八 泣不動の事
「晴明、『遅し。』と待ちし事なれば、七尺に床をかき、五色の幣を立て並べ、きんせんさんぐ、数の供具、菓子を盛り立て、証空を中に据ゑて、晴明、礼拝恭敬して、珠数さらさらと押し揉み、上は梵天帝釈、四大天王、下は堅牢地神、八大龍王まで勧請して、既に祭文に及びければ、牛王の渡ると見えて、種々のさんせん幣帛、或いは空に舞ひ上がりて舞ひ遊び、或いは壇上を躍り廻る。絵像の大聖不動明王は、利剣を振り給ひければ、その時晴明、座を立つて、珠数を以て証空の頭を撫で、『平等大恵一乗妙典。』と言ひければ、即ち上人の苦悩さめて、証空に移りけり。やがて五体より汗を流し、五臓を破り、骨髄を砕く事、言ふに及ばず。これを見る人、清明が奇特の貴さ、証空の志の有難さに、上下、袖を絞るばかりなり。
「さて、証空の頭より煙立つて、苦痛忍び難かりしかば、年頃頼み奉る絵像の不動明王を睨み奉り、『我が二つなき命、師命に奉ず。召し取らしめ、屍を壇上にとどめん。』と正念に住して、『安養浄刹に迎へ取り給へ。知我心者、即身成仏。あやまち給ふな。』と、一心の願をなしければ、明王、『哀れ。』とや思しけん、絵像の御眼より紅の御涙、はらはらと流させ給ひて、『汝、貴くも法恩を重くして、一人の親を振り捨て、師命に替はる志、褒じても余りあり。我また、いかでか汝が命に替はらざるべき。行者を助くる大聖明王の誓ひ、地蔵薩埵に限らず。受くる処の苦痛を見よ。』と、あらたに霊験顕はれければ、明王の御頂きより、猛火ふすぼり出、五体より汗を流し給ふ。貴しとも忝しとも、言葉にも言ひ難し。即ち証空が苦悩とどまり、智興大師も助かり、証空も誓ひに与かり給ふ事、有難かりしためしなり。されば、三井寺に泣き不動とて、寺の宝のその一つなり。流させ給ひし御涙、紅にして、御胸まで流れかかりて、今にあり、とぞ承る。まことに師匠の恩、かやうにこそ有難きものなれ。
九 鞠子川の事
「箱根を忍び出候ひし時は、権現にも御暇をも申さず。まして師匠に『かく。』とも申さざりし事、今にその恐れ残りておぼえ候。」と申しければ、十郎も、「さこそ。」とて、箱根にぞかかりける。鞠子川を渡りけるが、手綱かいくり申しけるは、「わ殿三つ、祐成五つの年より二十余の今まで、この川を一月に四、五度づつも渡りつらん。いかなる日なれば、今渡り果てん事の悲しさよ。などやらん、いつよりもこの川の水、濁りて候。心もとなし。」と言ひければ、五郎申すやう、「皆人の冥途に赴く時は、物の色変はり候とな。我等が行くべき道、曽我を出づるは、娑婆を別るるにて候。この川は三途の川、湯坂の峠は死出の山、鎌倉殿は閻魔王、御前伺候の侍どもは獄卒、阿傍羅刹、左衛門尉は善知識、箱根の別当は六道能化の地蔵菩薩と念じ奉る。この川の水、色変はると見えて候へ。」とて、駒打ち入れけるが、ややありて、十郎。
五月雨に浅瀬も知らぬ鞠子川波に争ふ我が涙かな
五郎聞きて、歌の心悪しくや思ひけん、行縢鼓打ち鳴らして、かくぞ詠じける。
渡るより深くぞ頼む鞠子川親の敵に逢ふ瀬と思へば
かやうに思ひ連ねて通る所は、阿弥陀の院じゆ、かさま寺、湯本の宿を打ち過ぎ、湯坂の峠に駒を控へ、弓杖突きて申しけるは、「人生まれて三箇国にて果つるとは、理なり。我ら、生まるる所は伊豆の国、育つ所は相模の国、最期所は駿河の国。富士の裾野の露と消えなん不思議さよ。」五郎聞きて、「その最期所が大事にて候ぞ。心得給へ。」と勇むれば、「仰せにや及ぶ。」と宣へども、さすが古里の名残や惜しかりけん、我が古里の方を遥々と眺むれば、ただ雲のみ掛かり、いづくをそことも知らねども、「煙少し見えたるは、もし曽我にてや候らん。」団三郎、これを返り見て、「煙は曽我にて候はず。それより南の黒き森に、雲の掛かりて候こそは、曽我にて候へ。」と申しければ、古き事どもの思ひ出されて、十郎。
曽我林霞な掛けそ今朝ばかり今を限りの道と思へば
とうち眺め、涙ぐみければ、五郎、この有様を見て、「この人に同心しては、はかばかしき事あらじ。勇めばや。」と思ひければ、怒り声に成りて、「殿こそは、大磯、小磯、曽我古里をも眺め給へ。時致に於いては、思ふ事こそ急がはしく候へ。」とて、駒引きのけ駆け出し、二町ばかり駆け通りぬ。十郎、興さめて思ひながら、駒駆け出し追ひ付きけり。五郎、引きさがり口説きけるは、「人界に生を受くる者、誰かは最後の名残、惜しからで候べき。鬼王、団三郎が心をも御恥ぢ候へかし。彼等をば曽我へ帰し候べし。もしこの事叶ひて候はば、申すにや及ぶ。し損ずるものならば、『この人々が、ここにては歌を詠み、かしこにては詩を詠じて、しもたてぬ事。』なんど嘲られんも口惜し。いかばかりとか思し召し候。」と申しければ、「理。」とや思はれけん、その後は歌をも詠まず、横目をもせず打ちける程に、大崩れにこそ着きにけれ。
十 二宮の太郎に逢ひし事
隙行く道を見渡せば、馬乗り、五、六騎出で来る。「誰なるらん。」と十郎見るに、二宮殿とおぼえたり。「いでや、この事、一ばし語らん。」と言ふ。五郎、聞きて、余りの事なれば、返事もせず。ややありて申しけるは、「いかでかやうの大事、婿には知らせ候べき。異姓、他人にては候はずや。いかなる人か、世になき我等が、『死にに行く。』と語らはんに、同意する者や候べき。ただ対面ばかりにて御通り候へ。」十郎聞きて、「御分の心を見んとてこそ。」と雑談し、相近くなりければ、この人々、馬より下り、弓取り直し、色代す。「人々は、いづくへ行き給ふぞや。」「鎌倉殿、富士の御狩と承り、狩場の体、見参らせて、末代の物語と思ひ立ちて、罷り出候。」と申す。義実聞きて、「あはれ、人々の無用の見物かな。馬鞍見苦しくての見物、しかるべからず。これより帰り給へ。某も、『御供。』と仰せられつるを、見苦しさに、『風の心地。』と梶原が方へ申して遣はし候。面々も、只これより帰り給ひて、二宮に逗留し、笠懸など射てあそび給へ。」と申しければ、十郎、「畏り存じ候へども、かやうの事は、重ねて有難き見物と存じ、既に思ひ立ちて候。馬弱くば、山をば牽かせ候べし。帰りには参り、暫くも逗留仕り候べし。設けの肴、御用意候へ。」と申しければ、「この上は、御帰りをこそ待ち申すべし。」とて、馬引き寄せ打ち乗り、東西へ打ち別れにけり。ただ「世の常。」とは思へども、これぞ最後の別れなり。「さても我等討死の後、形見ども、曽我より二宮へも送りなん。その時にこそ、『男子なりせば一みちにならではあるべきに、女の身の悲しさは、その事こそ叶はずとも、せめて道より、など最後の言伝だになかりつるぞ。』と怨み給はん事、さぞあらん。」と思へば、包むその涙、先立ちぬるこそ悲しけれ。
十一 矢立の杉の事
「とても捨つべき命ども、遅速は同じ事ながら、さりぬべき便宜もこそあらめ、一時も急げや。」とて、駒を速めて打つ程に、矢立の杉にぞ着きにける。「この杉と申すは、元は湯本の杉と言ひけるを、一年、九州阿蘇の平権守とて、虎狼の逆臣あり。九国をうち従へて領ずる事、四年なり。軍する事、五十余度なり。度毎に勝てり。その時の齢、七十二歳なり。あまつさへ、『天下を悩まし奉らん。』とて、国を催す聞こえありければ、六孫王の御時、その討手のために、関東の兵を召され、上りしに、この杉の元に下り居て祈りけるは、『九州に下り、権守をうち従へ、難なく都に帰り上り、名を後代に上ぐべくは、一の矢受け取り給へ。』とて、各々射けるに、一人も射損ぜず。さて筑紫に下り、合戦するに、難なくうち勝つて、帰り上りぬ。その時よりして、矢立の杉と申しけり。『門出めでたき杉。』とて、上下旅人、心あるもなきも、この木に上矢を参らせぬは無し。いはんや我等、思ふ処ありて行く者ぞかし。いかでか上矢を参らせざらん。」とて、十郎、一の枝にとどむ。五郎、二の枝にぞ射立てける。何となく射けれども、十郎は宵に討たれ、五郎はあしたに斬られにけり。「この杉の瑞相顕はれて、一二の枝の隔て、不思議なりける次第。」とは、今こそ思ひ合はせけれ。さても兄弟は、駒を速めて打つ程に、箱根の御山にぞ着きにける。
底本頭注
九 鞠子川の事
・この人に云々――十郎と同じ心に悲しみては。
十一 矢立の杉の事
・六孫王――経基。清和の第六子貞純親王の子。源姓を賜はりて人臣となる。
校訂者注
八 泣不動の事
・かやうにこそ有難きものなれ――底本、「かやうにこそありたきものなれ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
十 二宮の太郎に逢ひし事
・一みちにならではあるべきに――底本、「一みちにならで有るべきに」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
十一 矢立の杉の事
・領ずる事、四年なり――底本、「ちやうずる事四年なり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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