六 李将軍が事
さても鎌倉殿は、相沢が原に御座の由聞こえしかば、この人々も、駒に鞭を添へて急ぎける。道にて十郎言ひけるは、「名残惜しかりつる古里も、一筋に思ひ切りぬれば、心の引きかへて、先へのみ急がれ候ぞや。」時致聞きて、「さん候。思ふほどはうつつ、過ぐれば夢にて候。心のままに本意を遂げ、浮世を夢に成し果てて、早く浄土に生まれつつ、恋しき父、名残惜しかりつる母、かく申す我等まで、一つ蓮の縁とならん。」とて、引つかけ引つかけ打つて行く。ややありて十郎申しけるは、「我等が有様を物に譬ふれば、命々鳥に似たり。それをいかにと言ふに、大唐しくう山に雪深うして、春秋を分かざる山あり。その山に、頭は二つ、胴一つある鳥あり。かの山には青き草なければ、食ふべきものなし。されば、その左の頭、たまたま餌食を求め、『服せん。』とすれば、右の頭、宙にて取りて奪うて食ふ。或る時思ひけるは、『所詮、毒の虫を求め、右の頭を退治せん。』と思ひ、毒の虫を求め、いつもの如く『服せん。』とす。かの頭、また奪うて食ふ。されば、胴一つにてありぬれば、その身もいかでたまるべき。終に空しくなる。その鳥も明け暮れに、右は『左を取らん。』左は『右を取らん。』とせしぞかし。我等も、『敵の手にや懸からん。敵をや手に懸けん。』と思ふ憂き身の長らへて、いつまで物を思はまし。この度は、さりとも。」と申しければ、五郎聞きて、「弱き御譬へを仰せ候ものかな。何によつてか空しく敵の手に懸かり候べき。本意を遂げて後は、知り候はず。それは、ともかくも候ひなん。
「事長くは候へども、昔、大国に李将軍とて、猛く勇める武勇の達者あり。一人の子の無き事、天に祈る憐れみにや、妻女懐妊す。将軍喜ぶ処に、女房言ふやう、『生きたる虎の肝をこそ願ひなれ。』将軍、『易き事。』とて、多くの兵を引き連れ、野辺に出て虎を狩りけるに、かへつて将軍、虎に食はれて失せにき。乗りたりける雲上龍といふ馬、鞍の上空しくして帰りぬ。女房、怪しみて、『将軍、虎に食はれけるや。』と問へば、龍、涙を流し、膝を折り、泣けども叶はず。『我が胎内の子は、父を害する敵なり。生まれ落ちなば、捨てん。』と日数を待つ処に、月日に関守なければ、ほど無く生まれぬ。見れば、男子なり。いつしか捨つべき事を忘れ、取り上げ、名をかうりよくと付けて、もてなしけり。名将軍の子なれば、胎内より、父、虎に食はれけるを安からず思ひ、敵取るべき事をぞ思ひける。
「光陰矢の如し。かうりよく、はや七歳にぞなりにける。或る時、父重代の刀をさし、角のつきたる弓に、神通の鏑矢を取り添へ、厩に下り、父乗りて死にける雲上龍に向かつて曰く、『汝、馬の中の将軍なり。しかるに、父の敵に志深し。父の取られける野辺に、我を具足せよ。』と言ふに、馬、黄なる涙を流して膝を折り、高声にいばへけり。かうりよく、大いに喜びて、かの龍に乗り、馬に任せて行く程に、千里の野辺に出て、七日七夜ぞ尋ねける。八日の夜半に及びて、ある谷間に獣多く集まり居たるその中に、臥したけ一丈余りなる虎の、両眼は日月を並べたるやうにて、紅の舌を振りて臥しければ、肝魂を失ふべきに、さる将軍の子なりければ、『これこそ父の敵よ。』と、矢取つてさしつがひ、よつ引いて放つ。過たず虎の左の眼に射立てたり。少し弱ると見えければ、かうりよく、馬より跳んで下り、腰の刀を抜き、『虎を切らん。』と見ければ、虎にてはなくして、年経たる石の苔むしたるにてぞありける。かやうの志にて、終に敵を討つ。今の世の石竹といふ草、かうりよくが射ける矢なり、とぞ申し伝へたる。されば、『弓取の子は、七歳になれば、親の敵を討つ。』とは、この心なり。志により、石にも矢の立ち候ぞや。歌にも、この心を詠みけるにや。
虎と見て射る矢の石に立つものをなど我が恋のとほらざるべき」
十郎聞きて、「や、殿。歌物語、心得ず。『祐経、いかなる鬼神なりとも、逃さじ。』とこそ思ふぞとよ。『など我が敵、討たであるべき。』と語れかし。」「げにや、折による歌物語、悪しく申すとおぼゆるなり。歌は、ともあれかくもあれ、この度は、敵討たん事、易かるべし。老少不定の習ひなれば、もし我等、敵に先立たば、悪霊ともなりて取るべきものをや。」と戯れつつ、馬に鞭打ち急ぎけり。
七 三井寺の智興大師の事
十郎は、「足柄を越えて行かん。」と言ふ。五郎は、「箱根を越えん。」と言ふ。
「謂はれあり。この三、四年、別当の呼び給へども、男になりける面目なさに、見参に入らず。ついでに打ち寄りて、御目に懸かるべし。『最後の暇をも申さんとて参りたり。』と思し召さば、聖経の一巻も、陀羅尼の一遍なりとも、弔ひ給ふべき善智識なり。その上、師の恩を重くすれば、法に与かるためしあり。近き頃の事にや、園城寺に智興大師とて、めでたき上人わたらせ給ひけり。顕密有験の高僧と聞こえけれども、未だ肉身を離れ給はざりける故に、重病に冒されて、苦痛悩乱、弁へ難し。則ち晴明を呼びて占はせけるに、『定業、限りにて、助かり給ふべからず。但し、多き御弟子の中に、報恩重くし、命を軽くして、師の御命に替はるべき人ましまさば、祭り替へん。』と申す。上人は苦痛のままに、誰とは宣はねども、御目を上げて、御弟子を見廻し給ふ。並び居給ふ御弟子、二百余人あれども、『我、替はらん。』と仰せらるる方、一人も無し。目を互に見合はせ、赤面し給ふ色、顕はれにけり。うたてかりし御事なり。
「ここに証空阿闍梨と申して、十八に成り給ふが、末座より進み出て、『我、法恩の憐れみ、尽くし難し。何としてか報じ奉るべき。我等が命なりとも、替はり奉る身なりせば、喜びの上の喜び、何事かこれに如かんや。はやはや。」とて、墨染の袖をかき合はせ給ひて、晴明が前にひざまづき給ふ。上人聞こし召し、悩める御まなじりに御涙を浮かべさせ給ひて、御顔を振り上げ、本尊の御方を御覧じけるは、証空の命を御惜しみありて、『御身はいかにも。』と思し召さるる御顔ばせ、顕はれたり。これ又、御慈悲の御志とぞ見えける。証空、重ねて申されけるは、『深く思ひ定めて候。変ずべきにも候はず。その上、上人の苦悩を見奉るに、刹那の暇も惜しくこそ候へ。御心に任すべきにあらず。急ぎ法会を行ひ、祭を急がれ候へ。但し、六旬に及びし母を持ちて候。今一度、今生の姿を見見え候ひて、帰り参るべし。暫し待ち給ふべし。」とて、暇乞うてぞ出で給ふ。証空阿闍梨を『哀れ。』と言はぬ者は無し。
「その後、母の元に行き、この事詳しく語り給ふ。母、聞きも果てず、証空の袖に取り付き、『思ひも寄らず。師匠の御恩ばかりにて、母が憐れみをば捨て給ふべきか。御身を残し、みづから先立ちてこそ、順次なるべけれ。思ひも寄らぬためし。』とて、証空の膝に倒れかかり、涙に咽ぶばかりなり。証空は、母の心を取り静めて、『よくよく聞こし召せ。師匠の御恩徳には、何をか譬へて申すべき。はかなき仰せともおぼえて候へ。』『はかなき母が生み置きてこそ、尊き師匠の恩徳をも蒙り給へ。母の恩、大海よりも深しとは、誰やの人か言ひ置きける。』『親は一世、師は三世。浅き憐れみなり。知らせ給ふらん。』『何とて情けはましまさぬぞ。今日の命を知らぬ身の、恥をば誰か隠すべき。叶ふまじ。』とて取り付きたり。『聞き給はずや。浄飯大王の御子、悉多太子は、一人おはします父大王を振り捨て、阿羅々仙人に給仕し給ひしぞかし。』『それは、生きての御別れ。これは、死すべき別れなり。譬へにもなるべからず。』『御言葉の重きとて、只今隠れ給ふ師匠をや、殺し奉るべき。』『まことにみづから、ものならずは、暇を乞ひても何かせん。七生まで不孝するぞ。』と言はれつつ、うちまろび給ひけり。
「かくて証空、進退ここに極まり、『師匠の恩徳を報じ奉らん。』とすれば、母の不孝、永劫にも逃れ難し。身の置き所なかりければ、母の御前にひざまづき、『不孝の仰せ、悲しみても余りあり。奈落の責め、いつをか期せん。この世は仮の宿なり。未来こそまことの住みかにて候。師匠の命に替はり奉らば、御迎へにも参るべし。さあらば、一つ蓮の縁にも、などかはならで候べき。思し召し切り候へ。』とて、名残の袂を引き分くる。母はなほも慕ひかね、『さらば、みづからをも連れて、一つ蓮の縁になし給へや。捨てられて、老いの身の何となるべき。』と、ただ悲しみ給ふ。
「阿闍梨は母をなだめかね、『かやうならんと思ひなば、中々申し出すまじかりつるものを。又は母に暇申さずとも、思ひ定むべかりつる事を、心弱くてかやうに憂き目を見る事よ。惜しみ給ふも理なり。ただ一人ある子なり。一日片時も見奉らぬだに心もとなくて、暇なき行法の間にさへ、心ならず思ひ奉り、見奉る事なく、まみゆる事遅き時は、杖にすがり来り給ひて、前にひざまづき、後ろに立ち、夏は扇を使ひ、冬は暖むるやうにしたため給ふ。これ、しかるべからずと申せども、幾程もなきみづからが、心に任せてくれよ、と仰せられければ、上人も憐れみありて、心に任せよ、と御慈悲あるによつて、片時も離れ給ふ事なし。我また、御憐れみのもだし難さに、隙を計らひ、見奉らん、と通ひしぞかし。げにも、今さら別れ奉りなば、さこそ悲しくましまさめ。』と思へば、涙もせきあへず。『まことに、みづから失せなば、やがても絶え入り給ふべき』志なれば、立つも立たれず、居るも居られず。ただ呆然として、泣くばかりなり。
「なほしも母は、控へたる袂を放さで寄りかかり、泣き沈み給ひければ、袖引き分き難くて、掌を合はせ、『みづからが申す理、よくよく聞こし召し候へ。惜しみ思し召さるる御事、ひが事には存じ候はず。さりながら、かねても申しし如く、この世は夢幻と住みなし給へ。仏と申す事は、外に無し。我が成す胸の内に、明らかなる月輪の曇らぬを、悟りと申す。埋もるるを迷ひと申し候。されば仏は、衆生に善悪隔てなき由、説き置かせおはしますものを、さあらば、親と成り子と成り、師と成り弟子と成る。これ皆、一心の願により、山河大地悉く、阿字の一字にこそ収まりて候へ。』と怒りければ、母、控へたる袖を少し許しける処に、棄恩入無為、信実報恩者の理を、つぶさに説きければ、母、涙を押さへて、『さらば。』とて許しけり。証空は嬉しくて、急ぎ坊に帰りけり。まことに孝行の程、天衆地類も憐れみを成し給ふべきにや。
底本頭注
七 三井寺の智興大師の事
・不孝する――不孝の罪によりて勘当する事。
校訂者注
六 李将軍が事
・祐経、いかなる鬼神なりとも――底本、「祐成如何なる鬼神なりとも」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
七 三井寺の智興大師の事
・証空の命を御惜しみ――底本、「証の命を御惜しみ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・六旬に及びし母――底本、「八旬に余る母」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・心ならず思ひ奉り、見奉る事なく――底本、「心ならず思ひ見奉る事なし」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・来り給ひて、前にひざまづき――底本、「来り給ひて、跪き」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・やがても絶え入り給ふべき――底本、「やがてもだえ入り給ふべき」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・山河大地悉く――底本、「三箇大事悉く」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・信実報恩者――底本、「信実報恩謝」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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