「腰越」の内

 大内山を雲居のよそに眺め越し、関の清水に着き給ひ、大臣殿、思ひ続けてかくばかり。都をば、今日を限りのせき水に、又逢坂の影や映さん。
(短中之部)

 これや天智天皇の、大和の国、岡本の京よりもこの所に遷り、宮作りし給ひし、その旧跡を伏し拝み、勢多の唐橋うち渡り、野路篠原の宿過ぎて、曇りかからぬ鏡山。そのかみ奈良の翁の、鏡山、いざ立ち寄りて見て行かむ、年経ぬる身は老いやしぬると、老いを厭ひて詠みたりし、そのいにしへの言の葉まで、思ひ出しつつ哀れなり。愛知川渡れば千鳥鳴く、小野の細道磨針山。番場醒ヶ井柏原。おちこちの、たつきも知らぬ山中に、不破の関屋の板庇、月洩れとてやまばらなる。垂井の宿をうち過ぎて、早く熱田に着き給ふ。かの明神と申すは、かけまくも忝や、天照大神の、その一つにておはします。尾張第三の宮とは申しながらも、およそは日本第三の、御神にてましますと、その時こそ大臣殿、判官に語り給ひけれ。
 何となるみと聞くからに、磯辺の波に袖濡らし、参河の国に入りぬれば、八橋にさしかかり、橋の風情を見給ふに、砂に眠る鴛鴦は、夏を知らで去り、水に立てる杜若は、時を迎へて開けけり。花は昔を忘れずして、同じ色にぞ咲きにける。橋も昔の名なれども、幾度か渡し替へつらん。末をいづくと遠江。浜名の橋を見給ふに、南には、海上漫々として際も無し。北は又湖水あり。人家岸に連なつて、松吹く風浪の音、いづれも法の類ぞと、うち眺め下る程に、大井川にも早着きぬ。大臣殿御覧じて、我世が世にてありし時、亀山の御幸の御供し、紅葉乱れて流れ出でし、清瀧川や大井川、思ひ出しつつ偲ばじや。浮嶋が原よりも、富士の高嶺を見上ぐれば、時知らぬ雪の色、鹿の子まだらに降り成して、麓には東西へ、長く見えたる沼もあり。蘆分け舟に棹さして、群れゐる鴎の心のままに、かなたこなたへ飛び去るを、羨ましくや思はれけん。大臣殿父子共に、思ひ続けてかくばかり。潮路より、絶えず思ひを駿河なる、身はうき嶋に名をば富士の嶺。御子右衛門督も。我なれや、思ひに燃ゆる富士の嶺の、空しき空の煙ばかりは。
 原には塩屋の煙片々とし、風に任せて行方も知らず迷へり。伊豆の三嶋に着き給ふ。かの明神と申すは、昔能因が、苗代水と詠みたりし、歌の道を納受し、炎旱の天より雨下り、枯れたる稲葉も忽ちに、緑の色と成りたりし、めでたき神にてましませば、頼もしく思ひ申すなり。来世にては、必ず九品の蓮台に、迎へ取らせ給へやと、祈誓を申させ給ひつつ、相模の国に入りぬれば、義経のために喜びを、菊川の宿とうち眺め、末は酒匂の宿に着く。
(幸若長明本)

 義盛やがて立ち帰り、酒匂の宿に参り、この由かくと申しければ、義経聞こし召されて、こはいかに。木曽義仲を、誅戮せしよりこの方、平家を三年三月に滅ぼし、三種の神器事ゆゑなく、再び帝都に納め申し、あまつさへ平家の大将、大臣殿父子生け捕り、これまで下りたる義経に、いかに讒人ありとても、一度の対面は、などかは無うてあるべきぞ。これも思へば景時が、讒心によるなれば、頼朝に恨み更に無し。
(曲節集)

 弁慶承り、墨磨り流し筆に染め、草案までもなく、只一筆にぞ書いたりける。
  源の義経、恐れながら申し上げ候。その意趣は、御代官の一人に撰ばれ、勅宣の御使とし、累代弓箭の芸を顕はし、会稽の恥辱を清む。忠賞行はるべき処に、思ひの外に、虎口の讒言によつて、莫大の勲功をもだせらる。義経、犯し無うして咎を蒙る。功を以て誤り無しといへど、御勘気を蒙る間、空しく紅涙に沈む。つらつら事の心を案ずるに、讒者の実否を糺さず、鎌倉へだも入れられざれば、素意を述ぶるにあたはず、数日を送る。この時に当たつて、御顔を拝し申さずんば、骨肉同胞の義絶え、既に宿運極まつて、空しきに似たるか。はた又、先世の業因を感ずるか。悲しいかな。この條故亡父尊霊、再誕し給はずんば、誰の人か、愚意の悲嘆を申し開かん。いづれの人か、哀憐を垂れられんや。
  事新しき申し状、述懐に似たりといへど、義経、身体髪膚を父母に受け、莫大の時節を経ずして、故頭の殿御他界の後、みなし子と成り果てて、母の懐ろに抱かれ、大和の国宇多の郡に赴きしより以来、一日片時も安堵の思ひに住せず。甲斐なき命は存すといへど、京都の経廻難治の間、諸国を流行し、身を在々所々に隠し、辺土遠国を住みかとして、土民百姓等に服仕せらる。しかるに幸慶忽ちに純熟して、平家の一族追討のために、上洛せしむる。手合はせに木曽義仲誅戮の後、平氏滅ぼさんために、或る時は、峨々とある巌石に、駿馬に鞭打つて、敵のために命を失はん事を顧みず。又或る時は、漫々たる海中の上にして、風波の難を凌ぎ、身を海底に沈めん事を痛まず、骸を鯨鯢の鰓に懸く。しかのみならず、甲冑を枕とし、弓箭を業とする本意、しかしながら亡魂の憤りを休め申し、年来の宿望を遂げんと思ふより外、他事無し。あまつさへは義経、五位の尉に補任の條、当家の重職、何事かこれに如かん。しかりといへど今、愁へ深うして嘆き切なり。仏神の助けにあらずより外、他事無し。これによつて諸神諸社の、牛王宝印の裏を以て、野心を更に存ぜぬ旨を、日本国中の大小の、神祇冥道を驚かし奉り、数通の起請文を書き進ずといへど、猶以て宥免無し。この国は神国なり。神は非礼を受け給ふべからず。頼む処他にあらず。則ち貴殿広大の慈悲を仰ぎ、便宜を伺ひ高聞に達し、秘計を巡らされ、誤り無き旨を宥せられ、芳免に預からば、積善の余慶家門に及び、永く栄華を子孫に伝へん。よつて年来の愁眉を開き、一期の安寧を得受せしめん。言葉尽きず。
  事の心を案ずるに、ここに津の国渡辺にて、逆櫓立ての遺恨によつて、義経景時が仲よからず。ややもすれば、暇を窺ひ折を得て、義経を討たんと欲す。猶以て叶はざれば、範頼の御手に付いて、先立つて関東に下着し、頼朝に近付き奉り、時々讒奏を致す処、その謂はれなきものなり。本々の罪の疑ひをば軽くするとも、無実の罪の疑ひをば重くせよ。理は万民の悦び、非は又諸人の嘆きたり。賢王は一身のために理を曲げず。先車の覆すを見て、後車恐れを成せり。上直なれば下安し。水上澄まざれば、河流によつて月宿らず。何ぞ梶原一人に、諸国の諸侍を思ひ替へられんより、急ぎ遠嶋に配流せられ、諸家の嘆きをやめ、忠勤の勇みを成し給へ。誠惶誠恐謹言。
    元暦二年六月五日進上 因幡守殿へ    義経判。
と書きたるかの弁慶が筆勢、褒めぬ人こそなかりけれ。
(短中之部)

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