三 伊東を調伏する事

 ここに伊豆国の住人、伊東次郎祐親が孫、曽我十郎祐成、同じく五郎時致といふ者ありて、将軍の陣内をも憚らず、親の敵を討ち取り、芸を戦場に施し、名を後代にとどめける。由来を詳しく尋ぬるに、即ち一家の輩、工藤左衛門祐経なり。たとへば伊豆国に伊東、河津、宇佐美、この三箇所をふさねて、萳美の庄と号する。かの本主は、萳美入道寂心にてありけるが、在国の時は工藤大夫祐隆と言ひけり。男子あまた持ちたりしが、皆早世して、遺跡既に絶えんとす。しかる間、継娘の子を取りて嫡子に立て、伊東を譲り、武者所に参らせ、工藤武者祐継と号す。また嫡孫あり。次男に立てて河津を譲り、河津の次郎と名乗らせける。しかる間、寂心逝去の後、祐親思ひけるは、「これこそ嫡々なれば、嫡子の譲りあるべきに、異姓他人の継女の子、この家に入つて相続するこそ安からね。」と思ふ心、つきにけり。これ、まことに神慮にも背き、子孫も絶えぬべき悪事なるをや。たとひ他人なりと言ふとも、親養じて譲る上は、違乱の儀あるべからず。ましたこれは寂心、内々継女の元に通ひて儲けたる子なり。まことには兄なり。譲りたる上、争ふ事無益の由、よそよそにも申し合ひけり。されども祐親とどまらで、対決度々に及ぶといへども、譲り状を捧ぐる間、伊東が所領になりて、河津は負けてぞ下りける。その後、上には親しみながら、内々安からぬ事にぞ思ひける。されども我が力にはかなはで、年月を送る。
 或る時祐親、箱根の別当をひそかに呼び下し奉りて、種々にもてなし、酒宴過ぎしかば、近く寄り、畏まりて申しけるは、「かねてより知ろし召されて候如く、伊東をば、嫡々にて祐親が相継ぎ候べきを、思はずの継女の子来りて、父の墓所、先祖重代の所領を押領仕る事、よそにて見え候が、余りに口惜しく候間、御心をも憚らず申し出し候。しかるべくば、伊東武者が二つなき命を、立ちどころに失ひ候やうに、調伏ありて見せ給へ。」と申しければ、別当聴き給ひて、暫く物も宣はで、ややありて、「この事よくよく聴き給へ。一腹一生にてこそましまさね、兄弟なる事は眼前なり。公方までも聞こし召し開かれ、既に御下知なさるる上は、隔ての御怨みはさる事にて候ヘども、忽ちに害心を起こし、親の掟を背き給はん事、しかるべからず。神明は正直の頭に宿り給ふ事なれば、定めて天の加護もあるべからず。冥の照覧も恐ろし。その上、愚僧は幼少より父母の塵欲を離れ、師匠の肝心に入つて、諸説の教法を学し、円頓止観の門を望み、一念三昧に稼穡の艱難を思ひ、着る時、紡績の辛苦を忍ぶ。三衣を墨に染め、鬢髪を丸め、仏の遺願に任せ、五戒を保ちしよりこの方、物の命を殺す事なし。仏、殊に戒め給ふ。されば衆生の身の中には、三身仏性とて、三体の仏のまします。しかるに人の命を奪はん事、三世の諸仏を失ひ奉るに同じ。諸々以て思ひ寄らざる事なり。」とて、箱根に上り給ひけり。
 河津は、なまじひなる事申し出して、別当承引なかりければ、その後消息を以て、重ね重ね申しけれども、なほ用ゐ給はず。いかがせんとて、ひそかに箱根に上り、別当に見参して、近く居寄りてささやきけるは、「ものその身にては候はねども、昔より師檀の契約浅からで、頼み頼まれ奉りぬ。祐親が身に於いては一生の大事。子々孫々までも、これに如くべからず候。再応に申し入れ候條、まことにその恐れ少なからず候ヘども、かの方へ返り聞こえなば、重ねたる難儀出で来候べし。さればにや浮沈に及び候。」と、くれぐれ申しければ、初めは別当、大きに辞退ありけるが、まことに檀那の情けも去り難くて、大方領承ありければ、河津は里へぞ下りける。別当、心憂き事ながら、檀那の「頼む。」と申しければ、壇を立て荘厳して、伊東を調伏せられけるこそ恐ろしけれ。
 初三日の本尊には来迎の阿弥陀の三尊、六道能化の地蔵菩薩。檀那河津次郎が諸願成就のため、「伊東武者が二つなき命を取り、来世にては観音勢至、蓮台を傾け、安養の浄刹に引摂し給へ。片時も地獄に落とし給ふな。」と他念なく祈られけり。後七日の本尊には烏蒭沙摩、金剛童子、五大明王の利剣殊勝なるを四方に懸けて、紫の袈裟を帯し、種々に壇を飾り、肝胆を砕き、汗ものごはず面をも振らず、余念なくこそ祈られけれ。昔より今に至るまで、仏法護持の御力、今に始めざる事なれば、七日に満ずる寅の半ばに、伊東武者が盛んなる首を、明王の剣の先に貫き、壇上に落つると見てければ、「さては威験顕はれたり。」とて、別当、壇をぞ降り給ひける。恐ろしかりける事どもなり

四 同じく伊東が死する事

 さても伊東武者は、これをば夢にも知らで、時ならぬ奥野の狩してあそばんとて、射手を揃へ、勢子を催し、若党あまた相具して、伊豆の奥野へぞ入りにける。頃しも夏の末つ方、峰に重なる樹の間より、むらむらに靡くはさぞと見えしより、思はざる風に冒されて、心地例ならず煩ひ、心ざす狩場をも見ずして、近き野辺より帰りけり。日数重なる程に、いよいよ重くぞなりにける。その時、九つになりける金石を呼びて、みづから手を取り申しけるは、「いかにおのれ、十歳にだにもならざるを、見捨てて死なん事こそ悲しけれ。生死限りあり、逃るべからず。汝を誰か憐れみ、誰かはごくみて育てん。」と、さめざめと泣きけり。金石は幼ければ、ただ泣くより外の事は無し。女房、近くへ寄り、涙を押さへて言ひけるは、「かなはぬ憂世の習ひなれども、せめて金石、十五にならんを待ち給へかし。さればとて、あまたある子にもあらず。また、懸子ある仲の身にても無し。いかがはせん。」と嘆きけるこそ理なれ。
 ここに弟の河津次郎祐親、訪ひ来りけるが、この有様を見て、近く寄りて申しけるは、「今を限りとこそ見えさせ給ひて候へ。今生の執心を御とどめ候ひて、一筋に後生菩提を願ひ給へ。金石殿に於いては、祐親かくて候へば、後見し奉るベし。ゆめゆめ疎略あるべからず。心安く思ひ給へ。さればにや、史記の言葉にも、『昆弟の子は、猶し己が子の如し。』と見えたり。いかでかおろかなるべき。」と申しければ、祐継、これを聞きて、内に害心あるをば知らで、大きに喜び、かき起こされ、人の肩に掛かり、手を合はせ祐親を拝み、ややありて苦しげなる息を継ぎ、「いかに候。只今の仰せこそ、生前に嬉しくおぼえ候へ。この頃は何となく下説について、快からざる事にてましまさんと存ずる処に、かやうに宣ふこそ、返す返すも本意なれ。されば金石をば、ひとへにわ殿に預け奉る。甥なりとも、実子の如く思ひ、女あまた持ち給ふ中にも、万劫御前に合はせて、十五にならば男になして、当庄の本券、小松殿の見参に入れ、わ殿の女と金石に、この所を妨げなく知行せさせよ。」とて、伊東の地券文書を取り出し、金石に見せ、「汝にぢきに取らすべけれども、いまだ幼稚なり。いづれも親なれば、おろかにあるべからず。母に預くるぞ。十五にならば取らすべし。よくよく見置け。今より後は河津殿を、叔父なりとも、まことの親と頼むべし。心置きて憎まれ奉るな。祐継も草の蔭にて立ち添ひ守るべし。」とて、文書、母が方へ渡し、「今は心安し。」とて打ち臥しぬ。かくて日数積もり行けば、いよいよ弱り果てて、七月十三日の寅の刻に、四十三にて失せにけり。哀れなりしためしなり。弟の河津次郎は、上には嘆く由なりしかども、下には喜悦の眉を開き、箱根の別当の方をぞ拝みける。一旦の猛悪は勝利ありといへども、終には子孫に報ゆる習ひにて、末いかがとぞおぼえける。
 やがて河津は我が家を出、伊東が館に入りかはり、内々存ずる旨ありければ、兄のため忠ある由にて、後家にも子にも劣らず孝養を致す。七日七日の外、百箇日、一周忌、第三年に至るまで、諸善の忠節を尽くす。人、これを聞き、「『神を祭る時は、神のいます如くせよ。死に仕ふる時は、生に仕ふる如くなれ。』とは、論語の言葉なるをや。」と感じけるぞ愚かなる。さて金石には、心安き乳母を付けてぞ養じける。遺言を違へず、十五にて元服させ、萳美の工藤祐経と号す。やがて女万劫御前に合はせ、その秋、相具して上洛し、即ち小松殿の見参に入り、祐経をば京都にとどめ置き、我が身は国へぞ下りける。その後は、甲斐甲斐しき侍の一人も付けず、大人しき者もなし。所帯に於きては祐親一人して押領し、祐経には屋敷の一所をも配分せざりけり。まことや、文選の言葉に、「徳を積み功を重ぬる事、その善を知らざれども、時に用ゐる事あり。義を捨て理を背くこと、その悪を知らざれども、時に滅ぶる事あり。」「身の危きは、勢ひの過ぐるによる。災ひの積もるは、寵の盛んなるに立つ。」
 されども祐経は、誰教ふるとはなきに、公文所を離れず。奉行所に於きて身を打たせ、沙汰に馴れける程に、善悪を不審し、分別して理非を迷はず。諸事に心をわたし、手跡普通に優れ、和歌の道を心に懸け、酣暢の筵に推参して、その衆に連なりしかば、「工藤のやさ男。」とぞ召されける。十五歳より武者所に侍ひて、礼儀正しくして、男柄尋常なりければ、「田舎侍ともなく、心憎し。」とて、二十一歳にして、武者所の一臈を経て、「工藤一臈。」とぞ召されける。

底本頭注
 四 同じく伊東が死する事
 ・かけご――「懸子」にて、「かかり人」の意か。
 ・「昆弟の子は」云々――「兄弟之子猶子也。」は『礼記』の語なり。
 ・身を打たせ――身を苦しめ。
 ・一臈――首席。

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校訂者注
 三 伊東を調伏する事
 ・師匠の肝心に入つて――底本「師匠のかんじんに入つて」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・一念三昧に稼穡の艱難を思ひ、着る時、紡績の辛苦を忍ぶ――底本「一念三昧にかしよくの艱難を思ひ切るとき、法せきの辛苦を忍ぶ」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 四 同じく伊東が死する事
 ・何となく下説について――底本「何となくきせつについて」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・徳を積み功を重ぬる事…寵の盛んなるに立つ。――底本「徳を積み功をかさぬること、その善をなさざれども、時に用ゐる事あり。義を捨て理を背くこと、その悪をなさゞれども、時に滅ぶることあり。身の危きは勢の過ぐる所なり。災の積るは、てうのさかんなるを超えてなり」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・酣暢の筵に推参して――底本「かんてうの筵に推参して」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。