「三木」の内
丹波播磨の国までも、懇願を入れずといふ人無し。しかれば禁中を重んじ、平家の元を務めて、宰相の中将にて参内ましまし、その後大将を兼じ、右大臣に経上がりて、栄花の春を迎へ、栄耀の秋を極め給ふなり。
(幸若正信本)
堀際へ寄せ来り、則ち土手を築かせらる。かの所と申すは、播州にての広みにて、山遥かに海遠し。中に田地漫々たり。頃は三月中旬に、青み渡れる麦芒の、風に靡きて散乱す。
(幸若正信本)
虎落掻楯高く結ひ、重ね重ねに柵を築き、河の面に蛇籠を伏せ、簗杭打つて柵掻き、橋の上にも番を据ゑ、渦巻く水の底までも、人の通ひを用心す。裏には大名小名の、陣屋を宿屋造りに建てさせ、小路を通し、辻々に門を切り、昼夜によらず行き来の、人を選みて通しけり。
(幸若正信本)
敵の士卒は、詰めの丸にぞ籠りける。これが譬へかや、神無月神無月、時雨の雲の立田山、梢まばらに成り果てて、下枝に残る紅葉葉の、嵐を待つに異ならず。
(彰考館幸若安信本)
「本能寺」の内
その後又、高松の城にうち寄せて、辺りの体を見給ふに、三方は沢沼にて、かつて人馬の通ひ無し。一方は大堀を構へつつ、毛利家より久しく、相拵ふる処にて、要害殊に堅固なり。たとひ大軍取り巻いて、日を送るともたやすく、力攻めには成りがたし。
(彰考館幸若安信本)
惟任常よりも気色を良うして。御受けを申すやうこそゆゆしけれ。今度西国の強敵によりて、秀吉に加勢を成し、粉骨を尽くすべきの御諚こそ、何より以て面目なれ。いよいよ忠勤を抜きん出奉り、御恩賞に預かるべしと申しつつ、やがて御前を罷り立ち、さて備中へは下らずし、ひそかに謀叛を巧みけり。しかしながら当座の、存念にあらず年ごろの、逆意なりとぞ聞こえける。
(幸若正信本)
惟任は先非を、悔ゆといへども還らず。聖人の諺に曰く、一朝の怒りにその身を忘れ、その親に及ぼす。惑へるにあらずやと。思ひ続けて思ひ川、絶えず流るる水の泡の、うたかた人の世の中の、因果は車輪の如くにて、昨日滅ぼす主君のため、今日は我が身の上と成る、報ひの程こそ悲しけれ。
(幸若正信本)
「熊野落」の内
咎むる事はなかりけり。由良の湊を見渡せば、沖漕ぐ舟の楫を絶え、浦の浜木綿幾重とも、知らぬ浪路に鳴く千鳥。紀伊の路の遠山渺々たり。藤代の、松にかかれる磯の浪、和歌吹上をよそに見て、月に磨ける玉津嶋。光も今はさらでだに、長汀曲浦の旅の道。心を砕く習ひなるに、雨を含める孤村の樹。夕を送る遠寺の鐘、哀れ催す時しもあれ、切目の王子に着き給ふ。
(幸若長明本)
「湊川」の内
正成これを、最期の合戦と思ひければ、嫡子正行が今年、十一歳にて供したりけるを、思ふやうありとて桜井の宿より、河内へ帰し遣はすとて、庭訓を残しけるは、獅子子を産んで三日を経る時、数千丈の石壁よりこれを投ぐ。その子獅子の機分あれば、教へざるに宙より跳ね返つて、死する事を得ずと言へり。いはんや汝、既に十歳に余りぬ。一言耳にとどまらば、我が教誡に違ふ事なかれ。このたびの合戦は、天下の安否と思ふ間、今生にて汝が顔を見む事、これを限りと思ふなり。正成既に討死せば、天下は必ず尊氏の、世に成りぬと心得べし。しかりといふとも一旦の、身命を助からんそのために、多年の忠烈を失ひて、降人に出る事あるべからず。一族若党の一人も、死に残りてあらんずる限りは、金剛山の辺に引き籠りて、敵寄せ来らば、命を養由が矢先に懸け、義を紀信が忠に比すべし。これを汝が第一の、孝行ならむずると、泣く泣く申し含めて、各々東西へ別れけり。
(幸若長明本)
されば昔の百里奚は、穆公晋の国を伐ちし時、戦ひの利なからむ事を鑑みて、その子孟明視に向かつて、今を限りの別れを悲しび、今の楠判官は、敵軍都の西に、近付くと聞きしより、国必ず滅びん事を愁へつつ、その子正行をとどめて、亡き後までの義を勧む。彼は異国の良弼、これは和朝の忠臣。時千載を隔つれど、先聖後聖一揆にして、ありがたかりし賢佐なり。
(幸若長明本)
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