五 眉間尺が事
されば箱王が、親の敵を深く思ひ入りたるにつけて、昔を思ふに、或る大国に楚荘王といふ大王あり。后あまた持ち給ふ中に、とうよう夫人と申す后、御身常々ほとぼりければ、鉄の柱にむつれつつ、御身を冷やし給ひけるが、程なく懐妊し給ひけり。大王、聞き給ひて、「位を譲るべき王子もなかりつるに、誕生なり給はん事よ。」と喜び給ひけれども、三年まで生まれ給はず。大王、不思議に思し召し、博士を召し御尋ねありければ、「まことに君の御宝なり。但し、人にてはあるべからず。」と申す。「何者なるべき。」と心元なくて待ち給ふ処に、博士の申す如く、人にはあらで、鉄の丸かせを二つ生み給ひけり。大王、これを取りて、莫耶を召し、剣に作らせ給ひければ、光、世に超え、しるしあらたなる名剣にてありけり。大王、賞玩し、昼夜御身を離し給ふ事なし。
しかるにこの剣、常に汗をぞかきける。「不思議なり。」とて、また博士を召し占はせ給ふ。勘文にて申し上げけるは、「過ぎにし金は、雌剣雄剣とて、剣二つ作りしが、これ夫婦なり。雄剣ばかり参らせて、雌剣を隠す故に、妻を恋ひて汗をかき給ふ。これを召して添へて置かるべし。」と奏聞申しければ、即ちその鍛冶を召されけり。鍛冶、家を出づるとて、妻女に会ひて申しけるは、「我が隠し置きたる剣を尋ね給ふべきにぞ召さるらん。取り出すまじければ、定めて責め殺されなん。かの剣は、南山のそこ元に埋み置きたり。我が三歳の男子、成人の後、掘り出して取らせよ。」と言ひ置きて、王宮へ参りぬ。案の如く、今一つの剣の行方を尋ね給ふ。知らざる由、陳じ申しければ、拷問の後、終に責め殺されにけり。
さて鍛冶の子、二十一歳にして、母の教へに従ひ、かの剣を掘り出して持ちけり。されども王威を恐れて、里へは出ず、山に隠れ居たりけるが、或る時、君王の夢に、「眉の間一尺ある者来り、我を殺すべし。その名を眉間尺と言ふ。」と見えたり。王、この夢に恐れて、「かやうの者あらば、搦めて参らせよ。」と、国々に宣旨を下さる。「勲功は請ふによるべし。」とぞ聞こえし。ここに伯仲といふ者、眉間尺が元に行き、「汝が首、多くの功に仰せ触れられたり。しかるに、汝がために君王は、まさしき親の敵ぞかし。さぞ討ちたく思ふらん。我がためにもまた重き敵なり。おのれが首を斬りて我に貸せ。件の剣、共に持ちて行き、大王に近付き、討たん事、易かるべし。されば、御分が首を借りて本意を遂ぐるに於いては、我とても遅速の命、王のために失ひなん。」と申しければ、眉間尺聞きて、「父の敵討たんに於きては、我が命、何か惜しかるべき。構へて。」と言ひて、みづから首をかき落として出しけり。されども件の剣の先を食ひ切りて、口に含み持ちけり。
伯仲は剣に取り添へ、王宮に捧ぐ。大臣に見せられければ、「夢に違はず、眉の間一尺ある首。また剣も、我が持ちたる剣に、つゆも違はず。」とて君王、喜び給ふ事限りなし。されどもこの首の勢ひ、未だ尽きず、眼を見開きたり。大王、いよいよ恐れ給ひて、「さらば釜に入れて煮よ。」とて、大きなる釜にこの首を入れて、三七日ぞ煮たりける。しかれどもなほ眼を塞がず、あざ笑ひてありければ、その時伯仲、申すやう、「これは、大王の御敵なれば、帝を見奉らんとの執心により、勢ひ残るとおぼえ候。何かは苦しく候べき。一眼見えさせ給ひて、彼が念をも晴らさせ給へかし。」と申したりければ、君王、聞こし召し、「さらば。」とて、端近く出させ給ひて、釜のほとりに近付き給ふ。
その時、眉間尺が首、口に含み置きし剣の先を、王に吹きかけければ、即ち大王に飛び付き、首を打ち落とす。伯仲、走り寄り、大王の頭を取り、眉間尺が煮らるる釜の内へ投げ入れたり。王の首も勢ひ劣らず、眉間尺が首と食ひ合ひけり。その時伯仲、山にて約束せし事なれば、「我も大王に野心深し。このためぞかし。」と言ひも果てず、我が首をかき斬り、釜の中へ投げ入れたり。この三つの首、釜の中にて一日一夜ぞ食ひ合ひける。終に王の首、負けにけり。その後二つの首も、威勢、衰へにけり。執心の程ぞ恐ろしき。さて、この三つの首を三つの塚に築き込めて、三王の三塚とて、今にありとぞ伝へける。
今の箱王も、未だ幼き者なれども、親の敵に心をかけ、昼夜忘れぬ志、これにも劣らじとぞ見えける。これや文選の言葉に、「流れ長じては則ち尽き難く、願ひ深くしては則ち朽ち難し。」と見えたり。されば、「この人々の成長の末、さこそ。」と言はぬはなかりけり。
六 箱王曽我へ下りし事
さる程に、歳月過ぎ行きければ、十七にぞなりにける。或る時別当、箱王を近付けて、「御分は、はや十七になり給へば、上洛し、受戒をし給ふべきなれば、垂髪にて上り給はば、物々しく、京出叶ふまじ。それまた大事なり。これにて髪を下ろして上るべし。」と宣ひければ、「身に思ひのあるものを。」と思ひながら、「御計らひ。」とぞ申されける。「さらば。」とて、大衆に触れ、出家の用意ある。母の方へも言ひ下しけり。既に明日と定まりければ、箱王、つくづくと思ひけるは、「法師になりたりとも、折節につけて、この事思ひ思はば、罪深かるべし。一向に思ひ切り、男になりて本意を遂ぐべし。そのみぎりには、後悔するとも叶ふまじ。この事を十郎殿と言ひ合はせて、とにもかくにも定めて。」と案じ、人にも知らせずして只一人、夜に紛れて曽我の里へぞ下りける。「山月、東に昇り、前途を指して、しかも思ひを労す。辺雲、秋すさまじうして、後会を成し難くして、しかも魂を消す。」といふ藤原敦宗が餞別の詩、今更思ひ出られて、曽我の里にぞ着きにける。
十郎が乳母の家に立ち入りて、十郎を呼び出して対面しければ、「いかにしてましますや。明日は一定出家の由、聞きつる間、上りて見奉らんと存ずる処に、下り給ふ事の嬉しさよ。」と言ひければ、箱王聞きて、「のびのびの御心なるべしと思ひつるに、少しも違はず。かやうの事、きはぎはとかねてより御定め候へかし。既に明けなば、事定まるべし。うち延びて道行くべきにあらず。よくぞ参り候ひけるものかな。御左右を待ち参らせなば、空しく髪剃られなん。それにつきては一年、鎌倉殿箱根御参詣の時、祐経御供せしを見初めしより、少しも忘るる暇もなし。たとひ法師になり候とも、この悪念は晴れ候まじ。一念無量劫となる事、今に始めざる事にて候へば、思ひ煩ひて罷り下りて候。定めて御上り候はんと存じ候ひしかども、その儀も候はず。申し合はせてこそ、とにもかくにもなり候はめ。もし又、思し召し捨てさせ給はば、このついでに上洛して、我が山にて髪剃り落とし、肌を墨に染め隠し、足に任せて頭陀乞食して、一期のほど、親の後世懇ろに弔ひ奉るべし。また男になり、御あらましの御事、叶はぬまでも仕るべきか。はやはや是非の返事を承り切るべし。身の浮沈、今に候なり。なまじひに罷り下りて、帰参せんも見苦し。あとにいかばかり騒ぎ候はん。夜も更け行き候。」と責めければ、ややあつて、「祐成が心を見んとて、かやうに宣ふか。烏帽子を着せん事をこそ案ずれ。何しに思案に及ぶべき。」と言ふ
箱王、聞きて、「さほど思し召し定むる事、などやかねてより承り候はぬや。某、罷り下り候はずは、御左右あるまじきにや。」と言ひければ、十郎、聞きて、「これ、別当も知り給はぬ事あらじ。夜明けて上らんと存じ候ひしに、嬉しくも下り給ひける。」と言ひければ、箱王、申しけるは、「母や師匠の御心に違はん事、いかがすべきなれども、いづ方の御事も、一旦の事とおぼえたり。」と言ひければ、十郎、聞きて、「その咎をば祐成に任せよ。いかにも申し許すべし。」
夜も明けければ、「いざや。」とて馬に乗り、ただ二騎、曽我を出て、北傑へこそ行きにけれ。
底本頭注
五 眉間尺が事
・あらたなる――霊ある。
六 箱王曽我へ下りし事
・垂髪にて云々――童姿にては装束も美しきを要すとなり。
校訂者注
六 箱王曽我へ下りし事
・山月、東に~魂を消す――底本、「山月東に前途を指して、而も思を労ず。辺雲秋冷しくして、後会を同じくして、而も魂を消す」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
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