独鈷三鈷を、虚空へ投げさせ給ひけり。紫雲下つてこれを巻き、遥かの海を分け越えて、紀の国に聞こえたる、高野の峯にとどまれり。三鈷の松と申す事、この時よりも始まれり。
(彰考館幸若安信本) 

 それよりも大師は御舟に召され、のろ嶋ときさみの嶋を、遥かの西に御覧じて、堀河といへる湊こそ、唐土の王の都より、流れ出たる大河なれ。それより三日走り過ぎ、かしらなしといふ津こそ、唐土船の泊りなれ。きみ州といへる沖洲を過ぎ、高麗唐土の境なる、もめい嶋を走り過ぎ、経の岬はくたいしゆ。もころへのみせんもも嶋。城戸の嶋諸見の嶋。舟越過ぎてつちよりも、明くれば対馬の内院に着く。壱岐のかさもと走り過ぎ、壱岐のもとほり目に懸けて、あは筑前の箱崎や。博多の津こそ見ゆれとて、各々勇む折からに、悪風俄に吹いて来て、高麗の沖洲なる、きとの嶋まで吹き戻す。
(彰考館幸若安信本) 



「未来記」の内

 宗徒の天狗七八人、若山伏に出立ち、牛若殿の傍に行き、いかに少人聞こし召せ。そもそもこの辺りに、人住む所の候へば、御出あつて、暫く御遊び候へや。少人とこそ申しけれ。牛若殿は聞こし召し、これ只者と思さねど、何の子細のあるべきと、思し召されける程に、山伏の肩に乗り、そことも知らぬ山を行き、深き谷に分けて入る。いづくまで牛若を、具足するぞ怪しやと、思し召されける程に、山の気色と木の木立、巌嶺峨々と聳えて、万木枝を並べては、花上苑に盛んなり。離々たる匂ひは香ばしく、松柏緑色深し。瀧の音冷々と、響き岩間をくぐる音、これやまことに清涼山の、給孤独園かと疑はる。ここは本堂並びに拝殿。玉を磨き神殿に珠玉を連ね、九重の塔は雲に聳え、坊中棟を並べつつ、門々甍を続けたり。か程めでたき御寺の、この川谷にありけりと、思し召されける程に、暫く立ちておはします。
(彰考館幸若安信本)

 孫は国王、或いは百官卿相なり。あぶれ源氏の末々を、胤を断つて滅ぼすべし。南都に敵が籠ると聞く。逆徒強くて手に余らば、大仏殿に火をかけよ。
(短中之部)

 範頼義経を両大将と定めて、都へ攻めて上るべし。無残やな義仲は、天下の憎まれ朝威の罰。弓箭の末もすたれ果て、粟津が原で討たるべし。
(彰考館幸若安信本)

 さてその後に牛若殿、兄に憎まれ給ふなよ。梶原に心許すべからず。兄弟の仲不合ならば、その身の運は尽くべきなり。六親不合にして、三宝の加護はよもあらじ。
(短中之部)

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