「笈捜し」の内
弁と言つしがあつと思ひて、弁僧の御坊へ付けて賜べ、とぞ述べにける。さらば御暇申すとて、互に暇を乞ひ乞はれ、富樫が舘をぞ出にける。三満堂に参りて、君にかくと申しければ、武蔵殿にてなかりけり。只八幡の御現化とて、御手を合はせ給ひけり。
(短中之部)
御舟よりも上がらせ給ひ、汀の岩に腰を掛けて、辺りの体を見給ふに、石岸峨々と聳え、風沈々たる万木は、絵に書いたるが如くなり。西の沖は果てしもなく、蒼海雲を浸し、櫓櫂を渡る越舟や、波間にかづき浮き沈む。水に羽振れて飛ぶ鴎、汀の岩に浪掛けて、底荒磯の岩間にも、砕けて見ゆるうつせ貝。人の心は荒磯の、片思ひなる鮑貝。みるめなのりそ取らんとて、海女ども海に下り浸り、かづきのために浮き沈む。
(毛利家幸若安信一本)
都より、浪の夜昼浮かれ来て、道遠くしてうき目みるかな。
(短中之部)
うき目をば、藻塩と共にかき捨てて、喜びとなるすずの岬や。
(短中之部)
岩瀬の渡り今日も早、打出の宿とうち眺め、御通りありし処に、旅人あまた行き合ひて、これより奥への道すがら、少人を歩ませ申して、いかでか下り給ふべき。なう山伏と申しけり。
(短中之部)
さて君の御前に参り、この由かくと申しければ、義経聞こし召されて、あはれ、げに義経は、いかなる月日生まれけるぞや。天に業の網を張り、地に逆茂木の関を据ゑ、五尺に足らぬ形骸を、隠しかねたる悲しさよ。
(短中之部)
そもそも羽黒山と申すは、役の行者の苔の道。
(短中之部)
十三人の人々は、我も我もと召されけり。憂かりける直江の津を、事ゆゑなく漕ぎ出し、順風を得て帆を上げけり。雲海漫々として際も無し。雲の波、霞の煙分けがたし。蒼波なほ道遠し。汀の海は錦に似、雁北天に飛びにけり。いづれの歳月か義経と諸共に、帰らん事を得む事は、菅丞相の詠めなり。羨ましやな雁金は、葉月にならば来こそせめ。義経はいつの時に、都へとてか帰るべき。せめて玉章ばかりをば、言伝てむと宣ひつつ、歌を詠み詩を作り、舵を取り帆を上げて、浪路遥かに吹かれ行く、心ざしこそ哀れなれ。
(幸若正利本)
あらいたはしや御前の、御身も只もおはせぬに、荒き浪、強き風に弱り果て、丈と等しき御ぐしを、波と涙に揺り流し、むつかる声も弱り果て、今を限りと見え給ふ。十一人の人々は、この由を見参らせ、げにげに夫婦の仲程に、わりなき事はよもあらじ。いたはしや御前の、都に御座の御時は、七重の屏風八重の几帳、九重の幔の内、御簾吹き返す風をだにも、人かと厭ひ給ひしが、今はいつしか変はり果て、かかる遠国波濤にて、さて果て給はんいたはしやと、鬼神を欺く輩も、不覚の涙流しけり。
(短中之部)
判官御覧じて、御身のやうに馬に乗り、楽して下る人だにも、宿に着きぬれば、腰が痛いなんどとて、人に腰を打たする。これ程重き荷を負うて、えこそは歩むまじけれと、泣く体にもてなし、急がせ給ひける程に、最上川にぞ着き給ふ。
(短中之部)
宙にて押つ取り三度頂き、頭を地に付け、たばかり事とは申しながらも、まさしく主君を打つ杖の、天命いかで逃れ候べき。只今の弁慶めが狼藉をば、仏神三宝も、許させ給ひ候へとて、鬼のやうなる弁慶が、東西を知らず泣きければ、十一人の人々も、皆涙をぞ流しける。
(短中之部)
コメント