十二 費長房が事

 「さる程に、劫を積みて望み叶へる譬へあり。昔、大国に費長房といふ者あり。仙術を習ひ得て、暗き処もなかりしが、天に上がる術を習はずして、未だ空しく凡夫に交じはり歩きけり。或る時、商用の事ありて、長安の市に出て、商人に伴ひしに、或る老人、腰に壺を付けて、この市に交じはりけり。知音は知る理にて、『この者、只人ならず。』と目を離さで見るに、この老人、傍らに行き、腰なる壺をおろし、その壺に出入りにけり。『さればこそ仙人なれ。』とて、その人の行方につきて行きて、費長房の曰く、『かの仙人に仕へん。』とて、三年ぞ仕へける。或る時、老人の曰く、『汝はいかなる志ありて、三年まで一言葉も違へず、我に仕へけるぞや。』費長房聞きて、『我、仙術を習ふといへども、天に上がる事を知らず。老人の壺に出入り給ふ事を教へ給へ。』と言ひければ、『易き事なり。我が袖に取り付け。』と言ふ。即ち取り付きければ、二人共にかの壺の中へと飛び入りぬ。この壺の中に、めでたき世界あり。月日の光は空にやはらぎ、四方に四季の色を顕はし、百二十丈の宮殿楼閣あり。天にて聖衆舞ひあそぶ。鴻雁鴛鴦の声やはらかにして、池には弘誓の舟を浮かべり。よくよく見巡りて、『今は出ん。』と言ふ。老人、竹の杖を与へて、『これを突きて出よ。』と言ふ。即ち、突くと思へば、時の間にをしみつといふ所に至りぬ。この杖を捨てければ、即ち龍と成りて天に上がりぬ。費長房は、鶴に乗りて天に上りけり。これも劫を積もる故なり。三年までこそなくとも、待ちて見よ。」とぞ申しける。

十三 河津三郎討たれし事

 「されば、この帰り足を狙ひて見ん。」「しかるべし。」とて、道を替へて先に立ち、奥野の口、赤沢山の麓、八幡山の境にある切所を尋ねて、椎の木三本、小楯に取り、一の射翳には大見小藤太、二の射翳には八幡三郎、「手だれなれば余さじものを。」とて立つたりけり。各々待ちかけける処に、一番に通るは秦野右馬允、二番に通るは大庭三郎、三番に通るは海老名源八、四番には土肥次郎。後陣、遥かに引き下がりて、流人兵衛佐殿ぞ通られける。敵ならねば皆遣り過ごしぬ。
 この次に伊東が嫡子、河津三郎ぞ来りける。面白くこそ出で立ちたれ。秋野の摺り尽くしたる間々に、引きがきしたる直垂にまだらの行縢、裾たをやかにはきなし、鶴の本白にてはいだる白拵への猪矢、筈高に負ひなし、旃檀籐の弓の真中取り、萌黄裏付けたる竹笠、木枯らしに吹きそらせ、宿月毛の馬の五寸余りの大きなるが、尾髪飽くまで縮みたるに、梨子地に蒔きたる白覆輪の鞍に、連赤鞦の山吹色なるを掛け、含み轡に紺の手綱を入れてぞ乗つたりける。馬も聞こゆる名馬なり。主も究竟の馬乗りにて、伏木悪所を嫌はず、さしくつろげてこそ歩ませけれ。折節、乗替一騎もつかざれば、一の射翳の前を遣り過ごす。二の射翳の八幡三郎は、元より騒がぬ男なれば、「天の与へを取らざるは、かへつて咎を得る。」といふ古き言葉を思ひ出、「すは、射損ずべき。」射翳の前を三段ばかり、左手の方へ遣り過ごして、大の尖矢さしつがひ、よつ引き、暫しかためてひやうど放つ。思ひも寄らで通りける河津が、乗つたる鞍の後ろの山形を射削り、行縢の着際を前ヘつつとぞ射通しける。河津もよかりけり。弓取り直し、矢取つてつがひ、馬の鼻を引つ返し、四方を見廻す。「智者は惑はず、仁者は憂へず、勇者は恐れず。」と申せども、大事の痛手なれば、心は猛く思へども、性根次第に乱れ、馬より真さかさまに落ちにけり。
 後陣にありける父伊東次郎は、これをば夢にも知らずぞ下りける。頃は神無月十日余りの事なれば、山めぐりのむら時雨、降りみ降らずみ定めなく、立ち居る雲の絶え絶えに、濡れじと駒を早めて手綱かい繰る処に、一の射翳にありける大見小藤太 持ち受けて射たりけれども、しるしなし。左の手の内の指二つ、前のしぼでの根に射立てたり。伊東は聞こゆる兵にてありければ、「敵に二つの矢を射させじ。」と、大事の手にもてなし、右手の鐙におり下り、馬を小楯に取り、「山賊ありや。先陣は返せ。後陣は進め。」と呼ばはりければ、我劣らじと進めども、所しも悪所なれば、馬のさくりを辿る程に、二人の敵は逃げ延びぬ。隈もなく待ちけれども、案内者にて、思はぬ茂みの道を替へ、大見の庄にぞ入りにける。危ふかりし命なり。
 伊東は、河津三郎が臥したる所に立ち寄りて、「手は大事なるか。」と問ひけれども、音もせず。押し動かして矢を荒く抜きければ、いよいよ前後も知らざりけり。河津が頭を父伊東が膝にかき載せ、涙を押さへて申しけるは、「こは何と成り行く事ぞや。同じ当たる矢ならば、など祐親には当たらざりけるぞ。齢傾き、今日明日をも知らざる憂き身なれども、わ殿を持ちてこそ、公方、私、心安く、後の代かけても頼もしく思ひつるに、あへなく先立つ事の悲しさよ。今より後、誰を頼みてあるべきぞ。汝をとめ置き、祐親先立つものならば、思ひ置く事、よもあらじ。老少不定の別れこそ悲しけれ。」とて、河津が手を取り懐に入れ、口説きけるは、「いかにや、定業なりとも、矢一つにて物をも言はで、死ぬる者やある。」と言ひて押し動かしければ、その時祐重、苦しげなる声にて、「かくは度々仰せらるれども、誰とも知り奉らず候。」と言ふ。土肥次郎申しけるは、「御分の枕にし給ふは、父伊東の膝よ。かく宣ふも伊東殿。今またかやうに申すは、土肥次郎実平なり。敵やおぼえ給ふ。」と問ひければ、ややありて眼を開き、「祐親を見参らせんとすれども、今はそれもかなはず。誰々も近く御入り候か。御名残こそ惜しく候へ。」とて、父が手に取り付きにけり。
 伊東、涙を押さへて申しけるは、「未練なり。汝、敵はおぼえずや。」と言ふ。「工藤一臈こそ意趣ある者にて候へ。それに只今、大見と八幡、見え候ひつれ。怪しくおぼえ候。従ひ候ひては、祐経在京して、公方の御意、盛りに候なる。しかれば、『殿の御行方いかが。』と、黄泉路の障りとも成りぬべし。面々、頼み奉る。幼い者までも。」と言ひもあへず、奥野の露と消えにけり。無残なる有様とも、申すばかりぞなかりける。伊東は余りの悲しさに、暫しは膝をおろさずして、顔に顔をさし当て、口説きけるこそ哀れなれ。「や、殿。聞け、河津。頼む方なき祐親を捨てて、いづくへ行き給ふぞ。祐親をも連れて行き候へ。母や子どもをば、誰に預けて行き給ふぞ。情けなの有様や。」と嘆きければ、土肥次郎も河津が手を取り、「実平も、子とては遠平ばかりなり。御身を持ちてこそ、月日の如く頼もしかりつるに、かやうに成り行き給ふ事よ。」と泣き悲しむ事、限りなし。国々の人々も、同じく一つ所に集まりて、互に袖をぞ濡らしける。さてあるべきにあらざれば、空しき形を舁かせて、家に帰りければ、女房を始めとして、賤しの賤の男、賤の女に至るまで、嘆きの声、せん方なし。
 さても、かの河津三郎祐重に男子二人あり。兄は一万とて五つなり。弟は箱王とて三つにぞなりにける。母、思ひの余りに、二人の子どもを左右の膝に据ゑ置き、髪かき撫で、泣く泣く申しけるは、「腹の内の子だにも、母の言ふ事をば聞き知るものを、まして汝等は、五つや三つに成るぞかし。十五十三にならば、親の敵を討ちて、わらはに見せよ。」と泣きければ、弟は聞き知らず、手ずさみして遊びゐたるばかりなり。兄は、死したる父が顔をつくづくと目守りて、わつと泣きしが、涙を押さへて、「いつか大人しくなりて、父の敵の首取つて、人々に見せ参らせん。」とて泣きしかば、知るも知らぬもおしなべて、袖を絞らぬ人は無し。なほも名残を慕ひかね、三日までぞ置きたりける。黄泉幽冥の道は、いかなる所なれば、一たび去りて二度と帰らぬ習ひなれば、力及ばず、泣く泣く送り出し、夕の煙と成しにけり。女房、「一つ煙とならん。」と悲しみけり。
 伊東次郎申しけるは、「恩愛の別れ、夫妻の嘆き、いづれか劣るべきにはあらねども、憂き世の習ひ、力及ばず候。親に後れ、夫妻に別るる毎に、命を失ふものならば、生老病死もあるべからず。別れは人毎の事なれども、思ひ過ぐればおのづから、忘るる心のあるぞとよ。憂きにつけて身を全くして、後世菩提を弔ひ給へ。」とさまざまに慰めければ、「まことに理なれども、さし当たりたる悲しさなれば。」とて、悶え焦がれけり。夫の別れは、昔も今も多き処なり。別れの涙、袂にとどまりて、乾く間もなし。あと先をも知らぬ幼き者どもにうち添へて、身さへ只ならず。「『さまを変へん。』と思へども、尼の身にて過ぐさん処の体も見苦し。また、『淵河へ沈まん。』と思ふにも、『この身にて死しては罪深かるべし。』と聞けば、とにもかくにも女の身ほど、心憂きものは無し。」と口説き立てて、起き臥しに泣くより外の事ぞなき。一日片時も忍ぶべき身にてなかりしが、明けぬ暮れぬとせし程に、五七日にも成りにけり。

底本頭注
 十三 河津三郎討たれし事
 ・射翳――猟師の鳥獣を射むとて柴など折りかけて身を隠す所。
 ・公方――おほやけ向き。
 ・身さへ只ならず――懐妊中の身なり。

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校訂者注
 十二 費長房が事
 ・この市に交じはりけり――底本、「此の者は市に交りけり」。「岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 十三 河津三郎討たれし事
 ・あるぞとよ。憂きにつけて――底本、「あるぞとよ、と憂きにつけて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・さしくつろげてこそ歩ませけれ――底本、「さしくれてこそ歩ませけれ」。岩波文庫本(1939)脚注により改めた。
 ・古き言葉を思ひ出、「すは、射損ずべき。」――底本、「古き言葉を思ひ出でずは、射損ずべき。」岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・立ち居る雲の――底本、「立ちよる雲の」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。