十 山彦山にての事

 「祐成も送るべし。」とて、馬に鞍置かせ、打ち乗りて、「中村通りに行くべし。大道は馬鞍も見苦し。虎を祐成が思ふとは、皆人知られたり。供の者どもも、甲斐甲斐しからず。」と、打ち連れてこそ送りけれ。
 曽我と中村の境なる、山彦山の峠まで送り来て、十郎、ここに駒を控へ、「今少しも送りたくは候へども、『必ず今朝より出ん。』と定めしかば、定めて五郎も来たらん。名残は尽くべきにあらず。この世にて相見ん事も今ばかりぞ。」と思へば遣る方なくして、涙に咽ぶばかりなり。遠近のたづきも知らぬ山中に、道もさやかに見え分かず。かの松浦佐用姫が、ひれ振る姿は石になり、それは昔の事ぞかし。今の別れの悲しさに、駒近々とうち寄せ、手に手を取り組み、涙に咽ぶばかりなり。
 ややありて、「祐成が心の内、推し量り給へ。これにて年を送るべきにもあらず。ただ一筋に浄土の縁を結ばん。来世を深く頼むぞ。」と、心強くも思ひ切り、控ふる袖を引き分けて、泣く泣く立ち別れけり。げにや、かんかんの床の上には、遥かに契りを千年の鶴に結び、ぢんじやの筵の上には、遠く齢を満劫の亀に帰して契りしかども、逃れぬ別れの道は力及ばず。互に後を返り見、坂中にやすらひて控へたり。幽かに見えし姿も見えずなり行けば、そなたの空のみ返り見る。足曳きの山のかなたの恋しさは、いづれも同じ心にて、うつつともなき涙の袖、夢の如くにうち別れにけり。
 思ひの余りに虎が、馬の口控へたる団三郎に泣く泣く言ひけるは、「祐成を見奉らんも、今ばかりの名残なり。何事も細々と言ひたかりつるを、涙にくれて言ひも尽くさず。取り分き、暇乞ひ給へるに、返事せざりし。心もとなければ、今一度呼び返し奉りて賜び候へ。物一言申さん。」と言ひければ、団三郎、「ただ世の常の出家遁世にてもなし。」とて、さしても騒がざりけるが、なのめならざる互の嘆きを見て哀れに思ひ、急ぎ走り帰り、遥かに行きたりける十郎を呼び返し、元の峠にうち上がり、駒を控へて、「何事ぞ。」と問ひければ、虎は涙に目もくれて、思ひ設けし言の葉も、いつしか今は失せ果てて、鞍の前輪にうちかかり、消え入るやうに見えしかば、十郎、分きて言ふべき言葉もなくて、ただ泣くばかりにてぞありける。
 ややありて、虎は息の下にて言ひけるは、「いつとなく、『さぞ。』と契らぬ夕暮れも、駒の足並み、轡の音のする時は、『もしや。』と思ふ折々の、その人となく過ぎゆけば、その夜は空しく床に臥し、鳥もろともに泣き明かす。枕の上の塵の海、思ひを深くたたへつつ、夕の鐘の響きには、暮るる便りを待ちかねて、乾されぬ袖のそのままに、はかなかりける契りかな。三年の夢は程もなく、別るるうつつに成りにけり。さていつの世に巡り逢ひ、かかる思ひの又もや。」と、声を惜しまず泣き居たり。「祐成、身の上をつくづく思ふに、罪の深きぞ知られたり。幼くして父に後れ、本領だによそに見なし、母一人の育みにて身命を延ぶるといへども、ある甲斐もなし。この三年、御身にだにも相馴れて、飽かぬ別れの悲しさは、嘆きの中の嘆きなり。五欲の無常は春の花、娑婆は仮の宿りなり。秋の紅葉のかつ散りて、草葉にすがる露の身の、後生弔ひて賜び給へ。」とて、東西へうち別れけり。

十一 比叡山始まりの事

 さても我が朝、比叡山の始まりを聞くに、天地既に分かち、国未だ定まらざる時は、人寿二万歳を保ちける。迦葉尊者は西天に出世し給ふ。大聖釈尊は、その教義を受け、都率天に住し給ふ。「我、八相成道の後、遺教流布の地、いづれの所にかあるべき。」と言ふに、「この南閻浮洲を遍く飛行して御覧じけるに、ゑんゑん茫々たる大海の上に、一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易、かくの如く立つ波の声あり。この波とどまらん所、一つの国と成りて、我が仏法を弘め、通達すべき霊地たるべし。」とて、かの十万里の滄海を凌ぎて行くに、葦の葉一つ浮かびたる所に、この波、流れとどまりぬ。今の比叡山の麓、大宮権現のおはします波止土濃これなり。さればにや、「波止まり土濃やかなり。」と書けり。かく御覧じ置きて、釈尊、天に上がり給ふ。されば、葦原の中つ国と申し習はせるは、この一葉の葦の故とかや。「日本、我が朝は葦の葉を表する。」とぞ申し習はせるとぞ聞こえし。
 その後、人寿百歳の時、悉達太子と生じて、八十年の春の頃、頭北面西の時、跋提河の波と消え給ふ。されども仏は、常住にして不滅なりしかば、無縁法界の妙諦を現し給ふなれば、葦の葉の島と成りし中つ国を御覧じける時、鸕鶿草葺不合尊の御代なれば、仏法の妙事を人知らず。ここに、さざ波や滋賀の浦のほとりに釣りをする老翁あり。釈尊、彼に向かひ、「翁、もしこの所の主たらば、この地を我に得させよ。仏法結界の地となすべし。」と宣へば、翁、答へて申さく、「我、人寿六万歳の始めより、この所の主として、この湖の七度まで葦原になりしをも、まさに見たりし翁なり。されば、この地結界となるならば、釣りする所なかるべし。」と深く惜しみ申せば、釈尊、力なくして、「今は寂光土に帰らん。」とし給ふ時に、東方より浄瑠璃世界の薬師如来、忽然と出給ひて、「善きかなや、善きかなや。はやはや仏法を弘め給へ。我、人寿八万歳の始めより、この所の主なれども、老翁、未だ我を知らず。何ぞこの山を惜しみ申すべき。はや仏法を弘め給へ。我もこの山の守護として、共に五々百歳まで仏法を弘むべし。」とて、二仏、東西に去り給ふ。その時の老翁は、今の白髭の大明神にてましましける。東方よりの如来は、中堂の薬師にてぞましましける。
 釈迦、薬師の東西に帰り給ひき。今の十郎と虎が行き別るるには、違ひぬる心なるをや。「蝸牛の角の上、何事をか争ふ。石火の光の内に、この身をや寄せつらん。名残の道、尽くべからず。後世、参り逢はん。」と言ふ中にも、「団三郎が心も恥づかし。」とて、思ひ切りてぞ別れける。虎は峠に手綱控へ、祐成の後ろ姿の隠るるまで見送りける。さてしもあらねば、泣く泣く大磯にぞ帰りける。
 母の元に入りしかば、友の遊君ども、広縁に出て、「思ひ掛けざる今の御入りかな。いつとなき山路の寂しさ、推し量りて。」など戯れけれども、虎は馬より下るると同じく、衣引きかづき打ち臥しぬ。遊君ども集まりて、「何とてこれ程御嘆き候やらん。十郎殿に捨てられおはしますか。」と、様々に慰めけれども、「かく。」と言ふべき事ならねば、只うち臥し泣き居たり。人々討たれての後にこそ、「かく。」とは申し聞かせけれ。
 団三郎申しけるは、「殿も今朝より御出あるべきにて候。急ぎ御暇を申さん。」と言ふ。虎は彼を近く呼び寄せて、「三年が程馴れにし汝にさへ、別れなん事もやあらんと思へば、」とて、袖を顔に押し当て、さめざめと泣きければ、団三郎、返事にも及ばず、涙を流しけり。「昔が今に至るまで、主従の縁、浅からぬ事ぞとよ。構へて思ひ忘るな。二世までも朽ちせぬものぞ。」と言へば、団三郎、暇乞ひて出にけり。「志は二世までも尽きせじ。」とこそおぼえけれ。

十二 仏生国の雨の事

 されば、縁により仏果を得る事を思へば、昔、仏生国に血の雨降りて、国土、紅なり。帝、大きに驚かせ給ひて、博士を召して御尋ねありければ、占かたを引き、申しけるは、「今宵、不思議の子を生む者あり。尋ね出して、遠き島に捨てらるべし。」と申しければ、舎衛城の内に、その夜、子生みし者、千人なり。その中より選び出して見るに、口より焔を吹き出す子を生みたる者あり。即ち、これを人まうとぞ名付けける。「これ、不思議の者。」とて、官人に仰せ付けて、島に捨てけり。しかるに、この人まう、やうやう成人する程に、猛き鬼の姿になりにけり。この島に来る者を、洩らさず取りて食らふ。又、国に罪ある者をこの島に流せば、これをも取りて食らふ。七万二千人までぞ食らひける。その罪、尽くし難し。仏、これを憐れみ給ひて、阿難尊者を使ひ奉りて、善知識達、引導し給ひけるとかや。人まうは、阿難を七度見奉りし結縁に、七度天上に生じて仏果を得たりとなり。かやうの縁を思ふには、彼等が後世も、などや一つ蓮に生ぜざらん。頼もしくぞおぼえし。
 さて、十郎が心の猛き事、四方にも聞こえしかども、さし当たる恩愛の道には迷ふ習ひなり。まことに夏の虫の飛んで火に入り、秋の鹿の笛に心を乱し、身をいたづらになす事、高きも卑しきも、力及ばぬは、この道なり。八つの苦の中にも、愛別離苦と説かれたり。内典外典にも、深く戒め給ふとなり。

十三 嵯峨の釈迦作り奉りし事

 さても五郎、待ち遠なる折節、来りて、「この者を送りて、今まで時を移しぬ。いかに遅しと不思議に思ひ給ひけん。」とぞ申しける。五郎、承り、「昔もさる事の候。釈尊、『御母の報恩経を説き給はむ。』とて、忉利天に上り給ふ時、優填大王、仏を恋ひ悲しませ給へば、帝釈、聞こし召して、毘首羯磨といふ天人を下して、栴檀を以て如来を作らせ給ひけるに、いづれを写したる御姿とも見分け難くぞ作りける。優填王、御喜びの余りに、毘首羯磨をとどめられければ、『我はこれ、善法の大工なり。とどまるべからず。』とて、遂に天に上りぬ。その像を玄奘三蔵、盗み取りて、この国に渡し、多くの衆生を済度し給ふ。今の嵯峨の釈迦、これなり。ましてや人間として、いかでか恩愛を思はざるべき。」十郎、聞きて、「大きに違ふ心かな。優填王は、利益方便の恋なれば、愚痴の凡夫の輪廻の執着と、一つにはあらじ。」と笑ひて、各々、富士野の出で立ちをぞ急ぎける。

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校訂者注
 十 山彦山にての事
 ・秋の紅葉のかつ散りて、草葉にすがる露の身の、後生――底本、「秋の紅葉の風散りて、草葉にすがる露の身、後生」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 十一 比叡山始まりの事
 ・一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易――底本、「一切衆生、四通仏性如来、常住無有変異」。岩波文庫本(1939)本文脚注に従い改めた。
 ・この身をや寄せつらん――底本、「この身を寄せつらん」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・祐成の後ろ姿の隠るるまで――底本、「祐成の後姿の暮るゝまで」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 十三 嵯峨の釈迦作り奉りし事
 ・釈尊、『御母の報恩経を説き給はむ。』とて、忉利天に上り給ふ時、優填大王、仏を恋ひ悲しませ給へば、帝釈、聞こし召して、毘首羯磨といふ天人を下して、栴檀を以て如来を作らせ給ひけるに、いづれを写したる御姿とも見分け難くぞ作りける。優填王、御喜びの余りに――底本、「釈尊母の報恩の為に忉利天に上り給ふ。帝釈聞き給ひて、毘首羯磨といふ天人を下し給ふ。優填王喜びて旃檀にて如来を作り奉り、何を写したる姿とも見えずぞ作りける」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・善法の胎宮なり――底本、「善法の大工なり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・愚痴の凡夫の輪廻の執着と、一つにはあらじ――底本、「愚痴凡夫輪廻の執着なり。一つにあらじ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。