八 燕の国旱魃の事

 大国の燕の国、旱魃する事、三箇年なり。しかれば、草木悉く枯れ失せ、人民多く滅びける上は、鳥獣に至るまで、「生き残るべし。」とは見えざりけり。国王、大きに嘆き給ひて、大法秘法、残さず行ひ、雨を祈られけれども、しるしなし。大王、思ひの余りに諸天に恨み奉りて曰く、「我、生まれてよりこの方、禁戒を犯さず。事をみだりに行ふとも思はず候に、かくの如く日照りして、人の生命少なし。もし我が身にあやまる処あらば、戒め給へかし。」と嘆き申さるれども、そのしるしなし。「今は、身命を民のために捨てんには如かじ。」とて、広き野辺に出、萱を多く集めて、高さ二十丈に積み上げさす。公卿大臣、奇異の思ひをなす処に、国王、臨幸なりて、その萱の上に登り給ひて、「火をつけよ。」と綸言なりければ、臣下、大きに辞して、つくる者なし。その時、大王宣ふ。「もしあやまりて、政、みだりなる事あらば、焼けぬべし。焼くる程の身ならば、命生きても益なし。もし又あやまらずは、天、これを守るべし。」とて、大きに逆鱗ありければ、綸言背き難くして、四方より火をつけければ、猛火、山の如くに燃え上がりて、炎、空に満てり。大王も煙に咽び、前後弁へ難し。既に御衣に火のつきければ、目をふさぎ掌を合はせて、正念に住して、「火坑変成池。」と念じ給ひければ、天、これを憐れみて、大雨、俄に降り下りて、山の如くなりつる猛火を消し、国王も助かり給ひ、人民も命を継ぎ、五穀成就しける、となり。されば、論語に曰く、「過りて改むるに憚る事なかれ。過りて改めざるは、賢、かへりて愚なり。」と見えたり。この文の名を円珠と言へり。まどかなる玉の、盤を走るによそへたるなり。君、御言葉の重き一つにて、多勢の静まりけるにて知られけり。
 曽我の人々は、「あはれ、事の出で来れかし。方人する風情にて、狙ひ寄つて一刀刺さむ。」とばかり思ひけり。かくて日も暮方に成りしかば、「今日を限り。」と、傾く日影を惜しみけり。

九 新田が猪に乗る事

 ここに、伊豆の国の住人、新田の四郎忠常、未だ鹿に逢はずして、落ち来る鹿を相持つ処に、幾年経るとも知らざる猪が、ふし草かく十六つきたるが、主を知らぬ鹿矢ども、四つ五つ立つたりしが、大きに猛つて駆け廻る。譬へば、養由が術、きよりくわうが神変も、及ぶべしとは見えざりけり。近づく者を猛れば、落ち合ふ者もなくして、いたづらに中を開けてぞ通しける。
 忠常、これを「幸ひ。」と駆け寄せけり。御前近うなりければ、「よしや新田、よしや忠常。」とぞ仰せ下されける。「人もこそ多き中に、かやうの御諚蒙る事、生前の面目、何事かこれに如かん。」と存ずる間、「鉄桶を丸めたる猪なりとも、余さじものを。」と思ひければ、大の鹿矢を抜き出し、「ただ一矢に。」と引いて放つ処に、矢よりも先に跳び来り、乗りたる馬を主ともに、宙にすくうて投げ上げ、「落ちば駆けん。」とする処に、「叶はじ。」とや思ひけん、弓も手綱も打ち捨てて、向かうざまにぞ乗り移る。されどもさかさまにこそ乗つたりけれ。猪は乗られて腹を立て、馬をかしこへ駆け倒し、雲と霞に分け入つて、虚空を跳んで廻りしは、周の穆王、「釈尊の教法を聞かん。」とて、八匹の駒に鞭を上げ、万里の道、刹那に飛び着きしも、これにはいかで勝るべき。
 新田は、習ひし手綱のやう、「腰も切れよ。」と挟みつけ、尾筒を手綱に取り、「楽天が伝へし三頭、王良が秘せし手綱、これなりけり。」とこらへけれども、詮方なくぞ見えたりける。猪はいよいよ猛りをかき、木の下、萱の下、巌岩石を嫌はずして、宙に跳んで廻りしかば、烏帽子、竹笠、沓、行縢、一度に切れて落ちにけり。大童になりて、ただ「落ちじ。」とばかりぞこらへける。大きに猛き猪も、あまた手は負ひぬ、新田が威にや押されけん、御前近き枯れ杭に、つまづき弱る処に、誤たず腰の刀を抜き、胴中に突き立て、あばら骨二、三枚掻き切りければ、猪は四足を四、五寸、土に踏み入れて、立ちずくみにこそなりにけれ。新田は急ぎ跳び下りて、かずのとどめを刺す。上下の狩人、これを見て、「前代未聞の振舞かな。面白くもとどめたり。乗りも乗つたり。こらへもこらへたり。」と、感ぜぬ人こそなかりけれ。君もこの由御覧じて、「狩場の内の高名は、これに如かじ。」と御感あり。富士の下方にて、五百余町を賜はりけり。勢ひ余りてぞ見えし。
 されどもこの猪は、富士の裾、隠れ猪の里と申す所の山の神にてぞましましける。凡夫の身の悲しさは、夢にもこれを知らずして、とどめにける御咎めにや、やがてその夜、曽我の十郎に打ち合ひ、あまたの手負ひ、危ふかりし命、幾程なくて、田村の判官が謀叛同意の由、讒言せられて、討たるべかりしを、重保に付き申し開き、「御目にかからん。」とて参じける折節、召しの御馬放れたりしが、御庭狭しと馳せ廻る。日本一の荒馬なれば、追ひ廻す人々、これを見て、「よしや新田、取れや忠常。縄を掛けよ。過ちすな。」と声々に呼ばはりて、庭上、騒動す。新田が郎等、門外に集まりて、「我等が主、只今搦め取らるるぞや。主の討たるるを見捨てて、いづくまでか逃るべき。」とて、思ひ切つたる兵ども二、三十人、抜き連れて、御前指して斬つて入る。新田が運の極めなり。
 御所方の人々、これを見て、「新田が謀叛、まことなり。余すな、方々。」とて、非番当番の面々、出で合ひて、火出づる程こそ戦ひけれ。御所方の人々、あまた討たれしかば、新田が陳方、逃れずして、二十七にて討たれにけり。不憫なりし事どもなり。「これ、しかしながら、富士の裾野の猪の咎めなり。」とて、舌を巻かぬはなかりけり。これや、「霊神怒る時は、災害、ちまたに満つる。」なるも、今こそ思ひ知られたれ。

十 船の始まりの事

 さても御寮は、いつの暮より御狩の興に入り、四方の海山をぞ眺めさせ給ひける。折節、沖つ島の木の間より、漕ぎ浮かべたる海士小舟、同じ風にぞ行き違ふ。「げに不思議なる舟のあやつりかな。誰人かし初めつらん。」と仰せられけり。千葉の介が申しけるは、「舟の始まりは、昔、黄帝の御時、蚩尤といふ逆臣ありて、おうごうといふ海を隔てて、攻むべきやうなかりけり。ここに貨狄といふ臣下あり。折節、秋の末なるに、寒き嵐に散る柳の、一葉、水に浮かみしに、又、蜘蛛といふ虫、虚空より落ちて、この一葉の上に乗りつつ、次第次第にささがにの、いとはかなくも柳の葉の、汀に寄りし秋霧の、立ち来るくもの振舞。『げにも。』と思ひ初めしより、巧みて舟を造らせ、おうごうを易く渡り、蚩尤を平げ、御代を治め給ふ事、一万八千歳となり。しかるに舟の船の字を、『君に薦む。』と書きたり。又、天子の御駕を龍駕と名付け奉り、又、舟を一葉と言ふ事も、この時よりぞ始まりける。又、君の御座舟を龍頭鷁首と申すも、この御代よりぞ起こりける。」と申しければ、「さて、極楽の弘誓の舟は、いかにや。」「それは、菩薩聖衆の御法にて、凡夫の及ぶ処に候はず。」とぞ申されける。
 同じく、富士の高嶺を遥々と見上げさせ給ひて、昔、竹取の翁、鴬の卵を養じて、かぐや姫と成りし行方、又、
  風に靡く富士の煙の空に消えて行方も知らぬ我が思ひかな
と詠じし西行法師が下心まで、思し召し出しけり。

底本頭注
 十 船の始まりの事
 ・ささがに――蜘蛛の枕詞。ここにては「いと」の序とし、又、立ち来るくも(雲)に掛かりて調べを成す。

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校訂者注
 八 燕の国旱魃の事
 ・盤を走るによそへたるなり――底本、「盤を走るとよそへてなり」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 九 新田が猪に乗る事
 ・きよりくわうが神変も――底本、「きよりくりうが神変も」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 十 船の始まりの事
 ・一葉、水に浮かみしに…一葉の上に乗りつつ――底本、「一葉の上に乗りつゝ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。