曽我物語
巻第八
一 箱根にて暇乞ひの事
そもそも箱根と申すは、関東第一の霊山なり。後ろには高山峨々と連なりて、真如の月影を宿す。前には生死の湖漫々として、波、煩悩の垢をすすげば、無始の罪障も消滅すとおぼえたり。本地文殊師利菩薩、衆生を化度し給へば、有為の都と名付けたり。されば、「一度縁を結ぶ者は、長く悪所に堕とさじ。」と誓ひ給ふ事、頼もしくぞおぼえける。この人々は御前に参り、「帰命頂礼。願はくは、今生にては思ふ敵を討たせ、後世にては共に浄土に迎へ取り給へ。時致、十一よりこの御山に参り、今に至るまで、毎日三巻づつ普門品怠らず読み奉るも、只このためなり。憐れみ給へ。」と念誦して、別当の坊へ行きにけり。
二 同じく別当に逢ふ事
行実、やがて出合ひ給ひて、いにしへ今の物語し給ふ。「男に成り給へばとて、昔に変はりて思ふべきにあらず。御身こそよそがましくし給へ、面々の心中、初めより詳しく知りて候ぞ。哀れにのみこそ思ひ奉れ、いかでか怨み申すべき。人に頼まるる事、在家出家によらず。愚僧も年だに若く候はば、などかは頼りに成らざるべき。」とて、墨染の袖を顔に押し当て、さめざめと泣き給へば、十郎承り、「御意、畏り入り候へども、さらに野心の候はず。」時致も、「その後、やがて罷り上り、男に成りて候おこたりをも、申すべきにて候ひしを、母に不孝せられて候ひぬ。又、恐れをなし奉る故、今に遅なはり候。」別当聞き給ひ、「祈祷は頼もしく思ひ給へ。千騎万騎の方人と思し召せ。」とて、酒取り出し、三々九度進め給ひけり。
三 太刀刀の由来の事
「何を以てか方々の門出祝はん。」とて、鞘巻一腰取り出し、十郎に引かれけり。「この刀と申すは、木曽義仲の三代相伝とて、三つの宝あり。第一に、りうわう造りの長刀、第二に、くもおどしといふ太刀、第三に、この刀なり。名をば微塵と言ふ。通らぬ物なければなり。されば、この三つの宝を秘蔵して持たれたり。御子、清水の御曹司、鎌倉殿の婿に成り給ひて、国の大将軍賜はつて、海道を攻め上り給ひ候由、聞こえければ、『かの宝を祈りのため。』とて、この御山へ参らせらる。宝殿の事は一向、別当の計らひたるによつて、これを御辺に奉る。高名し給へ。」とて引かれけり。
五郎には、兵庫鎖の太刀を一振取り出し、引かれけり。「この太刀と申すは、昔、頼光の御時、大国より武悪大夫といふ莫邪を召し、三箇月に造らせ、一箇月に磨かせ、二尺八寸に打ち出す。秘蔵、並ぶ物なくして持たれけり。或る時、二つの太刀を枕上に立てられし時、俄に雨風吹きて、この太刀を吹き動かしければ、刃風に傍なりける草紙三帖の、紙数七十枚切れたりけり。頼光、てうかと名付けて持たれけり。それより、河内守頼信の元へ譲られぬ。それにての不思議には、この太刀を抜かれければ、四方五たんぎりの虫も、翼も切れ落ちにければ、むしばみとぞ付けられける。
「それより頼義の元へ譲られたり。それにての不思議には、折々御所中震動して、人死し失する事度々なり。或る時頼義、この太刀を枕に立てられしに、例の如く雷電激しくして、御所中騒がし。この太刀、おのれと抜け出て、大地、一丈が底に入り、かかる悪事仕る大蛇の、尾頭九尋ありけるを、四つにこそは切りたりけれ。その後よりぞ、御所中の狼藉もとどまりける。怪しみて跡を尋ねて見給へば、かかる不思議をしたりければ、毒蛇と名付けて持たれたり。
「それよりして八幡殿へ譲られける。それにての不思議には、その頃、宇治の橋姫の、荒れて人を取りけり。或る夕暮に八幡殿、宇治へ参られけるに、人の申すに違はず、川の水浪しきりにして、十八、九ばかりなる美女一人、橋の上に上がりて、八幡殿を馬より抱き下ろし、『川の中へ入れん。』とす。かの太刀、おのれと抜け出て、橋姫の弓手の腕を斬り落とす。力及ばず川の中へ跳び入りぬ。それより狼籍もとどまりけり。しかれば、この太刀を姫斬と名付けて持たれたり。
「それより六條の判官為義の元へ譲られたり。それにての奇特には、この太刀に六寸ばかり勝りたる太刀を添へて置かれたるに、夜に入りぬれば斬り合ひけるを、判官、この由聞き給ひて、『かねてより、やうあるものを。』とて、五夜までこそ立ち添へて置かれけれ。五夜の間、隙なく戦ひ、六夜と申すに、我が寸に勝りたるを安からずや思ひけん、余る六寸を斬り落とす。されば、友切と名付けて持たれたり。
「源氏重代にも伝ふべかりしを、保元の合戦に為義斬られ給ひ、嫡子左馬頭義朝の手へ渡りけるに、『仏法守護の仏。』とて、鞍馬の毘沙門に籠め給ふ。されども、過ぎにし合戦に父を斬り給ひしかば、多聞も受けずや思しけん、合戦に打ち負け、東国指して落ち給ふ。尾張の国知多の郡、野間の内海といふ所にて、相伝の家人鎌田兵衛正清が舅、長田の四郎忠致に討たれ給ひて後、伝ふべき人なかりしに、義朝の末の子、九郎判官殿、未だ牛若殿にて、鞍馬の東光坊の元に学問しておはしけるが、いかにしてか聞き給ひけん、折々毘沙門に参り、『帰命頂礼。願はくは父義朝の太刀、この御山に籠められて候。父の形見に一目見せしめ給へ。』と祈念申されければ、多聞、哀れと思し召しけるにや、『この太刀を下し給ふ。』と夢想を蒙り、喜びの思ひを成し、急ぎ参りて見奉り給へば、御戸開けて、この太刀あり。盗み出して、深く隠し置きて、十三になり給ひける年、相伝の郎等、奥州の秀衡を頼み、商人に伴ひ下り給ひけるに、美濃の国垂井の宿にて、『商人の宝を取らん。』とて、夜討の多く入りたりしかども、起き合ふ者も無かりしに、牛若殿一人起き合ひ、究竟の強者十二人斬りとどめ、八人に手を負うせて、多くの強盗追つ返す。『高名したる太刀なり。』とて、奥州まで秘蔵せられけるに、十九の年、『兵衛佐殿、謀叛起こし給ふ。』と聞こし召し、鎌倉に上り見参に入り、幾程無くして西国の大将軍にて発向せられけるに、『今度の合戦に打ち勝たせ給へ。』とて、この御山へ参らせ給ひて候。
「自然にひが事し出し候ひて、上より御尋ねあらば、『法師が御辺に参らせたる』とあらば、『狼籍なり。』と上より御不審あらん時は、『京に上り、四條の町にて買ひ取りたる』由、申さるべし。御分、男に成り給へば、今は見参に入れたくは無けれども、志を思ひ遣られて、哀れなるぞとよ。祈祷は頼もしく思ひ給へ。この法師が息の通はん程は、明王を責め奉らんに、何の疑ひかあるべき。」と宣ひけり。
時致承つて、「仰せ、忝けれども、更に野心の儀は候はず。御不審の條、尤もにて候へども、恐れ奉つて参らぬなり。狩場より帰りには参るべく候。又は、思し召し合はする事も候ひなん。」とて罷り立ち、さらぬ体にはもてなせども、今を限りなれば、忍びの涙を流しけり。別当も、縁まで立ち出給ひて、遥々見送りつつ、名残惜しくぞ思はれける。
兄弟の人々は、駒に鞭を打ち、急がれける程に、三島近くぞなりにける。
四 三島にて笠懸を射たる事
十郎、道にて申しけるは、「只今、別当の御言葉、ひとへに御託宣とおぼえたり。その上、我等に権現より剣一つづつ、賜はり候上は、今度敵を討たん事、疑ひあるべからず。」と喜びて、三島の大明神の御前にこそ着きにけれ。この人々、畳紙を挟み、七番づつの笠懸を射て、法楽し奉り、敵の事、心のままにぞ祈られける。「まことに、思ふ事叶はずは、我等、敵の手に懸かりて、足柄を東へ再び帰し給ふべからず。南無三島の大明神。」とぞ念じける。皆人は、神や仏に参りては、或いは「寿命長遠。」と祈り、「諸病悉除。」とこそ祈るに、この人々の明け暮れは、「父のために命を召せ。」とのみぞ申しける。無残なりし事どもなり。
かやうの事までも、最後の文に詳しく書きて、富士野より曽我へ返しける。母、見給ひて、「五つや三つより思ひ立ちける。」とも知られけり。
底本頭注
二 同じく別当に逢ふ事
・おこたり――謝罪。
三 太刀刀の由来の事
・莫邪――名工の名。ここは、刀鍛冶の意に用ゐたり。
校訂者注
一 箱根にて暇乞ひの事
・願はくは今生にて…共に浄土に迎へとり給へ――底本、「願はくは浄土に迎へとり給へ」。底本頭注に従い補った。
二 同じく別当に逢ふ事
・昔に変はりて思ふべきにあらず――底本、「昔になりかはりて思ふべきにあらず」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
三 太刀刀の由来の事
・『法師が御辺に…御不審あらん時は――底本、「法師が御辺に奉りて、狼籍なりと御不審あらん時は」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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