四 三原野の御狩の事

 その日は同じ国の三原野を狩らせらるべきにてぞありし。各々花を折り、出で立ちけるも理なり。日本国に名を知らるる程の侍、参り集ひければ、天下に於いての晴れ、何かはこれに勝るべき。
 既に君、御出ありければ、御供の人々は申すに及ばず、見物の貴賤、野山も揺るぐばかりなり。梶原源太、馬駆け廻し、「誰もおろかはあるまじけれども、『今日の御狩に、御前に於いて功名の人は、勧賞あるべし。忠節を励ませ。』との御諚。」とて馳せ巡る体の美々しさ、辺りを払ひてぞ見えし。近年狩らざる野なりければ、鹿、数を尽くす。老若、家を忘れて、我も我もと君の御見参に参る。その日の午の刻に、また空、にはかに曇り、雷鳴つて雨やうやうこぼれ、笠を潤す。大将殿、景季を召して、「昨日、浅間野の雨はさて置きぬ。また三原の雨こそ無念なれば、歌一首。」と仰せ下されければ、源太、取りあへず。
  きのふこそあさ間は降らめ今日はまたみはらし給へ夕立の神
と申しければ、鎌倉殿、御感の余りに、碓氷の麓五百余町の所をぞ賜はりける。鳴神もこの歌にや愛でたりけん、則ち雨晴れ、風やみければ、いよいよ「源太が面目、これに如かじ。」とぞ人々申し合はれける。君も、まことに御心よげにわたらせ給ひければ、御前伺候の侍ども、「御まなじりにかからん。」と思はぬ者はなかりけり。
 されども曽我の人々は、君の御前をも知らず、野干に心をも入れず、その人ばかりをぞ尋ねける。雑人に交じはり、馬にも乗らざれば、一日に一度、よそながら見る日もあり。ただ空しくのみぞ日を送りける。
 さても御狩の人々は、日の暮るるをも、時の移るをも知らずして狩りけるに、狐鳴きて、北を指して跳び去りけり。人々、「これをとどめん。」とて、矢筈を取つて追つ駆けたり。君、御覧ぜられ、彼等を召し返して、「秋の野の狐とこそ言へ。夏の野に狐鳴く事、不思議なり。誰か候。歌詠み候へ。」と仰せ下されければ、祐経承つて、「まことに、源太が歌には鳴神も愛でて、雨晴れ候ひぬ。これにも歌あらば苦しかるまじ。誰々も。」と申されければ、大名小名、我も我もと案じ、「詠じて見ん。」とすれども、詠む人なかりけり。ここに武蔵の国の住人愛甲三郎、居丈高になり、浮かべる色見えければ、源太左衛門、「いかさま、愛甲が仕りぬと見えて候。はやはや。」と申しければ、やがて。
  夜ならばこうこうとこそ鳴くべきにあさまに走る昼狐かな
と申しければ、君、聞こし召されて、「神妙に申したり。まことに狐に仰せて吉凶あるべからず。」とて、上野の国松井田といふ所にて、三百町をぞ賜はりける。
 さて、木賊原より伏屋に至るまで、静かに狩りくらし給ひ、まことに聞こゆる名所なり。げにや、所の名にし負ふ、木賊原の夕月は、嵐や磨き出すらん、伏屋に近き軒の山、ありとは見えて見えざるは、もしまた雲や掛かるらん。空澄み渡る折柄や、暮るるも惜しくぞ思し召しける。
 そもそも夏の野に狐の鳴きたるためしにて、昔を思ふに、在五中将業平、「姿よからん女を求めん。」と思ひしに、伏見の山荘より都へ行きけるが、木幡山のほとりにて、由ある女に行き逢ひぬ。とかく言ひ寄りて、語らひ具して往ににけり。かくて暫し日頃経て、うち失せぬ。「いかなる事にか。」と慕へども叶はずして、思ひの余りに、かの女の常に住みける所を見ければ。
  出ていなば心軽しと言ひやせん身のありさまを人の知らねば
と詠み置きて行きけり。「いかなる事やらん。」と思ひて過ぎ行けるほどに、或る夕暮に、古晒色着たる女一人来りて、文を前に置きぬ。取りて見れば、ありし女の文なり。
  今はとて忘れやすらん玉葛面影にのみいとど見えつつ
と書きける。男、やがて返しに。
  思ふ甲斐なき世なりけり年月をあだに契りて我や住まひし
かやうに書きて遣りけるが、なほ怪しくて、使の帰るにつきて、みづから行きて見れば、女の着たりける古晒色、次第に薄くなりて、木幡山の奥に入りぬ。いよいよ怪しくて、続きて分け入り見れば、古き墓の中に塚のありけるに、老いたる狐、集まり居たるが、この文の返り事を見て泣き居たり。ややありて人影のしければ、多かりつる狐ども、即ち女に成りけり。塚と見えつる所は、いみじき家に成り、内より若き女出て、「これへ。」と言ひけり。不思議に思ひながら入りぬ。女、出で合ひ、様々にもてなし、「今宵はこれに。」と言へば、とどまりぬ。女の振舞、有様、つゆほども昔に違はず。夜明けぬれば、女、「我も古里に帰りなん。」と言ふ。「古里とはいづくぞ。」と問へば、「和歌浦より玉津島明神の御使なり。『御有様知らん。』とて来れり。今より後も忍びて来るべし。」とて、かき消すやうに失せにけり。男、帰るさに詠めり。
  別れをば誰か哀れと言はざらん神も宮居は思ひ知れかし
その後も通りけれども、人には知られざりとなん。伊勢物語の秘事を言ふなるをや。

五 那須野の御狩の事

 さて君、宇都宮弥三郎を召して、「信濃の御狩とはいへども、下野の那須野に優る狩座は無し。ついでにかの野を狩らせて御覧ぜん。」と仰せられければ、朝綱承つて、御設けのために暇申して宇都宮へぞ帰りける。烏帽子子の権守が元を拵へて、君を入れ奉る。板鼻の宿より宇都宮へ入らせおはします。かの那須野広ければ、「無勢にては叶ふべからず。」とて、「面々、人を参らせよ。」と触れられければ、仰せに従ひて、和田左衛門、千人参らする。畠山も千人、河越、小山も千人づつ、武田、小笠原五百人、渋谷、糟屋も五百人、土肥、岡崎も五百人、松田、河村三百人。分々に従ひて、東八箇国の侍ども、思ひ思ひに参らせければ、既に数万人に及びけり。那須野広しと申せども、いづくに処ありとは見えざりけり。
 曽我の人々は、勢子の者どもにかき紛れ、人目隠れに廻りけり。されども、よそ目しげみの草の原、分きて知らるる夕風の、誰とも定かに弁へず、青竹おろしの狩場にて、左衛門尉祐経は、二疋連れたる牝鹿に目を懸けて、下りざまに落とせしを、一目見たりしばかりにて、その日も空しく暮れにけり。無念といふも余りあり。

六 朝妻の狩座の事

 御寮は、青竹おろしの館に入り給ひぬ。更闌け夜静かにして、人静まりけれども、御酒宴ありけるに、朝綱、「御気色に参らん。」とて、とりどりの曲どもを申し、御つれづれを慰め奉りけり。
 君、御盃を控へさせ給ひける時、「鹿の音かすかに聞こゆるは、いづくぞ。」と御尋ねありければ、「板鼻のほとり。」と申す。君、聞こし召し、「いにしへの人も、『鹿の音近き秋の山越え』とこそ詠みしに、夏の野に鹿の鳴くこそ不思議なれ。」と仰せ下されければ、朝綱、畏つて申しけるは、「さる事の候。昔、保昌といひし人、丹後の国に下り給ふ。かの国に朝妻とて、日本一の狩座あり。その山の鹿は、夕よりも夜に入れば、山には住まで、渚にくだりて、数を尽くして並び臥す。その隙に山へ勢子を入れて、夜の中に引き廻し、海には舟を浮かべ、暁に及びて広き浜に追ひ出し、思ひ思ひに射取る。海に入るをば櫓櫂にてうち取らんとす。保昌、これを聞き、朝妻に陣を取り、射手を三百人添へ、勢子を山に入れ、明くるを遅しと待ちける処に、夜半ばかりに及び、鹿の声聞こえけり。折節、和泉式部を召し具したりければ、鹿の音を聞きて。
  理やいかでか鹿の鳴かざらん今宵ばかりの命と思へば
と詠みたりければ、保昌、歌の理に賞でて、その日の狩をとどめ給ふ。心なき鹿の思ひを憐みて、道心を起こし給ふ。三百人の郎等まで、道心起こし給ふとなり。これにも猶飽き足らずして、鹿のために六万本の卒塔婆を書き供養し、六百人の僧を請じて、かの菩提を弔ひ給ひけるとかや。それよりして、『朝妻の狩座を末代までとどむべし。』との御判を申し下され、諸共に判形を添へて置かれければ、今に至るまで狩場には成らずと申し伝へたり。されば、この野の鹿も、明日の命をや悲しみて鳴き候らん。」と申しければ、頼朝、聞こし召し、「それは平家の一類にて、かやうの善事をなしけるにや。我、源氏の正統なり。いかでかこれを知らざらん。」とて、その日の御狩をとどめ給ふ。それのみならず、「末代までも、この野に狩をとどむべし。」と、朝綱方へ御判を下されけり。「これ、ひとへ保昌のためしを引かるるにこそ。」と感じ申さぬはなかりけり。「これも殺生を禁じ給ふにや。」と、人々、申し合はれけり。

七 帝釈と阿修羅王戦ひの事

 されば、君の御慈悲の深きを以て、昔を思ふに、天台の釈に曰く、阿修羅王が軍に、帝釈、負け給ひて、須弥山を指して逃げ上り給ふ。この山、険しとは申せども、帝釈の眷属、恒河沙の如く登らんとす。「ここに金翅鳥のかひこ多くして、この戦ひのために踏み殺されぬべし。されば、我等が命は阿修羅王に奪はるとも、いかでか殺生を犯さん。」とて、帝釈、須弥を出て、鉄囲山といふ山にかかり給ふ。阿修羅、これを見て、「かへつて我を追ふぞ。」と心得て逃げければ、その軍に帝釈、勝ち給ふ。これも、殺生を禁じ給ふ故とかや。「この君も、鹿の命を憐れみ、狩座をとどめ給ふ。いかでかその徳なかるべき。」とぞ申しける。

底本頭注
 四 三原野の御狩の事
 ・花を折り――美装して。
 ・ありとは見えて――新古今集坂上是則。その原や伏屋に生ふるははき木のありとは見えて逢はぬ君かな。
 ・この條、伊勢物語中の贈答歌を取りて仮作せり。
 六 朝妻の狩座の事
 ・御寮――頼朝の事。
 七 帝釈と阿修羅王戦の事
 ・恒河沙の如く――恒河は印度の大河。その河の沙の如く多数なる譬へ。
 ・かひこ――卵。

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