十四 祐成討死の事
やや暫くありて、伊豆の国の住人に新田の四郎、十郎に打ち向かひ、「いかに。曽我の十郎祐成か。」「向かひは誰そ。」「新田の四郎忠常よ。」「さては、御分と祐成は、まさしき親類なり。」「その儀ならば、互に後ろばし見するなよ。」「左右にや及ぶ。今宵、未だ尋常なる敵に会はず。『言ひ甲斐なき人の郎等の手に懸からん。』と、心に懸かりつるに、御辺に会ふこそ嬉しけれ。」「一河のしるしに、同じくは忠常が手に懸けて、後日に勧賞に行はれ給はば、御辺の奉公と思ひ給へ。」と言ひて、打ち合ひける。
十郎が太刀は、少し寸延びければ、一の太刀は新田が小肘に当たり、次の太刀にて小鬢を斬られけり。されども忠常、究竟のつはものなれば、面も振らず、大音声にて罵りけるは、「伊豆の国の住人、新田の四郎忠常、生年二十七歳。国を出しより、命は君に奉り、名をば後代にとどめ、屍は富士の裾野にさらす。さりとも後ろは見すまじきぞ。御分も引くな。」と言ふままに、互にしのぎを削り合ひ、時を移して戦ひけるに、新田の四郎は新手なり。十郎は宵よりの疲れ武者。多くの敵に打ち合ひて、腕下がり、力も弱り、太刀より伝ふ血の糊に、手の内繁く廻りければ、太刀を平めて打ちければ、十郎が太刀、鍔元より折れにけり。忠常、勝つに乗つて打つ程に、左の膝を斬られて、犬居になりて腰の刀を抜き、「自害に及ばん。」とする処を、忠常、太刀取り直し、右の肘の外れを刺し通す。
忠常、「今はかう。」と思ひ、館を指して帰りけるを、十郎、伏しながら、掛けたる言葉ぞ無残なる。「や、殿、新田。いづくへ行くぞ。情けなし。同じくは首を取つて、上の見参に入れよ。親しき者の手に懸からんは、本意ぞかし。返せ。や、殿、忠常。」と呼ばられて、「げにも。」とや思ひけん、即ち立ち帰り、乳の間斬りて押し臥せたる。祐成が最後の言葉ぞ哀れなる。「五郎はいづくにあるぞや。祐成こそ新田が手に懸かり、空しくなるぞ。時致は未だ、『手負ひたる。』とも聞こえず。いかにもして君の御前に参り、幼少よりの事ども、一々に申し開きて死に候へ。死出の山にて待ち申すべきぞ。迫つ付き給へ。南無阿弥陀如来。」と言ひも果てず、生年二十二歳にして、建久四年五月二十八日の夜半ばかりに、駿河の国、富士の裾野の露と消えにけり。弓箭取る身の習ひ、今に始めぬ事なれども、親のために命を軽くし、屍は路逕のちまたに捨つれども、名をば龍門の雲居に上ぐる。「哀れ。」と言ふもおろかなり。
五郎は、兄が最後の言葉を聞きて、「死骸なりとも今一目見ん。」と思ひ、又、「忠常を討つべき。」とや思ひけん、太刀振り廻し、大勢の中を斬り分けて走り寄り、兄が死骸にまろび掛かり、「恨めしや。時致をば誰に預け置き、『いづくまで生きよ。』とて、捨ててはいづくへおはするぞや。長らへ果つべき憂き身にもあらず。連れてましませや。」とうち口説き、涙に咽びて伏したりけり。げにや、「同じ兄弟と言ひながら、互の志深ければ、別れの涙、さぞあるらん。」と、推し量られて哀れなり。
ここに又、「堀の藤次。」と名乗りて、武者一人出て、「五郎はいづくへ行きたるぞや。兄が討たるるを見捨てて落ちけるかや。未練なり。」とて尋ねける。五郎、この言葉を聞き、起き上がり、太刀取り直し、「や、殿、藤次殿。兄の討たるるを見捨てて、いづくへか落つべき。祐成は、新田が手に懸かりぬ。時致をば、わ殿が手に懸けて首を取れ。惜しまぬ身ぞ。」と言ひければ、藤次は、五郎が太刀影を見て、かい伏いて逃げにける。五郎、追つかけ、「おのれはいづくまで逃ぐるぞ。」とて追つかけければ、「よそへ逃げては叶はじ。」とや思ひけん、御前指して逃げにける。五郎も続いて入りければ、親家、幕を掴んで投げ上げ、御侍所へ走り入る。五郎も幕を投げ上げて、「親家を掴まん、掴まん。」と思ひけるよそほひは、ただ天魔の如く、「雷の落ちかかるか。」とぞおぼえける。
十五 五郎召し捕らるる事
ここに五郎丸とて、御寮の召し仕はるる童あり。元は京の者なりしが、叡山に住して、十六の年、師匠の敵を討ち、在京叶はで東国に下り、一條の次郎忠頼を頼みたりしに、忠頼、「御敵。」とて討たれ給ひて後、この君に参りたりしが、究竟の荒馬乗りの剛の者、七十五人が力を持ちけり。
宵の程は、夜討といへども音もせず、御前近く伺候せしに、五郎が親家を追うて入るを見て、薄衣引きかづき、幕の脇に立ちけり。五郎、一目見たりけれども、館を出し時、「女房に手ばしかくるな。」と、兄が言ひし言葉ありければ、太刀むねにて、通りざまに一太刀当ててぞ過ぎにける。「五郎丸と知るならば、ただ一太刀に失はれん。」と、危ふくこそはおぼえけれ。時致も、「親家を手捕りにせん。」と思ふ処を、五郎丸、我が前をやり過ごし、続いて懸かり、腕をくはへて取り、「得たりや、おう。」と抱きける。五郎は、大力に抱かれながら、物ともせず。「こはいかに。女にては無かりけり。物々しや。」と言ふままに、続いて内へぞ入りにける。
五郎丸、「叶はじ。」とや思ひけん、「敵をば、かうこそ抱け。かやうにこそ抱け。」と高声なりければ、彼等が傍輩、相模の国の前司太郎丸走り寄り、「逃がすな。」とて取り付く。その後、御厩の小平次を始めとして、手柄の者ども走り出て、四、五人取り付きけれども、五郎は物ともせず、二、三人をば蹴倒し、「大庭へ躍り出ん。」と心ざしけるが、板敷こらへずして、五郎は足を踏み落とし、「立たん、立たん。」とする処に、小平次起き上がり、双の足に取り付きければ、その外の人々、「余すな、洩らすな。」とてかなぐり付く。これや文選の言葉に、「百足虫は、死に至れども倒れず。」と言ふ。心は猛く思へども、多勢に叶はずして、空しく搦め捕られけり。無残なりし有様なり。
君も、この由聞こし召して、糸毛の御腹巻に、御重代の髭切抜き、出させ給ひける処に、相模の国の住人、大友左近将監が嫡子に一法師丸とて、生年十三になりけるが、御前去らぬ者なるが、小賢しく御寮の御袖を控へ奉り、「日本国だにも、君は居ながら従へ給ふに、これは、わづかなる事ぞかし。いかさま、若き殿ばらの酔狂か、又は女の盃論か宿論か、いづれにてか候はんに、御座ながら尋ね聞こし召され候へ。」ととどめ申しければ、「げにも。」とや思し召しけん、とどまり給ひけり。さしも出させ給ひて、五郎に見えさせ給ふものならば、危ふくぞおぼえける。後に、「いしくも申したり。」とて、御恩賞にぞ預かりける。まことに、古き言葉を見るに、「大象、小径にあそばず。君子はふんしにかかはらず。」といふ事、今こそ思ひ知られたれ。
その後、小平次、御前に参り、畏りて申し上げけるは、「曽我の五郎を搦め捕りて候。十郎は討たれて候。」と申したりければ、「神妙に申したり。五郎をば汝に預くるぞ。」と仰せ下されける。哀れなりし次第なり。
底本頭注
十四 祐成討死の事
・一河のしるし――説法明眼論に曰く、「宿一樹下、汲一河流、一夜同宿一日夫妻、皆これ先世結縁。」
・龍門――白楽天が元槇を悼める詩の句。「龍門原上土、埋骨不埋名。」
十五 五郎召し捕らるる事
・太刀むね――刀背。
校訂者注
十四 祐成討死の事
・御侍所へ走り入る――底本、「御侍所へ走り入り」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
十五 五郎召し捕らるる事
・続いて懸かり、腕を――底本、「続いて懸る腕を」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・死に至れども倒れず――底本、「死に至れども戯れず」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
・ただ一太刀に失はれん――底本、「唯一太刀に失はん」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・大象、小径にあそばず――底本、「大ざうとうけいに遊ばず」。岩波文庫本(1939)脚注に従い改めた。
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