九 小次郎語らひ得ざる事

 ここに京の小次郎とて、一腹の兄弟あり。彼は河津殿より先に、京の人に相馴れて儲け給ふ子なり。「彼を呼び寄せて語らはん。」と言ひければ、五郎聞きて、「御計らひこそ大事にて候へ。一腹一姓の兄ならば、いかに臆病に候とも、罪科逃れ難くて同意すべし。彼は別の事なり。いかでか左右なく大事を仰せ出されん。治まり難くおぼえ候。御思案には過ぐべからず候。もし聞き入れずば、悪き事や出で来なん。江南の橘の、江北に移りてからたちと成るも、水土の異なればなり。隔てのあれば、兄弟なりとも心を置くべきものをや。」と言ひければ、十郎聞きて、「さりとも、その儀はあらじ。男と言はるる程の者、一定他人なりとも、うち頼まんに、聞かざる事やあらん。まして一腹の兄弟にて、いかで同心せざるべき。」とて、心次郎を呼びて言ふやう、「かねても大方知り給ひぬらん。この事を思ひ立ちて候。されば、一期の大事これなれば、ただ二人して遂げ難し。三人寄り合ふものならば、易かるべし。」と言ひければ、小次郎、聞きて大きに騒ぎ、「この事、いかが思ひ給ふ。当代、さやうになりては、親の敵、その数ありといへども、勝負を決する事なし。ただ上意を重くして、肩を並べ膝を組む次第なれば、これを恥とも言はずして、所領を持つ折節なり。当時、さやうの事する者は、剛の者とは言はで、痴れ者とこそ申せ。まことに敵を目の当たりに置きて見給ふ事の浅ましくば、京都に上り、いかにもして本所の末座にも連なりて、院内の御見参に入り、冥加あらば御気色を伺ひ、院宣令旨を申し下し、鎌倉殿につけ奉り、敵を本所に召し上せ、記録所にて問答し、敵を負かし、所領を心に任すべし。朝敵と成りては叶ふべからず。古人の言葉にも、『徳を以て人に勝つ者は栄え、力を以て人に勝つ者は終に滅ぶ。』と見えたり。その上、さばかり果報めでたき左衛門尉を、各々の力にて討ち給はん事、叶ふまじ。とどまり給へ。」と言ひ捨ててぞ立ちにける。
 兄弟の人々は、大事をば言ひ聞かせ、言葉にもかけず座敷を蹴立てられ、呆れ果ててぞ居たりける。ややありて五郎、申しけるは、「さればこそ、今はよき事あらじ。日本一の不覚人にてありける者かな。所知荘園の敵ならばこそ、訴訟をも致さめ。不思議の事を言ひつるものかな。金を試みるは火なり。人を試みるは酒なり。かの者は、酒をだに飲みぬれば、何事がな言はんと思ふ者なり。それ大海のほとりの猩々は、酒に著して血を絞られ、蒼海の底の犀は、酒を好みて角を切らるるなり。かやうの理を知りながら、言ひつる事こそ口惜しけれ。一定、母や二宮太郎に言ひつる事とおぼえたり。それならば、曽我殿に語りなん。さあらば母も知り給ふべし。かれこれ以て祐経に知られて、かへつて狙はれん事、疑ひなし。かかる大事こそ候はね。第一、上に聞こし召されては、死罪流罪にも行はれ、身をいたづらにせん事の無念さよ。いざや、この事洩れぬ先に、小次郎が細首うち落とし、九万八千の軍神の血祭にせん。我等がしたるとは、誰か知るべき。」と言ひければ、十郎聞きて、「さればとて、かほどの大事、いかでか洩らすべき。罪の疑ひをば軽くし、功の疑ひをば重くせよ。喜ぶ時はみだりに無功を賞し、怒る時はみだりに無罪を殺す。これは、大きなる誤りなり。仏も深く戒め給ふ。心得べし。」と言ひければ、五郎聞き、「これは、無罪を殺すにては候はず。かかる不覚人、有罪とも重罪とも言葉に立たざる奴をば、急ぎ暇をくれ候べきにて候。」と申しければ、「いかでか他人に『かく。』とは言ふべき。これもただ、我等を『世にあれ。』と思ひてこそ言ひつらめ。さらば口を堅めん。」とて、追ひ付き、「只今申しつる事は、戯れ事なり。まことし顔に人に語り給ふな。もし聞こゆるものならば、ひとへに御辺の所為と存じ、永く怨み奉るべし。返す返す。」と言ひければ、「承る。」とて去りにけり。
 この約束ありながら、小次郎思ひけるは、「よそへ洩らさばこそ悪しからめ。母に見参して、この事を詳しく」語るに、母、聞きもあへず十郎を呼びければ、五郎、先に心得て、「この事とおぼえたり。時致も身を隠し、御供して聞き候はん。」とて、十郎とうち連れて母の所へ来り、物越しに聞けば、母、女房達を遠のけて、泣く泣く宣ひけるは、「まことか。わ殿ばらは、さばかり恐ろしき世の中に、『謀叛起こさん。』と宣ふなるか。わらはや二宮の姉をば、何となれと思ひて、かかる悪事をば思ひ立ち給ふぞ。死したる親のみ親にて、生きたるわらはは親ならずや。箱王が男になるも、わ殿がすかし出してこそ、男には成しつらめ。わ殿、無用の事企てつるものかな。恥は家の病にて、末代まで失せずといへども、事にこそよれ。『世にあらんと思はば、恥を忍びて益を蒙れ。』とこそは申せ。
 「げにや、河津殿の討たれし時、わらは、思ひに堪へかねて言ひし事を聞き、保ち給ふか。一旦はさこそ思ひしか。狩場へうち出給ふに、四、五百騎の中に優れて見えしが、帰りざまに引き換へたりし悲しさに、火にも水にも沈まんと思ひしに、五つや三つになりしを左右の膝に据ゑて、『汝、二十にならざるさきに、親の敵を討ちて見せよ。』と、わらは言ひし時、箱王は聞きも知らず。わ殿言ひつるは、『早く大人しくなりて、父の敵の首をいつか斬らん。』と言ひしこそ、多くの人をば泣かせしか。それを忘れずして、『母が言ひし事なれば。』とて、かやうに思ひ立ち給ふかや。うたてさよ。返す返すもとどまり給へ。この頃は、昔の世にも似ず。平家の世には、伊豆、駿河にて敵討ちたる人も、武蔵、相模、安房、上総へも越えぬれば、日数積もり年隔たりぬれば、さてのみこそあれ。当代には、いささかも悪事をする者は、蝦夷が島へ渡りても、その咎逃れず。また、親しき者までも、その咎逃れ難し。女とても所にも置かれず、幼けれども助かる事なし。かやうにさしも厳しき世の中に、いかで悪事を思ひ立ち給ふぞ。
 「汝等、十一、九つになりし時、『祖父伊東の御敵の末。』とて召し出され、既に斬らるべかりしを、畠山殿、『自然の事あらば懸かり申すべし。』とて申し預かり、命どもを助けられしぞかし。数ならぬわらはが事は、さて置きぬ。重忠の大事をば、いかがし給ふべき。わらはが生きたらん程は眼を塞ぎ、恥をもよそにしてましませ。心憂き目を見せ給ふな。殿ばらを今までありつけざるこそ心に懸かり候へども、何事も思ふやうにあらねばぞとよ。わらはが身にては憚りあれども、男は、思はしき者にだに逢へば、さやうの詮なき心は失するぞや。あはれ、父だにましまさば、わらはに心は尽くさせじ。いかなる人の婿にもなり、思ひとどまりて念仏をも申し、父にも廻向し、わらはをも助けよ。論語に曰く、『極めて衰ふる時は、必ずまた盛んなる時あり。』と申すに、などや方々の、さのみ申す事の叶はざらん悲しさよ。箱王は、いかに『男にならん。』と言ふとも、御辺のとどめんに、左右なく男には成るべからず。あはれ、げにかなはぬ事なれども、わらは死して、父だに生きてましまさば、いかなる不思議を思ひ立つとも、父の命をば背かじ。二宮の女、いかなる事を思ひ立つとも、わらはがうち口説き言はんに、などかは聞かで候べき。男子のために、母親は何にも足らず。」とて、さめざめと泣き給ふぞ哀れなる。
 十郎、流るる涙を直垂の袖にて押しとどめ、謹んでぞ居たりける。ややありて母、宣ひけるは、「この事を小次郎、大きに驚き、『制せさせん。』とて聞かせたるぞ。さればとて、小次郎を怨み給ふな。『人に知らすな。』とて、みづからが口を固めつるぞ。『これ程の大事を左右なく語り申せば、この殿ばら、帰り聞きては悪しざまに思ひ候はんずらめども、人々の祖父こそあらめ、さのみ末々まで絶やさん事、不憫なりと思し召され、君より御尋ねありて、先祖の所領を安堵するか、しからずば、別の御恩を蒙り候はば、各々までも面目にて候べし。』と申して立ちつるぞ。それも、殿ばらを思ひてこそ言ひつらめ。ゆめゆめ憤り給ふべからず。理を枉げて思ひとどまり給へ。」と宣ひければ、十郎、「承りぬ。但しこの事は、何となき戯れに申しつるを、まことし顔に申されつらん不覚さよ。且は、御推量も候へ。当時、我等が姿にて思ひも寄らぬ事。」とて立ちければ、五郎も抜き足して立ちけるが、十郎に申しけるは、「さればこそ申しつれ。小次郎を失ふべかりつるものを、助け置きて、かかる大事を洩らされぬるこそ安からね。心に懸からん事をば、ためらひ候はず、一さうにすべきものを。あはれ、『胸を焼く。』とは、かかる事をや申すべき。今はかなはじ。我等が所為と思はめ。」とて、息つき居たり。
 「さても、『この事思ひとどまるべきやうに、妻子持ちて安堵せよ。』と仰せられつるこそ、耳にとどまりて候へ。寒き者は、珠玉をも貪らで暖からんを思ひ、飢ゑたる者は、千金をも顧みずして一食を必す。身に思ひのあれば、万事を顧みずして、所領所帯も望みなし。思ふ事こそ忙はしく存ずれ。男の心とどむるものは、妻子に過ぎずといへども、我等が討死の後、残りとどまりて山野に交じはらんも不憫なり。また男女の習ひ、若き子一人も出で来たらば、いかがせん。我、法師になるべき身なれども、このためにかやうになりぬれば、定めたる妻持つべからず。遊び者などには、夫の僻事懸かるまではあらじ。されば、手越、黄瀬川のほとりにて、さりぬべき遊君あらば、あそび馴れて通ひ給へ。しかも道のほとりなり。敵を窺ふべき便りもしかるべし。」と申しければ、「さ承り候。さりながら執心、後世のため、しかるべからず。一日も命あらんかぎりは、心静かに念仏申して、後世を願ふべし。我等が命、あるかなきかの如し。今あれば、あるがやうなり。只今も便宜よくば打ち出なん。阿弥陀仏。」と申して過ぎ行きける、心の内こそ無残なれ。

十 大磯の虎思ひ染むる事

 されば、執着身を離れず、恩情尽きずして、大磯の長者の女、虎と言ひて十七歳になりける遊君を、祐成、年頃思ひ染めて、ひそかに三年ぞ通ひける。これや古き言葉に、『写し得たり楊妃湯後のえくぼ、模し成せり任氏汗後の唇。』なんど思ひ出して、折々情けを残しける。五郎も、影の如く時の間も離れずして、諸共に通ひけり。これもただ、「敵をもしや。」と、「便宜を狙はん。」とぞ見えし。志のほど、無残と言ふも余りあり。或る時、敵左衛門尉、伊豆より鎌倉へ参りける折節、曽我兄弟、大磯にありけるが、五郎、見つけて十郎に告げたりけるは、「かやうの便宜を狙はんためにこそ、年頃これへも通ひつれ。砥上が原こそ良き原なれ。いざや、追ひ付き、矢一つ射ん。」とて、弓押し張り矢かき負ひ、馬にうち乗り追ひ付き見れば、江馬小四郎うち連れて、五十騎ばかりにてうち囲み歩ませければ、「左右なく二騎駆け入りて討たん事もかなふまじ。一期の大事にてありければ、仕損じ笑はれんより、ただ何となく通らんと思ふはいかに。」と言ふ。時致も、「かうこそ。」とて、うち連れて通りけり。「これより帰らば、人も『怪し。』と思ふべし。ついでに三浦へ通り候べし。」とて、遥かに引き下がりて歩ませ行く程に、彼は鎌倉へ行きぬ。兄弟は三浦へこそ往きにけれ。

底本頭注
 九 小次郎語らひ得ざる事
 ・本所――本家ともいふ。荘園の本主。
 ・自然の事――もしもの事。
 ・思はしき者――心に叶ふ女。
 ・夫の僻事――夫の罪科に連坐すまじ、となり。

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校訂者注
 九 小次郎語らひ得ざる事
 ・江南の橘の、江北に移りてからたちと成るも――底本、「橘はいほくに生じて枳殻となり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・座敷を蹴立てられ――底本、「座敷を蹴立てられぬ、」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・不覚人にてありける者かな――底本、「不覚人にてありけるもの。」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・死したる親のみ親にて――底本、「死したる親のみにて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・祖父伊東の御敵の末。』とて召し出され――底本、「祖父伊東の御末とて召し出し」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・申し預かり――底本、「預かり申し」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・見せ給ふな。殿ばらを今まで――底本、「見せ給ふな殿原。今迄」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・母親は何にも足らず――底本、「母親は何にも立たず」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・制せさせん――底本、「制させん」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・これ程の大事を左右なく語り申せば――底本、「それ程の大事を左右なく語り申すは」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・五郎も抜き足して立ちけるが――底本、「五郎も足抜きして立ちけるが」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・あはれ、『胸を焼く――底本、「憐み胸を焼く」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・暖からんを思ひ――底本、「暖寒を思ひ」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・写し得たり楊妃湯後のえくぼ、模し成せり任氏汗後の唇――底本、「写し得たり楊妃たうの靨をなし、表せり人民仰ぎたる唇を」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・年頃これへも通ひつれ――底本、「年来これへもつれ通ひ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・三浦へ通り候べし――底本、「三浦へ通り候へ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。