第四

 かくてその後、げにや猛将勇士も、運尽きぬれば力なし。不憫やな景清、鎌倉よりの評定にて、六波羅の南おもてに、初めて牢を建てさせらる。櫟白樫、楠の木栂の木、長さ一丈に取らせ、地へは七尺掘り入れ、上三尺の詰牢に、しこの木を以て蜘手格子に切り組んで、一尺二寸の大釘の、裏を返さず打つたれば、剣を植ゑたる如くなり。七尺豊かの景清を、二重に取つて押し入れ、髪を七把に束ねて、七方にこそ吊つたりける。足を牢より引き出し、弓手右手へ取り違へ、山出し七十五人して、曳いたる楠の木にて上げほだしを打たせ、七錠詰金、唐々枢、千引の石、材木を積み重ね、首には根掘りの大筒を、三本までかづかせたり。「諸人に見せて恥かかせよ。」と、番も警固も付けざれども、なかなか五体働かず。
 されば、文王は羑里に捕らはれ、公冶長は刑戮にかかれり。君がため名のため、何ぞかつて憂へんと、観音経の読誦のほか、世間口を閉ぢたれば、声聞、耳にとざせり。動くものは両眼のみ、見る目も悲しく哀れなり。
 いたはしや小野の姫、不思議の命助かり、牢屋近きに宿を取り、酒菓物を調へて、牢の格子に立ちかかり、いたはり給ふぞ哀れなり。やうやうとして景清、心地よげに酒を呑み、「今日は一しほ骨髄に徹つて候。まことに御身の心ざし、いつの世にかは忘るべき。さて、仮初ながら某は、天下の朝敵。定めて最期も遠からじ。今景清が生きたる顔を形見にて、疾う疾う御身は尾張へ下り、後世弔うて賜び給へ。これにつけても、阿古屋めが心底の恨めしさよ。二人の子供も今は早、殺して捨てつらん。思へば思へば景清が、運の尽きこそ口惜しけれ。」と、恨みかこちて泣き給ふ。
 姫君も涙を流し、「御仰せはさる事なれども、とてもみづからは、御最期の先途を見届け、とにもかくにもなり参らせん。一日も一時も御命のあらん内は、往生の御営みを心にかけて、何事も定まる事と思し召し、人をな恨み給ひそよ。いつまでもこれにありたく候へども、人目繁う候へば、明日又参り申さん。」と、泣く泣く帰り給ひける。
 これはさて置き、阿古屋の前、弥石弥若諸共に、山崎山の谷蔭に、深く隠れておはせしが、景清牢舎と聞くよりも、我が身もあるにあらればこそ。六波羅に走り着きて、この体を一目見て、「なう、あさましの御風情やな。やれ、あれこそ父よ、我が夫。」と、牢の格子にすがり付き、泣くより外の事ぞなき。景清、大の眼にかどを立て、「やれ、物知らずめ。人間らしく言葉をかくるも無益ながら、か程の恩愛を振り捨て、夫の訴人をしながら、何の生面下げて、今この所へ来りしぞ。おのれ、指一つかなひなば、掴みひしいで捨てんものを。」と、歯噛みをしてぞ居られける。
 「げに、御恨みは理なれども、わらはが事をも聞き給へ。兄にて候十蔵、訴人せんとせしを、再三とどめて候処に、大宮司の娘、小野の姫とやらんより、親しき御文参りし故、女心のあさましさは、嫉妬の恨みに取り乱れ、後先のふまへもなく、当座の腹立ち遣る方なく、ともかくもと申しつる。後悔、先に立たばこそ。さはさりながら、嫉妬は殿御のいとしさ故。女の習ひ、誰が身の上にも候ぞや。申し訳致す程、皆言ひ落ちにて候へども、今までのよしみには、道理一つを聞き分けて、ただ何事も御免あり、今生にて今一度、言葉をかけて賜び給はば、それを力に自害して、我が身の言ひ訳立て申さん。」と、地にひれ伏してぞ泣き居たる。
 無残やな弥石、父が姿をつくづく見て、「なう、父上ほどの剛の者が、なぜやみやみとは捕らはれ給ふぞ。いで、押し破つて助け奉らん。」と、柱に手をかけ、「えいや、えいや。」と、押せども引けども揺るがばこそ。不憫なりける所存なり。弟の弥若は、ほだしの足に抱き付き、「痛いかや、父上様。なう、痛むかや。」と撫で上げ撫で下げさすり上げ、兄弟、「わつ。」と叫びければ、思ひ切つたる景清も、不覚の涙は堰きあへず。
 ややあつて涙を押さへ、「やれ、子供よ。父がかやうになつたるは、な、皆あの母が悪心にて、縄をも母がかけさせ、牢にも母が入れけるぞ。邪慳の女が胎内より、出たる者と思へば、汝らまでが憎いぞや。父とも思ふな、子とも思はじ。早々帰れ。」と叱るにぞ、子供は母にすがり付き、「なう、父を返しや、父上返しや。」とねだれ嘆きし有様は、目も当てられぬ次第なり。阿古屋は余りたへかねて、「よし、この上は、みづからはともかくも、可愛やな、兄弟に、優しき言葉をただ一言、さりとてはかけて賜べ。なう、子は可愛うは思さぬか。」と、又せき上げてぞ嘆かるる。
 景清、重ねて、「おことがやうなる悪人に、返事もせじとは思へども、な、今の悔みを、など最前には思はざりしぞ。されば天竺に、獅子といふ獣あり。身は畜生にてありながら、智恵、人間に越えたれば、狩人にも捕られず、かへつて人を捕り食らふ。されども腹中に、妬毒といへる虫あつて、この虫、毒を吐く故に、体を破つて自滅すなり。されば、女の嫉妬のあだ、人を恨むと思へども、夫婦は同じ体なれば、皆これ、我が身を責むる理。わ御前がやうなる我慢愚癡の猿智恵を、獅子身中の虫に譬へて、仏も戒め給ふぞや。汝が心一つにて、本望遂げず。あまつさへ、恥辱の上の恥辱を取り、今言ひ訳して、妻子が嘆くを不憫よとて、日本一の景清が、再び心を返すべきか。何ほど言うても、汝が腹より出たる子なれば、景清が敵なり。妻とも子とも思はぬ。」と、思ひ切つてぞ居たりける。「さてはいか程申しても、御承引あるまじきか。」「おお、くどい、くどい。見苦しきに、早々帰れ。思ひ切つたぞ。」
 「なう、もはや長らへて、いづ方へ帰らうぞ。やれ、子供よ。母が誤りたればこそ、かく詫び言致せども、つれなき父御の言葉を聞いたか。親や夫に敵と思はれ、おぬしらとても生き甲斐なし。この上は、父親持つたと思ふな。母ばかりが子なるぞや。みづからも長らへて、非道の憂き名流さん事、未来をかけて情けなや。いざ諸共に、死出の山にて言ひ訳せよ。いかに、景清殿。わらはが心底、これまで。」と、弥石を引き寄せ、守り刀をずはと抜き、「南無阿弥陀仏。」と刺し通せば、弥若驚き、声を立て、「いやいや、我は母様の子ではなし。父上、助け給へや。」と、牢の格子に顔を差し入れ差し入れ、逃げ歩く。
 「ええ、卑怯なり。」と引き寄すれば、「わつ。」と言うて手を合はせ、「許して賜べ、こらへて賜べ。明日からはおとなしう、月代も剃り申さん。やいとをも据ゑませう。さても邪慳の母上様や。助けて賜べ、父上様。」と、息をはかりに泣き喚く。「おお、理よ。さりながら、殺す母は殺さいで、助くる父御の殺さるる。あれ見よ。兄もおとなしう死したれば、お事や母も死なでは、父への言ひ訳なし。いとしい者よ、よう聞け。」と、勧め給へば聞き入つて、「ああ、それならば死にませう。父上、さらば。」と言ひ捨てて、兄が死骸に寄りかかり、打ちあふのきし顔を見て、いづくに刀を立つべきと、阿古屋は目もくれ手もなえて、まろび伏してぞ嘆きしが、「ええ、今は叶ふまじ。必ず前世の約束と思ひ、母をばし怨むるな。おつつけ行くぞ、南無阿弥陀仏。」と胸元を刺し通し、「さあ、今は恨みを晴らし給へ。迎へ給へや、御仏。」と、刀を咽に押し当てて、兄弟が死骸の上にかつぱと伏し、共に空しくなり給ふ。さても是非なき風情なり。
 景清は身を悶え、泣けど叫べど甲斐ぞなき。「神や仏はなき世かの。さりとては、許してくれよ、やれ兄弟よ、我が妻よ。」と、鬼をあざむく景清も、声を上げてぞ泣きゐたり。物の哀れの限りなり。
 かくとは知らで伊庭の十蔵、梶原が取りなしにて、少々勲功に預かり、若党小者あまた連れ、遊山より帰りしが、この体を見て肝を潰し、「これはさて、しなしたり、しなしたり。不憫の事を見るものかな。これ、侍ども。我、この如く御恩賞を受け、栄耀栄華に栄ゆるも、きやつらを世にあらせんため。この頃、方々尋ねしかども、その行方のなかりしが、さては何者ぞ、偏執を起こし、害せしか。但しは大宮司が計らひとおぼえたり。よし、何にもせよ、なほ景清に言ひ分あり。まづまづ死骸を取り置け。」と、傍らに葬らせ、牢屋に向かつて立ちはだかり、「これさ、妹婿殿。いかに怨みあればとて、現在の妻子を殺させ、腕叶はずば、など生き骨でも立てざるぞ。内々は某、御辺が命を申し受け、出家せさせんと思ひしが、もはやほつてもならぬ、ならぬ。侍畜生、大たはけ。」と、厳つはいてぞ申しける。
 景清、くつくつと吹き出し、「こりや、うろたへ者。あの者どもは、おのれが貪欲心を悲しみ、自害したるが知らざるか。それさへあるに、うぬめが口から侍畜生とは、誰が事ぞ。命惜しむ程ならば、かかる大事を巧むべきか。まつた、生きようと思ふ程ならば、へろへろ柱の五十や百、この景清が、物の数と思ふべきや。心静かに観音経読誦する嬉しさに、慰み半分に牢舎してあるものを、緩怠過ぎたるたは言つき。二言と吐かば、掴みひしいで捨てんず。」と、はつたと睨んで申さるれば、十蔵、からからと笑ひ、「その縛めにあひながら、某を掴まんとは、腕なしのふりずんばい、片腹痛し、事可笑し。幸ひ、この頃けんびき痛きに、ちつと掴んでもらひたし。」と、空うそぶいてぞゐたりける。
 景清、腹に据ゑかね、「いで、もの見せん。」と言ひもあへず、「南無千手千眼、生々世々、一聞名号滅重罪、大慈大悲観音力。」と、金剛力を出し、「えいやつ。」と身ぶるひすれば、大釘大縄、はらはらずんど、切れてのいた。閂取つて押しゆがめ、扉をかつぱと踏み倒し、大手を広げて躍り出、八方に追ひ廻すは、荒れたる夜叉の如くなり。群がりかかる若党中間、はらりはらりと蹴倒し、十蔵をかい掴み、取つて押し伏せ、背骨も折れよとどうと踏まへ、「何と、景清を訴人して、御褒美に預かり、栄華と言へるはこの事か。」と、二つ三つ踏み付くれば、「なう、悲しや。骨も砕けて息も絶え入り候。御慈悲に、命を助け下され。」と、声を上げて泣きにける。景清、手を叩きうち笑ひ、「おお、某が褒美には、広い国を取らせん。」と、両足取つて、さかさまに引き上げ、肩を踏まへて、「えいやつ。」と裂きければ、胴中より真二つに、さつと裂けてぞのきにける。
 「ええ、心地よし、気味よし。」と、弓手右手へからりと捨て、「さあ、し済ましたり。この上は、関東へや落ち行かん。いや、西国へや立ちのかん。」と、行きつ帰りつ戻りつ行きつ、一町ばかり走りしが、「いやいや、この度落ち失せなば、また大宮司や小野の姫、憂き目を見んは必定なり。」と、思ひ定めて立ち帰り、元の牢屋に走り入り、内より閂、しとと締め、千筋の縄を身にまとひ、さあらぬ体にて普門品、読誦の声はおのづから、即心菩薩の変化ならんと、皆感ぜぬ者こそなかりけれ。

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校訂者注
 ・人をな恨み給ひそよ――底本「人を恨み給ひそよ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・おのれ、指一つ――底本「おれの指一つ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・押せども引けども揺るがばこそ――底本「おせども揺がばこそ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・おぬしらとても――底本「おのしらとても」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・許してくれよ、やれ兄弟よ、我が妻よ――底本「許してくれよ我が妻よ」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・出家せさせんと――底本「出家させんと」。『近松全集 第1巻』により改めた。