七 頼朝伊東を出で給ふ事

 かくて頼朝は、「何となるべき憂き身ぞや。」と思ひ暮らし給ふに違はず、入道あまつさへ、「佐殿をも夜討にし奉らん。」とて、郎等を催しける。ここに、祐親が次男伊東九郎祐清といふ者あり。ひそかに佐殿へ参り、申しけるは、「親にて候祐親こそ、物に狂ひ候て、君を討ち奉らんと仕り候へ。いづくへも御忍び候へ。」と申しければ、頼朝聞こし召し、「ちやうさいわうが害に遭ひしも、偽る事は知らでなり。笑みの中に刀を抜くは習ひなり。人の心知り難ければ、君臣父子の威を以て恐るべし。いはんや、討たんとするは親なり。告げ知らするは子なり。かたがた不審におぼえたり。いかさま、我をたばかるにこそ。」とて、うち解け給ふ事もなし。「まことに思ひかけられなば、いづくへ行きても逃るべきか。されども左右なく自害するに及ばず。人手にかからんよりは、汝、早く頼朝が頭を取りて、父入道に見せよ。」と仰せられければ、祐清承りて、「仰せの如く、語らひ難き人の心にて候。蜂を取りて衣の首に隠して、しんしの心に違ひしも、偽る巧みなり。君、思し召すも御理。まことの志とは思し召さずして、いしやうのはう尤も。御疑ひ、理なり。忝くも不忠申し候はば、当国二所大明神の御罰を蒙り、弓矢の冥加長く尽きて、祐清が命、御前にて果て候ひなん。」と申しければ、佐殿聞こし召し、大きに御悦びありて、「かやうに告げ知らする志ならば、いかにもよきやうに相計らひ候へ。」と仰せければ、祐清承つて、「藤九郎盛長、弥三郎成綱をば、君御座のやうにて、暫くこれに置かれ候べし。君は大鹿毛に召されて、鬼武ばかり召し具し、北條へ御忍び候へ。」と申し置きて、「御討手もや参り候はん。事を延ばし候はん。」とて、急ぎ御前を立ちにけり。

八 頼朝北條へ入り給ふ事

 かくて佐殿は、ひそかに紛れ出させ給ふ。頃は八月下旬の事なるに、露吹き結ぶ風の音、我が身一つに物寂しく、野辺にやすだく虫の声、折から殊に哀れなり。有明の月だに未だ出ざるに、いづくをそことも知らねども、道を変へて田の面を伝ひ、草を分けつつ道すがらの御祈誓には、「南無正八幡大菩薩の御誓ひに、『我が末代に源氏の世と成りて、東国に住してえびすを平らげん。』とこそ願ひましませ。しかるに人すたれ氏滅びて、正統正統の名残、只頼朝ばかりなり。今度運を開かずば、誰あつて家を興さんや。世既に澆季にして、人後胤なし。早く頼朝が冥慮に任せ、東夷を従へ、喜悦の眉を開かしめ給へ。しからずば、せめて当国の土民ばかりを授け給へ。」と、御祈誓夜もすがらなり。大菩薩の感応にや、幾ほどなくして御世に出給ひけり。さても北條の四郎時政が元へ入り給ひ、一向彼をうち頼みて、年月をこそ送り給ひけれ。

九 時政が女の事

 さても、かの時政と申すは、平家の末葉といへども、系図遠くなりぬれば、遠国に住みけれども、国一番の大名なり。彼に女三人あり。一人は先腹にて二十一なり。二、三は当腹にて、十九、十七にぞなりにける。中にも先腹二十一は、美人の聞こえあり。殊に父、不憫に思ひければ、妹二人よりは優れてぞ思ひける。さる程に、その頃十九の君、不思議の夢をぞ見たりける。「たとへば、いづくともなく高き峯に登り、月日を左右の袂に収め、橘の三つなりたる枝をかざす。」と見て、思ひけるは、「男の身なりとも、みづからと月日を取らん事あるまじ。ましてや女の身として思ひも寄らず。まことに不思議の夢なり。姉御は知らせ給ふべし。問ひ奉らん。」とて、急ぎ朝日御前の方へ移り、細々と語り給ふ。二十一の姉君は、詳しく聞きて、「まことにめでたき夢なり。我等が先祖は、今に観音を崇め奉る故、月日を左右の袂に収めたり。また橘をかざす事は、本説めでたき由来あり。」とて、景行天皇の御事をぞ思ひ出しける。

十 橘の由来の事

 「そもそも橘といふ木の実の始まりは、人皇十一代の帝、垂仁天皇の御時より出で来ける。」と日本紀には見えたり。しかるにこの橘は、常世の国より三つ参らせたり。折節、后懐妊し、かの橘を用ゐ給ひて、懐胎の悩み絶えて、御心涼しかりけり。されば、「かやうの物もありけるよ。」と朝夕願ひ給へども、我が国になき木の実なりければ力なし。ここに、間守といふ大臣あり。この願ひを聞き、「易き事なり。異国に渡り、取りて参らせん。」と言ひて立ちければ、喜び思し召して、「さては、いつの頃帰朝すべき。」と宣旨ありければ、「五月には必ず参るべし。」と申して渡りぬ。その月を待てども見えずして、六月になりて、我はとどまりて、人をして橘を十参らせ、「なほ尋ねて参るべし。」とてとどまりけれども、橘の参る事を、后、大きに喜び給ひ、用ゐ給ふ。その徳によりて皇子御誕生あり。御位を保ち給ふ事、百二十年なり。景行天皇の御事これなり。その大臣の袖の香に、橘の移り来りけるを、猿丸大夫が歌に、
  五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
と詠みたりけり。我が朝に橘植ゑ初めける事、この時よりぞ始まりける。また橘に盧橘といふ名あり。去年の橘に覆ひして置けば、今年の夏まであるなり。その年、少し黒きなり。盧の字を、「黒し。」と読めばなり。
 さてもこの二十一の君、女性ながら、才覚、人にすぐれしかば、かやうの事を思ひ出しけるにや、げにも景行の帝、橘を願ひ誕生ありし事、幾ほどなくて若君出で来たり。頼朝の後を継ぎ、四海を治め奉る。されば、「この夢を言ひおどして買ひ取らばや。」と思ひければ、「この夢、返す返す恐ろしき夢なり。よき夢を見ては三年語らず。悪しき夢を見ては、七日の内に語りぬれば、大きなる慎みあり。いかがし給ふべき。」とぞおどしける。十九の君は、偽りとは思ひも寄らで、「さてはいかがせん。よきに計らひて賜びてんや。」と大きに恐れけり。「されば、かやうに悪しき夢をば転じ変へて、難を逃るるとこそ聞きて候へ。」「転ずるとは何とする事ぞや。みづから心得難し。計らひ給へ。」とありければ、「されば、『売り買ふ。』と言へば、逃るるなり。売り給へ。」と言ふ。「買ふ者のありてこそ売られ候へ。眼にも見えず、手にも取られぬ夢の、などうつつに誰か買ふべし。」と思ひ煩ふ色見えぬ。「さらば、この夢をわらは買ひ取りて、御身の難を除き奉らん。」と言ふ。「みづからが事は、元より恨みなし。御ため悪しくばいかがせん。」と言ひければ、「さればこそとよ。『売り買ふ。』と言へば転ずるにて、ぬしもみづからも苦しかるまじ。」と、まことしやかに拵へければ、「さらば。」と喜びて売り渡しぬ。「その後に、悔しくや成りなまし。」とおぼえけり。二十一の君は、この言葉につきて、「何にてか買ひ奉らん。元より所望の物なれば。」とて、北條の家に伝はる唐の鏡を取り出し、また唐綾の小袖一重ね添へ、渡されける。十九の君、なのめならずに喜びて、我が方に帰り、「日頃の所望叶ひぬ。この鏡の主に成りぬ。」と喜びけるぞ愚かなる。この二十一の君をば、父、殊に不憫に思ひければ、この鏡を譲りけるとかや。
 さるほどに佐殿、時政に女あまたある由聞こし召し、伊東にも懲り給はず、「うはの空なる物思ひを、風の便りに音づればや。」と思し召し、内々人に問ひ給へば、「当腹二人は殊の外悪女なり。先腹二十一の方へ御文ならば、賜はりて参らせん。」と申しけり。「伊東にて物思ひしも継母故なり。いかに悪くとも当腹を。」と思し召し定められて、十九の方へ御文をぞあそばしける。藤九郎盛長は、これを賜はりて、つくづく思ひけるは、「当腹どもは、殊の外悪女の聞こえあり。君、思し召し遂げん事あるべからず。さあらば、北條にさへ御仲違はせ給ひては、いづ方に御入りあるべき。果報こそ劣り奉るとも、手跡はいかで劣り奉るべき。」とて、御文を二十一の方へぞ書き替へける。
 さて、少将の局して参らせたりけり。姫君御覧じて、思し召し合はする事あり。「この暁、白き鳩一つ飛び来りて、口より黄金の箱に文を入れて吹き出し、わらはが膝の上に置き、虚空に飛び去りぬ。開きて見れば、佐殿の御文なり。急ぎ箱に収むる。」と思へば夢なり。「今、うつつに文を見る事の不思議さよ。」と思し召してうち置きぬ。その後、文の数重なりければ、夜な夜な忍びて、褄をぞ重ね給ひける。かくて年月を送り給ふほどに、北條四郎時政、京より下りけるが、道にてこの事を聞き、「ゆゆしき大事出で来たり。平家へ聞こえてはいかがならん。」と、大きに騒ぎ思ひけり。さりながら、静かに物を案ずるに、「時政が先祖上総守直隆は、伊予殿関東下向の時、婿に取り奉りて、八幡殿以下の子孫出で来たり。今に繁昌ありつる事、世に隠れなし。」と思ひけるが、「いかがせまし。」とぞ思はれける。

底本頭注
 十 橘の由来の事
 ・橘の由来――著しく事実に違へり。
 ・間守――田道間守の事。
 ・伊予殿――伊予守頼義。

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校訂者注
 八 頼朝北條へ入り給ふ事
 ・正統の名残――底本、「正統残りて」。岩波文庫本(1939)脚注により改めた。
 ・当国の土民ばかりを授け給へ――底本、「当国伊豆の国の匹夫と成し、長く本望を遂げしめ給へ」。岩波文庫本(1939)脚注により改めた。