三 源太曽我へ兄弟召しの御使に行きし事

 かくて三年の春秋の過ぐるも夢なれや、早くも一万十一、箱王九つにぞなりにける。その頃、彼等が身の上に、思はぬ不思議ぞ出で来たる。故をいかにと尋ぬるに、鎌倉殿、侍どもに仰せられけるは、「保元の合戦に、為義、義朝に斬られ、平治の乱れに義朝、長田に討たれしよりこの方、驕れる平家を悉く滅ぼし、天下を心のままにする事、我等が先祖に於きては、頼朝に優る果報者あらじ。」と仰せ下されければ、御前伺候の侍ども一同に、「さん候。」と申し上げければ、伊豆国の住人工藤左衛門祐経、畏つて申しけるは、「仰せの如く四海静まり、丘頭、狼煙立たざる処に、ま近き御膝の下に於きて、幼くは候へども、末の御敵となるべき者こそ一、二人候へ。」と申しければ、御前にありける侍ども、「誰が身の上やらん。」と目を見合はせ、拳を握らざるはなかりけり。
 君、聞こし召されて、御気色変はり、「頼朝こそ知らね。何者ぞ。」と御尋ねありければ、祐経承りて、「先年斬られ参らせ候ひし伊東入道が孫、五つ三つにて父河津に後れ、継父曽我太郎が元に養ひ置きぬ。成人の後、御敵とや成り候べき。身にもまた、野心ある者にて候。」と申し上げたりければ、君、聞こし召し、「不思議なり。祐信は、随分心安き者に思ひつるに、末の敵を養ひ置くらん不思議さよ。急ぎ梶原召せ。」とて召さるる。源太景季、御前に畏りければ、「急ぎ曽我へ下り、伊東入道が孫どもを隠し置く由聞こゆ。急ぎ具足して参るべし。もし異議に及ばば、それにて頭を刎ねよ。」とぞ仰せける。景季承り、御前を罷り立ち、急ぎ曽我へぞ下りける。
 祐信が館近くなりしかば、使者を立てて、「曽我殿やまします。君の御使に、景季参りたり。」と言はせければ、祐信、「何事なるらん。」と、「思ひ寄らざる御出。珍し。」と言ひければ、景季も暫く辞退して、「さん候。上よりの御使。」とばかり言ひて、面目なき事なれば、左右なく言ひも出さず。ややありて、「御ため、ゆゆしき事ならぬ仰せを蒙りて候。その故は、故伊東入道殿の孫養育の由、君、聞こし召して、『頼朝が末の敵なり。急ぎ具して参るべし。』との御使蒙り、参りて候。」と申しければ、祐信、とかくの返事にも及ばず。
 ややありて、「世間に嘆き深き者を尋ね候に、祐信に過ぐべからず。幼き者二人候ひし、五つ、三つにて失ひ候。その思ひ未だ晴れざるに、彼等が母に後れ候ひぬ。一方ならぬ思ひの浅からざりしに、彼等が母も夫に後れ、子を持ちたる由聞き候ひしが、しかも親しく候上、失ひし子ども、同じ年にて候。されば、人の嘆きをも、我等が思ひをも、語り慰まんと思ひ、迎へ取り、今年はこの者ども、十一、九つに罷り成り候。殊の外健気に候間、実子の如く養じ立てて、この頃、かやうの仰せを蒙るべしとこそ存じ候はね。子に縁なき者は、人の子をも養ずまじきにて候ひける。」とて、袖を顔に押し当てけり。景季も、「まことに理。」とぞ思ひける。

四 母嘆きし事

 さても祐信は、「御諚、違背申すべきにあらず。召し連れて参るべし。さりながら。」とて内に入り、彼等が母に申しけるは、「『故伊東殿、君の御敵にて失せ給ひしその孫とて、二人の幼き者どもを参らせよ。』との御使に、梶原殿の来れり。」と言ひければ、母は、聞きもあへず、「心憂や。これは、何と成り行く世の中ぞや。夢ともうつつともおぼえず。げに夢ならば、覚むるうつつもありなまし。憂き身の上の悲しきも、彼等二人を持ちてこそ、よろづの憂さも慰みつれ。身の衰ふるをば知らで、『いつか成人して、大人しくもなりなん。』と、月日の如く頼もしく、後の世かけて思ひしに。斬られ参らせてその後、憂き身は何と長らへん。ただ諸共に具足して、とにもかくにも成し給へ。」と、泣き悲しむその声は、門のほとりまで聞こえけり。げにや、園生に植ゑし紅の、焦がるる色の顕はれて、よそに見えしぞ哀れなる。
 絶えぬ思ひの余りにや、母は子どもを左右の膝に据ゑ置き、髪かき撫でて口説きけるは、「祖父伊東殿、君に情けなく当たり奉りし故に、その孫とて汝等を召さるるぞや。いかなる罪の報いにて、人こそ多けれ、御敵とは成りぬらん心憂さよ。さりながら、汝等が先祖、当国に於いて誰にかは劣るべき。知らぬ人あるべからず。君の御前なりとも、恐るる事なく、最期の処にて、言ひ甲斐なくして叶ふまじ。さしも勇みし親祖父の世にありし故にこそ、御敵ともなり給ひしか。幼くとも思ひ切りて、臆する色あるべからず。健気に。」と申せども、涙にこそ咽びけれ。「げにや、叶はぬ事なれども、汝等をとどめ置き、その代はりにわらは出て、いかにもなりなば、心安かりなん。」と泣きければ、二人の子どもは、聞き分けたる事はなけれども、ただ泣くより外の事ぞなき。卑しき賤に至るまで、泣き悲しむ事、叫喚大叫喚の悲しみも、これには過ぎじとぞおぼえし。
 時移りければ景季、使を以て母の方へ申しけるは、「御名残、理と存じ候へども、御思ひは尽くべきにあらず。疾く疾く。」と責めければ、祐信、「承り候。」とて、嬉しからざる出で立ちを急ぎける。母も、今を限りの事なれば、介錯するぞ哀れなる。一万が装束には、精好の大口、顕紋紗の直垂をぞ着せたりける。箱王には、紅葉に鹿描きたる紅梅の小袖に、大口ばかりぞ着せたりける。「かやうに介錯せん事も、今を限りにてもや。」と、後ろに巡り前に立ち、つくづくとこれを見るに、「一万が着たる小袖の紋、心得ぬものかな。さてもあだなる朝顔の、花の上露時の間も、残るためしはなきものを。さて箱王が小袖の紋、濡れてや鹿のひとり鳴くらんも、憂き身の上」の心地して、いよいよ袖こそ濡れまされ。いにしへは、何とも見ざりし衣裳の紋、今は眼に立ちて、思ひ残せる事もなし。やがて帰るべき道だにも、さし当たりたる別れは悲しきに、帰らん事は不定なり。「見見えん事も、今ばかりぞ。」と思へば、肝魂も身に添はず。
 一万、おとなしやかに、「余りな御嘆き候ひそ。御思ひを見奉れば、黄泉路安かるべしともおぼえず。もし斬られ参らせば、前世の事と思し召せ。」と言ひければ、箱王、「兄の仰せらるる如く、御嘆き候ひそ。我々、手を出して、御敵仕る身にてもなし。その上、未だ幼く候へば、御許しもや候べき。仏にも御申し候へ。」と、まことにげにげにしく申すにつけても、いよいよ名残ぞ惜しかりける。「さりとも。」とは思へども、まさしき御敵なり。帰らん事は不定なり。とどまりゐて物思はん事も悲しければ、「一所にて、いかにもならん。」と出で立ちけるぞ哀れなる。祐信、これを見て、大きに制しける。「さりとも、斬らるるまではあるまじ。『誰々も、よきやうに申しなし給はば、いかさま、遠き国に流し置かれぬ。』とおぼえたり。さやうなりとも、命だにあらば。」と慰め置きて、二人の子どもをいざなひ出ける、心の内こそ哀れなれ。
 母は、梶原が見るをも憚らず、事のなのめの時にこそ、恥も人目も包まるれ。まことの別れになりぬれば、かち裸足にて乳母と諸共に、庭上に迷ひ出、「暫くや、殿、一万。とどまれや、箱王。我が身は何となるべき。」と、声も惜しまず泣き悲しみければ、上下男女諸共に、「今暫く。」と泣き悲しむ有様、譬ふべき方もなし。或いは馬の口に取り付き、或いは直垂の袖をひかへければ、景季も、猛きもののふとは申せども、涙に堰きあへず。「由なき御使を承つて、かかる哀れを見る事の悲しさよ。」とて、直衣の袖を顔に押し当てて泣きけり。母は、猶もとどまりかねて、門の外まで惑ひ出て、彼等が後ろ姿を見送り、泣くより外の事ぞなき。子どもも後ろのみ見返りしかば、駒をも急がせず、後に心はとどまりけり。「互の思ひ、さこそ。」と推し測られて哀れなれ。母は、子どもの後ろも見えず、遠ざかり行きければ、即ち倒れ伏しにけり。女房達、急ぎ引き立て、やうやう介錯して、泣く泣く内にぞ入りにける。
 持仏堂に参りて口説きけるは、「大慈大悲の誓願には、枯れたる草木にも、花咲き実のなるとこそ聞け。などや、彼等が命をも助け給はざらん。我、幼少のいにしへより、深く頼みをかけ奉る。毎日に三巻の普門品、怠らざるしるしに、彼等が命を助け給へ。」と、悶え焦がれけるぞ無残なる。せめての事にや、仏に向かひて口説きけるは、「げにや、彼等が父の討たれし時、『いかなる淵瀬にも入りなん。』と思ひ焦がれしに、『彼等を世に立てん。』と思ひて、つれなく命長らへ、飽かぬ住まひの心憂かりつるも、ひとへに子どものためぞかし。斬られ参らせて後、一日片時のほども、身は誰がために惜しかるべき。願はくは、我等が命も取り給ひて、彼等一所に迎へ取り給へ。」と、声も惜しまず泣き居たり。まことや、身に思ひのある時は、咎もましまさぬ神仏を怨み奉り、泣きては口説き、怨みては泣き、伏し沈みけるこそ、せめての事とはおぼえけれ。

五 祐信兄弟を連れて鎌倉へ行きし事

 さても祐信は、梶原もろ共にうち連れて、駒を速むるとはなけれども、夜に入つて鎌倉へこそ着きにけれ。「今宵は遥かに更けぬらん。」とて、景季が館にとどめ置きたり。祐信は、二人の子ども近く居て、「今宵ばかり。」と思ふにも、名残惜しくぞ思はれける。名残の夜半も明け易く、隈なき軒を洩る月も、思ひの涙にかき曇り、鶏と同じく泣き明かす、心の内こそ無残なれ。早天に源太左衛門、御所へ参りければ、祐信、遥かに門送りして、「彼等が事は、一向に頼み奉る。いかにも良きやうに申しなされ、郎等二人ありと思し召し候へ。」と、まことに思ひ入つたる有様、哀れにて、源太も不憫におぼえて、「げにや、子ならずば、何事かこれほどに宣ふべき。『人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道に迷ふ。』とは、げに理。」とおぼえて、「景季も、子どもあまた持ちたる身。さらさら人の上とも存じ候はず。」とて、忍びの涙を流しけり。「心の及ぶ処は、等閑あるべからず候。心安く思ひ給へ。」とて出ければ、頼もしくぞ思ひける。

底本頭注
 三 源太曽我へ兄弟召しの御使に行きし事 
 ・身にも――曽我太郎自身。
 四 母嘆きし事
 ・介錯――世話する。
 ・大口――袴。
 ・なのめ――尋常。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 三 源太曽我へ兄弟召しの御使に行きし事
 ・迎へ取り――底本、「おさへ取り」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。