「勧進帳」の内

 かの西行の歌には、根上がりの松と詠まれたり。なう山伏と申しけり。
(幸若正信本)

 市振浄土歌の脇。二三の迫最上川。姉歯の松、亀割坂と申しつつ、四十二所の、名誉のこれが難所なり。少人もおはしますが、いかでか下り給ふべき。さて上道の難所は、都の春は過ぎ行けど、越路の雪のまだ消えず。去年の雪の叢消えに、今年の雪の降り積もり、谷の下水落ち合ひて、水嵩増さりて鳥ならで、通ふべきやう更に無し。中道と申すは、道も順道にて、人の心も慈悲なれども、ここに一つの難儀あり。鎌倉殿よりも触状が下つて、この国の富樫殿、城郭を構へ、山伏の禁制強くして、をととひの暮程に、九人通る山伏を、判官の御連れとて、押さへて切つて懸けられたり。きのふの早朝に、六人通る山伏を、五位殿の御連れとて、これをも切つて懸けらるる。ゆふべも五人切らるる。今朝も三人切られて候。か程なる難所を、多生劫は経るとも、いかでか下り給ふべき。なう山伏と申しけり。
(曲節集)

 見おほするものならば、山伏の法にてある間、喜びの貝を二つ三つ吹かうず。又見損ずるものならば、最後の貝を、たつた一つ吹くべきなり。貝ばし一つ立つならば、すはや武蔵めが最後ぞと思し召し、北方の三満堂にて、清き自害おはしませ。暇申してさらばとて、立ち離れんとしたりしが、思へばこれが最後なり。朋輩の人々に、名残や惜しく思ひけん。亀井片岡伊勢駿河、間近きさまに近付けて、いかに方々。武蔵め一人、富樫が舘に移りて、城の警固を見損じたらば、弁慶が腹切らうず。君御腹を召されなば、死出の山にて待ち申さん。あう方々、先にも腹を切るならば、三途の川にて待ち給へ。暇申してさらばとて、名残惜しげに立ち出づる。
(曲節集)

 写しも写いたり、書きも書いたる画師かな。武蔵が丈は六尺二分。絵図も六尺二分なり。色黒く丈高く、眼のにくぢを写いてあり。あまつさへは武蔵殿、左の眼先に、痣のあるまで写いたは、逃れつべうはなかりけり。
(短中之部)

 武蔵、余りの口惜しさに目を塞ぎ、南無や八幡大菩薩。源氏の氏子をば百王百代、守らんとの御誓ひと、承りて候ぞや。一つの瑞相を見せしめ給へやと、からりからりと探さるる。げにや、八幡大菩薩の与へ賜びけるか、自然の往来の、巻物一巻候ひけり。押つ取つてさし上げて、勧進帳はこれにあり。拝み給へと見せにけり。
(短中之部)

 そつと開いて、双眼に押し当てて、何とは知らねども、敬白と上げたりけり。
  敬白。勧進の沙門請ふ。件の知識の状に曰く、和州山階の里、東大寺の勧進の事。殊に十方旦那の、助成を蒙らんと欲す。
  右の旨趣如何と言ふに、かの伽藍の濫觴は、聖武天皇の后、光明皇后と申すは、大織冠の御娘、生身の観音なり。しかるに有漏の生涯は、歩みを他界に懸くる。釈尊又、双林の煙と昇り給ふ。しかるに御門、后の御別れ堪えずして、雲上に曇りあれば、月卿光を失へり。かの追善のために、一宇の伽藍を建立し給ふ。今の大仏殿これなり。御堂の高さは二十丈。本尊の御丈十六丈。遠く異朝を尋ぬるに、大唐四十八箇の大伽藍にすぐれ、天竺祇園精舎にも超え、まして我が朝に並び無し。されば荘厳七宝を鏤め、光燿鸞鏡を磨き、御堂の内に珠玉を飾り、瑠璃の壁硨磲の垂木。瑪瑙の行桁玻璃の柱。本尊は金銅盧舎那仏。並びに四天は黄金を延べ、十一重の瓔珞、虚空無我の風に乱り、花上苑の玉の幡。
  かかる無双の大伽藍に、雷火降つて火失す。破滅の時に相違はず。ここに深草の御門の形像、その時の刻に合力し、悉く磨き給ふ。これはこれ王法の繁昌なり。王法の繁昌は天下の吉慶たり。めでたかりける折節に、東大寺興福寺、両寺の間に衆徒喧嘩を出し、互に破滅の火を放す。まことに魔縁の所為を成し、煙庭に飛んで落ち、雷火雲を走れば、仏像跡を削り、五智の箱焼け、八教の軸も灰と成す。ここに女体の御門の形像、勧進の力を励ますとはいへども、三代御願も半作なり。
  めでたかりける折節に、ここに平家の大相国、悪逆の下知に従つて、本三位の中将重衡、左衛門友高民部重能、都合その勢三千余騎、治承四年十二月二十八日に、南都へ馳せ向かふ。南都の衆徒、防ぎ戦ふといへど、法末世に尽き、忝くも二階の惣門、輾磑の門に放火をせしむ。かの猛火満ち満ちて、堂塔僧坊神社仏神の嫌ひ無く、一塵も残らず焼き払ひ畢んぬ。煙有頂天に上がり、雲となつて争ひければ、十六丈の盧舎那仏の、御ぐし落ちて塚の如し。御身は沸いて山の如し。金輪世界の荘厳を、写し奉る東金堂西金堂、刹那が内に焼き払ひ畢んぬ。悲しきかなや。恩愛別離の生死の輩、あれを見これを見るに、いつをか期すべきぞ。御眼鹿となつて、春日山へ跳び入り給ふ。比丘も比丘尼、道俗男女の嫌ひ無く、大仏殿の名残を悲しみ、焔の中へ跳び入り跳び入り、焼け死する者は数知らず。阿難付属の霊智の袈裟、灰燼となつて地に踏まる。強呉滅び荊棘あり。姑蘇台の露瀼々たり。たまたま残りとどまる者、師匠兄弟の門に立ち寄り、暫く羽を休むる。
  ここに俊乗坊聖善請坊、春日大明神の御示現を蒙つて、勧進帳を額に当て、恐れ恐れ法皇の御方へ、訴状を上げらるる。法皇権実を運ばせ給ひ、肥後肥前筑後筑前、豊前豊後日向大隅薩摩、九国を寄せらるる。女院の御方より、伊予讃岐阿波土佐、四国を寄せられたり。四国九国より鍛冶千人、番匠千人杣千人三千人、春日山へ分け入つて、材木を取つて淀木津河へ、下す事おびただしし。かの大物小物をいかにとして、地形の面へ引き付くべきと、嘆き悲しむ。渇仰の涙肝に銘じ、三宝の恵みにより、大国より智者の牛が来つて、一日一夜に引き付けて、牛大国へ帰りけり。日本人喜うで、地形の面、御堂の高さ二十丈。本尊の御丈十六丈。高は八丈。多門持国増長広目。百余膳の文机。鈴独鈷花皿。本の如く鋳奉る。さりとはいへど御堂の供養、仏の供養鐘の供養、三供養をまだ遂げず。この供養を延べんため、六十六人のさても小聖、六十六ヶ国へ各々廻つて、勧むる処の勧進なり。一紙半銭に入りたらんず輩は、今生にては、安穏快楽の徳を蒙り、来世にては、弘誓の舟に棹をさし、千葉の蓮華に戯れんず事は、疑ひあるべからず。南無帰命敬。
と読み上げて、くるくると引ん巻いて、本の笈へ投げ入れたる、武蔵坊が有様、人間の業でなかりけり。
(短中之部)

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