曽我物語
巻第七
一 千草の花見し事
それ、迷ひの前の是非は、是非ともに非なり。夢の中の有無は、有無ともに無なり。されば、我等が身の有様、あればあるが間なり。夢の憂世に何かうつつと定むべき。されば刹那の栄華にも、心を延ぶる理を思へば、無為の快楽に同じ。「いざや、最期の詠めして、暫し思ひを慰まん。」とて、兄弟ともに庭に下りて、植ゑ置きし千草の栄えたるを見るにも、名残ぞ惜しかりける。「心のあらば草も木も、いかでか哀れを知らざるべき。」と、こなたかなたに休らひけり。これによそへて古き歌を見るに。
古里の花の物言ふ世なりせばいかに昔の事を問はまし
今さら思ひ出られて、情けを残し、哀れをかけずといふ事なし。
五郎聞きて、「『草木、心なし。』とは申すべからず。釈迦如来、涅槃に入らせ給ひし時は、心なき植木の枝葉に至るまでも、嘆きの色を表しけり。我等が別れを惜しみ候やらん、いかでか知り候べき。」とて、草を分けければ、卯の花のつぼみたるが、一房落ちたりけり。十郎、これを取り上げて、「いかに、見給へ。五郎殿。老少不定の習ひ、今に始めぬ事なれども、老いたる母とどまり、若き我等が先立ち申さん事、これに等しきものを。開きたるはとどまり、つぼみたるは散りたるとや。名にし負ふ忘れ草ならば、名残を思ひてや散りつらん。それは昔、住吉に諸神影向なりける事あり。『御帰りをとどめ奉らん。』とて、この花を植ゑて、忘れ草と名付け給ひけるなり。歌にも。
もみぢては花咲く色を忘れ草ひとあきながらふたまちの頃
その忘れ草は、紫苑とこそ聞きて候へ。」とて、なほ叢に分け入りければ、深見草の盛りと咲きたるを見て、「卯の花は、つぼみてだにも散るに、この花の思ふ事なげに盛りなるや。いかに咲くとも二十日草、盛りも日数あるなれば、花の命も限りあり。あはれ身に知る心かな。」と涙ぐみければ、五郎聞きて、「この草の事は、『花開き落ちて千日同じく、一城の人たぶらかすが如し。』と見えたり。これは、楽府の言葉なり。又、歌にも。
名ばかりは咲かでも色の深見草花咲くならばいかで見てまし」
と口ずさみければ、十郎聞きて、「この歌は、未だ咲かざる時も、『色深き草』とこそ詠みたれ。盛りの花には心や違ふべからん。」と戯れけるにも、哀れを残さぬ言の葉はなかりけり。無残なりし志どもなり。
「さても、我等が思ひ立つ事、母に露程も知らせ奉るべきか。計らひ候へ。」と言ひければ、時致聞いて、「思ひも寄らぬ御事なり。これ程思ひ定めざるさきは知らず。今はいかでか事変じ候べき。その上、人の子が謀叛起こして出候はんに、その親聞きて、『急ぎ死にて、もの思はせよ。』とて、喜ぶ母や候べき。某はただ、『御形見を賜はつて、最期まで身に添へ、こなたよりもまた参らせて罷り出ん。』とこそ存じ候へ。」十郎聞きて、「まことにこの儀、しかるべし。さらば、そのついでに、御分が勘当をも申し許して見ん。」とて、母の方へぞ出たりける。
二 小袖乞の事
十郎、御前に畏り、扇、笏に取り、申しけるは、「奉公を致し、御恩蒙るべき身にては候はねども、末代の物語に、富士野の御狩の御供に思ひ立ちて候。恐れ入りたる申し事にて候へども、御小袖一つ、貸し賜はり候へ。」と申しければ、母聞きて、「『君、臣を使ふに礼を以てし、臣、君に仕ふるに忠を以てす。』と論語の中に候ぞや。何の忠によつてか御感もあるべき。御恩なくば無益なり。あはれ、この度の御供、思ひとどまり給へかし。それをいかにと言ふに、伊東殿の父、奥野の狩場より病付きて帰り、幾程なくて死に給ひぬ。御分の父河津殿、狩場にて討たれ給ひぬ。かかる事どもを思ひ続くるに、狩場ほど憂き所なし。しかも、謀叛の者の末。上にも御許しなきぞかし。又、馬鞍見苦しくて、物を見れば、かへつて人に見らるるものを。思ひとどまりて、親しき人々の方にて慰み給へ。かやうに申せば、小袖惜しむに似たり。よくはなけれども、紋柄面白ければ。」とて、秋の野に草尽くし縫うたる練貫の小袖一つ、取り出して賜びにけり。十郎、畏つて障子の内にて着替へ、我が小袖をば打ち置きて出ぬ。「亡き後の形見に。」とぞ思ひ、置きたりける。
五郎は不孝の身にて、兄が方に空しく泣き居たり。よくよく物を案ずるに、「母の不孝を許されずして死なん事こそ無念なれ。推参して見ばや。生きたる程こそ仰せらるるとも、死して後、悔やみ給はん事、疑ひなし。思ひ切り、申して見ん。」とて、母の方へは出たれども、さすがに内へは入り得ず。広縁に畏り、障子を隔てて、「そも誰が御子にて候はん。時致にも召替の御小袖一つ賜はりて、狩場の晴れに着候はん。」母、聞きて、「誰そや。来りて、『小袖一つ。』と言ふべき子こそ持たね。十郎は只今取りて出ぬ。京の小次郎は、奉公の者なり。二宮の女房は、又かやうに言ふべからず。禅師法師とて、乳の内より捨てし子は、叔父養育して越後にあり。又、箱王とて悪者のありしは、勘当して行方知らず。これはただ、『武蔵相模の若殿ばらの、貧なるわらはを笑はんとて、かく宣ふ。』とおぼえたり。しかも、留守居の体、見苦し。はや門の外へ出候へ。」と、殊の外にぞ宣ひける。
時致、思ひ切りたる事なれば、「その箱王が参りて候。」「それは、誰が許し置きたるぞ。女親とて卑しみ候か。さやうには候まじ。とてもかやうに侮らるる身、七代まで不孝するぞ。対面、思ひも寄らず。」とぞ言はれける。五郎は、許さるる事は叶はずして、結句、「後の世まで。」と深く勘当せられて、前後を失ひ、思ひに忘じ果ててぞ居たりける。
ややありて、小声になりて申しけるは、「かやうの身に罷り成りて、重ねて申し上ぐべき事、上までは恐れにて候へば、女房達、心ある人あらば聞こし召せ。人の親の習ひ、盗みする子は憎からで、縄付くる者を恨むるは、常の親の習ひにて候ぞや。」母、聞きて、「さやうならん者を、わ殿が母にして、わらはがやうなる者をば、親とな思ひそとよ。人の言葉を重くせず言葉を返すは、善き子かとよ。」「御言葉を重くして、御返事を申さじとてこそ、御前の人々には申し候へ。」「さやうに申すは、返り事にては無きか。一念の瞋恚には、具胝劫の善根をたき、刹那の怨害には、無量億劫の苦報を招く。聞けばいよいよ腹ぞ立つ。その座敷、立ち出。」と宣ふ。「恐れながら、普門品をばあそばし候はずや。」「いかなる観音の誓ひにも、『掟を背く者を許し候へ。』とは、説き給はぬぞとよ。」
底本頭注
一 千草の花見し事
・古里の――後拾遺集の歌。
・深見草――牡丹の和名。
・花開き落ちて云々――白楽天の牡丹芳の詩中の「花開花落二十日、一城之人皆如狂」を誤り引けり。
校訂者注
二 小袖乞の事
・縄付くる者を恨むるは――底本、「縄造る者を恨むるは」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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