七 箱王が元服の事

 かくて兄弟の人々は、先々も常に越えてあそぶ所なりければ、時政見参して、「いかに。珍しや。」と色代しければ、十郎、笏取り直し申しけるは、「弟にて候童を、母が箱根へ上せて、法師になさんと仕り候へば、世に武勇にて、学問の名字をも聞かず。あまつさへ、『鹿鳥食はでかなはじ。』と申し候間、『堅固のいたづら者。教へに従はざらん弟子をば、早く父母に返すべき。』といふ言葉につき、里へ追ひ下さるる折を得て、男にならんと仕り候を、母にて候者、曽我太郎など、しきりに制し候間、『親しき三浦の人々、伊東の方ざまにて。』と存じ候へども、『御前にて。』と存じ、相具して参りて候。たとひ道のほとりにて、頭を切りて候とも、『御前にて。』と申し候はば、その身の勘当は候まじ。」と申しければ、「まことに面々の御事、見放し申すべきにあらず。されば、よそにてもあらば無念なるべし。尤も本望なり。時政が子と申さん。」とて、髪を取り上げて烏帽子を着せ、曽我の五郎時致と名乗らせて、鹿毛なる馬の五相逞しきに、白覆輪の鞍置かせ、黒糸の腹巻一領添へて引かれけり。「常に越えてあそび給へ。」「定めて母の心には違ひ給ふべし。」と色代して帰りけり。

八 母の勘当蒙る事

 さても箱根の別当は、箱王が曽我へ下りし事をば知らで、明けければ、「授戒の用意。」とて箱王を尋ねけるに、閨の枕、衾も変はらで、主は見えざりければ、急ぎ曽我へ人を下し、尋ねけれども、「これにもなし。」と答へければ、別当、大きに騒ぎ、方々を尋ね給ふぞ愚かなる。
 その後、十郎は五郎とうち連れて、曽我へ帰り来りぬ。内の者ども見て、「箱王殿を男に成し、十郎殿の連れ立ち参らせてましましたり。」と言ひければ、母、聞きて、「別当の物騒がしく尋ね給ひけるぞや。十郎、昨日より見えざると言ひつるが、弟が法師になるを見んとて、箱根へ上りけるかや。稚児にてよりも悪きやらん。」「男になりたる。」と言ふを、「法師になりたる。」と聞き紛ひ、いつもの所へ出、「これへ。」と宣へども、身の咎により、五郎は左右なく内へも入らざりけり。母、待ちかねて、「急ぎ見ん。」とて障子を開けければ、男になりてぞ居たりける。
 母、思ひの外にて、二目とも見ず障子を引きたて、「これは夢かや、うつつかや。心憂や。今より後、子とも思ふべからず。見もせず、音にも聞かざらん。いづ方へも迷ひ行け。かりそめにも見ゆべからず。何のいみじさに男には成りたるぞや。十郎が有様を羨ましく思ふか。一疋持ちたる馬をだに、毛なだらかに飼はず。一人具したる下人にだに、四季折々に扶持をもせず。明け暮れ見苦しげにて、目も当てられず。世にある人々の子どもを見る時は、『誰にか劣るべき。』と思ふにも、涙の隙はなきぞとよ。思ひ知らずして、物に狂ふか。怨めしや。法師になりぬれば、上臈も下臈も乞食頭陀をしても恥ならず。又、下臈なれども知恵才覚あれば、法師にそしり無し。十郎だにも男に成しし事の悔しくて、『入道せよかし。』と思ひたる処に、口惜しの有様や。『善を見ては喜び、悪を見ては驚け。』とこそ言へ。あはれ、河津殿ほど罪深き人は無し。後世弔ふべき人は、御敵とて滅び果てぬ。たまたま持ちたる子どもさへ、孝養すべき者、一人もなし。まことに末の絶えなば、目の当たりの本領をよそに見んも悲しくて、もしやと思ふ頼みに、兄は男になしたれども、親の後をこそ継がざらめ、名をさへ変へて、『曽我十郎。』なんどと言はるるも口惜しし。一人の子は、父死して後生まれしかば、捨てんとせしを、叔父伊東の九郎養育せしかば、それも平家へ参り給ひて後は、思ひかけざる武蔵守義信、取りて養育して、今は越後の国上といふ山寺にありと聞けども、父をも見ず母にも親しまねば、思ひ出して一遍の念仏を申す事もあらじ。それはただ、他人の如し。
 「『かの子をこそ法師に成して、父の孝養をもさせん。』と思ひしに、かやうになり行く事の悲しさよ。しかも忘るる事はなけれども、心ならずに忍びてこそ過ごせ、今は誰にか後の世をも弔はるべき。あはれ、かかる憂き身の生を替ふる習ひ、昔よりなどやなかるらん。それ、『良薬は口に苦くしてしかも病に利あり。忠言は耳に逆らひてしかも行を利せり。』と申す言葉のあるなるに、よくよく案じても見給へ。」と、泣く泣く口説きければ、五郎、物越しに聞きて泣き居たりけるが、兄の方に帰りて申しけるは、「只今の母の仰せられし事ども、一々にその言はれありとおぼえ候。死し給へる父を悲しみて孝養を致さんとすれば、生きてまします母の不興を蒙る事、これまことに不孝の至りなり。身の罪の程こそ思ひ知られて候へ。あまねく人の知らざる先に、髪を切り候はん。」と申しければ、十郎、言ひけるは、「母の勘当は、かねてより思ひ設けし事なり。さればとて、昨日男になりて、今日また入道するに及ばず。人こそあまた知らずとも、まづ北條殿の思はれん事も軽々しく、且は物狂はしきにも似たり。死生の事にてはあらじ。いざや、いづ方へも行きて慰み候はん。」とて、うち連れてぞ出にける。
 あそぶ所は、三浦介義澄は叔母婿なり。土肥次郎が嫡子の弥太郎も叔母婿なり。平六兵衛はいとこ婿、北條殿は烏帽子親、二宮太郎は姉婿なれば、彼等が元に通ひつつ、二、三日、四、五日づつぞあそびける。たまたま曽我に帰りても、五郎は不孝の身なれば、十郎が元に隠れ居て、母の恋しき折々は、物の隙より見奉れども、我が身は見えじと隠れける。されば、「人界に生まるるとはいへども、白駒の隙を過ぐるに似たり。老少不定の習ひなれば、彼も我も後れ先立つ習ひ、空しかるべきこそ無念なれ。時致も、法師になるべき身の男になりて、母の勘当を蒙るも、この故なり。いかにも疾く急ぎ給へ。」と申しければ、「祐成もさぞと思ひ候へ。さりながら、今一人も語らふべし。」とぞ申しける。

底本頭注
 七 箱王が元服の事
 ・不益――やくざもの。
 八 母の勘当蒙る事
 ・けなだらかに――毛を美しく。
 ・不孝――勘当。

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校訂者注
 七 箱王が元服の事
 ・「御前にて。」と申し候はば――底本、「御前にて申し候はば」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。