六 兄弟を梶原請ひ申さるる事

 その後梶原、御前に畏りければ、君、御覧じて、「昨日は参らざりけるぞ。祐信は異議にや及びけるか。」「いかでか惜しみ申すべき。昨夜、景季が元まで具足して候ひつるを、夜更け候間、明くるを待ち申して候。従ひ候ては、母や曽我太郎が嘆き、中々申すに及ばず。かはゆき有様を見てこそ候へ。同じ仰せにて、戦場にして一命を捨て候はん事は、物の数とも存じ候まじ。かやうに難儀の事こそ候はざりしか。」と申しければ、君、聞こし召されて、「さぞ母も惜しみつらん。同じ咎とは言ひながら、未だ幼き者どもなり。嘆きつるか。」と仰せられければ、この御言葉に取り付き、畏つて申しけるは、「かやうに申す事、恐れ多く候へども、母が嘆き、余りに不憫なる次第に候。未だ幼き者どもにて候へば、成人のほど、景季に預けさせ給ひ候へかし。」と申しければ、君、聞こし召されて、「汝が申す処、理と思へども、伊東入道に情けなく当たられし事を、聞きも及びぬらん。三歳の若を失はれ、あまつさへ女房まで取り返されて、嘆きの上に恥を見、その上、由井のうつぼにて頼朝を討たんとせし怨み、條々譬へてやる方なし。『せめて伊豆の国一国の主にもならばや。』と、明け暮れ祈りしは、『伊東に当たり返さん。』と願ひしぞかし。されば、かの者の末といはんをば、乞食非人なりとも、かけて見んとは思はざりき。いはんや彼等は現在の孫なり。しかも嫡孫ぞかし。急ぎ誅して若が孝養に報ずべし。頼朝怨むべからず。」と仰せ下されければ、重ねて申すに及ばで、御前を罷り立ちにけり。
 「時を移さず、由井の浜にて害せよ。」と承りて、宿所に帰る。祐信、「遅し。」と待ち受けて、さて、「彼等が命、いかに。」と問ふ。「さればこそとよ。再三申しつれども、故伊東殿の不忠、始めより終はりに至るまで御物語ありて、『若君の草の蔭にて思し召す処もあり。この人々を斬りて、御追善に報ぜん。』と御意の上、力及ばず。」と申しければ、祐信、頼みし力尽き果てて、「今は叶ふまじきにや。」とて、二人の子どもを近付けて、装束引き繕ひ、鬢の塵うち払ひ、「汝、いかなる報いにて、乳の内にして父に後れ、重代の所領に離れ、命だにも、十五、十三にもならず斬らるるのみにあらず、母にもまた思ひを授くる事の不思議さよ。祐信も汝等に後れて、千歳を経るべきか。髻切り、後世懇ろに弔ひて取らすべし。今生の宿縁薄くとも、来世にては必ず一つ蓮に生まれ合ふべし。」と、涙に咽びけり。子どもは聞き、「祖父御の御事により、我等、幼けれども許されず。斬られん事、力に及ばず。さりながら、殿の御恩こそありがたく思ひ奉り候へ。御遁世ゆめゆめあるまじき事なり。母御の御思ひ、いよいよ重かるべし。それを慰めて給はり候へ。それならでは。」とばかりにて、泣くより外の事ぞなき。
 景季が妻女も、女房達引き連れ、中門に出、物越しに彼等が言葉を立ち聞きて、「げにや、さる者の子どもとは聞こえたり。優に大人しやかに言ひつる言葉かな。よそにて聞くだにも、哀れに無残なるに、いかに今まで取り育てぬる、母や乳母の思ふらん。片輪なる子をさへ、親は悲しむ習ひぞかし。『弓取の子の、七つにて親の敵を討ちける。』と申し伝へたるも、彼等が大人しやかなるにて思ひ知られたり。弓取の子なり。」とて、涙に咽びけり。及ぶも及ばざるも皆、袂をぞ絞りける。

七 由井の浜へ引き出されし事

 かくて景季、やや遥かにありて、子どもの前に来り、「時こそ移り候へ。」と言ひければ、祐信、彼等を出で立たせ、由井の浜へぞ出しける。今に始めぬ鎌倉中の事々しさは、「彼等が斬らるるを見ん。」とて、門前に市をなす。源太が館も浜の表、程遠からで行くほどに、羊の歩み、なほ近く、命も際になりにけり。既に敷皮敷きて、二人の者ども直しにけり。今朝までは、「さりとも源太や申し助けん。」と、頼みし心も尽き果て、彼等に向かひ申しけるは、「母が方に思ひ置く事はなきか。」と問ふ。「ただ何事も御心得候て、仰せられ候へ。但し、『最後は御教へ候ひし如く、思ひ切りて、未練にも候はざりし。』とばかり御語り候へ。」「箱王はいかに。」と問へば、「同じ御心なり。今一度見奉りて。」と言ひもあへず、涙に咽び、深く嘆く色見えけり。一万、これを見て、「母の仰せられし事、忘れ給ふか。『親、祖父の孫ぞ。』と思ひ切るべし。構へて母や乳母が事、思ひ出すべからず。さやうなれば、未練の心出で来るぞ。『ただ一筋に思ひ切れ。』と教へ給ひし事ぞとよ。人もこそ見れ。」と諫めければ、箱王、この言葉にや恥ぢにけん、顔押しのごひ、あざ笑ひ、涙を人に見せざりけり。貴賤、惜しまぬ者は無し。
 曽我太郎、この色を見て、今は心安くて敷皮に居かかり、鬢の塵うち払ひ、心静かに介錯し、「いかに汝等、よくよく聞け。始めたる事にはあらねども、弓矢の家に生まるる者は、命よりも名をば惜しむものぞとよ。『龍門原上の地に骨は埋めども、名をば雲居に残せ。』といふ言葉、かねて聞き置きぬらん。最期見苦しくは見えねども、心を乱さで眼を塞ぎ、掌を合はせ、『弥陀如来、我等を助け給へ。』と深く祈念せよ。」一万聞きて、「いかに祈り候とも、助かる命にて候はぬものを。」と言ひければ、「その助けにては無し。別の助けぞとよ。御分の父、一所に迎へ取り給ふべき誓願の助けぞとよ。頼み給へ。」と言ひければ、「申すにや及ぶ。故郷を出しより、思ひ定むる事なれば、何に心を残すべき。父に会ひ奉らん頼みこそ嬉しく候へ。」とて、西に向かひ、各々小さき手を合はせ、「南無。」と高らかに聞こえければ、堀弥太郎、太刀抜きそばめ、二人が後ろに近付きて、「兄をまづ斬らんは順次なり。しかれども弟見て、驚きなんも無残なり。弟を斬るは逆なり。」と思ひ煩ひ立ちたりしを、祐信、思ひに耐へかねて、走り寄り取り付き、「しかるべくは、打物を某に預けられ候へ。我等が手にかけて、後生を弔はん。」と申しければ、「御計らひ。」とて太刀を取らせけり。
 祐信、取りて、「まづ一万を斬らん。」とて、太刀さし上げ見れば、折節、朝日輝きて、白く清げなる頚の骨に、太刀影の映りて見えければ、左右なく切るべき所も見えざりけり。祐信、猛きもののふと申せども、打物を捨てて口説きけるは、「中々思ひ切りて、曽我にとどまるべかりしものを、これまで来りて、憂き目を見る事の口惜しさよ。しかるべくは、まづ某を斬りて後に、彼等を害し給へ。」と嘆きければ、見物の貴賤、「理かな。幼少より育てて憐れみ給へば、さぞ不憫なるらん。」と、弔はぬ者はなかりけり。

八 人々君へ参りて兄弟を請ひ申さるる事

 ここに梶原平三景時、近く寄りて、祐信に申しけるは、「御嘆きを見奉るに、推し測られておぼゆるなり。暫く待ち給へ。一ばし申して見ん。」と言ひければ、弥太郎、大きに喜びて、暫く時をぞ移しけり。まことに、「景時、さしきりて申されんには叶ひつべし。」と人々、頼もしくぞ思ひける。景時、御前に畏りければ、君、御覧じて、「梶原こそ例ならず訴訟顔なれ。」「さん候。曽我太郎が養子の子ども、ただ今、浜にて誅せられ候。あはれ、某に御預けもや候へかし。景時が申す條、聞こし召し入れらるべきと、あまねく思ひ候ものをや。」と申しければ、君、聞こし召して、「今朝より源太が申しつれども、預けず。汝、怨むべからず。」と仰せ下されければ、力及ばず、御前を罷り立ちにけり。
 次に和田左衛門義盛、御前に畏り、「景時が親子、申して叶はざる処を、義盛、重ねて申し上ぐる條、かつうは恐れ少なからず候へども、人を助くる習ひ、さのみこそ候へ。義盛、御大事に罷り立つ事、度々なりといへども、分きては衣笠の城にて御命に代はり奉り、御世に出させ給ひ候ひぬ。その忠節に申し替へて、曽我の子どもを預かり置き候はば、生前の御恩と存じ候べし。」と申されければ、君、聞こし召されて、「かの者どもの事は、斬らで叶ふべからず。」と仰せ下されければ、義盛、重ねて申されけるは、「元より罪軽くして追罰せらるべきを申し預かりては、御恩と申し難し。重罪の者を賜はりてこそ、掟を背く御恩にて候へ。義盛が一期の大事、何事かこれに如かん。」と、さしきりて申されたりしかば、君も、まことに難儀に思し召しけるが、暫し御思案に及び、「御分の所望、何をか背き申すべき。しかれども、この事に於いては、頼朝にさし置き給へ。伊東が情けなかりし振舞、只今報ぜん。」と仰せられければ、義盛、力及ばずして、御前を罷り立たれけり。
 その次に宇都宮弥三郎朝綱、思ひけるは、「面々申して、叶へられずして罷り立たれぬ。さりながら、もしや。」と存じ、御前に伺候す。君、御覧じて、「今日の訴訟人は、叶ふべからず。別に思ふ子細あり。」とて、御気色悪しかりければ、申し出すに及ばず、退出せられにけり。
 また千葉介常胤、座敷に居代はりて、畏つて、「人々の申されて叶はざる処を申し上ぐる條、まことに鳥道の跡を尋ね、霊亀の尾を曳くにて候へども、龍の髭を撫で、虎の尾を踏むも、事による事にて候へば、今日の人々の訴訟、御聞き入れ候はば、畏り存じ候べき由、かたがた申すげに候。」と申し上げければ、君、聞こし召し、「御分の事、身に代へても余りあり。それをいかにと言ふに、頼朝、石橋山の合戦にうち負けて、ただ七騎になりて、杉山を出てゆきの浦に着き、既に自害に及びし時、数千騎にて合力せられ奉り、今は世を取る事、ひとへに御分の恩ぞかし。その故、忘るべきにあらず。されども、伊豆の伊東が怨めしさは、知り給ひぬらん。」と仰せありて、その後は御返事もなし。常胤、重ねて申されけるは、恐れ存じ候事なれども、某に限らず、今日の訴訟人、時にとりての御大事、誰か身命を惜しみ、不忠を思ひ奉る者の候べき。その御志に御免わたらせおはしまして、彼等を御助け候へかし。」「さても彼等が祖父は、忠の者にはあらざるをや。」「さてこそ御慈悲にて御助け候へとは申せ。」「奈落に沈む極重の罪人をば、慈悲の仏だにも救ひ給はずとこそ聞け。」千葉介、承つて、「地蔵薩埵の第一の誓願には、無仏世界の衆生を救はんとこそ、誓ひの深くましますなれ。」君、聞こし召されて、「地蔵は未だ正覚成り給はずとこそ聞け。」「かやうの悪人を救ひ尽くして、正覚あるべしと承る。それは慈悲にてましまさずや。」君、聞こし召し、「まことにそれは、仏の御法の言葉。如来に会ひて問ひ給へ。彼等は世上の政道なり。斬らでは叶ふべからず。」とて、御気色悪しく見えければ、その後は物を申さず。御前伺候の人々も、力を落とし、「いかがせん。」とぞ思はれけるこそうたてけれ。

底本頭注
 七 由井の浜へ引き出されし事
 ・龍門原上の地に――白楽天が元槇を悼める詩の句。龍門原上土、埋骨不埋名。
 八 人々君へ参りて兄弟を請ひ申さるる事
 ・一ばし――この頃の俗語と見ゆ。一度の意。
 ・さしきりて――断乎として。

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校訂者注
 六 兄弟を梶原請ひ申さるる事
 ・それならでは。」とばかりにて、――底本、「それならでは』とばかりてに、」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 八 人々君へ参りて兄弟を請ひ申さるる事
 ・鳥道の跡を尋ね、霊亀の尾を曳くにて――底本、「てうだうの跡を尋ね、れいぎのおくひにて」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・彼等は世上の政道なり――底本、「彼等は世上のせいたうなり」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。