二 犬房が事

 ここに、祐経が嫡子、犬房とて九つに成りける童あり。御前さらぬ切者にてぞありける。傍らにて父が事をつくづく聞き、さめざめと泣き居たりしが、思ひやかねけん、走りかかり、五郎が顔を扇にて二つ三つ打ちけり。
 時致、打ち笑ひ、「おのれは、祐経が嫡子犬房な。その年の程にて、よくこそ思ひ寄りたれ。打てや打てや、打つべし打つべし、犬房よ。我々も幼少にして、汝が親に父を討たせぬ。年頃の思ひ、いかばかりぞや。今更、思ひ知られたり。まことに、古りにし事を思へば、打つ杖はいたまずして、弱る親の力を嘆きし心ざし、五郎が今に知られたり。」打たるるをば痛まず、ぬしが心を思ひ遣るこそ哀れなれ。「珍しからぬ事なれども、果報ほど勝劣ある物は無し。我々、祐経を思ひかけて、この二十余年の春秋を送りしに、汝はいみじき生まれ性かな。昨夜討ちたる親の敵を、只今、心のままに打つ事の羨ましさよ。それにつきても、前生の宿業こそつたなけれ。現在の果を見て未来を知る事なれば、来世、又いかならん。南無阿弥陀仏。」とぞ申しける。
 犬房は、猶も「打たん。」と寄りけるを、「いかにや。のき候へ。」と縄取の者ども言ひけれども、のかざりけり。御寮、御覧ぜられて、「犬房、のき候へ。なほ物問はん。」と仰せられければ、その時、のきけり。これや、「禽鳥、百を数ふるといへども、一鶴に如かず。衆星、相連なるといへども、一月に如かず。」君の御言葉一つにてぞのきける。

三 五郎が斬らるる事

 さてその後、君、仰せられけるは、「汝が申す処、一々に聞き開きぬ。されば、死罪なだめて召し使ふべけれども、朋輩これをそねみ、自今以後、狼藉絶ゆべからず。その上、祐経が親類多ければ、その意趣逃れ難し。しかれば、向後のために、汝を誅すべし。怨みを残すべからず。母が事をぞ思ひ置くらん。不憫に当たるべし。心安く思ひ候へ。」とて、御硯召し寄せ、「曽我の別所二百余町を、彼等兄弟が追善のために、頼朝一期、母一期。」と、自筆に御判を下され、五郎に戴かせ、母が方へぞ送られける。「げにや、心の猛く情けの深き事、人に勝るるにより、屍の上の御恩、有難し。」と、皆人感じける。これや、文選の言葉に、「晋の文公は、そのあだを親しみて諸侯を悟り、斉の桓公は、そのあだを用ゐて天下をただす。」とは、今の御代に知られたり。
 五郎、詳しく承つて、「首を召されんに於いては、逃るる処なし。暫くも長らへ申さん事、深き愁へと存ずべし。母が事は、忝く仰せ下され候へども、故郷を出し日より、一筋に思ひ切り候ひぬ。御恩に、一時も疾く首を召され候へ。兄が『遅し。』と待ち候べし。急ぎ追ひ付き候はん。」と進みければ力なく、御厩の小平次に仰せ付けられ、斬らるべかりしを、犬房が、「親の敵に候。」とて、平に申し受けければ、渡されにけり。口惜しかりし次第なり。
 祐経が弟に、伊豆の次郎祐兼といふ者あり。五郎を受け取りて出にけり。時致、東西を見渡し、「某が姿を見ん人々は、いかに烏滸がましく思ふらん。さりながら、親のために捨つる命、天神地祇も納受し給ふべし。つけたる縄は、孝行の善の綱ぞ。各々、寄つて手を掛け、結縁し給へ。」と申しければ、「げにも。」と言はぬ人ぞなき。
 その後、五郎をば、はますかに連れて、松が崎といふ所の岩間に引き据ゑ、斬らんとす。時致、見返り申しけるは、「構へてよく斬り候へ。人もこそ見るに、悪しく斬り候はば、悪霊となつて、七代まで取るべし。」と言ひければ、祐兼聞きて、「まことに斬り損じなば、いかなる悪霊にも成るべし。」と思ひしより、膝震ひ、太刀の打ちどもおぼえざりける処に、筑紫のなかだと申しけるは、御家人訴訟の事ありて、左衛門尉につきけるが、訴訟叶ふべき頃、祐経討たれければ、「これらがしわざ。」とや思ひけん、わざと太刀にては斬らで、苦痛をさせんために、鈍き刀にて掻き首にぞしたりける。さしたる親類知音にあらざる者も、別れを惜しみ、名残を悲しまずといふ事なし。
 しかるに、勇士の至つて猛きは、敵を破り、鋭きを砕き、軍の先を駆くる故に、敵のために捕らはるといへども、芸を感じ身を助け、情けをかくるは先規なり。伝へ聞く、紀信が軍車に乗りしも、武威を感じ、楚王、「将になさん。」と言ひしかども、みづから死を望み、沛公、軍を破り、片時も生きん事を悲しみて、戦場の石に脳を砕きて失せにき。よつて、勇士、敵のために命を暫くも全うせざるは、古今の例なり。されば五郎も、「宵にや失せん。」と思ひしが、夜明けて死す事、矢立の杉の一二の枝の言はれなり。

四 伊豆次郎が流されし事

 さても、悪事千里を去る習ひにて、「伊豆次郎、未練なり。」と鎌倉中に披露ありければ、秩父重忠、御前にてこの事を聞き、「曽我の五郎をば、重忠賜はつて、重代のかうひらにて誅し候べきを、不覚第一の伊豆次郎に下し賜はつて、可愛き次第と承り、口惜しく候。」と申されければ、君、聞こし召し、「さやうの不覚人にてあるべくは、誰にても仰せ付けらるべきものを。」とて、伊豆次郎は御不審を蒙り、奥州外の浜へ流されしが、幾程なくて、悪しき病を受けて、同じ年の九月に、二十七歳にして失せにけり。「これ、ひとへに五郎が憤りの報ゆ処にや。」と、唇を返さぬ者はなかりけり。
 時致は五月に斬られければ、祐兼は九月に失せにけり。不思議なりしためし、因果歴然とぞ見えける。

底本頭注
 三 五郎が斬らるる事
 ・紀信――漢の高祖の臣。高祖、榮陽に囲まれし時、高祖の身代はりとなりて、楚軍に降れり。

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校訂者注
 二 犬房が事
 ・衆星、相連なる――底本、「数星、相連なる」。岩波文庫本(1939)本文に従い改めた。