三 生滅婆羅門の事
「恐れながら、事長く候へども、聞こし召され候へ。昔、天竺に生滅婆羅門といふ人あり。『物の命を千日に千殺して、悪霊に生まれん。』といふ願を起こし、はや九百九十九日に九百九十九人の生き物を殺し、今千日に満ずる日、西山に上りて見れどもなし。曲江に下り、舟に乗り海中に出て、比翼の亀を一つ捕りて害せんとす。母、これを悲しみて、渚に出て見れば、波風高くして、雲、雷電おびただしきその中に、婆羅門、亀を害せんとす。母、これを見て、『その亀放せ。汝が父の命日ぞ。』婆羅門聞きて、『忌日ならば、沙門をこそ供養せめ。』と言ひて、押さへて殺さんとす。亀、涙を流して、『我八十年の後、可不堕地獄、大慈大悲故、畢生安楽国。』とぞ泣きける。母、これを聞き、『汝、亀の言葉、聞き知れりや。』『知らず。』と答ふ。『亀は罪深きものにて、万劫の罪障を経尽くし成仏すべきに、今、剣に従はば、また多劫を経返すべき事の悲しさよ、となり。願はくはその亀を放して、みづからを殺し候へ。』と言ふ。『まことに亀の命に代はり給ふべきにや。』と言ひも果てず、亀を海上に投げ入れ、即ち剣を抜きて母に向かふ時、天神地神もこれを捨て給へば、大地裂け割れて奈落に沈む。母は、猶しも我を殺さんとする子の命を悲しみて、心ならずに母、走り向かひて、婆羅門が髻を取り給へば、即ち頭髪抜けて、母の手にとまり、その身は無間に沈みけり。されども亀を放せし功力によつて仏果を得、法華経の普門品に、婆羅門神と説かれたり。かやうの子をだにも、親は憐れむ習ひにて候ものを。」
母聞きて、「や、殿。それも、母が言ふ事を聞きて、亀を放ちてこそ成仏はし給へ。汝、何とてわらはが教へを聞かざるぞ。」「悪き子を思ふこそ、まことの親の御慈悲にては候へ。又、母の憐れみの深きには、事長く候へども、或る国の王、一人の太子の無き事を嘆き、天に祈りし感応にや、后、懐妊し給ふ。国王の喜び、なのめならず。されども三年まで生まれ給はず。公卿詮議ありて、博士を召して尋ね給ふ。勘文に曰く、『御位は転輪聖王たるべし。但し、御産は平らかなるまじ。』と申す。后、聞き給ひて、『賢王の太子、いかでか空しくすべき。みづからが腹を裂き破りて、王子をつつがなく取り出すべし。』と宣ふ。大王、大きに御嘆きあつて、許し給はず。后、『さらば干死にせん。』とて、食事をとどめ給ひしかば、力なく、大臣に仰せつけて、御腹を裂かれにけり。そのなかばに后、仰せられけるは、『太子の誕生、いかに。』と問はせ給ふ。『御つつがなし。」と申せば、喜び給ふ色見えて、打ち笑みたるまま、御年十九にてはかなく成り給ひぬ。さて、この太子、御位に即き給ひしが、母の御志を悲しみ、御菩提のため、三年胎内にて苦しめ奉りし日数、千日に当てて、千間に御堂を建て給ひけり。今の慈恩寺これなり。日本には西大寺なり。さればにや、后、即ち成仏し給ふ時に、金蓮台を傾け来迎し給ふ。その紫雲になぞらへて、藤を多く植ゑられたり。さてこそ藤の名所には入りたりけれ。母親の慈悲は、かやうに候ひしなり。」
母聞きて、「老いたるみづから、合はぬ教へのむつかしくて、腹をも裂きて死に失せよとな。汝も母と見ず、わらはも子と思はぬぞ。」とて、障子荒らかにたて給ふ。時致は、「この度、許し給はずしては、永劫を経るとも叶ふまじけれ」ば、五郎、うち捨てて。
四 斑足王の事
「仁王経の文をば御覧じ候はずや。昔、天竺に帝一人ましますに、太子おはしき。名をば斑足王と申す。外道羅陀が教訓につきて、『一千人の王の首を取り、塚の神に祭り、その位を奪ひ、大王にならん。』とて、数万の力士を集めて、東西南北、遠国近国の王城に、押し寄せ押し寄せ搦め捕り、既に九百九十九人の王を捕り、『今一人足らで、いかがはせん。』と言ふ。或る外道、教へて曰く、『これより北へ一万里行きて王あり。名をば普明王と言ふ。これを捕りて一千人に足すべし。』と言ふ。やがて力士を差し遣はし、かの王を捕りぬ。今は千人に満ちぬれば、『一度に首を斬らん。』とす。ここに普明王、合掌して曰く、『願はくは我に一日の暇を得させよ。故郷に帰り、三宝を請じ頂戴し、沙門を供養して、闇路の便りにせん。』と言ふ。『易き間の事。』とて、一日の暇をとらす。その時、王宮に帰り、百人の僧を請じて、過去七仏の法より般若波羅蜜を講読せしかば、その第一の僧、普明王のために偈を説く。『劫焼終訖、乾坤洞然、須弥巨海、都為灰煬。』と述べ給ふ。普明王、この文を聞きて、四大十二因縁を得たり。法眼空を悟る。さればにや、斑足王、諸法空の道理を聴聞して、忽ちに悪心を翻して、捕り籠むる千人の王に曰く、『面々の咎にあらず。我、外道に勧められ、悪心を起こす。不思議の至りなり。今は助け奉るべし。急ぎ本国に帰り、般若を修行して、仏道をなし給へ。』即ち道心起こして、無上法忍を得たり、と見えたり。これも、普明王を許してこそ、共に仏果を得給ひしなり。」
母聞きて、「その如く、仏果を請じて多くの人を助くべき汝。などや法師になりて、わらはをば救はぬぞ。まことや、『重きを負ひて道遠ければ、休む事、地を選まず。家貧しくして親老ゆれば、禄を選まずして仕へよ。』とこそ、古き言葉にも見えたれ。何とてわらはが言ふ事を聞かざるぞ。」五郎も、思ひ切りたる事なれば、居直り畏つて、「ただ御慈悲には、御許し候へ。」とのみぞ申し居たりける。
十郎は、我が所にて五郎を待てども、見えざりけり。余りに遅ければ、また母の方へ行きて見たれば、五郎、内までは入り得ず。広縁に泣きしをれて居たり。余りに無残におぼえて、障子を引き明け畏つて、五郎が理をつくづくと聞き居たり。ややありて、「某、兄弟あまた候へども、身の貧なるによつて、所々の住まひ仕る。ただ、あの者一人こそ連れ添ひて候へ。祐成を不憫に思し召され候はば、御慈悲を以て御許し候へかし。御子とても、御身に添ふ者、我等二人ならでは候はぬぞかし。」母聞きて、「『心に合ふ時は、呉越も昆弟たり。合はざる時は、骨肉も敵党たり。智者の敵とは成るとも、愚者の友とは成るべからず。位の高からぬをば嘆かざれ。智恵の深からぬをば嘆くべし。』とは、漢書の言葉ならずや。」十郎承りて、「それは、さる事にては候へども、観経の文を見るに、『諸仏念衆生。衆生不念仏。父母常念子。子不念父母。』と説かれて候。この文を釈すれば、『仏は衆生を思し召さるれども、衆生、仏を思ひ奉らぬ。』とこそ見えて候へ。親として子を思はぬは無きものをや。」
母聞きて、「汝等は、親のよきを申し集むるかや。いで又みづから、子の孝行なる事を言ひて聞かせん。孟宗は雪の中に笋を得、王祥は氷の上に魚を得、くわげんは眼を抜き、をんしやうは耳を焼き、ちそくは足を切る。せんめん舌を抜き、くわそくは歯を施し、くわうふめいは身を温め、をしき子を殺す。これ皆々、孝行のためならずや。『扁鵲も鍼薬を承ぜざる病をば治せず。げんしやう王も善言を聞かざる君をば用ゐず。』とこそ申せ。人の言葉を聴かざる者、何の用にか立つべき。その上、不孝の者をば、同じ道をも行くべからず。急ぎ出よ。」とぞ言ひける。
祐成、重ねて申しけるは、「一旦の御心を背き、法師にならざるは、不孝には似て候へども、父母に志の深き事は、法師によるべからず。僧俗の形にもよらず。『時致、箱根に候ひし時、法華経一部読みおぼえ、父の御ために、はや二百六十部読誦す。毎日六万遍の念仏怠らずして、父に廻向申す。』と承り候へば、大地を戴き給ふ堅牢地神も、地の重き事は候まじ。不孝の者の踏む跡、骨髄に徹りて悲しみ給ふなり。一つは彼の御跡をも弔ひ、一つは御慈悲を以て、祐成に御許し候へかし。父に幼少より後れ、親しき者は、身貧に候へば、目も懸けず。母ならずして誰か憐れみ給ふべきに、かやうに御心強くましませば、立ち寄る蔭もなきままに乞食とならむ事、不憫におぼえ候ぞや。」
あはれ、げに『今を限り。』と申すならば、いかが易かるべきに、申すべき事ならねば、忍びの涙に目もくれて、暫しは物をも言はざりけり。なほも「許す。」と宣はねば、十郎、「怒りて見ばや。」と思ひて、持ちたる扇、さつと開き、大きに目を見出し、「とてもかくても生き甲斐なき冠者。ありても何か益あらん。御前に召し出し、細首打ち落として見参に入れん。」と、大声を出して座敷を立つ。女房達驚き、「いかにや。」とて取り付く袖に引かれて、板敷荒く踏み鳴らし、怒りければ、母も驚きすがり付き、「物に狂ふか。や、殿。身貧にして、思ふ事叶はねばとて、現在の弟の首を斬る事やある。それ程までは思はぬぞ。暫し、や、殿。」とて取り付き給ふ。「事こそよけれ。」と思ひければ、「助け候はん。御許し候へ。」と言ふ。
母、「さらば許す。とどまり候へ。」と宣へば、その時十郎、怒りをとどめて、声を柔らかにし座敷に直り、畏り居たりける。されども忍びの涙の進みければ、とかく物をば言はざりけり。五郎も、恨みの涙を引き替へて、嬉しさの忍びの涙、頻りにして、前後を更に弁へず、ただ慎んでぞ居たりける。
底本頭注
四 斑足王の事
・「地の重き事は」云々――不孝者を載すれば、地神、重きに苦しむなり。
校訂者注
三 生滅婆羅門の事
・母は、猶しも我を殺さんとする子――底本、「母を殺さんとする子」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・今の慈恩寺これなり。日本には西大寺なり――底本、「今のしかん寺是なり。日本には西の寺なり」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
四 斑足王の事
・外道羅陀が教訓につきて――底本、「外道等他の教訓につきて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・法眼空を悟る――底本、「法華無くうを悟る」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
・重きを負ひて道遠ければ、休む事、地を選まず。家貧しくして親老ゆれば、仕ふる事、禄を選まず。――底本、「重きに従つて、道遠ければ、休む事地を選まずして仕へよ」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
コメント