第二

 さる程に、まことや、猛きもののふも、恋にやつるる習ひあり。薪を負へる山人も、立ち寄る花の景清も、常に清水寺の観世音を信じ奉り、参詣の道すがら、清水坂の片ほとりに、阿古屋といへる遊君に、仮初臥しの仮枕、いつしか馴れて今は早、二人の若をぞ儲けける。兄の弥石六歳、弟の弥若四歳にて、世におとなしくぞ見えにける。阿古屋は元より遊女なれども、妹背の情けこまやかに、世になき景清をいとほしみ、二人の子供を養育し、兄には小弓小太刀を持たせ、父が家督を継がせんと、習はぬ女の身ながらも、兵法の打ち太刀し、武道を教ふる心ざし、類稀にぞ聞こえける。
 かかる処へ、悪七兵衛景清は、重忠を討ち損じ、やうやうとして清水や、阿古屋が庵に着き給ふ。女房、子供を引き連れ、「こは珍しや。何として御上り候ぞ。まづこなたへ。」と請じける。
 景清、申しけるは、「内々、御身も知る如く、我、平家の御恩を報ぜんため、鎌倉殿を狙へども、その甲斐なく、一両年は、尾張国熱田の大宮司に匿はれ、空しく月日を送りし処に、この度、畠山の重忠、東大寺再興の奉行に上るを良きしほと、まづ重忠を狙はんため、我が身を卑しき下郎にしなし、既に間近く付け寄せしが、運強き重忠にて、我らが智略顕はれ、本意なくも討ち損じ、一向に重忠と刺し違へ、死なんとは思ひしが、思へば御身が懐かしく、子供が顔をも見まほしく、無念ながらも長らへて、さて只今の仕合せなり。まことに久しく会はぬ間に、子供もいたう成人し、御身もずんど、女房をし上げたり。何でも今宵はしつぽりと、積もるつらさを語らん。」と、しとと寄れば、「ええ、栄耀らしい。かく浪人の憂き身と言ひ、殊更、敵を持つたる身が、せめて一年に一度の便りをも、し給はず。おお、それも理よ。この頃聞けば、大宮司の娘、小野の姫とやらんに、深い事と承る。尤もかな。みづからは子持ち筵のうらぶれて、見る目に嫌と思すれども、子にほだされて御出か。悋気するではなけれども、浮世狂ひも年による。しやほんに可笑しいまで。よい機嫌ぢや。」とありければ、景清、打ち笑ひ、「これは迷惑。その大宮司の娘、小野の姫には、しかじか物をも言はばこそ。八幡八幡、さうした事で更になし。そちならで世の中に、いとしい者があるべきか。」と、なほこそもたるる袖枕。阿古屋も心打ち解けて、思ふ余りの恋いさかひ、犬が食ふとやこれならん。銚子杯携へて、弥石に酌取らせ、三年積もりし物語、語らひ明し給ひける、契りの程こそゆかしけれ。
 景清、宣ふやう、「我、久しく尾州に蟄居して、観音参詣怠れり。在京の間は、一まづ日参の志あり。さりながら、これより毎日往来せば、人の咎めもいかがなり。轟の御坊にて、一七夜は通夜申し、やがて帰り対面せん。」と、編笠取つて打ちかづき、表をさして出給へば、弥石、門まで送り出、「さらば、さらば。」の小手招き、しをらしかりける生ひ先なり。
 ここに、阿古屋が一腹の兄、伊庭の十蔵広近は、北野詣をしたりしが、大息ついで我が家に帰り、妹の阿古屋を傍らに招き、「これを見よ。まことに果報は寝て待てとや。悪七兵衛景清を、討つてなりとも搦めてなりとも、参らせたるものならば、勲功は望み次第との、御制札を立てられたり。我らが栄華の瑞相、この時とおぼえたり。兵衛はいづくにありけるぞ。はや六波羅へ訴へて、一かど御恩に預からん。いかに、いかに。」と申しける。
 阿古屋は暫し、返事もせず、涙にくれて居たりしが、「なう、兄上。そもや、御身は本気にて宣ふか。但しは狂気し給ふかや。わらはが夫にて候へば、御身のためには妹婿、この子は甥にて候はずや。平家の御代にて候はば、誰かあらう景清と、飛ぶ鳥までも落ちし身が、今この御代にて候へばこそ、数ならぬ我々を頼みて御入り候ものを。たとへば日本に唐土を添へて賜はるとて、そもや訴人がなるべきか。飛ぶ鳥、懐に入る時は、狩人も助くるとよ。きのふまでも今朝までも、隔てぬ仲を、そもやそも、逃れうものか。さりとては、人は一代、名は末代。思ひ分けても御覧ぜよ。」と、泣いつ口説いつとどめける。
 十蔵、からからと打ち笑ひ、「やれ、名を惜しんで得を取らぬは、昔風の侍とて、当世ははやらぬ古い事。その上御辺が、夫よ、妻よなんどとて、心中立てはしけれども、あの景清はな、大宮司が娘、小野の姫神に最愛し、御身が事は当座の花。後悔するとも叶ふまじ。女さかしくて牛売られぬとは、御分が事ぞ。諸事は兄に任せよ。」と、跳んで出づれば又引きとどめ、「いや、大宮司の娘は、人の言ひなし、悪口ぞや。景清殿に限り、さやうの事は候まじ。よし、人はともかくも、わらはが二世の夫ぞかし。さ程に思ひ据ゑ給はば、子供もわらはも害して後、心のままになし給へ。やあ、生けらん内は叶はじ。」と、すがり付いてぞ泣き給ふ。
 しかる処へ、「熱田の大宮司よりの飛脚なり。景清様の御旅宿所は、これにてや候やらん。」と、やがて文箱を出しける。十蔵、出合ひ、「いかにも、いかにも。これは、景清殿の旅宿にて候が、宿願あつて兵衛殿は、清水参詣致され候。御文を預かり置き、帰られ次第、見せ申さん。明日、御出候へ。」と飛脚を帰し、兄妹、文を開いて見れば、小野の姫の文にてあり。「仮初に御上りましまして、いなせの便りも、し給はぬは、かねがね聞きし、阿古屋といへる遊女に、御親しみ候か。未来をかけし我が契り、いかが忘れ給ふか。」と、細々とぞ書かれける。
 阿古屋は読みも果て給はず、はつとせきたる気色にて、「恨めしや、腹立ちや、口惜しや、妬ましや。恋に隔てはなきものを、遊女とは何事ぞ。子のある仲こそまことの妻よ。かくとは知らではかなくも、大切がりいとしがり、心を尽くせし悔しさは。人に恨みはなきものを、男畜生、いたづら者。ああ恨めしや、無念や。」と、文ずんずんに引き裂きて、かこち恨みて泣き給ふ。理とこそ聞こえけれ。
 十蔵喜び、「それ見たか。この上は、片時も早く訴人せん。もはや思ひ切つたか。」と言へば、「おお、何しに心の残るべき。せめて訴人してなりとも、この恨みを晴らして賜べ。」「げに、よき合点。」と立ち出づれば、又、「暫く。」と引きとどめ、「とは言ひながら、いかに恨みがあればとて、夫の訴人はなるまいか。いや、又思へば腹も立つ。憎いは女め。ええ、是非もなや。」と、或いはとどめ、或いは勧め、身をもだえてぞ嘆かるる。
 十蔵、袂を振り切つて、「ええ、輪廻したる女かな。そこのけ。」と突きのけて、六波羅さして急ぎしは、料簡もなき次第なり。
 かくとは知らで景清は、清水寺に参籠し、轟の御坊に通夜申し、同宿達に双六打たせ、助言してこそ居られけれ。頃は卯月十四日、夜半ばかりの照る月に、ひた兜五百余騎、江間の小四郎大将にて、訴人の十蔵、真先にかけ、轟の御坊、二重三重に取り廻し、鬨の声をぞ作りける。元来こらへぬ荒法師、門外に突つ立つて、「そも、この寺は、田村将軍この方、守護不入の霊地なるに、狼藉は何者ぞ。夜盗なんどとおぼえたり。あれ、討ちとれ、小僧ども。」と声々に呼ばはれば、江間の小四郎、駒駆け寄せ、「さな言はれそ、法師達。御坊に咎はなけれども、平家の落人、悪七兵衛景清、今宵、ここに籠りし由、伊庭の十蔵、訴人によつて、義時、討手に向かうたり。異議に及ばば、寺とも言はせじ、沙門とも言はすまじ。片端切つて、切り散らせ。」と言ひもあへぬに、「悪七兵衛、これにあり。」と切つて出づる。
 常陸の律師永範、この由を見るよりも、「慈悲第一のこの寺にて、信心の行者を空しく討たせて、観世音の誓願はいかならん。防げや、法師ばら。支へよや、下僧ども。」「承り候。」と、衣の袖を絞り上げ、得物得物を引つ提げて、三十余人の荒法師、五百余騎に突つ支へて、命を惜しまず戦ひける。五百余騎が四方に分かつて、隙をあらせず防げども、景清、飛鳥の術を得たれば、左右なく討たれんやうもなし。双方、白みて控へたり。
 景清、縁ばなに突つ立つて、「今宵の訴人は、妻の阿古屋、同じく兄の十蔵とおぼえたり。おのれ、数年の恩愛を振り捨て、大欲に耽る愚人ども。勿体なくも、この御寺に血をあやす奇怪さよ。とても世になき某が、おのれらが身のためならば、何條、命惜しからん。人多く討たせんより、女房兄弟折り合ひて、搦め取れ。」とぞ喚きける。十蔵が下人二三太といふ者、分別もなく跳んでかかる。景清、につこと打ち笑ひ、傍にありける双六盤、片手に取つて投げつくれば、二三太が真向に、響き渡つてはつしと当たれば、首は胴にぞにえ込みける。「おお、でつくともせぬでつちめが、手柄しさうに見えたれども、ぐしぐしと成りけるは、まことにぐにん、夏の虫。」と戯れて立つ処を、十蔵、続いて切つてかかる。景清、長刀押つ取りのべ、「虫同然のこつぱ武者。娑婆の訴人はこれまでぞ。閻魔の庁にて訴人せよ。」と、受けつ流しつ切り結ぶ。江間の軍兵、これを見て、「訴人討たすな。加はれ。」と、どつと連れて押し隔つる。「心得たり。」と景清は、西門を小楯に取り、入れ替へ入れ替へ、大勢を左右に受け、眉間真向鎧の外れ、嫌はず余さず打ち立つる。こは叶はじと軍兵ども、十蔵を引つ包み、六波羅さしてぞ引きにける。
 景清、今はこれまでと、音羽の山の峯を越え、梢を踏み分け巌を起こし、跳び越え跳ね越え、刹那が間に飛ぶが如くに、東路さして落ち行きしは、まことに希代のもののふやと、さて感ぜぬ者こそなかりけれ。

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