曽我物語
巻第十
一 五郎御前へ召し出され聞こし召し問はるる事
さても仰せを承つて小平次罷り出、御厩の下部、総追国光、五郎を預かり、既に御厩の柱に縛り付けて、その夜は目守り明かしける。「大将殿より尋ね聞こし召さるべき事あり。曽我の五郎連れて参れ。」との御使ありければ、小平次、縄取にて参りけるを、母方の叔父、伊豆の国の住人に小川の三郎祐定、申しけるは、「いかに、小平次。侍程の者に縄付けずとも、具して参れかし。山賊海賊の輩にあらざれば、逃げ失すべきにもあらず。事により、人にこそよれ。無下に情けなし。」と言ひければ、五郎聞きて、「誰一言の情けを残す者のなきに、御分の芳志の嬉しさよ。さりながら、御分、時致に親しき事、皆人知れり。かやうになりて、親類いるべからず。詮なき沙汰して人に聞かれ、『方人したり。』と言はれ給ふな。人の上をよく言ふ者は、なきぞとよ。時致は、盗み強盗せざれば、千筋の縄は付くとも、恥ならず。これは、父のために読み奉りし法華経の紐よ。」とて、事とも思はざる気色して、御坪の内へぞ引き入れられける。「その上、敵のために捕らはるる者、時致一人にも限らず。殷湯は夏台に捕らはれ、文王は羑里に捕らはる。更に恥辱にあらず。」とて、打ち笑ひてぞ居たりける。「哀れ。」と言はぬ者ぞなき。
五郎、御前に参りければ、君、御覧ぜられて、「これが、曽我の五郎といふ者か。」「某が事候よ。」とて立ち上がり、縄取、宙に引き立てければ、警固の者ども、「狼藉なり。」とて引き据ゑたり。その時、相模の国の住人、新開の荒四郎実光、伊豆の国の住人、狩野の助宗持、座敷を立つて、「申し上ぐべき事あらば、急ぎ申し候へ。」と言ふ。時致聞きて、大の眼を見出して、彼等をはたと睨みて、「見苦しきぞ、人々。御前遠くば、さもありなん。近ければ、ぢきに申すべし。さやうなれば、問はれて申す白状に似たり。問はるるによりて、申すまじき事を申すにあらず。面々、骨折りにのき候へ。」とて、あざ笑ひてぞ居たりける。君、聞こし召され、「神妙に申したり。各々、のき候へ。頼朝、ぢきに聞くべし。」と仰せ下されけり。
さて、五郎居直り、顔振り上げて、高らかに申しけるは、「兄にて候十郎が、最後に申し置きて候。我等が父を祐経に討たせ候ひしより以来、年月狙ひし心の内、いかばかりとか思し召され候。それにつき候ひては、一年、君御上洛の時、酒匂の宿より付き奉り、祐経が御供して候ひしを、泊々に徘徊し、便宜を窺ひ候ひしかども叶はで、京に上り、四條の町にて鉄よき太刀を買ひ取り、昨夕の夜半に御前にて本意を遂げ候ひぬ。今は何をか思ひ残して、命惜しく候べき。御恩には、今一時も疾く頭を刎ねられ候へ。」とぞ申しける。彼は京へは上らざりしかども、「箱根の別当に契約せし故、太刀の出所をも隠し、又は別当の罪科もや。」と思ひて、かやうにぞ申したりける。
君、聞こし召され、「この太刀の出所、隠さんためにこそ申すらん。更に別当の咎にあらず。先祖重代の太刀、箱根の御山に籠めし由、かねてより伝へ聞く。『いかにもして取り出さばや。』と思ひしを、神物になる間、力及ばざりつるに、ただ今頼朝が手に渡る事、ひとへに正八幡大菩薩の御計らひとおぼえたり。かやうの事無くては、いかにして再び主になるべき。」とて、みづから御頂戴ありて、錦の袋に入れ、深く納め給ふ。御重宝のその一つなり。代々伝はりけるとかや。
ややありて君、仰せられけるは、「この事、曽我の父母に知らせけるか。」五郎、承つて、「日本の大将軍の仰せとも存じ候はぬものかな。当代ならず、いづれの世にか、継子が『悪事企てん。』とて、暇乞ひ候はんに、『神妙なり。急ぎ僻事して、我、まどひ者になせ。』とて喜ぶ父や候べき。又、『母の慈悲は、山野の獣、江河のうろくづまでも、子を思ふ志の深き事は、父には母すぐれたり。』とこそ申し候へ。いはんや人界に生を受けて二十歳余りの子どもが、『命死なん。』とて母に知らせ候はんに、『急ぎ死にて物思はせよ。』とて、喜び出し立つる母や候べき。御景迹。」とぞ申しける。
「さて、親しき者どもには、いかに。」「身、貧にして、世にある人々に、『かく。』と申し候はんは、ただ手を捧げてこれを縛らせ、首を延べて、『これを斬れ。』とこそ申し候はんずれ。誰かは頼まれ候べき。愚かなる御諚かな。」とぞ申しける。
君、「げにも。」とや思し召しけん、「父母親類に至るまでも、仔細なし。又、祐経は、伊豆より鎌倉へ繁く通ひしに、道にては狙はざりつるか。」「さん候。この四、五箇年の間、足柄、箱根、湯本、国府津、酒匂、大磯、小磯、とかみが原、唐土、相模川、懐島、やつまとが原、腰越、稲村、由比の浜、深沢辺に徘徊し、野路、山路、宿々、泊々にて狙ひしかども、敵の連るる時は四、五十騎、連れざる時も二、三十騎。我々は、連るる時は兄弟二人、連れざる時はただ一人。思ひながらも空しく今まで延び候ひぬ。」
又、「祐経は敵なれば、限りあり。何とて頼朝がそぞろなる侍どもをば、多く斬りけるぞ。」「それこそ理にて候へ。御所中に参りて、かかる狼籍を仕る程にては、『千万騎にて候とも、余さじ。』と存ずる処に、こざかしく、『敵はいづくにあるぞ。』と尋ね候間、公には忠を尽くし、忠には命を捨つる習ひ、神妙に存じて、『これにあり。』と申す声に驚きて、足の立てども知らず逃げ延びし間、罪作りと存じて、追うて斬り殺すに及ばず。ただ法ばかりのそば太刀、かたの如く当てたるまでにて候。面傷は、よも候はじ。ただ今召し出して御覧候へ。」と申しければ、やがて御使して聞こし召されけるに、申す如く、面疵はなかりけり。面目なうぞ聞こえける。
「又、王藤内を、何とて討ちけるぞ。」「恐れ入つて候へども、年頃の傍輩の討たれ候を、見捨てて逃ぐる不覚人や候べき。まことにけなげに振舞ひ候ひつる者をや。『人富みて故郷に帰らざるは、錦を着て夜行くが如し。』といふ古き言葉をや知りたりけん。所領安堵のしるし、本国に下りしが、『祐経に暇乞ひ。』とて、道より帰りての討死、不憫なり。」とぞ申しける。この言葉により、「神妙なり。これも頼朝が先途に立ちけるよ。」とて、「本領、子孫に於いて仔細なし。」と、重ねて御判下されけり。これも、兄の十郎が館を出し時、「王藤内が妻子、嘆かん。無残なり。」と言ひし言葉の末にぞ申しける。ひとへに時致が情けによつて、所領安堵す。「有難し。」とぞ感じける。
ややありて、「頼朝をも、敵と思ひけるか。」と御尋ねありければ、五郎承つて、「さん候。身に思ひの候ひし時は、木も萱も恐ろしく、命も惜しく存じ候ひしが、敵討つての後は、『いかなる天魔疫神なりとも、』と存じ候。ましてその外は、『生きたる者。』とも思ひ候はず。されば、千万人の侍よりも、君一人をこそ思ひ掛け奉りしかども、御果報めでたき御事にて渡らせ給へば、御運に押されて、かやうに罷りなりて候。」と申したりければ、君、聞こし召されて、「敵討つての後、身を軽く思ふは理なり。頼朝を何とて敵と思ひけるぞ。」「自業自得果とは存じ候へども、伊東入道が謀叛により、我等が本領、永く絶えぬ。先祖の敵にては渡らせ給はずや。又は、『閻魔王の前にて、日本の大将軍、鎌倉殿を手に掛け奉りぬと申さば、一つの罪や許さるべき。』と、随分窺ひ申しつれども。」と申す。
「さて、五郎丸には、いかにして抱かれけるぞ。」「それは、かの童を女と見なし、『何事か候はん。』と存じて、不慮に捕られて候。かやうなるべしと存ずるものならば、ただ一太刀の勝負にて候はんずるものを。とて、後悔、益なし。これ、ひとへに宿根の尽きぬる故なり。げにや、『羅網の鳥は、高く飛ばざるを恨み、呑鈎の魚は、飢ゑを忍ばざるを嘆く。』とは、要覧の言葉なるをや。今こそ思ひ知られたり。君の御佩刀の鉄の程をも見奉り、時致が鎖太刀の刃の程をも試し候はんものを。」と、言葉を放ちてぞ申しける。
君、聞こし召され、「猛将勇士も、運の尽きぬる上は。」と仰せられ、双眼より御涙を流させ給ひて、「これ、聞き候へ、人々。日頃は思はぬ事なれども、ただ今、頼朝に問はれて、当座のかまへの言葉なり、叶はぬまでも、『逃れん。』とこそ言ふべきに、露ほども命を惜しまぬ者かな。世にありなば、思ひとどまる事もありぬべし。余の侍千万人よりも、かやうの者をこそ、一人なりとも召し使ひたけれ。無残の者の心やな。惜しき武士かな。」とて、御袖を顔に当てさせ給ひければ、御前伺候の侍ども、心あるも無きも皆、涙流さぬはなかりけり。
ややありて、君、御涙を押さへさせ給ひて、「さて、十郎が振舞」を聞こし召すに、いづれを分きて言ひ難し。「まことに討たれたるやらん。」と仰せられければ、「新田に御尋ね候へ。黒鞘巻に赤胴造の太刀、群千鳥の直垂ならば、まことにて候。」と申す。「さらば、実検あるべし。」とて、新田の四郎を召されければ、黒鞘巻に赤胴造の折れ太刀、群千鳥の直垂に首を包みて、童に持たせ、五郎が弓手の方を間近く、首を見せてぞ通りける。五郎は、今まで思ふ事なく高言してありけるが、兄が首を一目見て、肝魂も失ひ、涙に咽ぶ有様は、盛りなる朝顔の、日影にしをるる如くにて、「無残。」と言ふも余りあり。
ややありて申しけるは、「羨ましくも先立ち給ふものかな。同じ兄弟といひながら、幼少より親の敵に志深くして、一所とこそ契りしに、祐成は、咋夜夜半に討たれ給ふに、時致は、心ならず今まで長らふる事の無念さよ。誰かこの世に長らへて候べき。死出の山にて待ち給へ。やがて追ひ付き奉り、三途の川をば手に手を取り組み渡り、閻魔王宮へは諸共に。」と言ひも果てず、涙に咽びけり。袖にて顔をも押さへたけれども、高手小手に縛められければ、弓手へ傾き、右手へうつぶき、猶しもこぼるる涙をば、膝に顔を持たせつつ、只さめざめと泣き居たり。和田、畠山を始めとして、皆袖をぞ濡らされける。
かかる所に、十郎が太刀を御侍に取り渡し、「よきぞ。」「悪しきぞ。」と申し合ひける。中にも、昨夜追つ立てられ、小柴垣を破り逃げたりし新開の荒四郎実光、進み出て申しけるは、「曽我の者どもは、敵討つて高名はしたれども、太刀こそ悪き太刀を持ちたれ。これ程のえせ太刀を持ちて、君の御前にて、かかる大軍しける不思議さよ。」と言ひければ、時致聞きて、眼を見出し、荒四郎をはたと睨んで、「わ殿は、いづくを見て、それをえせ太刀とは申すぞ。只今御前にて、申して無用の事なれども、男の悪き太刀持ちたるは、恥なる間、申すなり。それこそ、や、殿、よく聞け。平家に聞こえし新中納言の太刀よ。屋島の合戦に、いかがし給ひけん、舟中に取り忘れ給ひしを、曽我の太郎取つて、九郎判官へ参らせしを、義経、『神妙なり。さりながら、御分、高名して取りたる太刀なれば、汝に取らする。』とて、賜はりたる太刀なり。奥州丸といふ太刀、これなり。祐成が元服せし時、曽我殿の賜びたるぞとよ。それに就きては、思ひのままに敵を討ち取りぬ。兄弟して斬りとどむる者、一、二百人こそあるらん。これ程こらへたる太刀を、いかでえせ太刀なるべき。」
実光、なほもとどまらで、「既に太刀折れぬる上は。」と言ひければ、五郎、からからと打ち笑ひ、「人の太刀、『わろし。』と言ふ人、定めてよき太刀は持ちぬらん。但し、あのえせ太刀に追はれて、小柴垣を破りて逃げしはいかに。御分の良き太刀も、心憎からず。」と言ひければ、聞く人皆、汗を流さぬはなかりけり。実光、なまじひなる事を言ひ出し、赤面してぞ立ちにける。「これや、『三思一言思慮あるべき。』にや。」とぞ申しける。
底本頭注
一 五郎御前へ召し出され聞こし召し問はるる事
・景迹――官人の行跡を言ふ令の語。転じて「勘考」の意。
・かまへ――こしらへ。
・いづれを分きて云々――「その働きぶり、五郎との甲乙あり難し。」の意。
校訂者注
一 五郎御前へ召し出され聞こし召し問はるる事
・京に上り――底本、「京にり上」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・ただ法ばかりのそば太刀――底本、「戦ふ許の側太刀」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・嘆かん。無残なり――底本、「さこそ嘆かざらん、無慚なりし」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・小柴垣を破り逃げたりし――底本、「柴垣を破り逃げたりし」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
・三思一言思慮あるべき。』にや――底本、「さんし一言思慮あるべき事にや」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。
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