十一 兼隆を婿に取る事
かくて北條は、「この事いかにせん。」と案ずるに、「世に聞こえなくば、末悪しざまにはあらじ。」と思ひけれども、平家の侍に山木判官兼隆といふ者を同道して下りけり。「道にて何となき事のついでに、『御分を時政が婿に取らん。』と言ひたりし言葉の違ひなば、『源氏の流人、婿に取りたり。』と訴へられては、罪科逃れ難し。いかがせん。」と思ひければ、伊豆の国府に着き、かの目代兼隆に言ひ合はせ、知らず顔にて女を山木判官に取らせけり。されども佐殿に契りや深かりけん、一夜をも明かさで、その夜の内に逃げ出て、近く召し使ひける女房一人召し具して、深き叢を分け、足に任せて行く程に、足引の山路を越え、夜もすがら伊豆の御山に分け入り給ひぬ。「契り朽ちずは出雲路の、神の誓ひは浅からず。妹背の仲は変はらじとこそ守り給ふなれ。頼む恵みの朽ち遣らで、末の世かけて諸共に、住み果つべし。」と祈り給ひけるとかや。
十二 牽牛織女の事
そもそも出雲路の神と申すは、昔、桂陽といふ国に、男をば伯陽と申し、女をば遊子とて夫婦の者ありけるが、月に伴ひて夜もすがら寝る事なくして道に立ち、夕には東山の嶺に心を澄まし、月の遅く出づるを恨み、暁は西天の雲にうそぶき、曇りなき夜を喜び、雨雲の空を悲しみて年月を送りしに、伯陽九十九の年、死門に臨まんとせし時、遊子に向かひ申すやう、「我、月に伴ひて愛づる事、世の人に超えたり。一人なりとも月を見る事を怠る事なかれ。」と言ひければ、遊子、涙を流して、「汝まさに死なば、我一人、月を見る事あるべからず。諸共に死なん。」と悲しめば、伯陽重ねて申すやう、「偕老同穴の契り、百歳に当たれり。月を形見に見よ。」とて、終にはかなく成りにけり。契りし如く、遊子は家に入る事もなくして、月に伴ひ歩きしに、これも限りありければ、終にはかなく成りにけり。されども夫婦諸共に、月に心をとどめし故に、天上の果を受け、二つの星と成るとかや。牽牛織女これなり。又、さへの神とも申すなり。道祖神とも顕はれ、夫婦の仲を守り給ふ御誓ひ、頼もしくぞおぼえける。また伝へ聞く、漢の高祖、伯陽山といふ山に籠り給ひしに、こうろ太子諸共に、紫雲をしるべとして深き山路に分け入りし志、これには過ぎじとぞ見えし。
さて佐殿へ、ひそかに人を参らせ、「かく。」と申させ給ひしかば、鞭を上げてぞかの山へ登り給ひける。目代は尋ねけれども、なほ山深く入り給ひければ、力及ばず尋ね得ず。北條は知らず顔にて年月をぞ送りける。伊東が振舞には変はりけるにや、果報の致す処なり。
十三 盛長が夢見の事
ここに、懐島の平権守景延といふ者あり。このほど兵衛佐殿、伊豆の御山に忍びてまします由、伝へ聞き、「かやうの時こそ奉公をば致さめ。」とて、一夜宿直に参りけり。藤九郎盛長も、同じく宿直仕る。夜半ばかりに打ち驚きて申しけるは、「今夜盛長こそ、君の御ためにめでたき御示現を蒙りて候へ。御耳をそばだて、御心を静め、確かに聞こし召し候へ。君は矢倉が嶽に御腰を掛けられしに、一品房は黄金の大瓶子を抱き、実親は御畳を敷き、成綱は白銀の折敷に黄金の御盃を据ゑ、盛長は白銀の銚子に御酒を注ぎて参らせつるに、君、三度きこし召されて後、箱根の御参詣ありしに、左の御足にて外の浜を踏み、右の御足にては鬼界が島を踏み給ふ。左右の御袂には日月を宿し奉り、小松三本、頭に頂き、南向きに歩ませ給ふと見奉りぬ。」と申しければ、佐殿聞こし召して、大きに喜び給ひて、「頼朝、この暁、不思議の霊夢を蒙りつるぞや。たとへば虚空より山鳩三つ来りて、頼朝が髻に巣をくひ、子を生むと見つるなり。これ、しかしながら八幡大菩薩の守らせ給ふと、頼もしくおぼゆる。」と仰せられければ、「希代なりける御奇瑞。」と思はぬ人はなかりけり。
十四 景延が夢合はせの事
さても景延申しけるは、「盛長が示現に於いては、景延、合はせ候はん。まづ君、矢倉が嶽にましましけるは、御先祖八幡殿の御子孫、東八箇国を屋敷所にせさせ給ふべきなり。御酒きこし召しけると見つるは、理なり。当時、君の御有様は、無明の酒に酔はせ給ふなり。しかれば、酔ひは遂に醒むるものにて、みきの三文字をかたどり、近くは三月、遠くは三年に御酔ひは醒むべし。」とぞ申しける。
十五 酒の事
景延、重ねて申しけるは、「酒は忘憂の徳ありとて、うときは親しみ、親しきはなほ親しむ。さるによつて、数の異名候。中にもみきと申す事は、昔、漢の明帝の御時、三年間渇しければ、水に飢ゑて人民多く死する。帝、大きに嘆かせ給ひて、天に祈り給へども、しるしなし。「いかがせん。」と悲しみ給ひけり。その国の傍らに、せきそといふ賤しき民あり。彼が家の園に桑の木三本ありけるに、水鳥、常におりゐてあそぶ。主、怪しみて行きて見れば、かの木のうつろに竹の葉覆へるものあり。取りのけて見るに、水なり、舐めて見れば美酒なり。即ちこれを取りて国王に捧ぐ。しかるにこの美酒、一度口に含めば、七日飢ゑを忘るる徳あり。帝、感じ思し召して、水鳥の落とし置きたる羽を取り、飢ゑて死する者の口に注ぎ給へば、死人、悉くよみがへり、飢ゑたる者は力を得、めでたしとも言ふばかりなし。即ち、せきそを召して、一国の守に任ず。「桑の木三本より出で来れば。」とて、三木と申すなり。「さてもこの酒は、いかにして出で来るぞ。」と尋ね給ふに、せきそが子にくわうりといふ者あり。継母、殊にすぐれてこれを憎み、毒を入れ食はせけり。されどもくわうり、「継母の習ひ。」と思ひなずらへて、更に怨むる心なくして、この木のうつろに入れて置き、竹の葉を覆ひて置きたりけるが、初め入れたるは麹と成り、後に入れける飯は、天より降る雨露の恵みを受けて、美酒とぞ成りにける。毒薬変じて薬と成るとは、この時よりの言葉なり。
また酒を呑みて風邪の去る事三寸なれば、三寸とも書けり。これは家隆の卿の言ひけるなり。馬の寸をきと言へば、その故もあるにや。また風妨とも言へり。風邪の妨ぐる義なり。また或る者の家に、杉三本あり。その木のしたたり、岩の上に落ち溜まり、酒と成るといふ説あり。その時は三木と書くべきか。又はしんほうに曰く、「新酒、百薬の長たり。」とも書けり。漢書には、「せきそ、みきを得て天命を助く。」と書けり。また慈童といひし者は、七百歳を経て彭祖と名を変へし仙人、菊水とてもてあそびけるも、この酒なり。これは、法華経普門品の二句の偈を聞きし故に、菊の下行く水、不死の薬と成りけるを、この仙人は用ゐけるとかや。公にもこれを移して、重陽の宴とて、酒に菊を入れて用ゐ給ふ。上より降る雨露の恵み、下に差し来る月日の光、あまねく君の御恵みに、洩れたる品はなきにこそ。高きも卑しきも、酒は祝ひにすぐれ、神も納受し、仏も憐愍ありとかや。
君も、きこし召されつる御酒の徳に、過ぎにし憂きを忘れさせ給ひ、日本国を従へさせ給ふべし。左右の御足にて、外の浜と鬼界が島を踏み給ひけるは、秋津洲残りなく従へさせ給ふべきにや。左右の御袂に月日を宿し給ひけるは、主上、上皇の御後見に於いては、疑ひあるべからず候。小松三本、頭に頂き給へるは、八幡三所の擁護あらたにして、千秋万歳を保ち給ふべき御瑞相なり。また南向きに歩ませ給ひけるは、『主上、御在位の時、大極殿の南面にして、天子の御位を践み給ふ。』とこそ承り候へ。御運を開き給はん事、これに同じ。」と申しければ、佐殿喜び給ひて、「景延が合はする如く、頼朝、世に出づる事あらば、夢合はせの返答あるべし。」とぞ仰せける。
底本頭注
十二 牽牛織女の事
・さへの神――幸神。俗に縁結びの神とす。
十三 盛長が夢見の事
・外の浜――陸奥津軽郡。
十五 酒の事
・彭祖――列仙伝に見ゆ。
校訂者注
十二 牽牛織女の事
・昔、桂陽といふ国に――底本、「昔けいしやうといふ国に」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
十三 盛長が夢見の事
・一品房は黄金の大瓶子を抱き――底本、「一ほん房は黄金のたいへんざを抱き」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
・銚子に御酒を注ぎて参らせつるに――底本、「銚子に御盃を参らせつるに」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
十四 景延が夢合はせの事
・屋敷所にせさせ給ふべきなり――底本、「屋敷どころにさせ給ふべきなり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
十五 酒の事
・酒は忘憂の徳ありとて――底本、「酒は朋友の徳ありとて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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