十一 同じく相撲の事

 さる程に、「いにしへを思ふに、秀貞が若盛りには、鷹狩、川狩の帰り足には、力業、相撲賭けこそ面白けれ。若き人々、相撲取り給へ。見てあそばん。見物には上やあるべき。」と言ひければ、伊豆の国の住人、三島の入道将監、居丈高になりて、「石転ばかしの瀧口殿と、相沢の弥五郎殿、出て取り給へ。これこそ合ひ頃の力と聞け。さもあらば、入道出て行司に立たん。」と言ふ。瀧口聞きて、「坂東八箇国に強き者はなきか。かほどの小男を相手に指さるるは、馬の上かち立ちなりとも脇挟み、立たんに働かさじ。」と言ひければ、弥五郎聞きて、「伊豆、駿河、武蔵、相模に強き者はなきか。瀧口が背と力を羨むは、下臈の好む処にこそ。器量によりて荷をば持て。侍は、背小さく力は弱けれども、鎧一領肩に引つ掛け、弓押し張り、矢かき負ひ、よき馬にうち乗りて、戦場に駆け出て、思ふ敵に引つ組みて、両馬が間に落ち重なり、肝まさりて腰の刀を抜き、下に伏しながら大の男を引つ掛け、草摺を畳み上げ、急所を隙なく刺して、跳ね返し、押さへて首を取る時は、大の男も物ならず。」とあざ笑ひてぞ申しける。瀧口、たまらぬ男にて、「首を取るか取らるるか、力は他にもあらばこそ。いざや、老いの御肴に、力比べの腕相撲、一番取らん。」と言ふままに、座敷を立ち、直垂を脱ぎ、「何程の事の候べき。しやあばら骨二、三枚、掴み破りて捨つべきものを。」とて、つつと出けり。弥五郎も、「心得たり。ものものしや。力拳のこたへん程は、命こそ限りよ。」と言ひ、座敷を立つ。
 一座の人々、これを見て、「あはや、事こそ出で来ぬ。」と見るほどに、近くありける相沢が申すやう、「あまり早し、瀧口殿。相撲はまづ、小童、冠者ばらに取らせて、取り上げたるこそ面白けれ。大人気なし、瀧口殿。とどまり給へ。」と引き据ゑたり。吉川、これを見て、「弥五郎殿も、まづ抑ヘよ。相沢が弟の弥七郎に出よ。」と言ふ。少し辞退に及びしを、船越引き立てて、手綱取り替へ、出しけり。歳に於きては十五なり。姿を物に譬ふれば、まだ声若き鶯の、谷より出づるもかくやらん。「誰をか相手にさすべき。」と、座敷をきつと見廻しければ、瀧口が弟の三郎、「出よ。」と言ふ言葉の下より出にけり。歳に於きては十八なり。いづれも相撲は上手なれば、各々さし寄りて褄取りしたる有様は、春待ちかねて咲く梅の、雪を含める如くなり。我人、力は知らねども、雲吹き立つる山風の、松と桜に音立てて、鳥も驚く梢かと、諸人目をこそ覚ましけれ。弥七は力劣りなれども、手合ひは増してぞ見えにける。三郎は、力は優りてありければ、組まんとのみにて差し詰め結べば、捨てて抜け、投ぐれば、駆けて廻りしは、桃華の節会の鶏の、心を砕き羽をつがひ、勝負を争ふ鶏合はせも、これには過ぎじとぞ見えたりける。老若、座敷にこらへかね、「あつぱれ浮世の見事や。」と、上下暫くののめきて、東西さらに静まらず。されども弥七は地下がりへ押しかけられ、とどろ走りて素首を突かれ、終に弥七ぞ負けたりける。
 兄の弥六、つつと出、三郎をはたと蹴て、あふのけざまに打ち倒す。瀧口、無念に思ひつつ、弟の三郎が未だ起きざる先に躍り出、大力なりければ、弥六は手にもたまらず負けにけり。兄の弥五郎、弟二人負かして安からずに思ひ、袴の腰解くを遅しと引き切り、手綱二筋えり合はせ、強く収め走り出、近々とさし合ひ、力引きて見ければ、大の男が踏み張りて、少しも動かされず。「一定、我も負けぬべし。まことにや、相撲は力によらず。手だに優れば、みぎは優りの相手をも打つものを。」と思ひ出して、相沢、右の拳を握り固め、瀧口が鬢のはづれ、切れてのけと打ちければ、瀧口打たれて、左右の拳を打ち返す。その後、負けじ劣らじと、手を放ち張り合ひける。今は相撲は取らで、ひとへに当座の口論とぞ見えける。両方、さへんとする処に、弥五郎、隙なくつつと入り、瀧口が小股をかいて、はなじろに押し据ゑたり。勢ひたる瀧口、あへなく負けしかば、暫く相撲ぞなかりける。
 弥五郎は、高言しつる瀧口に勝ちて、「百千番の負けも物ならず。これに勝つこそ嬉しけれ。何者なりとも。」と思ふ処に、桂山の又七出て、手にもたまらず負けて後、究竟の相撲、五番まで勝ちて立つたる有様は、勢ひ余りてぞ見えける。ここに相模の国の住人、柳下の小六郎出て、相沢の弥五郎を始めとして、よき相撲六番勝つ。駿河の国の住人、竹の下の孫八出て、小六郎を始めとして、よき相撲九番打つて、入らんとする処に、大庭が舎弟、俣野の五郎出て、孫八を始めとして、よき相撲十番勝ちければ、「出て取らん。」と言ふ者なし。駿河の国、高橋の忠六、「いざや、取らん。」と言ふ。傍にありける海老名秀貞、「これこそ俣野五郎よ。道埋にて打ちけるぞや。」景久聞きて、「相撲が絶えて無からんにこそ。」と言ひければ、平太、これを聞き、「俣野も手一つ、我も手一つ。臆してばし負けけるか。彼体の相撲をば、十人ばかりも一掴みに思ひ、着る物を脱ぎ置き、手綱かき設け、負くれば乗り越え、打つれば入れ替へ、息をも継がせず、隙をもあらせず攻め倒せ。」「この儀、面白し。」とて、十人ばかり並み居て、負くればつと出、打つれば跳ね越え攻めけれども、究竟の上手の大力なれば、続けて二十一番勝ちけり。
 その時、土肥次郎実平、座敷を立ち、爪紅に日を出したる扇を開きて、俣野を暫しあふぎて、「よき御相撲かな。あつぱれ、実平が年十五も若くば、出て取らばや。」と言ふ。俣野聞きて、「何かは苦しかるべき。出給ヘ。一番取らん。相撲は年により候はず。」と言ひければ、土肥は、なまじひに言葉を掛けて、おめおめと言はれて、取るより外の事は無し。伊東の次郎が嫡子、河津三郎祐重をば、父伊東より人重く思ひければ、無二無三のあそびなれども、「出て取れ。」と言ふ人もなし。「伊東は三浦に親しく、河津は土肥が婿なり。土肥が今日の恥辱は、この一門に離れじ。」と思へば、老いの末座にありけるが、座敷を立ちて、舅の土肥次郎にささやきけるは、「今日の御酒盛には、老若の嫌ひなく候に、などや、『祐重、一番。』とも承り候はず。空しく帰り候はば、若き者のおいすげしたるに似て候。御計らひ候へ。一番。」と言ひければ、実平聞きて、「俣野の言葉の苦々しさにぞ、『取らん。』と言ふらん。さりながら、婿を負かしては面目なし。」とや思ひけん、返事にも及ばで、赤面してぞ居たりける。父伊東、これを聞き、「子ながらも力は強きものを。取らせて見ばや。」と思ひけれども、ためらふ折節、この言葉を聞き、「神妙に申したり。出て取れ。」と言ひければ、直垂脱ぎ置き、白き手綱二筋より合はせ、堅く収めて出んとす。
 「伊東方の者出て、御相撲に参らん、俣野殿。」と言ふ。景久聞きて、腹を立て、「『相撲はこれに候ぞ。出合はせ候へ。』と言ふは、常の事ぞかし。手相撲の座敷にて、左右なく相手の名字、呼ぶ事なし。氏と言ひ器量と言ひ、河津にや負くべき。小腕押し折り捨つべきものを。」と笑ひて出づるを見れば、菩薩なりにして色浅黒く、丈は六尺二分、歳は三十一にぞなりける。また河津が姿はさし肩にして、顔の骨あれて、頸太く頭小さく、すそぶくらに後ろのをり骨、臍の下へさし込み、力士なりにして、丈は五尺八分、歳は三十二なり。さし寄り、褄取り、ひしひしとして、押し離れ、河津思ひけるは、「俣野は聞きつるに似ず、さしたる力にてはなかりけり。今日の人々の多く負けけるは、酒に酔ひたるか、臆しける故なるべし。今度は手にも立つまじきものを。」と思ひけるが、心を変へて思ふやう、「さすがに俣野は、相撲の大番勤めに都へ上り、三歳の間、都にて相撲に馴れ、一度も不覚を取らぬ者なり。その故に、院、内の御目に掛かり、日本一番の名を得たる相撲なり。今ここ元にて、物の手もなく負かさん事は、かへりて言ひ甲斐なし。」と思へば、二度目にはさし寄り、左右の腕を掴んで、右手に坐したる雑人の上に押し掛け、膝を突かせて入りにけり。
 俣野はただも入らずして、「ここなる木の根に蹴つまづきて、不覚の負けをぞしたりけるや。今一番取らん。」と言ふ。大庭、これを聞き、走り出、「げにげに、これに木の根あり。真中にて勝負し給へ。」と言ひければ、伊東、聞きて申しけるは、「河津が膝、少し流れて見え候ぞ。根切りの相撲ならばこそ意趣もあらめ、只一座の一興に、負け申しても面白し。出合ひ申せ。」と言ひければ、河津はやがてぞ出にける。俣野も出んとしたりしを、一族ども、「いかに取るとも勝つまじきぞ。只、このままにて入り給へ。論の相撲は勝負なし。勝ちたるには優るぞかし。この度負けば、二度の負けなるべし。」と言ひければ、俣野が言ふやう、「河津は力は強くおぼゆれども、相撲の故実は候はず。御覧ぜよ。」と言ひ捨てて、なほも出んとする処を、暫しとどめて言ひけるは、「河津が手合ひをよく見れば、御分にみぎは優りの力なり。彼等体の相撲をば、左右の手を上げ、爪先を立てて、上手に掛けて待ち給へ。敵も上手に目を懸けて、伸さんと寄る処を、小臂をうち上げ、違ひざまに四つ居を取り、足を抜きて跳ね廻れ。大力も跳ねられて、足の立てどの浮く処を、捨てて足を取りて見よ。組んではかなふまじきぞ。もしまた組までかなはずば、内絡みにしとと掛けて、髻を地を掃かせ、一跳ね跳ねてしとと打て。何條、七離れ八離れは見苦しきぞ。侍相撲と申すは、寄るかとすれば勝ち負けあり。余りに速きも見分けられず。また、かやうのひね者をば、煩ひなくのし寄りて、小首攻めに攻めて、背こごめて廻る処を、大さか手に入れて、かい捻り、投げ捨てて見よ。真さかさまに負けぬべし。」と、細々と教へければ、「心得たり。」とて出合ひけり。
 河津は、前後相撲はこれが初めなれば、やうもなくするすると歩み寄り、俣野が抜けんとあひしらふ処を、右の腕をつつと延べ、俣野が前ほろを掴んでさしのけ、荒くも働かば、手綱も腰も切れぬべし。暫くありて、むずと引き寄せ、目より高くさし上げ、半時ばかりありて、横ざまに片手を放ちてしとと打つ。俣野はやがて起き直り、「相撲に提ぐるは常の習ひ。何ぞ御分が片手技は。」と言ひければ、河津言ひけるは、「以前も、勝ちたる相撲を御論候間、今度は真中にて、片手を以て打ち申したり。いまだ御不審や候べき。御覧じつるか、人々。」と言ふ。大庭、これを見て、童に持たせたる太刀押つ取り、するりと抜きて、跳んで懸かる。座敷、俄に騒ぎ、ばつと立つ。伊東方に寄る者もあり、大庭方に寄る者もあり。両方さへんと折り塞がり、銚子盃踏み割り、酒肴をこぼす。雑兵三千余人までも、「軍せん。」とてひしめきけり。
 兵衛佐殿、この由御覧じ、「いかに、頼朝に情けを捨てて、あだを結び給ふか、大庭の人々。」と仰せられければ、大庭の平太、承り、「田舎住まひの者どもの、出仕馴れ候はで、かかる狼籍を仕り候。相撲は負けても恥ならず。我が方人とは言ふべからず。一々に記し申すべきぞ。後日に争ふな。」と怒りければ、「大庭の鎮め給ふ上は。」とて静まりけり。伊東は、「元より意趣なし。」とて、やがて面々にこそ静まりけれ。これや、「瓊瑤は少なきを以て貴なりとし、石礫は多きを以て賤しとす」。人多しといへども、景義が言葉一つにてぞ静まりける。
 かかる処に、祐経が郎等ども、彼等に交じはり窺ひけるが、「あつぱれ、事の出で来よかし。間近く寄りて討たん。」とする由にて、「伊東殿を追つさまに射殺さん。」とてささやきけり。七日が間、夜昼つきて窺へども、しかるべき隙なくして、狩倉、既に過ぎければ、各々空しく帰らんとす。小藤太申しけるは、「さても、一臈殿の御心を尽くして、今や今やと待ち給ふらん。いたづらに帰らん事こそ口惜しけれ。いざや、思ひ切り、とにもかくにもならん。」と言ひければ、八幡三郎が申しけるは、「暫く劫を積みて見給へ。いかでか空しからん。」とぞ申しける。

底本頭注
 十一 同じく相撲の事
 ・手綱――褌。
 ・爪紅――縁のみ紅き事。
 ・老いすげ――老衰と同じ。
 ・劫――時。

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校訂者注
 十一 同じく相撲の事
 ・近くありける相沢が申すやう――底本「近くありける相沢に申すやう」。岩波文庫本(1939)により改めた。
 ・十人ばかりも一掴みに思ひ――底本「十人ばかりもと一掴みに思ひ」。岩波文庫本(1939)により改めた。
 ・伊東の次郎が嫡子、河津三郎祐重をば、父伊東より人重く思ひければ、無二無三のあそびなれども、「出て取れ。」と言ふ人もなし。「伊東は三浦に親しく、河津は土肥が婿なり。土肥が今日の恥辱は、この一門に離れじ。」と思へば、――底本「伊東は三浦に親しく、河津は土肥が婿なり。土肥が今日の恥辱は、此の一門に離れじ、と思へば、伊東の次郎が嫡子、河津三郎祐重をば、父伊東より人重く思ひければ、無二無三の遊なれども、出でてとれといふ人もなし。」岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・右手に坐したる雑人――底本「右手におはします雑人」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・負け申しても面白し――底本「負け申して面白し」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・内絡みにしとと掛けて――底本「うち絡にしはとかけて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・かい拈りて蹶捨てゝ見よ――底本「かい捻りて、蹴捨てて見よ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・相撲に提ぐるは常の習ひ――底本「相撲に負くるは常の慣」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。