第三

 かくてその後、悪七兵衛景清、行方知れずなりたれば、最も天下の御大事と、諸国のゆかりを詮議あり。中にも熱田の大宮司は、現在の舅とて、千葉の小太郎搦め取つて、警固厳しく打ち連れさせ、六波羅に引き据うる。梶原源太、大宮司に対面し、「汝は当家の大敵、平氏の落人景清を、婿に取るのみならず、あまつさへ行方もなく落としける。罪科甚だ軽からず。いづ方へ落としけるぞ。まつすぐに申せ。少しも陳ぜば拷問せん。」と、はつたと睨んで怒りける。
 大宮司聞き給ひ、「仰せの如く景清とは、縁を結び候へども、去年の春、国元を立ち出、今に便りも候はず。土も木も、源氏一統の御代なるに、一旦陳じ申すとて、隠し遂げられ申すべきか。婿に取りしを曲事とて、誅せられんは力なく候。行方に於いては存ぜぬ。」と、言葉涼しく申さるる。重忠仰せけるは、「尤も、尤も。たとへ行方を知つたればとて、婿の訴人は致されまじ。たつてはこの方の不調法。いかに、梶原殿。かの景清は、仁義第一の勇士なれば、所詮、大宮司を牢舎させしと伝へ聞かば、舅の難を救はんため、おのれと名乗つて出ん事は、目前に見え候。この儀はいかに。」とありければ、各々、「評定、尤も。」と、六波羅の北の殿に、新造の牢を建て、大宮司を押し籠めさせ、厳しく番をぞせさせける。

小野の姫道行

 人につらくは当たらねど、何の報いや袖の露、枯れも果てなで小野の姫、痛はしや、去年の春、夫は都へ去にしより、阿古屋の松の夕時雨、染め付けられて若紅葉、こひ散らんと明け暮に、人目包みてくいくいと、案じ煩ふ身の上に、父は都の六波羅へ、とりこと成りてあさましや、憂き目に遭はせ給ふとの、その音づれを聞きしより、思ひに思ひ積み重ね、せめては憂きに代はらんと、乳母ばかりを力にて、旅の衣手。
 涙冷たき紅に、紅絹裏濡れて夕されし、空飛ぶ鳥の帰るさに、物忘れせぬ古里の、風も我が身に吹き替へて、今の門出を尾張ぞと、国の名残も慎ましく、身の種蒔きしうぶの神、熱田の宮居伏し拝み、父と夫とを安穏に、悪魔払へと取る弓の、桑名の舟に梶枕、敷き寝の苫の荒筵、はだへに荒れてつらけれど、恋する海人が鴛鴦の、夜の衾とみるめ刈る、かづく刈藻は何々ぞ。歌に詠まれしひじきもや、かだめ甘海苔、春も又、若布交じりの目刺干す、塩屋が軒に竹見えて、をさな鴬音をぞ鳴く、花に紛ひの桜海苔、天を浸せば雲のりに、月を包みてかるとはすれど、手には取られぬ桂男の、ああいぶりさは、いつあを海苔もかだ海苔と、身のさがらめをなのりそや。あら珍しと荒布刈る、二見の浦は遥々と、松の群立ち色の浜、蒔絵によくも似たるよな。あとはしら雲とばかりを、故郷の夢と空さめて、庄野に続く亀山は、誰がため長き万代と、かこつ涙は堰きもせで、何をか関の地蔵堂、せめて未来を頼まばや。上り下りて坂の下、谷の川瀬にからころと、鳴るは河鹿の鳴く声か、小石流れて行く音か、いや水の泡散る玉でないよの。駒の膝節、ちりからからりの鈴鹿山、賤が草鞋の営みに、更けて藁打つつち山や、だての旅路に行くならば、買うてもたもれ水口の、つづら小笠に露漏りて、おのがままなる鬢水は、櫛にたまらぬ乱れ髪、とく疾く行けば洛陽や、六波羅にこそは着かれけれ。

 さて父上のおはします、牢屋はいづこなるらんと、ここかしこにたたずみ給へば、折もこそあれ梶原源太、町廻りして帰るさに、この体をきつと見て、「きやつが有様、只者ならず。何者候。」と咎めける。姫君、聞こし召し上、「さん候。みづからは、尾張の大宮司が娘なるが、故もなきに父を取られ候故、我、命に替はらんため、これまで参り候。」と、言はせも果てず景季、「おお、皆までも言ふな。おのれが親の大宮司に、景清が行方を、言へと言へども知らぬと言ふ。おのれは夫婦の事なれば、よも知らぬ事はあるまじ。既に清水坂の阿古屋は、子のある仲さへ振り捨てて、一度注進申せしぞや。ありのままに白状せよ。」と、小腕取つて怒りける。「なう、恨めしや。命を捨てて、これまで出づる程の心にて、たとへ行方を知つたればとて、申さうか。この上は、水責め火責めに遭ふとても、夫の行方は存ぜぬなり。ただ父上を助けて賜べ。」と、声も惜しまず泣き給ふ。
 「おお、言ふまでもない事さ。おのれ落ちずば、ただ置くべきか。」と、高手小手に縛り付け、六條河原に引き出し、種々に拷問したりしは、なう、情けなくこそ見えにけれ。梶原親子が奉行にて、方一町に垣を結ひ、突く棒刺す又鉄の棒、兵具ひつしと並べしは、さながら修羅の獄卒が、八逆五逆の罪人を、呵責にかくる如くなり。
 痛はしや、小野の姫。荒き風にも当てぬ身を、裸になして縄をかけ、十二の梯子に胴中を縛り付け、哀れも知らぬ雑人ども、湯桶に水をつぎかけつぎかけ、「落ちよ、落ちよ。」と責めけるは、ただ瀧津瀬の如くにて、目も当てられぬ景色なり。無残やな、小野の姫、息も早絶え絶えに、心も乱れ目くるめき、既に最期と見えけれども、いやいや、武士の妻と成り、心弱くて叶はじと、さあらぬ体にもてなし、「いかに、方々。夫の景清、常に清水寺の観世音を信仰し、我にも信じ奉れと、深く教へ給ふ故、今とても尊号を、絶えず唱へ奉れば、この水は観音の、甘露法雨とおぼえたり。今この水にて、死する命は惜しからず。夫の行方は知らぬぞや。千日千夜も責め給へ。南無や大悲観世音。」と、苦しき体を押し隠し、潔くは宣へども、さすが強き拷問に、声も濁りて身も震ひ、弱々と成り給ふは、さても悲しき次第なり。
 「この分にては落ちまじきぞ。やれ、古木責めにせよや。」とて、細首に縄を付け、松の枝に打ちかけて、「えいや、えいや。」と引き上ぐる。下ろせば少し息をつぎ、引き上ぐれば息絶ゆる。哀れと言ふも余りあり。「たとへいかなる鬼神も、これにては落つべし。」と、二、三度、四、五度責めければ、今はかうよと見えけるが、また目を開き、「なう、梶原殿。この木の上に吊り上げられ、世界を一目に見下ろせども、夫の行方は見え申さず。方々も慰みに、ちつと上がつて見給はぬか。これへ、これへ。」とありければ、景時、腹に据ゑかね、「さてさて、しぶとき女かな。この上は引き下ろし、火責めにせよ。」と、炭薪を積み重ね、団扇を以てあふぎ立てあふぎ立て、天をかすめし黒煙、焦熱地獄と言つつべし。
 既に責めんとせし処に、悪七兵衛景清、いづくにてか聞きたりけん、諸見物のその中を、跳び越え跳ね越え、垣の内に躍り入り、「こりや、景清ぞ。見参。」と、辺りをはつたとねめ廻し、二王立ちにぞ立つたりける。姫君、はつと肝潰れ、立ち寄らんとし給へば、人々、取つて引つ据ゑ、「すは、景清を逃すな。」と、一度にはらりと取り廻す。景清、からからと笑ひ、「ええ、仰々し。この景清が隠れんと思はば、天にも昇り、地をもくぐらんずれども、妻や舅が憂き目を見る悲しさに、身を捨てて出たれば、もはや気遣ふ事は無し。さあ、寄つて縄をかけ、六波羅へ連れて行き、妻や舅を助けよ。」と、手向かひしてんず気色なし。
 姫君、涙を流し、「口惜しの有様や。みづからや父上は、生きて甲斐なき憂き身なるに、御身は長らへ、本望遂げんとは思さず、何とてこれへは出給ふ。あさましの御所存や。」と、又さめざめと泣き給ふ。景清も涙を押さへ、「おお、頼もしの心底や。人は素性が恥づかしし。子仲をなせし阿古屋めが、夫の訴人をしたりしに、御身は命に替はらんとは、頼もしや、嬉しやな。さりながら、父大宮司の御事、心もとなうおぼゆれば、御身はこれより疾う疾う帰り、菩提をとうて賜び給へ。」と、鬼をあざむく景清も、不覚の涙を流しける。理せめて哀れなり。
 この事、六波羅に聞こえしかば、重忠、大宮司を同道にて、六條河原に馳せ来り、「さても景清、人の難儀を救ひ、我が身を名乗りて出らるる段、近頃神妙。尤もかうこそあるべけれ。この上は、小野の姫、大宮司、共に御赦免なさるる條、景清に縄をかけ、急ぎ引つ立て申すべし。」畏つて人々、「縄よ、綱よ。」とひしめけば、景清喜び、「それこそ望む処よ。」と、千筋の縄をかかり、先に進めば、小野の姫、「なう、みづからも諸共。」と、駆け出、取り付き泣き給ふを、大勢、中を押し隔て、辺りを払つて引つ立て行く。かの景清の心底、勇あり義あり誠あり、前代未聞の男子なりとて、皆感ぜぬ者こそなかりけれ。

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校訂者注
 ・つらけれど――底本「つられければ」。『近松全集 第1巻』により改めた。