五 母の勘当許さるる事

 ややありて十郎、座敷を立ち、「御許しあるぞ、時致。こなたへ参り候へ。」五郎は、しをるる袖に忍びかね、暫しは出こそかねたりけれ。暫くありて時致、袖打ち払ひ、顔押しのごひ、出ければ、十郎も嬉しく哀れにて、うち傾き居たり。兄弟共に物をも言はず、只さめざめと泣き居たり。
 母、この有様を見て、「げにや、親子の仲ほど哀れなる事なし。年老い身貧にして人数ならぬ、わらはが言葉一つを重くして、泣きしをるる無残さよ。片輪なる子をだにも、親は悲しむ習ひぞかし。いかでか憎かるべき。ただ『よかれ。』と思ふ故なり。」と言ひも分かで、母も涙を流しけり。その後、兄弟の者ども、畏り居たるを、母、つくづくと目守り、いつしかの心地して、「汝、みづからを愚かにや思ひけん。十郎がある所を見るに、『五郎あり。』と言ふ時は心安し。『無し。』と聞けば心もとなくて、わらはも立ちて見るぞとよ。」この三年が程うち添はで、怨めしく悔しく思はれて、つくづくと見るに、直垂の衣紋、袴の着際、烏帽子の座敷に至るまで、父の思ひ出られ、昔に袖ぞしをれける。「さても五郎は箱根にても聞きつらん。十郎はいかにして経文をば知りけるぞや。」祐成、承り、「馬痩せては毛長く、いばふるに力なし。人貧にして智短く、言葉卑し。何によつてか尊くも候べき。」女房達聞きて、「勧学院の雀とかや。」申しければ、母、うち笑みて、「それそれ、酒飲ませよ。」とありければ、種々の肴、盃取り添へて、二人の前にぞ置きたりける。
 母、取り寄せ、呑みて、その盃、十郎呑む。その盃、五郎、三度干して置きければ、その盃、母取り上けて、「三年不孝の事、ただ今許したるしるしに、この盃、思ひ取りにせん。但し、親と師匠に盃さすは、必ず肴の添ふなるぞ。当時鎌倉にては、『秩父の六郎が今様。梶原源太が横笛。』と聞く。されども他人なれば、見もし聞きもせらればこそ。わ殿は箱根にありし時、舞の上手と聞きしなり。忘れずば舞ひ候へかし。」十郎、腰より横笛取り出し、平調に音とり、「いかに、いかに。遅し。」と責めければ、暫し辞退に及びけるを、十郎、囃し立てて待ちければ、五郎、扇開き、かうこそ謡ひて舞うたりけれ。
  君が代は千代にひとたび居る塵の白雲かかる山となるまで
と押し返し押し返し、三遍踏みてぞ舞うたりける。そのまま調子を踏み変へて。
  別れの殊更悲しきは  親の別れと子の嘆き
  夫婦の思ひと兄弟と  いづれを分きて思ふべき
  袖に余れる忍び音を  返してとどむる関もがな
と、二遍ぜめにぞ踏みたりける。母は昔を思ひ出づれば、彼等はさても憂き命、近き限りの涙の露、思はぬよそ目に取りなして、袖の返しに紛らかし、暫し舞うてぞ入りたりける。
 かくて酒も過ぎければ、十郎畏つて、「今度御狩に罷り出、『兄弟が中に、いかなる高名をも仕り、思はずの御恩にも預かり候はば、卒塔婆の一本をも心安く刻み、父聖霊に供へ奉らばや。』と存じ候。」母聞きて、「などやらん、この度の御狩の御供、心もとなくおぼゆるぞや。よき程にも候はば、思ひとどまり給へかし。さりながら、衣装の望みもあれば、小袖惜しむに似たり。それそれ、女房達。」と宣へば、白き唐綾に、鶴の丸所々縫ひたる小袖一つ取り出し、「十郎にも取らせぬるぞ。失はずして返し候へ。十郎は、常に小袖を借りて返さず。これは、曽我殿の見知りたる小袖なり。一度とも見えずは、『また例の子どもに取らせたり。』と思はれんも恥づかしし。小袖をしたためて置くべし。構へて構へて疾く帰り給へ。」とありければ、「承り候。」とて、練貫の着損じたるに脱ぎ更へ、「見苦しく候へども、人に賜び候へ。」とてぞ置きにける。小袖の欲しきにはあらねども、互の形見のかへ衣、袖懐かしく打ち置きけり。
 さても兄弟は座敷を立ちければ、母、見送り、宣ひけるは、「過ぎにし頃、十郎、小袖を借り、再びとも見せず。『いかなる遊び者にも取らせぬるよ。』と思ひしに、さはなくして、弟の五郎に着せけるぞ。また近き頃、大口、直垂仕立てて取らせしを、これも再びとも見せざりしが、『団三郎に着せたり。』と思へば、これをも弟に着せけるぞや。まことに兄弟をば、野の末山の奥にも持つべかりけるものをや。父には幼くして後れ、一人ある母には不孝せられ、貧なれば親しきにも疎くなり、あるか無きかの世になし者、誰やの人か憐れむべき。」とて、涙をはらはらと流し給ひければ、その座にありし女房達、共に袖をぞ濡らしける。
 さて兄弟の人々は、我が方ざまに帰り、小袖を中に置き、「嬉しくも推参しつるものかな。只今許されずしては、多生劫を経るとも叶ふまじ。」「生きて再び帰るべきやうに、『小袖返せ。』と仰せられつるこそ愚かなれ。『何しに返せとは言ひつらん。神ならぬ身の悲しさよ。』と後悔し給はん事、今のやうにおぼえたり。」とて、打ち傾きてぞ泣き居たる。「我等、世にありて、心のままに親の孝養をも致さば、これ程まで思はぬ事もありぬべし。」「この三年こそ不孝の身にては候へ、それさへ恋しく思ひ奉りし折は、或る時は物越しにも見奉りて慰みしに、只今御許しを蒙り、一日だにもなくして出ん事こそ悲しけれ。」「死に給へる父を思ひて、『孝養せん。』とすれば、生き給へる母に物を思はせ奉る。」「されば、我等ほど親に縁なき者は無し。」「後の世まで尽きせぬものは、ただ手跡に過ぎたる形見は無し。いざや、我等一筆づつ、忘れ形見を残さん。」とて、墨磨り流し、かくばかり。
    今日出でて巡り逢はずは小車のこのわのうちに無しと知れ君
  祐成生年二十二。後の世の形見。
とぞ書きける。
    ちちぶ山おろす嵐の激しきに枝散り果ててははいかにせん
  五郎時致生年二十歳。親は一世の契りとは申せども、必ず浄土にては参り逢ふべし。
とこそ書きたりけれ。各々、箱に入れて、「『我等討たれぬ。』と聞き給はば、この所にまろび入りて、臥し沈み給ふべし。いざや、拵へせん。」とて、畳敷き直し、面廊の塵うち払ひ、「まづ見給ふやうに。」とて、さしいりの障子の際にぞ置きたりける。「空しき人をば常の所よりは出さず。我等、死人に同じ。」とて、厩のあれ間より出たりける。最後の文にこそ、かやうの事まで書きにけれ。
 かくて出けるが、「いざや、今一度母を見奉らん。」とて、暇乞ひにぞ出たりける。母、宣ひけるは、「構へて人と諍ひし給ふな。世にある人は、貧なる者をば烏滸がましく思ひ、侮るべし。さやうなりとも咎むべからず。三浦、土肥の人々は、さやうにはあらじ。その人々に交じはり、睦び給へ。心のはやるままに、人のあひつけたる鹿を射給ふべからず。公方の御許しもなきに、弓矢持たずとも出給ふべし。謀叛の者の末とて、咎めらるる事もやあらん。いかにも事過ごし給ふな。年頃憎まれずして養ぜられたる曽我殿に、大事かけて恨み懸け給ふな。」と、細々とぞ教へける。五郎は聞きても色に出さず。十郎は、「かやうの教へも今を限り。」と思ひ、心の色も顕はれて涙ぐみければ、急ぎ座敷を立ちにけり。五郎も、名残に涙を押さへかね、よそ目にもてなし立ちけるが、妻戸の敷居に蹴つまづき、うつ伏しにこそ倒れけれ。されども「人目に漏らさじ。」とて、「色ある小鳥の、東より西の梢伝ひしを目にかけ、思はずの不覚なり。」とて打ち笑ひける。母。これを見給ひて、「今日の道、思ひとどまり候へ。門出悪しし。」とありければ、五郎立ち帰り、「馬に乗る者は墜ち、道行く者は倒る。皆、人ごとの習ひぞかし。さればとて、とどまり候はんには、道行く者も候はじ。」と、打ち連れてこそ出にけれ。
 五郎は、なほ母の名残を慕ひつつ、「今一度。」とや思ひけん、「扇の見苦しく候。」とて帰りにければ、母、これをば夢にも知らずして、「折節、扇こそなけれども。」とて賜びにけり。時致、「これも形見の数。」と思ひ、「母の賜はりけるよ。」と思へば、扇さへ懐かしくて、開きて見れば、霞に雁をぞ書きたりける。折に触れなば夏山の、繁る梢の松の風、五月雨雲の晴れ間より、遠里小野の里続き、我等が道の行く末も、顕はるべきにさはあらで、その色違ふも理なり。「憂き身の上。」と案ずれば、古き歌を思ひ出て。
  同じくは空に霞の関守りて雲路の雁を暫しとどめん
「これは、為世の卿の詠みし歌ぞかし。我等、限りの道を嘆けども、誰ありてとどむる者もなきに、扇、心のあるやらん、『暫し。』といふ言の葉の詠まれたるかな。」
 さても、十郎が供には団三郎なり。五郎が供には鬼王、その他四、五人召し具して打ち出ける有様、母は女房達引き連れ、広縁に立ち出、見送り、さまざまにぞ宣ひける。「直垂の着やう、行縢の引き合はせ、馬の乗り姿、手綱の取りやう、十郎は父に似たれども、器量は遥かの劣りなり。五郎は、烏帽子の座敷、矢の負ひやう、弓の持ちやうに至るまで、穏やかなる体、父には少し似たれども、これも遥かの劣りなり。山寺にて育ちたれども、色黒く下衆しく見ゆる。十郎は里に住みしかども、色白く尋常なり。我が子と思ふ故にや、いづれも清げなる者どもかな。いかなる大将軍といふとも恥づかしからじ。あはれ、世にあらば、誰にか劣るべき。同じくは彼等をば、父もろともに見るならば、いかに嬉しくありなん。」と、さめざめとこそ泣き給ふ。女房達これを見て、「物への御門出に御涙、忌まはし。」と申しければ、「まことに彼等が貧なる出で立ち、すずろなる事ども思ひ連ねられて、袖のみ昔に濡れ候ぞや。げにげに、千秋万歳と栄ゆるべき子どもの門出なり。嬉しくも言ひ出し給ふものかな。この度、御狩より帰りなば、上の御感蒙り、本領悉く安堵して、思ひのままなる帰るさを待つべき。」とてぞ、急ぎ内にぞ入り給ふ。
 後に思ひ合はすれば、「これぞ最後の別れなり。」と、今こそ思ひ知られけれ。哀れなりし次第なり。

底本頭注
 五 母の勘当許さるる事
 ・烏帽子の座敷――座敷にて頭につきたる様なるべし。
 ・勧学院の雀――藤氏の子弟の学問所。「勧学院の雀、蒙求を囀る」といふ諺あり。
 ・君が代は――後拾遺集、大江嘉言の歌。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 五 母の勘当許さるる事
 ・いざや、我等一筆づつ――底本、「今や我等一筆づつ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。