七 館々の前にて咎められし事
ここに、座間と本間と館数十軒、向かひ合ひてぞ打ちたりける。かの両人が郎等、篝をあまた所に焚かせ、木戸を結ひ重ね、辻を固め、通るべきやうなかりけり。「いかがせん。」と休らふを見て、「何者ぞ、これ程に夜更けて通るは。殊にその体、事がましく出で立ちたり。怪しや、通すまじ。」とぞ咎めける。「苦しからぬ者なり。これも用心の体。人をこそ咎むべけれ。」「いや、誰にてもましませ、『五つ打ちて後、叶ふべからず。』との御掟なり。通すまじき。」とぞ支へける。十郎、うち向かひて、「御咎めあるまじき者なり。これは、土屋殿より愛甲殿への御使なり。通し給へ。」と言ひければ、「さらば通せ。」と許しけり。「ここをば過ぎぬれど、未だ幾つの木戸、幾重の関、警固をか通るべき。事難しき折節かな。」と足早に行きけるに、千葉の介が館の前をぞ通りける。ここにも木戸をきぶく立てて、番装束の警固の者数十人、これも篝を焚きてぞ固めける。「何者なれば、これ程夜更けて通るらん。遣るまじき。」とぞ咎めける。
五郎、打ち寄りて、「御内方の者なり。苦しからず。」とて打ち寄り、木戸を押し開く。「押さへて通るは、やうあり。我等が知らぬ人、あるまじ。御内方とは誰なるらん。苗字を名乗れ。」とぞ咎めける。「我等は苗字もなき者なり。通し給へ。」と言ひければ、「『御内方へ。』とは虚言なり。やはか通る。」と広言して、木戸を荒くぞ押し立てたる。五郎は木戸を立てられて、大きに怒つて言ひけるは、「苦しからねば通るなり。苦しき者の振舞を見よ。これこそ、さる所へ強盗に入る者よ。とどめんと思はん奴ばらは、組みとどめよ。手には懸けまじきものを。」と言ひければ、番の者ども、これを聞き、「夜半の兵士は何の用ぞや。かやうの狼藉、鎮めんためなり。打ちとどめよ。」と追つ掛けたり。五郎も、「心得たりや。事々し。懸かりて見よ。」と言ふままに、太刀取り直し、待ちかけたり。
十郎、少しも騒がず、静々と立ち帰り、「これは、更に苦しからぬ者にて候。庁南殿より庁北殿へ、大事の御物具の候を、取りに参り候が、夜深に候間、人を連れて候へば、若き者にて、酒に酔ひて雑言申し候。ただ某に御免候へ。」と、打ち笑ひてぞ言ひたりける。「御免。」と言ふに、勝つに乗り、「さればこそとよ。不審なり。その儀ならば事易し。庁南殿へ尋ね申すべし。その程待ち給へ。」とぞ怒りける。十郎聞きて、「かかる笑止こそなけれ。さりながらも、陳じて見ん。」と思ひければ、この者ども怒りけるその中へ、長々と立ち交じはり、「御分達、我々をば見知り給はずや。庁南殿の御内に、弥源次、弥源太とて、兄弟の厩の者なり。いつぞや宇都宮殿、北山へ御出の時、見参に入りたりしをば、忘れ給ひ候や。」と言ふ。その中に、おとなしき雑色、歩み出、十郎が顔をつくづくと目守りけり。祐成、「き奴はこはし。」と思へば、松明少し脇へ廻し、目を少しすがめて居たりけり。この者ども、よくよく目守りて、「まことに思ひ出したり。片瀬より関戸へ御帰りに、参り会ひたるやうにおぼゆるぞや。」十郎、「事こそよけれ。」と思ひければ、「さぞとよ、殿ばら。その時の酒盛には、座敷の一の狂ひ人ぞかし。忘れ給ふか。」と言ひければ、「げに、その人にてましましけり。殿は人をば宣へども、仁王舞をばし給はぬか。」傍なりける男が、「これ程の知音にてましますや。御使なるに、急ぎ通し給へ。」と言ふ。「あはれ、濁り酒一桶あらば、いかなる御使なりとも、得手の仁王舞を所望申さぬか。一番見たし。」と言ひければ、十郎聞きて、「同じ心にて候。さりながら、後日に参り逢はん。」とて、よそ目にかけてぞ通りける。この者ども打ち寄りて、「誤り候。通り給へや、人々。」とて、木戸を開きて押し出す。
兄弟の人々は、鰐の口を逃れたる心地して、十郎言ひけるは、「かやうの所にては、いかにも降を乞ふべきに、御分の雑言、心得ず。孔子の言葉をば聞き給はずや。『事を見ては、勇む事なかれ。大事の前に小事なし。』とこそ見え候へ。身ながらも、よくこそ陳じぬれ。これや、富楼那の弁舌にて波斯匿王の憤りをやめけるも、今に知られたり。」とぞ申し合ひける。
八 波斯匿王の事
「そもそも富楼那の弁舌にて、匿王の怒りをやめける由来を尋ぬるに、昔、釈尊、霊山にて法を説き給ひしに、波斯匿王、問法結縁のために参らせられたり。富楼那尊者と申すは、弁舌第一の仏弟子にてましましけり。しかれども、匿王の臣下の子なり。教法に心を染めて、匿王の方をだに見遣り給はざりけり。
匿王、怒りをなして曰く、『さても、尊者はみづから仏前にありつるを、終に、それとだにも見られざりつる奇怪さよ。この度参らん時は、その色見すべし。』とて、高臣、数相具し、怨敵を含みて参られける時、富楼那尊者は路中にて行き会ひ給ひ、『いかに、尊者。いづくへ。』と宣ふ。尊者、聞き給ひて、殊の外恭敬して、『過ぎにし仏の御説法の時、君、参り給ひしかども、法文歓喜のみぎり、身を忘れ、他を知らざらし事なれば、その礼、更になかりしなり。匿王は、未だ真俗残り、是非に携はり給ひき。それ又、理なきにあらず。御憤り、もだし難し。王宮よりの御巧み、さぞと知られて、急ぎ参りたり。まことにこの理、弁へ給ふにや。真如禅定の時は、無二亦無三と説かれてこそ候へ。さるに於きて、自もなく他もなく、法界平等なり。何者かありて、邪ともまた正とも隔てん。万法一如にして、阿字本不生の観をなし給へ。』と示し給ひければ、匿王、猶しも邪に入つて、『みづからが言葉、いたづらになりて、無礼に等しく候べきにや。』いよいよ怒りを高くして、尊者の理を受け候はず。『これ、ひとへに驕慢瞋恚の外道。』と、あさましくこそおぼえけれ。
「その時富楼那、『若以色見我、以音声求我。かやうの人は、まさに邪道を行じて、如来を見る事、叶ふべからず、とこそ説かれて候へ。色に耽り、言葉に尋ねんは、無縄自縛、看々、と見えたるをや。』匿王、なほ受け給はず。『その縄は、誰が出しける。』『その心に帰りて尋ね給へ。外には無し。」と宣ひける処に、匿王、一理を受けて、恭敬礼拝して、仏果を証し給ふ。即ち尊者引き具し、霊山に参り給ふ。げにや、本文に、『私の志を忘れ、まことの苦行によつて、波斯匿王も方便の教化によれり。返す返す、私無し。』とこそ示されてこそ候へ。」
「但し、梶原といふ曲者の館の前、いかがすべき。我等を見知りたる者なり。」「されども、帰るべき道にもあらず。」「浮沈、ここに極まれり。運に任せよ。」とて通る。案の如く、辻固めの兵数十人、長道具立ち並べ、まことに厳しく見えたり。詮方なくして、「南無二所権現、助け給へ。」と念じて、知らぬやうにて通りけり。されば、神慮の御助けにや、咎むる者もなかりけり。「すはや、よきぞ。」とささやきて、足早にこそ通りけれ。只事ならずとぞ見えける。
九 祐経館を替へし事
既に祐経が館近くなりて、「ここぞ。」と言へば、打ちうなづき、既に、「館へ入らん。」としける時、十郎、弟が袖を控へ、「我々、敵にうち会ひなば、刹那の隙もあるまじ。今こそ最後の際なれ。心静かに念仏せよ。」と言ひければ、「しかるべし。」とて兄弟、西に向かひて手を合はせ、「臨命終の仏達、親のために廻向する。迎へ取り給へ。」と祈念して、館の内へぞ入りにける。されども、王藤内が申すやうに従ひ、祐経、思はぬ所に館を替へたりければ、ただ空しくかはらけ踏み散らして、人一人もなかりけり。「これはいかに。」と松明振り上げ見れば、館も同じ館、座敷も宵の所なり。人は多く臥したれども、昼の狩場に疲れ、酒に酔ひ臥しければ、「誰そ。」と咎むる者もなし。
この人々は、力なく館を立ち出て、天に仰ぎ地に伏し、悲しみけるぞ理なる。「敵に縁なき者を尋ぬるに、我等には過ぎじ。『今宵は、さりとも。』と思ひしに、余しぬるこそ口惜しけれ。『かやうにあるべし。』と知るならば、曽我へ人をば帰すまじきものを。さなきだに、世間に披露せられんこそ悲しけれ。自害して失せなん。」とて立ちたりけれ。
校訂者注
七 館々の前にて咎められし事
・五つ打ちて後、通ふべからず――底本、「五つ打ちて後叶ふべからず」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・誤り候――底本、「誤りけん」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
八 波斯匿王の事
・未だ真俗残り――底本、「未だ心ぞく残り」。岩波文庫本(1939)本文脚注に従い改めた。
・阿字本不生の観――底本、「阿字本不生の願」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・尊者の理を受け候はず――底本、「尊者の理に受け候はず」。岩波文庫本(1939)本文脚注に従い改めた。
・なほ受け給はず…尋ね給へ――底本、「猶承つて、其の縄は誰か致しける。其の心に帰りて尋ね給へど」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・仏果を証し給ふ――底本、「仏果に生じ給ふ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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