八 三浦与一を頼みし事

 明けぬれば、君、鎌倉へ入り給ふ。兄弟の人々も、泣く泣く曽我にぞ帰りける。げにや、日本国の名将軍の近辺にして、ここに忍びかしこに廻り、命を捨て身を惜しまで敵を思ふ心の内、優しと言ふも余りあり。無残なりし嗜みなり。
 また鎌倉殿、梶原を召されて仰せ下されけるは、「侍どもに暇取らすべからず。狩場多しといへども、富士野に優る所なし。ついでに狩らん。」と仰せられければ、景季、この旨披露す。
 曽我の五郎、この事を聞き、兄に申しけるは、「我等が最後こそ近付き候へ。知ろし召され候はずや。国々の侍ども帰さずして、富士野を御狩あるべきにて候なり。長らへて思ふも苦しし。思し召し定め候へ。」と言ひければ、祐成聞きて、「嬉しきものかな。今度は程近ければ、馬一疋づつだにあらば、さし表れて御供申すべし。」時致言ふやう、「つくづく事を案ずるに、隙を求め便宜を窺へばこそ、今まで本意は遂げざれ。今度に於いては一筋に思ひ切り、便宜よくば御前をも恐るべからず。御館をも憚るべからず。夜とも言はず昼とも嫌はず、遠くは射落とし、近くは組んで勝負をせん。身をあるものにせばこそ、隙をも窺ひ所をも嫌はめ。もし仕損ずるものならば、悪霊死霊とも成りて、命を奪ふべし。なまじひなる命生きて、明け暮れ思ふも悲し。『今度出なん後、再び帰るべからず。』と思ひ切りて候は、いかが思し召し候。」祐成聞きて、「仔細にや及ぶ。某も、かくこそ思ひ定めて候へ。」とて、各々、出で立ちけるぞ哀れなる。
 既に鎌倉殿、御出ましましければ、この人々は、三浦の叔母の元へぞ行きにける。ここに、三浦与一といふ者あり。平六兵衛が一腹の兄なり。父は伊東の工藤四郎なり。与一が母は叔母なり。いづ方も親しかりければ、睦びけるも理なり。十郎、弟に言ひけるは、「かの与一を頼みて見ん。さりとも否とは言はじ。」五郎、聞きて、「小次郎にも御懲り候はで。」とは言ひながら、「もしや。」と思ひければ、与一が元に行き、「この程久しく対面せざる」由言ひしかば、「珍し。」とて、酒取り出し勧めけり。盃二、三遍過ぎければ、十郎、近くゐて、「これへ参る事、別の仔細にあらず。大事を申し合はせんためなり。」と言ふ。
 与一、聞きて、「何事なるらん。たとひいかなる大事なりとも、うち頼み仰せられんに、いかでか背き奉るべき。ありのままに。」と言ひければ、十郎、小声になつて、「かねて聞こし召さるらん。我等が身に思ひありとは、皆人知りて候。しかるに敵は大勢にて候に、貧なる童二人して狙へども叶はず。御分、頼まれ給へ。我等三人寄り合ふものならば、いかでか本意を遂げざるべき。親の敵を近く置きて思ふがせん方なさに、『申し合はせん。』とて参りたり。頼まれ給へ。」と言ひければ、与一、暫く案じて、「この事こそふつつと叶ふまじけれ。思ひとどまり給へ。当世は昔にも似ず、さやうの悪事する者は、片時も立ち忍ぶ方なし。されば、親の敵、子の敵、宿世の敵と申せども、討ち取る事難し。ましてやいはん、御供仕りたる者を、狩場にても旅宿にても誤りては、ひとまども落つべきものか。今度は思ひとどまりて、私歩きを狙ひ給へ。その上祐経は、君の御切り者にて、先祖の伊東を安堵するのみならず、荘園を知行する事、数を知らず。『敵あり。』と思ひ、用心厳しかるべし。なまじひなる事仕出し、面々のみならず、母や曽我の太郎を惑ひ者に成し給ふな。理を枉げて思ひとどまり、いかにもして御不審許され奉り、奉公を致し、先祖の伊東に安堵し給へ。面々の有様にて、当御代に敵討たん沙汰をばとどまり給へ。」と、大きに驚き申しければ、十郎聞き、「いとほしの人や。試みんとて言ひつるを、まことし顔に制するぞや。今時、我等が身にては思ひも寄らず。馬持たざれば、狩場も見たからず。ゆめゆめ披露あるべからず。」と、口を固め、立たんとす。
 五郎はたまらぬ男にて、「殊に初めの言葉には似ず。思へば、恐ろしきに辞退し給ふか。史記の言葉をば聞き給はずや。『蛇はわだかまれども、しやうげの方に向き、鷺は太歳の方を背きて巣を開き、燕は戊己に巣をくひ始め、鰈は港に向かひ方違ひす。鹿はぎよく所に向かひて臥し』候なる。かやうの獣だにも、分に従ふ心はあるぞとよ。面ばかりは人に似て、魂は畜生にてあるものかな。」と言ひ捨てて起ちにけり。
 与一は五郎に悪口せられて、「いかにもならばや。」と思ひしが、「我は一人、彼等は二人なり。その上、五郎は聞こゆる大力なり。小腕取られて叶ふべからず。所詮この事、鎌倉殿へ申し上げて、彼等を滅ぼさん事、力もいらで。」と思ひ鎮まりぬ。さて、「彼等、遥かに行きつらん。」と思ふ時、急ぎ馬に鞍置かせうち乗り、鎌倉へこそ参りけれ。この事、兄弟は夢にも知らでぞ居たりける。
 ここに和田義盛は、鎌倉より帰りけるに、手越川にて行き会うたり。与一を見れば、顔の気色変はり、駒の足並速かりければ、義盛、暫く駒を控へ、「いづくへぞ。」と言ふ。与一、物をも言はで駒を速めけるが、ややあつて、「鎌倉へ。」とばかり答ふ。「さても鎌倉には何事の起こり、三浦にはいかなる大事の出で来候へば、それ程にあわて給ふぞや。いづ方の事なりとも、義盛離るべからず。御分また隠すべからず。」とて、与一が馬の手綱を取り、隙なく問ひければ、与一、申す條、「別の仔細にては候はず。曽我の者どもが来り候ひて、『親の敵討たん。』とて義直を頼み候間、『叶ふまじき。』と申して候へば、五郎と申す烏滸の者が、散々に悪口仕り候。当座にいかにもなるべかりしを、彼等は二人、某はただ一人候ひし間、叶はで、かやうの仔細、上へ申し上げて、彼等を失はんため、鎌倉へ急ぎ候。」と言ひければ、和田、これを聞き、暫く物をも言はず。
 ややあつて、「や、殿。与一殿。弓矢取るも取らざるも、男と首を刻まるる者が、『いざや、死にに行かん。』とうち頼まんに、辞退するやからをば、人とは言はで、犬、野干とこそ申せ。なかんづく弓矢の法には、『命は塵芥よりも軽くして、名をば千鈞よりも重くせよ。』とこそ言ふに、侍の命は、今日あれば明日までも頼むべきか。『聞くべし。』とてこそかほどの大事を言ひ聞かせつらめ。しかも親しき仲ぞかし。当たる道理を言ひ聞かせて、言はば領承して、『叶はじ。』と思はば後に辞退するまでぞ。左右なく鼻を突き、あまつさへ、『上へ申さん。』とな。それ程の大事、心に懸くる上、穏便の者にてあればこそ、当座もわ殿が命をば助け置け。『上様へ申し上ぐる。』と聞きては、今一遣りも遣らじ。命惜しくばとどまり給へ。命ありてこそ、京へも鎌倉へも申し給はめ。義盛が若盛りならば、その座にても討つべきぞ。よくよく申し上げて失ひ給へ。君も一旦は、『しかり。』と思し召すとも、親しき者の事、悪しざまに申さんを、『神妙なり。』とて頼もしくは思し召さじ。
 「その上、彼等を失ひ給ふとも、親類多ければ、御身、いかでか安穏なるべき。孔子の言葉に、『善人に交じはれば、蘭麝の窓に入るが如し。そのかんばせ残り、悪人に交じはれば、飽魚の市蔵に入るが如し。臭き事残れる。』と見えたり。御身に於いては、同じ道をも行くべからず。心を返して見給ふべし。朝恩に誇る敵を目の前に置きて、見るも目ざましくてこそ言ひつらめ。この事訴訟申して、いか程の勲功にか預かるべき。武蔵、相模には、この殿ばらの一門ならぬ者や候。かく申す義盛も結ぼるるは、知り給はずや。昔の御代とだに思はば、などや彼等に矢一つとぶらはざるべき。当代なればこそ恐れを成し、敵をばすぐに置きたれ。彼等が心の内、推し測られて哀れなり。」とて、双眼に涙を浮かべければ、義直、つくづくと聞きて、「悪しかりなん。」とや思ひけん、「これも一旦の事にてこそ候へ。この上は、とかくの仔細に及ばず。」とて、駒の手綱を引き返す。その後は、四方山の物語して、三浦へうち連れて帰りけり。
 この事、年頃神仏に申せし感応にや、義盛に助けられぬ。しからずば、いかでかこの事逃るべき。不思議なりし振舞なり。されば、人間は高きも下れるも、五常を旨とし、神明をもつぱらに敬ふべきものをや。

底本頭注
 八 三浦与一を頼みし事
 ・ひとまど――ひとまづ。
 ・しやうげの方――生気の方。吉方。
 ・飽魚――干魚。

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校訂者注
 八 三浦与一を頼みし事
 ・親しき仲ぞかし。当たる道理を言ひ聞かせて、言はば領承して、――底本、「親しき中ぞかし』と、当る道理をいひ聞かせて曰く、『領承して」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。