曽我物語

巻第九

一 和田の館へ行きし事

 「来つて暫くもとどまらざるは、有為転変の悟り。去りて再び帰らざるは、冥途黄泉の別れなり。愛傷恋慕の悲しみ、今に始めぬ事なれども、『日本国に我等程、物思ふ者あらじ。』と案ずるに、劣らず嘆きをする者のあるべきこそ不憫なれ。」五郎聞きて、「誰やの者か、我等にまさりて候べき。」「さればこそとよ。備前の王藤内が、七年御不審蒙り、この度、安堵の御下し文を賜はりし使、先に下り、『かく。』と言はば、国にとどまる親類、集まり喜び合はん処に、又、人下りて『討たれぬ。』と言ふならば、さこそ嘆かんずらめ。古き言葉を案ずるに、『人として能ある者は天の加護により、人として財ある者は情けによる。』と見えたり。されば、『王藤内助けばや。』とは思へども、雑言、余りに奇怪なれば、祐成に於いては余すべからず。御分も洩らすな。」と申しければ、「承る。」とぞ申しける。「かくて、夜の更けん程待たんも、遥かなり。いざや、和田殿の館へ行き、最後の対面せん。」「しかるべし。」とて、二人打ち連れ、義盛の館へぞ行きける。
 やがて義盛、出で合ひて、「いかに、殿ばら達。遥かにこそ存ずれ。狩倉の体、これが初めにてぞましますらん。何とか思ひ給ひけん。まことに見物には上やあるべき。」十郎、扇、笏に取り直し、畏つて、「さん候。かやうの事は、珍らしき見物。末代の物語に、あの冠者に見せ候はんため、二、三日の用意にて罷り出候が、余りの面白さに、斧の柄の朽つるを忘れ、曽我へ人を越して候。その程と存じ、参りて候。」と言ひければ、和田聞きて、「何條その儀あるべき。日頃の本意を遂げんとするが、『一家の見果てに、義盛に今一度対面せん。』とてぞ来りぬらん。」と哀れに思ひければ、「さぞ思すらん。あまた度見て候だにも、面白く候。まして若き人々の初めて見給はんに、さぞ思し召すらん。嬉しくも来り給ふものかな。かねてより知り奉りなば、初めより申すべかりつるものを。」とて、酒取り出し、勧めけり。盃二、三度巡りて後、和田宣ひけるは、「相構へて、せば、よくし給へ、し損じなば、一家の恥辱なるべし。後ろ楯には成り申すべし。頼もしく思ひ給へ。」とて、盃差されけり。
 折節、梶原源太、館の前を通りけるが、かく言ふを聞き、「何事ぞや。和田殿、曽我の人々に、『せば、よくせよ。』と仰せられつる。不審なり。御耳にや入れ候べき。」と言ふ。和田殿聞きて、「こはいかに。曲者通りけるよ。さりながら、陳じて見ん。」と思ひければ、「自然の物語、何と聞きて、御分、『御耳に入れん。』とは宣ふぞ。この面々、我に親しき事、上にも知ろし召されたり。それにつきては、『御狩と承り、必ず召しはなけれども、末代の見物に、忍びて御供仕り候。若き者の習ひ、木瀬川にて女どもと遊び候ひしが、君、相沢の御所に御入りの由承り、急ぎ参り候ひし間、引出物をせず候。帰りに何にても取らせん。』と申し候間、『道の者は恥づかしきぞ。引出物せば、よくせよ。し損じなば、一家の恥ぞ。』と申しつるが、この事ならでは、何申したりともおぼえず。急ぎ御申しありて、義盛失ひ候へ。」と高声なりければ、景季も、「一興にこそ申し候へ。何とて和田殿は、某に逢ひ給へば、由なき事にも角を立てて宣ふらん。これは苦しからぬ。」とて、空笑ひして通りけり。
 猶も和讒の者にて、「何とか言ふ。」と暫したたずむ。これをば知らで、和田殿宣ふは、「『水をよく泳ぐ者は溺れ、馬によく乗る者は落つ。日は中するに移り、月は満つるに傾く。昊天に背くぐまれ。厚地に抜き足せよ。』とあるをや。この者は、十分に過ぎぬれば、『いかが。』とぞおぼゆる。」五郎、これを聞き、「御陳方を用ゐず通るものならば、しや細首ねぢ切つて、捨て候べきを。」と申しければ、梶原、立ち聞きて、「まことや。この者は、朝比奈にみぎはまさりの大力、烏滸の者と聞きたり。ここにて事し出し、勝負せんより、上様へ申し上げ、我が力も要らで、失はん事易かるべし。」と思ひ定めて、聞かざる由にて通りけり。
 和田宣ひけるは、「今暫くも候ひて、物語申したけれども、源太と申す曲者が御前に参りつるが、いかやうにか申し上げ候はんずらん。相構へて、し損じ給ふな。」と言ひ置きて、和田は御前へぞ参られける。
 この人々は、館に帰り、夜の更くるを待ちけるが、ややありて十郎申しけるは、「くだんの梶原が、御分が言ひつる事を立ち聞きけるが、いかさま、『大勢にて寄せぬ。』とおぼゆる。館を替へん。」と言ひければ、五郎聞きて、「源太程の奴、何十人も候へ、一々に切り伏せなん。」と申す。十郎聞き、「身に大事さへなくば、言ふに及ばず。但し、某に任せ候へ。」とぞ申しける。


二 兄弟館を替へし事

 かくて兄弟の人々は、柴の庵を引き払ひ、思はぬ所へ寄り居つつ、時を待つこそ哀れなれ。これをば知らで、源太、百余人の兵を引き連れて、人々の館へぞ押し寄せたる。されども人なかりければ、「『日本一の不覚人、かやうにあるべし。』と思ひしに違はず。人にてはなかりけり。」と高言して帰りしは、をこがましくぞ見えし。これや、「鼠、深く穴を掘りて群禽の害を逃れ、鳥、高く飛んで矰弋の害を遠ざける。」とは、かやうの事なり。危ふかりし事どもなり。

三 曽我への文書きし事

 さても兄弟の人々は、更け行く夜半を待ちかねて、十郎言ひけるは、「いざや、この暇に、幼少より思ひし事を詳しく文に書きて、曽我へ参らせん。」「しかるべし。」とて、各々、文をぞ書きける。
 「我等、五つや三つの年より、父の討たれにし事。忘るる暇なくて、七つ九つと申せしに、月の夜に出て、雲居の雁を見て父を恋ひ、明くれば小弓に小矢を取り添へて、障子を射通し、敵の命になぞらへ、彼を討たん事を願ひ嘆きしを、母の制し給ひし事。又、父の恋しき時は、一間所にて二人は語りて慰めども、人々には言はざりしなり。祐成は十三にて元服し、五郎は十一より箱根に上り学問せしに、十二月の末つ方に、里々より衣裳音物、取り添へ取り添へ余の児達には送れども、箱王が里よりは贈物もなし。まして父の文もなし。明け暮れ父を恋しく思ひて、権現へ参り、『敵を見ん。』と祈りしに、程なく御前にて祐経を見初めし事『不思議なり。』とて、法師になるべかりしを、この事によりて、ただ一人、夜に紛れて曽我へ逃げ下りしなり。男になりて、母の勘当蒙りし事。又、打ち出し時、互の形見賜はり、参らせ置きて出し事。信濃の御狩にかちにて下り、狙ひし事。虎に契りを籠めし事。鞠子川、湯坂の峠、箱根寺、大崩れまでの有様、矢立の杉の事ども、今のやうにおぼえたり。」
 思ふ事ども詳しく書き、「命をば、父に廻向申し、読誦の御経は、母に手向け奉る。親は一世の契りと申せども、これを形見にて、来世にては参り逢はん。」と同じ心に書きとどめければ、大きなる巻物、一つづつぞ書きたりける。十郎が言葉の末、五郎に代はりたるは、大磯の虎が事なり。五郎が言葉の十郎に代はりたるは、箱根の別当の事なり。さて、いづれも同じ文章なり。哀れにこそはおぼえけれ。

底本頭注
 一 和田の館へ行きし事
 ・遥か――久闊。
 ・斧の柄の朽つる――「晋の王質、山に入りて仙人の碁を囲むを見、暫くと思ひし程に、持ちし斧の柄、朽ちたり。」との故事。

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校訂者注
 一 和田の館へ行きし事
 ・さこそ嘆かんずらめ。古き言葉を案ずるに――底本、「さこそ嘆かんずらん、と深き言葉を案ずるに」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・財ある者は情けによる――底本、「財あるものは、嘆による」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
 ・御耳にや入れ候べき――底本、「御耳にや入り候ふべき」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・御耳に入れん。』とは宣ふぞ――底本、「御耳に入らんとは宣ふぞ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
 ・馬によく乗る者は落つ。日は中するに移り――底本、「馬によく乗る者は落ち、日は昼中に移る」。岩波文庫本(1939)本文及び脚注に従い改めた。
 ・この者は、十分に過ぎぬれば、『いかが。』とぞおぼゆる――底本、「此のものは十分に過ぎて如何ぞと覚ゆる」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。