十 祐経討ちし事
さる程に、兄弟の人々、敵は討ち洩らしつ、呆れて立ちたる処に、秩父殿の御内なる本田の次郎親経、具足さし固め、夜廻りの番なりしが、庭上、「今宵も余しけるよ。」と小声に言ふ音しけり。「いかさま、伊豆駿河の盗賊の奴ばらにてあるらん。討ちとどめ、高名せん。」と思ひ、太刀の鍔元二、三寸透かし、足早に歩み寄りけるが、心を変へて思ふやう、「一定、曽我の殿ばらの、『日頃の本意を遂げん。』とて、夜昼付け巡りつるが、さやうの人にてもや。」と、障子の隙より忍びて見れば、案にも違はず。兄弟は、敵の替へたる館を知らで、呆れてこそは居たりけれ。いたはしく思ひ、左衛門尉が臥したる館の妻戸をひそかに押し開き、何とも物をば言はずして、扇を出して招きけり。
五郎、この由きつと見て、「本田が我等を招くは。やうこそあれ。」と思ひ、松明、脇に引きそばめ、広縁につと上がり、「何事ぞや、本田殿。」とささやけば、本田、小声になりて、「夜陰の苗字はせん無し。波に揺らるる沖つ舟、知るべの山はこなたぞ。」と言ひ捨ててこそ忍びけれ。「そことも知らぬ寄る浪、風を頼りの湊入り。心あるよ。」と戯れて、館の内へぞ入りにける。兄弟共に立ち添ひて、松明振り上げよく見れば、本田が教へに違はず、敵はここにぞ臥したりける。二人が目と目を見合はせ、辺りを見れば人もなし。左衛門尉は、手越の少将と臥したり。王藤内は、畳少し引きのけて、亀鶴とこそ臥しにけれ。
十郎、敵を見付けて弟に言ひけるは、「わ殿は王藤内を斬れ。祐経をば祐成に任せよ。」とこそ言ひける。時致聞きて、「愚かなる御言葉かな。我々、幼少より仏神に祈りし事は、王藤内を討たんためか。この者は、逃げば逃がすべし。立ち会はば斬るべし。祐経をこそ千太刀も百太刀も、心のままに斬るべけれ。はや斬り給へ。斬らん。」とて、勇み懸かりて立ちたりけり。果報めでたき祐経も、無明の酒に酔ひぬれば、敵の入るをも知らずして、前後も知らでぞ臥したりける。二人の君どもをば衣に押し巻き、畳より押し下ろし、「おのれ、声立つな。」と言ひて、松明、傍にさし置き、十郎、枕に廻りければ、五郎は後にぞ廻りける。
二人の君ども、始めより知りたりけれども、余り恐ろしさに音もせず。兄弟の人々は、祐経を中に置きて、各々、目と目を見合はせ、打ちうなづきて喜びけるぞ哀れなる。三千年に一度花咲き実なる、西王母が園の桃、優曇華よりも珍しや。「優曇華をば、拝みて手折る。」と言ふなれば、それに譬ふる敵なれば、「拝みて斬れや、斬れ。」とて、二人が太刀を左衛門尉に、当てては引き、引きては当て、七、八度こそ当てにけれ。ややありて時致、「この年月の思ひ、ただ一太刀に。」と思ひつる気色顕はれたり。
十郎、これを見て、「待て暫し。寝入りたる者を斬るは、死人を斬るに同じ。起こさんものを。」とて、太刀の切先を祐経が胸元にさし当て、「いかに、左衛門殿。昼、見参に入りつる曽我の者ども、参りたり。我等程の敵を持ちながら、何とて打ち解け臥し給ふぞ。起きよや、左衛門殿。」と起こされて、祐経もよかりけり。「心得たり。何程の事あるべき。」と言ひも果てず、起きざまに枕元に立てたる太刀を、取らんとする処を、「優しき敵の振舞かな。起こしは立てじ。」と言ふままに、弓手の肩より右手の脇の下、「板敷までも通れ。」とこそは斬り付けけれ。五郎も、「得たりや、おう。」と罵りて、腰の上手をさし上げて、畳板敷斬り通し、下もちまでぞ打ち入りたる。理なるかな、源氏重代友切、何者かたまるべき。当たるに続く処なく、「我、幼少より願ひしも、これぞかし。妄念払へや、時致。忘れよや、五郎。」とて、心の行く行く、三太刀づつこそ斬りたりけれ。無残なりし有様なり。
十一 王藤内を討ちし事
かくて、後に臥したる王藤内、寝おびれて、「詮なき殿ばらの夜中の戯れかな。過ちし給ふな。人違ひし給ふな。人々をば見知りたり。後に争ふな。」とは言ひけれども、刀をだにも取らずして、高這ひにしてぞ逃げたりける。十郎、追つ懸けて、「昼の言葉には似ざるものかな。いづくまで逃ぐるぞ。余すまじ。」とて、左の肩より右の乳の下かけて、二つに斬つて押しのけたり。五郎、走り寄り、左右の高腿、二つに斬りて押しのけたり。四十余りの男なりしが、時の間に四つになりてぞ失せにける。逃げば逃がすべかりし者を、掻い伏しては逃げずして、なまじひなる言葉言ひて、四つになるこそ無残なれ。五郎、王藤内が果てを見て、一首取りあへず詠みけり。
馬は吠え牛はいななくさかさまに四十の男四つになりけり
十郎聞きて、「よく仕りたり。一期詠じても、これほどこそ詠み候はんずれ。秀歌に於いては時致、集にも召されなん。思ふ本意をば遂げぬ。今は憚る事なし。」と、高声に言ひ散らし、どつと笑ひて出にけり。
十二 祐経にとどめを刺す事
さても兄弟は、敵を心のままに討ちて、門より外に出けるが、十郎言ひけるは、「祐経にとどめを刺しけるか。とどめは、敵討つての法なり。実検の時、とどめの無きは、敵討ちたるに入らず。」「さらば、とどめを刺し候はん。」とて、五郎立ち帰り、刀を抜き、取つて押さへ、「御辺の手より賜はつて候刀ぞかし。只今返しぬるぞ。確かに受け取り給へ。『取らず。』と論じ給ふな。」とて、柄も拳も通れ通れと刺す程に、余りに繁く刺しければ、口と耳と一つになりにけり。さてこそ後に人の申しけるは、「宵に悪口せられしそのねたさに、わざと口を裂かるる。」とぞ申しける。
「幼少より、『敵を見ん。』と箱根に祈誓申し、御前にて祐経を見初むるのみならず、一腰の刀を得たり。今、とどめを刺したる刀、これなり。権現の御恵み。」とて感じける。さすがに離れぬ一門の内、「哀れ。」とや思ひけん、「我、過去の宿業と言ひながら、一念の瞋恚により、敵味方とは隔てたるなり。慙愧懺悔の力により、六根の罪障を消滅し、因果の輪廻を只今尽くし果てて、一念の菩提心、誤り給はで、一つ蓮の縁となし給へ。阿弥陀仏。」と廻向して、館をこそは出たりけれ。
十郎は、庭上に立ちて、五郎を待ち得て言ひけるは、「我々、名乗りて人々に知られん。」「尤も。」とて、大音声にて罵りけり。「遠からん人は音にも聞け。近からん者は目にも見よ。伊豆の国の住人、伊東の次郎祐親が孫、曽我の十郎祐成、同じく五郎時致とて、兄弟の者ども、君の館の前にて、親の敵、一家の工藤左衛門尉祐経を討ち取り、罷り出づる。我と思はん人々は、討ちとどめ、高名せよ。」と言へども、昼の狩場に疲れければ、音もせず。小柴垣の下に躍り寄り、なほ声を挙げて呼ばはりけれども、東西南北に音もせず。三浦の館には、かねてより知りたれば、わざと出づる者もなし。次の館に聞き付けて、坂西、赤沢、柏原を始めとして、宗徒の者ども、「出ん。」とする処を、重忠聞き、「余りな騒ぎそ。一定、曽我の人々が、本意を遂ぐるとおぼえたり。いかに嬉しく思ふらん。心静かによくさせよ。さらぬだに若き者は心騒ぎて、し損ずる事ありぬべし。静まり候へ。」とありければ、出づる者こそなかりけれ。
兄弟の人々は、暫し休らひ、敵を待てども無かりければ、十郎言ひけるは、「いざや、時致。一まづ落ちて、今一度母に会ひ奉り、思ふ事をも語り申し、なほ事延びば、髻を切り、いかならん野の末、山の奥にも閉ぢ籠り、父の孝養をもせん。それ叶はずは、心静かに念仏申し、自害するまで。」と言ひければ、五郎聞き、余りの憎さに音もせず。
ややありて、「この仰せこそ、『條々、しかるべし。』ともおぼえず候へ。弓矢取る者の習ひには、かりそめにも一足も逃ぐるといふ事、口惜しき事にて候。命の惜しき者こそ、入道をもし、山林にも閉ぢ籠り候はんずれ。幼少より思ひし事は遂ぐるなり。何事を思ひ残して落ち候べき。母に対面の事、咎を懸け奉るべきためか。させる孝養報恩をこそ送らざらめ、咎もなき母痛められ、『子どもの行き方、知らぬ事あらじ。』とて責め問はれ、禁獄死罪にも行はれば、我等、出ずしては叶ふまじ。なまじひに逃げ隠れ居て、かしこここより搦め出され、あまつさへ諸国の侍どもに、『幾程の命惜しみて、曽我の者どもが髻切り、乞食をす。』と沙汰せられん事は、恥づかし。その上、一旦隠れ得たりといふとも、東は奥州外の浜、西は鎮西鬼界が島、南は紀伊の路熊野山、北は越後の荒海までも、君の御息の及ばぬ所、あるべからず。天にかけり地に入らざらん程は、一天四海の内に、鎌倉殿の御権威、及ばざる事なし。ただ羅網の鳥、釣りを含む魚の如し。信実の仰せともおぼえず。時致に於きては、向かふ敵あらば、太刀の目釘こらへん程は、命こそ限りなれ。」と申しければ、十郎聞きて、「わ殿が心見んとてこそ言ひたれ。祐成が心をも、かねてより知りぬらん。一足も引き候まじき。」と語らひて、寄する敵をぞ待ちかけたり。
校訂者注
十二 祐経にとどめを刺す事
・我等、出ずしては叶ふまじ――底本、「我等がいたさずして叶ふまじ」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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