五 浮島が原の事

 さても、御寮は浮島が原に御座の由承り、曽我兄弟も急ぎ追つ付き奉りぬ。
 浮島が原を通りけるに、かの原の、昔は海にてありけるに、大国より愛鷹山といふ山、「富士とたけ比べせん。」とて来りけるを、権現、蹴崩し給ひければ、その山、海に浮きて、今の浮島が原に成りにけり。一方は海漫々として、雲、行客の跡を埋み、一方は、横ほり伏せる小夜の中山、宇津の山辺続き、東路分けて遥かなり。或る人、東国に下りけるが、この原にて、「滄波路遠くして雲千里。」といふ詩の上の句を作り、下の句を寄せかねたりける折節、十六歳に成りける娘を連れたりけるが、詩をば作り得ずして。
  路遠く雲居遥けき山中に又とも聞かぬ鳥の声かな
と詠みたりければ、父聞きて、さきの下の句を継ぎけり。「白霧山深うして鳥一声。」といふ詩も、今さら思ひ知られたり。
 その夜は君、浮島が原に御泊りあり。この人々も、「便宜よくば。」と窺ひけれども、用心、隙なかりければ、力なし。その夜もそこにて窺へども、北條殿の警固にて、隙も無し。

六 富士の狩場への事

 御寮は、相沢の御所にましましけるが、梶原源太左衛門を召して仰せ下されけるは、「昨日の狩場より勢子少なくては叶ふまじ。その由、相触れよ。」承つて人々に触れ、射手を揃へけり。まづ武蔵の国には畠山の庄司次郎重忠、三浦の和田左衛門義盛、三浦介義澄。下総の国には千葉の介。甲斐の国には古郡左衛門兼忠、武田の太郎信義。下野の国には宇都宮の弥三郎友綱、横山の藤馬丞。相模の国には松田、河村の人々を先として、以上三百余人なり。若侍には畠山の六郎重保、梶原源太左衛門景季、朝比奈三郎義秀、同じくひこ太郎、御所の太郎、森の五郎、林の四郎、小山の三郎、笠井の六郎、板垣の弥次郎、本間の彦七、渋谷の小五郎、愛甲の三郎を始めとして、四百五十余人なり。総じて、「弓持ち、馬に乗る侍、三百万騎もあるらん。」と見えし。その後、勢子を山へ入れけるに、東は愛鷹の峯をさかひ、西は富士川を際として引き廻されけり。勢子は雲霞の如し。嶺に登り谷に下り、野干を平野に追ひ下し、思ひ思ひに射とどめけり。
 御寮のその日の御装束には、羅綺の重衣の藤松の、風折したる立烏帽子に、狩衣は柳色、大紋の指貫に、熊の皮の行縢、しばうち長に召し、連銭葦毛なる馬の五尺に余りたるに、白鞍置かせ、厚総の鞦掛けてぞ召されける。御剣の役は江戸の太郎、御笠の役は豊島の新五郎、沓の役は小山の五郎、御敷皮は金子の十郎なり。その外、一人当千の兵六、七百人、御馬の廻りと見えたりし。その中に、殊に勝れて見えたりしは、五郎丸なり。萌黄縅の胴丸に一尺八寸の太刀差し、四尺八寸の太刀を佩き、黒金の棒の三人して持ちけるを、もと軽げにつきて、御馬の前にぞ立ちたりける。御陣の左右には、和田、畠山、いづれも鷹をぞ据ゑさせける。馬うち静かにして、また並ぶ人なくぞ見えし。その外、数千騎の出で立ち、花を織り月を招く粧ひ、広き富士野も所なくぞ見えし。かくて、山より鹿ども多く追ひ下ろし、思ひ思ひにとどめて、御寮の御見参にぞ入れにける。畠山の六郎重保、弓手馬手に相付けて、鹿二頭とどむ。宇都宮五頭、一條、板垣五頭、武田、小山の人々も、五頭こそとどめけれ。「その狩場の物数は、この人々。」とぞ聞こえし。
 ここに、葛西の六郎清重、日の暮方に至るまで、鹿一頭もとどめずして、「勢子に洩るる鹿もや。」と、茂み茂みに目を掛けて廻りける。折節、弓手の茂みより、鹿一頭出で来る。「願ふ処。」と見渡せば、矢頃に少し延びたり。鐙に鞭を打ち添へて、下りざまにぞ落としける。既に二、三段切り違へて、弓打ち上げて、「引かん。」とする処に、思はぬ岩石に馬を乗り掛けて、四つ足一つに立てかねて、わななきてこそ立ちたりけれ。下ろすべきやうもなく、進退ここに極まれり。上下万民これを見て、ただ「あれは、あれは。」とぞ申しける。「今は、馬人もろともに、微塵に成る。」とぞ見えたりける。清重、手綱を静かに取り、とねりなしを結び置き、かがみの鞭を打ち添へて、二つ一つの捨て手綱、無手無流に落ち掛かり、放せば後ろに下り立つたり。馬は手綱を捨てられて、真砂に連れて落ちて行く。主は、突きたる弓の本を岩角にえり立て、暫しこらへて立ち直る。諸人、目をこそ澄ましけれ。「乗りたり、下りたり。据ゑたりや、こらへたり。」と、暫しは鳴りも静まらず。君も御感の余りにや、常陸の国小栗の庄、三千七百町下されけり。「時の面目、日の高名、何事かこれに如かん。」と感ぜぬ人こそ無かりけれ。

七 源太と重保が鹿論の事

 かかる処に、上の茂みより鹿一頭出で来り、握原源太控へたる弓手を通りてぞ下りける。景季、「幸ひにや。」と喜びて、鹿矢を打ちつがひ、よつ引き放つ。追つさま、筋かひに首をかけ、つつとぞ射貫きたる。されども、鹿はものともせず、思ふ茂みに跳び下る。二の矢を取つてつがひ、鞭打ち下す処に、臥木に馬を乗り掛けて、足並み乱るる処に、下り立つて馬引つ立つるその隙に、畠山の六郎重保、馳せ並べてよつ引いて放つ。源太が矢目を、はきりまでぞ射ける。源太には、したたかに射られぬ、鹿は少しもはたらかず、二つの矢にてぞとどまりける。重保、馬打ち寄せて見る処に、源太も駆け寄せて、「鹿は景季、とどめて候ぞ。」重保聞いて、「心得ぬ事を宣ふものかな。鹿は、重保が矢一つにてとどめたるものを。誰人か主あるべき。」源太、弓取り直し、あざ笑ひて申すやう、「狩場の法、定まれり。一の矢、二の矢、次第あり。」「矢目は二つもあらばこそ、一二の論もあるべけれ。」「景季もまさしく射つるものを。」とて見れば、げにも矢目は、一つならでは無かりけり。さりながら、押さへて取らるるものならば、時の恥辱に思ひければ、源太、大きに怒りを成し、「勢子の奴ばらはなきか。寄りて、この鹿を取れ。」重保も駒打ち寄せ、「雑人はなきか。重保がとどめたる鹿の皮たて。舁きて取れ。」重保、さらぬ体にて駒駆け廻し、「雑色どもは、など鹿をば取らぬぞ。」と、はや事実なる詰め論なり。
 源太は手綱かいくり、駒打ち寄せて、小声に言ふやう、「恋路に迷ふ隠し文、遣る者こそ主候よ。」重保聞いて、「優しく宣ふ譬へかな。思ひの色の数、読まで空しく返すには、返し得たるぞ主と成る。」源太、打ち笑ひ、「吉野、龍田の花紅葉、誘ふ嵐は主ならずや。」重保聞きて、「言はれずや。誘ふ嵐もそのままに、終に連れても行かばこそ。」と宣ふ。「龍田の河の河波に、散りて流るる花の雪。紅葉の錦渡りなば、中や絶えなん。」「さりながら、流れて止まる所こそ、まことの主と思はるれ。」「げに、故ありて聞こえたり。波にも連れて行かばこそ。かかる井堰も主なるべき。」「井堰もとどめ果てばこそ。流れて止まる湊こそ、まことの主とはおぼえけれ。」源太、この言葉を打ち捨てて、「更け行く月の傾くをも、眺むる者こそ主と成れ。」重保聞きて、高らかに打ち笑ひ、「世界を照らす日月を主と宣ふ。過分なり。」「過分は人によるものを。御分一人に帰すかとよ。」重保、たまらぬ男にて、「一人に帰すか帰せざるか、手並の程を見せん。」とて、既に矢をこそ抜き出す。源太も白まぬ者なれば、「案の内よ。」と言ふままに、既に中差抜き出す。
 梶原が郎等は言ふに及ばず、時の綺羅、並ぶ者なかりしかば、知るも知らぬも押し並べて、梶原方へぞ馳せ寄りける。三浦の人々もこれを見て、「源太に意趣ある上、秩父方は所縁なり。見放すまじ。」とて馳せ寄りける。以下の人々、児玉の人々は、梶原方へぞ与力する。三間、本間の人々は、秩父方へぞ寄せ来る。駿河の国の人々は、梶原方へぞ寄りにける。伊豆の国の人々は、北條殿を先として、秩父方へぞ馳せ寄りける。安房と上総の侍は、二つに割れて寄りにける。常陸、下総の人々は、秩父方へぞ集まりける。八箇国のみにあらず、日本国中に名を知らるる程の侍、魚鱗に重なり、鶴翼に連なりて、ひたひしめきにひしめきけり。畠山殿は、始めより知り給ひしが、いかが思はれけん、知らぬ由にてぞましましける。
 頼朝、これを御覧じて、「あれあれ。義盛、静め候へ。」と仰せ下されければ、和田殿、両陣の間へ馬駆け入れ、「上意にて候ぞ。鹿論の事、互にその理あり。所詮、鹿をば上へ召され候。『両人、御前へ参られよ。』との御諚にて候。」と大音声にて言ひ、その後、勢子を召し、かの鹿を舁かせ、六郎と源太と引き連れ、御前さして参られけり。さてこそ両陣は破れにけれ。危ふかりし事どもなり。
 さればにや、君の御恵み遍く、御憐れみ深くして、事静まりぬ。方々も安穏なるにて、昔を思ふに。

底本頭注
 五 浮島が原の事
 ・滄波路遠く――和漢朗詠、橘直幹の句に、「蒼波路遠雲千里。白霧山深鳥一声。」とあり。娘の詠歌の事は虚構なり。
 六 富士の狩場への事
 ・しばうち長にし――行縢の裾、長々と着たるなり。
 ・とねりなしを云々――とねりなくても動かぬやうに、手綱を結び置くなり
 七 源太と重保が鹿論の事
 ・中や絶えなん――古今集の「龍田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」を引用す。

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校訂者注
 六 富士の狩場への事
 ・畠山の六郎重保――底本、「畠山の次郎重保」。底本頭注に従い改めた。
 ・無手無流に落ち掛かり――底本、「むごんりうに落ちかゝり」。底本頭注及び岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・主は、突きたる弓の本を岩角にえり立て――底本、「かづき弓のもと岩角にえり立て」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 七 源太と重保が鹿論の事
 ・臥木に馬を乗り掛けて――底本、「不思議に馬を乗り掛けて」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・重保が矢一つにてとどめたるものを――底本、「重保が矢一つにてとどめたる鹿を」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・押さへて取らるるものならば――底本、「御前で、取らるゝ者ならば」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・源太に意趣ある上、秩父方は所縁なり――底本、「源太に意趣ある上は、秩父方へは疎遠なり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。