曽我物語

巻第四

一 十郎元服の事

 光陰惜しむべし。時、人を待たざる理、隙行く駒、繋がぬ月日重なりて、一万は十三歳になりにける。身の不祥なるにつけても、また公方を憚る事なれば、ひそかに元服して、継父の苗字を取り、曽我十郎祐成とぞ名乗りける。

二 箱王箱根へ上る事

 母、弟の箱王を呼び寄せて宣ひけるは、「わ殿は、箱根の別当の元へ行き、法師になり学問して、親の後世弔へ。ゆめゆめ男羨ましく思ふべからず。世を逃るる身なれば、綾羅錦繍の袖も、苔の衣に同じ。十善帝王も身を捨て、人に対するに所なし。『憂きも辛きも、世の中は夢ぞ。』と思ひ定むべし。伝へ聞く、大目連尊者は、母の教へ給ひし御言葉を、耳の底に保ち給ひてこそ、五百の大阿羅漢には超え給ひしぞかし。構へて法師と成りて、父の跡をもわらはが後世をも助け給へ。」と申されければ、箱王、「身に思ふ事あり。」と思ひけれども、「承り候。」とぞ言ひける。母、喜びて、生年十一歳より箱根に上せ、年月を送りける程に、箱王、十三にぞなりにける。
 十二月下旬の頃、かの坊の稚児同宿、二十余人ありける者どもの元へ、親、親しき方より面々に音信どもありけるに、「下れ。」と書きたる文もあり。或いは元三の装束に、師の御坊への贈り物添へたる文もあり。或いは父の文、母の文、叔父叔母の文とて、二つ三つ読む稚児もあり。五つ六つ読む稚児もありけり。中にも箱王は、ただ母の文ばかりに、からがら装束添へて送りける。よろづ羨ましくて、文を袂に引き入れ、傍らに行き、泣きしをれて、或る稚児に会うて言ひけるは、「人は皆、父母の文、親しき方の御文とて、あまた読み給ふに、我はただ母の御文ばかりにて、父とやらんの御文は知らず。何と書かれたるものぞや。見せ給へ。十郎殿と二の宮殿は、何とやらんこのほどは、書き絶え、訪ひ給はず。曽我殿はましませども、一度の言伝てにも預からず。一月に一度なりとも、父の御文とて、『学間よくせよ。武勇するな。』などと言はれ奉らば、いかばかりか嬉しく恐ろしくもありなまし。いつよりも怨めしきは今年の暮、恋しく見たきものは、父の御文なり。」とて、さめざめとぞ泣きける。心なき稚児も、理とや思ひけん、共に涙を流しけり。
 されば箱王は、新玉の年の祝言をも忘れ、新しき春の朝拝をも物ならず、思ひ焦がれて昼夜権現に参り、「南無帰命頂礼。願はくは父の敵を討たしめ給へ。」と歩みを運びけるぞ無残なる。

三 鎌倉殿箱根御参詣の事

 かくて権現の計らひにや、正月十五日に、「鎌倉殿、二所御参詣。」とぞ聞こえける。箱王、これを聞き、「年来の祈りの功積もり、神慮の御憐れみのしるし。」とぞ喜びける。「げにや、『九層の台は累土より起こり、千里の行は一歩より始まる。』といふ老子の教へも、功は積もりて終に事をなすものを。」と頼もしくぞ思ひける。「工藤祐経は、切り者にてあるなれば、定めて御供には参り候はんを。見知らん事よ。」と喜び、その日を待ちし心の内、ただ千歳を送るばかりなり。伝へ聞く、北洲の命も千歳の限りを保つなり。それも限りあればにや、繋がぬ日数重なりて、その折節にもなりにけり。
 御伴の人々には、和田、畠山、川越、高坂、江戸、豊島、玉井、小山、宇都宮、山名、里見の人々を始めとして、以上三百五十余騎、花を織り紅葉を重ね、装束ども、綺羅、天を輝かし、陣頭に雲を覆ひ、水干、浄衣、白、直垂、布衣、権勢、辺りを払ひ、行粧、目を驚かす。およそ仲間雑色に至るまで、儀式に色を尽くす。後陣警固の武士は、甲冑を鎧ひ、弓箭を帯する随兵は、上下につがひ、左右の帯刀、二行に並び、御調度掛の人、弓手馬手に相並ぶ。御迎への伶人は、伎楽を調へ、羅綾の袂を翻す。御前の舞人は、鶏婁を撃つて、舞行の踵をそばだつ。君の召さるる御舟には、大船あまた組み合はせ、幔幕を引き、沈の匂ひ、四方に満つ。これや諸仏の弘誓の舟も、かくやと思ひ知られたり。侍どもの乗りける舟、数百艘に及べり。いづれも館を打ちたりけり。無双の武具を立て並べ、静まり返り漕ぎ連れたり。「上代は知らず。末代、かかる見物あらじ。」と貴賤、群集をぞなしける。
 台主、稚児達を引き連れ、船津まで御迎へに参る。舟より社頭までは、四方輿にぞ召されける。御前には祢宜神主、幣帛を大床に捧げ、別当社僧は、経の紐を玉の甍に解き、神楽男は銅拍子を合はせて拝殿に伺候す。しかのみならず、臨時の加役、当座の神楽、朝倉返しの謡物は、拍子の甲乙を調べて、礼奠如在の議を返り申す。神感まことに厳重にして、結縁もまた莫大なり。耳目の及ぶ処、禿筆に暇あらず。高察を仰ぐのみにぞおぼえける。

四 箱王祐経に会ひし事

 かくて箱王、御奉幣の時までも、人一人も連れず、介錯の僧一人相具し、御座所の後ろに隠れ居て、御供の人々を、「彼は誰そ。これはいかに。」と詳しく問ひければ、この僧、鎌倉の案内者にて、大名小名の名、よく知りたれば教へけり。されども未だ祐経をば明かさず。「あはれ、問はばや。」と思へども、「怪しく思はれじ。」とて、残りの人を問ひ廻す。「君の左の一の座は誰そ。」「彼こそ秩父重忠よ。」「右の一の座はいかに。」「これぞ三浦義盛よ。」「さてその次は誰人ぞ。」「里見源太といふ人よ。」「さてその次は。」「豊島冠者といふ人なれ。」「只今の、もの仰せられしは誰やらん。」「これこそは、当時聞こゆる梶原平三景時とて、侍どもの鬼神に思ふ者よ。」「また馬手の方に少し引きのきて、半装束の数珠持ちて、香の直垂着たるは、いかなる人にてあるやらん。」「彼こそ御分達の一門、伊東の主、工藤左衛門祐経よ。御分の父、河津殿とはいとこなり。御前さらぬ切り者。」とぞ教へける。
 「さては、それにてありけるよ。この事、思ひ寄りて言ふやらん。知りぬれども何事かあらんと、思ひこなして言ふやらん。」と、いつしか胸うち騒ぎ、思ひ寄らざるやうにて、「この者は、よき男にてありけるや。三十二、三にぞなるらん。みづからが父にや似たる。」と問ふ。「少しも似給はず。まさしき兄弟さへ、似たるは少なし。ましていとこに似たる者は無し。年こそ河津殿の討たれ給ひし程なれ、その人のましまさば、四十余りにてあるべし。これより遥かに丈高く、骨太くして、前より見れば胸そり、後ろより見ればうつぶき、脇より見れば四角なる、大の男にてましまししが、馬の上、かち立ち、並ぶ人なし。殊に鹿の上手にて、力の強き事、四、五箇国には並びなき大力なり。されば、相模の国の住人大庭三郎が弟、俣野五郎景久とて、相撲に負けざる大力を、伊豆の奥野の狩場にて、片手を放ちて相撲に三番勝ちてこそ、いとど名を上げ給ひしか。それを最後にて、帰りざまにあへなく討たれ給ひき。大力と申せども、死の道には力及ばず。」とこそ語りけれ。箱王は、父が昔をつくづくと聞きて、今更なる心地して、しのびの涙に咽びけり。
 ややありて、「我、この間祈りし願ひの叶ふにこそあるべし。窺ひ寄りて、便宜よくば一刀刺し、いかにもならん。」と思ひ定めて、「御坊はこれにましませ。法師こそ寄らね、わらんべは近く寄りても苦しからず。山寺に住めばとて、人を見知らぬは無下なり。近く寄りて見知らん。」とて、赤地の錦にて柄鞘巻きたる守り刀を脇にさし隠し、大衆の中を抜け出て、祐経が後ろ近くぞ狙ひ寄りける。祐経も、暫しの冥加やありけん、梶原三郎兵衛を隔てて、箱王を見付けて、「これなるわらんべは、眼ざし、河津三郎に似たるものかな。まことや、『この御山には、伊東が孫のあり。』と聞けば、もし、これにてやあるらん。」と、目を離さず目守りければ、左右なく寄らざりけり。
 祐経、猶よくよく見れば、眼の見返し、顔魂、少しも違ふ処なし。祐経は、念誦果てての後、大衆の中へ立ち入つて、「『伊東入道が孫、この御山に候。』と聞く。いづくの坊に候ぞや。名をば何と申し候ぞ。」と問ひければ、或る僧、申すやう、「御名をば箱王殿と申して、別当の坊にましまし候。」「この頃は里に候か。これに候か。」と問ひければ、「これにこそ。」とて東西を見巡らし、「長絹の直垂に、松に藤を縫うて、萌黄の糸にて菊綴して、こなた向きに立ち給ふこそ。」と教へければ、「さればこそ。」と思ひ、元の座に帰り、箱王を招きければ、「願ふ処。」と喜びて、祐経が膝近く寄り添ひけり。
 左の手にて箱王が刀を押さへ、右の手にては髪をかき撫でて、「あつぱれ、父に似給ふものかな。今まで見奉らざる事の本意なさよ。わ殿は河津殿の子息と聞くは、まことか。兄は男になり給ふか。曽我太郎はいとほしく当たり奉るか。知らざる者の馴れ馴れしく、かやうに申すとばし思ひ給ふな。御分の父、河津殿とはいとこなり。殿原にも親しき者とては、祐経ばかりなり。見奉れば、昔の思ひ出られて、今更哀れに存ずるぞ。急ぎ法師になり、別当を継ぎ給へ。弟子多しと言ふとも、祐経ほどの方人持ちたる人あらじ。便宜を以て上様へも、よきやうに申し、寺門の訴訟あらば、申し達すべし。今より後は、いかなる大事なりとも、心を置かず仰せられよ。叶へて奉るべし。わ殿の兄にも、『かやうに申す。』と伝へ給へ。父にも添はで、いかに頼りなくましますらん。行縢、乗り馬などの用の時は、承るべし。身貧にして他人に交じはらんよりは、親しければ常に訪ひ給へ。まことや、古き言葉に、『貴きは賤しきがそねみ、智者をば愚人が憎む。罪障は千歳に絶えず、報いは千劫に尽きず。』と申し伝へたり。さても見参の初めに、折節、引出物こそなけれ。また空しからんも無念なれ。これを。」とて、懐より赤木の柄に胴金入れたる刀一腰、取り出し、箱王にこそ取らせけれ。
 何となく受け取れども、箱王は涙に咽びけり。「便宜よくば一刀刺さん。」と思へども、眼を放さず、その上、大の男の常に刀に手を置きければ、「なまじひなる事を仕出して、小がひな取られて、人に笑はれじ。」と思ひとどまりぬ。ただ言ふ事とては、「さん候。」とばかりなり。「率爾の見参こそ所存の外なれ。さりながら、喜び入り存じ候。里下りのついでには、わ殿の兄十郎殿とうち連れて、来り候へ。返す返す。」と言ひて立ちにけり。箱王、力及ばずとどまりぬ。
 日暮れければ、「もしや。」と便宜を窺ひけれども、宵のほどは御前に伺候し居れば、夜更けて罷り出づる処を窺ひけれども、庭上に兵、甍をなす。火は貂の眼のやうなれば、かへりて我が身を隠さんと立ち忍ぶ事なれば、人までの事は思ひも寄らず。左衛門尉が宿坊と、御前との間なる石橋のほとりに徘徊し、待ちけれども、端板の蔭に郎等ども立ち囲み、前後左右にありければ、それも叶はず。暁に及ぶまで、心を尽くし狙へども、少しの隙なければ、いたづらに夜を明かす心の内ぞ無残なる。
 次の日は、君御下向の舟に召され、滄海を渡り給ふ。箱王は、船津まで人目隠れに交じはりて、敵の後ろを見送れば、侍ども、思ひ思ひの館舟にて御供申す。箱王は、左衛門が舟の内のみ見送りて、泣くより外の事ぞなき。かの松浦佐世姫が、雲井の舟を見送りて、石と成りけん昔を思ひやられて、空しく坊に帰りけり。その後、いよいよこの事のみ心にかかりて、「一字も忘れじ。」と思ふ経文をもうち捨てて、昼夜権現に参り、「今度こそ空しく候とも、終には我等が手に懸けて、敵を討たせ給へ。」と祈り申すぞ哀れなる。

底本頭注
 一 十郎元服の事
 ・隙行く駒――光陰の過ぎ易き譬へ。
 二 箱王箱根へ上る事
 ・二の宮殿――異父姉。
 三 鎌倉殿箱根御参詣の事
 ・切り者――羽振よき人。
 ・御調度掛――主君の弓箭を特ちて扈従する役。
 四 箱王祐経に遭ひし事
 ・貂の眼――光る譬へ。
 ・端板――内の見苦しきを隠すためのもの。

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校訂者注
 三 鎌倉殿箱根御参詣の事
 ・神慮の御憐れみのしるし――底本、「神慮の御愍にしかじ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・儀式に色を尽くす――底本、「景色に色を尽す」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・礼奠如在の議――底本、「れいはんじよさいの儀」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・神感まことに厳重~禿筆に暇あらず――底本、「しんかんのおこるをけんてうにして、結縁もまた莫大なり。耳目の及ぶ所なり。まうひつに遑あらず」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 四 箱王祐経に遭ひし事
 ・左の手にて箱王が刀を押さへ――底本、「左の手にて箱王が肩を抑へ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・別当を継ぎ給へ――底本、「別当につき給へ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・罪障は千歳に絶えず、報いは千劫に尽きず――底本、「さいじよは千歳に足らず、報は千劫に足らず」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・終には我等が手に懸けて、敵を討たせ給へ――底本、「遂には我が手にかけ給へ」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。