出世景清

第一

 さてもその後、妙法蓮華経観世音菩薩、普門品第二十五は、大乗八軸の骨髄。信心の行者、大慈大悲の光明に預かり奉る、観音威力ぞ有難き。
 ここに平家の一族、悪七兵衛景清は、西国四国の戦ひに、討死すべきものなりしが、死は軽くして易し、生は重くして難し。所詮、命を全くして、平氏の怨敵、右大将頼朝を一太刀恨み、平家の恥辱をすすがんと、落人と成り、尾張国熱田の大宮司に、いささかしるべありければ、深く忍びて居たりけり。元より大宮司は、平氏の重恩の人なれば、深くいたはり、一人姫に小野の姫と聞こえしを、景清にめあはせ、子とも婿ともかしづき給ふ、志こそわりなけれ。
 景清、大宮司の御前に出、「まことに某、無二の御懇志に預かり、長々在居仕り、身は埋れ木と朽ち果てん、末頼みなき身ながらも、せめて頼朝を一太刀窺ひ、君父の恨みを散じ、その後は腹切つて、ともかくも罷りならんと、空しき月日を送り候。しかる処に今朝、屈竟の事を聞き出し候。その故は鎌倉殿は、南都東大寺の大仏殿を御再興あるべしとて、秩父の重忠、かの奉行を承り、きのふの暮ほどに、この所をうつて通り候由。たとへば頼朝、七重八重の城郭に取り籠り、天地に黒鉄の網を張つて、用心厳しく候とも、この景清が一念にて、などか狙はで候べき。さりながら重忠、常に頼朝の傍を離れず、神変不思議を兼ねたれば、その身は都にありながら、心はなほ頼朝殿の傍にあり。かう申す景清は、二相を悟り候へども、重忠は四相を悟る。頼朝に出で合ひ、既に討たんとせし事、三十四度に及べども、かの重忠に隔てられ、終に本望遂げ申さず。しかればまづ、重忠をさへ討ち取らば、頼朝を討たん事、踵をめぐらすべからず。重忠この度、東大寺の奉行に上る事、幸ひかな、仕合せかな。天の時来りたり。忍びやかに南都に下り、重忠が首引つ提げて参らんに、早お暇。」と申さるる。
 大宮司聞き給ひ、「げに屈竟の時節ござんなれ。構へて人に悟られ給ふな。せいて事を仕損ずな。片時も早く。」とありければ、北の方も喜びて、宗盛公より賜び給ふ、あざ丸といふ名剣を景清に賜はり、「首尾よく仕おほせ給ひなば、一日も逗留なく、早く御帰りましませ。」と、門出の杯出さるれば、互に千秋万歳と、獅子の勢ひ龍の勢、勇み勇みて行く虎の、尾張国を立ち出て、奈良の都へ上らるる。
 いで、その頃は文治五年。春過ぎて夏来にけらし白旗の、源氏の大将頼朝は、南都東大寺大仏再興の御願にて、畠山の重忠、奉行職を承り、松にも花を春日野や、飛火の野辺に仮屋を打たせ、横目帳付勘定方、大和大工に飛騨匠、杣人木作、事終はり、今日吉日の柱立て。我が身は桟敷に一段高く、村濃の大幕打たせ、続いて見えしは本田の二郎、その外の侍ども。帳場帳場にしるしを立てて、弓槍長刀吹貫に、柳桜をこきまぜて、花やかなりける御普請なり。
 かくて番匠の棟梁、木工頭修理頭、おのが仕馴れる出で立ち。吉方にうち向かひ、まづ屋固めの祭文を唱へつつ、御幣を振つて再拝し、手斧始めのその儀式、厳重にこそ勤めけれ。むべも富みけりさきくさの、三つ葉四つ葉の大伽藍を、手斧始めの寿に、千代を固めて柱立て。春は東に立ちそむる、これ万物の始めなり。夏は南に巡る日の、あやめが軒や薫るらん。秋は又西の空、尽きせぬ契りかたどりて、天の川原に橋柱、白げ立つるや突き鉋、雲をそなたに槍鉋。冬は北にて筒井筒、水こそ家の宝なれ。巡れや廻れ井戸車、竈賑はふへつつひ殿、まづ陰陽の二柱、二本の柱は女神男神を表したり。三本の柱は三世の諸仏、四本の柱に四天王、四海泰平民安全と、祝ひ籠めたる墨壺の、糸のすぐなる国なれば、宝や宿に三つ目錐、鋸屑のかずかずと、浜の真砂と君が代は、数へ尽くさじ、面白や。
 しかるにこの大伽藍と申すは、聖武皇帝の御建立、三国無双の霊場なり。兜率天の内院を、さもありありと移さるる。堂の高さは二十丈、仏の御丈は十六丈、雲に続けばおのづから、月を後光と三笠山。柱の数は天台の、一念三千の機を表して、三千本と定まれり。軒の垂木は法華経の文字の数、六万九千三百八十四本なり。山門には獅子の狛。さて正面より四方四面の扉々の彫物には、松に唐竹、牡丹に獅子。豹と虎とが威勢を争ひ、百千万の獣を、ぼつたてぼつたてくるりくるりと、巌に追ひ上げ追ひ下ろし、風にうそぶく波間より、紫雲を巻いて昇り龍、又下り龍。玉をつかんで虚空に捧げ、鱗を立てたるその勢ひ、手を尽くさせて彫り尽くし、さて棟瓦軒瓦、金銀瑠璃玻璃しやこ瑪瑙、珊瑚琥珀水晶を、葺き立て葺き立て、珊瑚樹の木舞をひつしと打つたる台には、金欄錦に柱を包んで、黄金の鋲を輝かせん。棟木を負ふの柱をして、南畝の農夫よりも多く、梁に架するの垂木は、機上の工女よりも多く、釘頭の磷々たるは、庾にあるの粟よりも多く、旦暮の説法読誦の声は、市人の言語よりも多からしむ。仏法繁昌、四海鎮護の大伽藍、如意満足の柱立て、めでたしめでたし、おおめでたしと、手斧押つ取りちやうちやうちやう、槌押つ取つてはしつていしつてい、鉋取りのべさらさら、えいさらさらさら、さらちやうちやうと、打ち始め取り始め、三三九度の御酒を捧げ、千たび百たび祈念して、重忠に色代し、棟梁、座をぞ下りける。手斧始めも事過ぐれば、数千番匠下々まで、皆々小屋にぞ入りにける。
 遥かの後より、四十ばかりの男なるが、人足と思しくて、昼餉の櫃をになひ、頬かぶりして通りける。秩父の執権、本田の二郎、きつと見て、「やあ、これなる下郎めは、かかる晴れいの庭なるに、頻かぶりは緩怠なり。色代せよ。」と咎むれば、かの男、小声になり、「作法も知らぬ下々なれば、御免。」と言ひて、つつと通る。「どこへ、どこへ。さてさてぞんざい千万なる奴めかな。頬かぶりを取らずんば、誰かある。それ、ぶて、叩け。」と下知すれば、中間ども承り、一度にはらりと取り廻す。
 番匠の棟梁、この由を見るよりも、「いや、これ、本田殿。きやつはその日雇ひの人足にして、差別も知らぬ下郎なれば、さぞ推参も候べし。さりながら、かかるめでたき折なれば、ただ何事も穏便に計らひ給へ。」と申しける。本田、聞きも入れず、「いやさ、彼めは、ちと人に似たるものの候。」と言へば、「さて珍しや、本田殿。人が人に似たるとは、事新しう候。いかに、下郎め。おのれ、大分の銭を取りながら、かだをして働かず、横着ひろぐ故にこそ、人々にも怪しまれ、祝儀に邪魔をなしけるよ。価を損にするまでぞ。罷り帰れ。」と叱りければ、よき幸ひと景清は、になひし櫃を下ろし捨て、迷惑さうに揉み手をして、表にこそは出らるれ。
 重忠、幕の内より御覧じて、「暫く、暫く。いかに、方々。平家の落人、ここかしこに忍び居て、君を狙ふと聞きけるが、只今の人足、まさしく悪七兵衛景清と見しは、僻目か。やあ、あれ、余すな。言うてもこれは、一大事の柱立ての清めの庭。穢らはしてはいかがなり。前なる野辺に追ひ出し、討つて捨てよ。」と宣へば、元よりはやる関東武者、我も我もと駆け向かふ。
 景清、これを見て、になひ棒に仕込みたる、件のあざ丸、するりと抜いてさしかざし、大勢を弓手に受け、頭を叩いてからからと笑ひ、「これ、お侍。某は、尾羽を枯らせし鎌倉の、浪人者にて候が、朝夕に迫り、かかる侘しき営みを仕る。さすが人目の恥づかしく、面を隠してありければ、何ぞや、某を悪七兵衛景清とは、眼がくらみてありけるか。但しは、その景清が恐ろしさに、面影に立ちけるか。よし、何にもせよ、これ程まで雑言せられ、堪忍罷りならず。景清程こそあらずとも、そつと手並を見せんず。」と、例のあざ丸、小脇にかい込み、多勢が中に割つて入り、火水になれとぞ切り合ひける。時刻も移らぬその内に、十四、五人切り伏せ、「重忠に見参せん。」と、ここの詰まり、かしこの隈に、駆け入り駆け入り騒げども、大勢に隔てられ、今は早これまでなり。深入りして雑兵に手負うせられては、景清が末代の名折れなり。またこそ時節あるべけれ。いで、追つ払うて落ち行かんと、番匠箱を押し開き、大鑿小鑿、手斧鋸槍鉋、屈竟一の手裏剣と、押つ取り押つ取り打つ立つれば、さしもに勇む軍兵ども、「わつ。」と言うてはさつと引き、猶も寄せ来る者どもを、小屋の小柱引ん抜いて、八方むぐうに振り廻れば、秋の嵐に散る紅葉、むらむらばつとぞ逃げにける。
 「おお、さも候ず。さもあらん。この度は仕損ずとも、この景清が一念の、剣は岩を徹さんものを。」と、躍り上がり跳び上がり、歯噛みをなして行く雲の、月の都に上りける。「悪七兵衛が力業、早業軽業神通業、ただ飛ぶ鳥の如くなり。」とて、恐れぬ者こそなかりけれ。

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校訂者注
 ・さつと引く――底本「さつと引き」。『近松全集 第1巻』により改めた。