七 大見八幡が伊東を狙ひし事
ここに、祐経が二人の郎等、大見、八幡はこれを聞き、「かやうの所こそよき便宜なれ。いざや我等、便りを狙はん。」と、各々柿の直垂に、鹿箭差したる竹箙取りて付け、白木の弓の射よげなるをうちかたげ、勢子にかき紛れ、狙ふ所はどこどこぞ。一日は柏が峠、熊倉が谷。二日は荻が窪、椎が沢。三日は長倉が渡り、朽木が沢、赤沢が峰を始めとして、七日が間、付き巡りてぞ狙ひける。しかれども、伊東は国一番の大名にて、家の子郎等多かりければ、たやすく討つべきやうぞなかりける。この者どもが心を尽くしける有様、譬へて言ふべき方ぞなき。
八 杵臼程嬰が事
さてもこの二人の者ども、仁義を重んじ忠孝を励まし、心を尽くし狙ふ事を思ふに、昔、大国に孝明王といふ国王あり。並びの王と国を争ひ、軍をし給ふ事、度々なり。しかるに孝明王、戦負けて自害に及ばんとする時に、杵臼、程嬰とて、二人の臣下あり。彼等を近付けて、「汝等定めて、我と共に自害せんとぞ思ふらん。これまことに、順路逃るる所なし。さりながら、我に一人の太子、屠岸賈といひて十歳になるを、故郷にとどめ置きたり。我自害の後、雑兵の手に懸かりて命を空しくせん事、口惜しければ、汝等、いかにもして逃れ出て、かの子をはぐくみ育て、敵を滅ぼし無念を散ぜよ。」と宣ひければ、二人の臣下、異議に及ばずして、囲みの内を忍び出けり。孝明王、心安くして自害し給ひけり。
さて二人の臣下、故郷に帰り、太子を誘ひ出して養育しけるぞ無残なる。かくて敵の大王、これを聞き伝へ、「末の代には、我が敵なり。かの太子、同じく二人の臣下どもの首を取りて来らん者には、勲功は所望によるべし。」と、国々に宣旨を下されけり。この宣旨に従つて、かの人々に心を懸け、「いかにもして怪しみ求めん。」と思はぬ者はなかりけり。しかれども一所の住まひかなはで、或いは遠き里にまじはり、深き山に籠りて身を隠すといへども、所なくして、二人寄り合ひ、「いかがせん。」とぞ嘆きける。程嬰申しけるは、「我等が君を養じ奉るに、敵こはくして、国中に隠れ難し。されば、我等二人が内一人、敵の王に出で、『仕へん。』と言はん時、『さる者。』とて、心を許す事あらじ。時に我が子、きくわくと言ひて、十一歳になる子を一人持ちたり。幸ひ、我が君と同年なり。これを太子と号して、二人が内、一人は山に籠り、一人は討手に来り、主従二人を討ち、首を取り、敵の王に捧げなば、いかでか心許さざるべき。その時、敵を易々と討ち取るべし。」と言ひければ、杵臼、申しけるは、「命長らへて、後に事をなすべき忍耐の精は、遠くして難し。今、太子と同じく死せん事は、近くして易し。しかれば杵臼は、忍耐の精少なき者なり。易きに就き、我まづ死ぬべし。程嬰は敵方に出ん事を急ぎ給へ。」とぞ申しける。
その後程嬰は、我が子のきくわくを近付けて、「いかに、汝。詳しく聞け。我等は主君の太子、隠し奉らんとせし故、我々、汝等までも敵に捕らはれて、犬死をせん事、疑ひなし。しかれば、汝を太子と偽り奉りて、首を取るべし。怨むる事なくして、御命に代はり奉りて、君を安全ならしめよ。親なればとて、添ひ果つベきにもあらず。来世にて生まれ逢ふべし。」と申しければ、きくわく、聞きもあへず、涙を流して、暫し返事もせざりけり。父、この色を見て、「未練なり。汝、はや十歳に余るぞかし。弓矢取る者の子は、腹の内より物の心は知るぞかし。」と諫めければ、きくわく、この言葉を聞き、言ひけるは、「我が命、惜しきにより泣くにはあらず。まことに某が命一つにて、君と父との孝行に捧げ申さん事、露塵ほども惜しからざるものをや。嘆きの中の喜びなり。」と言ひもあへず、涙に咽びけり。父、これを聞き、「子ながらも優に使ひたる言葉かな。未だ幼き者ぞかし。まことに我が子なり。成人の後、さぞ。」と思ひければ、惜ししと言ふも余りあり。「我、心弱きと見えなば、もし未練にもや成りなん。」と思ひければ、流るる涙を押しとどめ、「弓矢の家に生まれて、君のために命を捨つる事、汝一人にも限らず。『最期未練にては、君の御ため、父がため、中々見苦し。』とて、一命を損ずべきなり。」と言ひければ、きくわく、涙を押さへて、「かほどに深く思ひ定めて候へば、いかでかおろかなるべき。心安く思し召せ。さりながら、さし当たる父母の御別れ、いかでか惜しからで候べき。最期に於きては思ひ定めて候。」と申しければ、父、心安くぞ思ひける。
さてまた二人、寄り合ひ内談するやう、「今、君の御ために討たるべき命は易く、残りとどまりて敵を討ちて、太子を世に立て申さん事、重きが上の大事なり。いいかがせん。長らへ功をなす事、堪忍、精なくしては成り難し。我まづ死なん。」とて、杵臼は十一歳のきくわくを連れて山に籠り、討手を待ちける心の内、無残と言ふも余りあり。その後程嬰は、敵の王の辺りに行き、「召し仕はれん。」と申す。敵王、聞き、「この者、身を捨て、面を汚し、我に仕ふべき臣下にあらず。さりながら、世変はり時移れば、さもや。」と思ひ、傍らに許し置くといへども、なほ害心に恐れて、許す心なかりけり。言ひ合はせたる事なれば、「我今、王に仕へて二心なし。疑ひ、理なれども、世界を狭められ、恥辱に替へて助かるなり。なほし用ゐ給はずば、主君の太子、臣下の杵臼もろ共に、隠れ居たる所を詳しく知れり。討手を賜はつて向かひ、彼等を討ち、首を取りて見せ参らせん。」と言ふ。
その時国王、和睦の心を成し、数千人の兵をさし添へ、彼等が隠れ居たる山へ押し寄せ、四方を囲み、鬨の声をぞ上げたりける。杵臼は、思ひ設けたる事なれば、静まり返りて音もせず。程嬰、進み出、申しけるは、「孝明王の太子、屠岸賈やまします。程嬰、討手に参りたり。雑兵の手に懸かり給はんより、急ぎ自害し給へ。逃れ給ふべきにあらず。」と申しければ、杵臼、立ち出、「我が君のまします事、隠し申すべきにあらず。待ち給へ。御自害あるべし。さりながら、今日の大将軍の程嬰は、昨日まではまさしき相伝の臣下ぞかし。一旦の依怙に住すとも、終には天罰降り来り、遠からざるに失せなん果てを見ばや。」とぞ申しける。程嬰、これを聞き、「時世に従ふ習ひ。昔はさもこそありつらめ、今また変はる折節なり。さればにや、君も御運尽き果て、命もつづまり給ふぞかし。いたづら事に関はりて、命を失ひ給はんより、兜を脱ぎ、弓の弦を外し、降参し給へ。昔の情けを以て助くべし。」とぞ言ひける。
十一歳のきくわく、「討手は父よ。」と知りながら、かねて定めし事なれば、父重代の剣を横たへ、高き所に走り上がり、「いかに、人々。聞き給へ。孝明王の太子として、臣下の手に懸かるべき事にもあらず。また、臣下心変はりを恨むべきにもあらず。ただ前業こそ拙なけれ。さりながら、その家久しき郎等ぞかし。程嬰、出で給へ。日頃のよしみに今一度見参せん。」と言ふ。程嬰は、我が子の振舞を見て、心安く思へども、忍びの涙ぞ進みける。「兵、怪しくや見るらん。」と、落つる涙を押しとどめ、「人々、これを聞き給へ。国王の太子として、優に使ひたる言葉かな。かうこそありたけれ。」と言ひけるが、さすが恩愛の別れ、包みかねたる涙の袖、絞りもあへず。よその哀れを催しつつ、相従ふ兵は、さし当たる道理なれば、共に感ぜぬはなかりけり。その後太子、高声に曰く、「我は孝明王の太子、生年十一歳。父、一所に迎へ給へ。」と言ひも果てず、剣を抜き、貫かれてぞ臥しぬ。杵臼、同じく立ち寄りて、「健気にも御自害候ものかな。某もやがて追つ付き奉らん。」とて、腹十文字にかき破り、太子の死骸にまろび掛かりて臥しにける有様、見るに言葉も及ばれず。無残なりしためしなり。
さて二人が首を取りて、国王に捧ぐ。叡覧ありて、喜悦の眉を開き給ふ。今は疑ふ処なく、程嬰に心を許し、一の大臣に備へ給ふこそ、御運の極めとぞおぼえける。さても程嬰は、隙を窺ひて、敵の国王を討つて、速やかに主君の屠岸賈を世に立て、再び国王に備へしかば、元の如く程嬰を相臣に立てらるるによつて、杵臼、きくわくのために追善、その数を知らず。三年に、国悉く鎮まり畢りて後、程嬰、君に暇を乞ひて曰く、「我、杵臼に契約して、命を君に奉る事、遅速を争ひしなり。御位、これまでなり。今は思ひ置く事なければ、杵臼が草の蔭にての心も恥づかし。自害仕らん。」と申す。帝王、大きに嘆きて、これを許す事なし。されども暇を計らひ、忍び出て、杵臼が塚の前に行き、「君の御位は、思ふままなり。いかに嬉しく思ひ給ふらん。我また、かくの如し。いにしへの契約忘れず。」と言ひて、腹かき切り、失せにけり。哀れなりしためしなり。されば、大見、八幡が主のために、命を軽んじて伊東を狙ひし志、これには過ぎじとぞおぼえける。
底本頭注
八 杵臼程嬰が事
・杵臼程嬰――趙朔の臣にして、屠岸賈は、その敵なり。事実甚しく違へり。
・無残なる――二人の心中を哀れと察したる言葉。
・見苦しとて――誤脱あるべし。
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