第五

 かくてその後、右大将頼朝公、南都の大仏御再興ましまし、既に成就と訴ふれば、供養の報謝に、急ぎ大赦を行ふべしと、天が下の科人、京、鎌倉の牢を開き、残らず御免なされける。中にも悪七兵衛景清は、朝敵重罪なれば、助くるに処なく、佐々木の四郎に仰せられ、終に首を刎ねられ、今は四海大平なり。大仏供養、御聴聞あるべしと、諸国の大名御供にて、南都に御下向なされける。路次の行列、華やかなり。
 既に我が君、巨椋堤にさしかさり給ふ時、畠山の重忠、息をはかりに馳せ来り、御馬の前にひざまづき、「さても悪七兵衛景清は、御成敗の由、承り候へども、いまだつつがなく、牢の内に罷りあり候。一大事のめしうどなれば、早々首を刎ねられ、しかるべく候はん。」と、謹んで申し上ぐる。頼朝聞こし召し、「不思議の事を申すものかな。景清は、佐々木の四郎に申し付け、一昨日の暮程に首を打たせ、則ちその首、頼朝が見参して、獄門にかけさせしが、ひが事なるか。」と仰せける。
 重忠、重ねて、「その段は存ぜず候へども、重忠は今朝、景清が生き顔を、確かに見て参り候。」と、言ひも果てぬに、佐々木の四郎、つつと出、「いや、これ、畠山殿。筋なき事な申されそ。その景清は某、仰せを承り、高綱が手にかけ、首を刎ね、我が君の実検に供へ、三條畷に獄門にかけて候ものを。景清が二人あるべきか。近頃、粗忽千万。」と、あざ笑うてこそ申さるる。重忠、聞き給ひ、「尤も、尤も。御分が手にもかけつらめ。又、重忠も確かに見て候は、いかに。」高綱、色を違へ、「はて、埒もない事。一度斬つたる景清が、よみ返るべきやうもなし。それは定めて血迷うて、何がな見られつらん。但しは寝ほれて、夢をばし見給ふか。」「いやさ、御分がうろたへて、由なき者を景清と思ひ、切つたるか。」「夢を見たるか。」「慌てたるか。」「これ、目を覚まして思案せよ。」と、気色変はつて争ひける。
 頼朝、段々聞こし召し、「いかさま、佐々木、畠山、粗忽ある人にてなし。不思議千万、晴れやらず。これより取つて返し、頼朝、ぢきに見分くべし。各々、静まれ、静まれ。」と、御馬の鼻を立て直し、都に帰らせ給ひける。
 さる程に、三條畷に景清の首を切りかけ、平家の一族、謀叛の棟梁、悪七兵衛景清と、高札を添へられたり。頼朝、立ち寄り、御覧あり。高綱、重忠を招き、「これ、見られよ。」と仰せける。重忠、猶も不審晴れず。諸大名立ちかかり、よくよく見れば、今まで景清の首と見えけるが、忽ち光明赫奕として、千手観音の御頭と変じ給ひける。歴劫不思議ぞあり難し。しかつし処へ、清水寺の大衆、我も我もと馳せ参じ、「さても一昨日の夜中に、仏前の蔀、各々開きて候故、もし盗人の業にやと、御戸を開きて候へば、観世音の御頭切れて、失せさせ給ひ、切り口より血流れて、礼盤、長床、朱に染み、勿体なき御風情に拝まれさせ給ひ候故、驚き入つて注進申し上げ候。」と、事の次第を申し上ぐれば、君を始め奉り、畠山も高綱も、供奉の上下押しなべて、あつと感ずるばかりなり。
 君、信心の感涙を流させ給ひ、「まことや景清、年来、清水寺の観世音を信じ奉り、十七の春より三十七の今日まで、毎日三十三巻の普門品を読誦、懶怠なく修行せしと聞きけるが、疑ひもなく観世音、兵衛が命に替はらせ給ふ有難さよ。」と、御手を合はせ給ひければ、僧俗男女、下々まで皆々、礼拝恭敬して、涙を流さぬ者は無し。重ねての御諚には、「かくてはいかが。勿体なし。急ぎ、千人の僧を供養し、一万座の護摩を焚かせ、御頭を継ぎ奉れ。法事の上にて景清にも対面致すべし。いざ、頼朝も参詣せん。」と、御身を清め、仏の御頭を直垂の袖に受け入れて、清水寺への御参詣、ためし稀にぞ聞こえけれ。枯れたる木にも咲く花の、千手の誓ひぞ有難き。
 かくて頼朝、御法事も事終はり、仏の御頭を継ぎ参らせ、宿坊に入らせ給ひける。時に佐々木、畠山、景清夫婦を伴ひ、御前に出らるる。頼朝、御覧じ、「珍しや、景清。我を平家の敵とて、狙ひ討つべき心ざし、神妙、神妙。尤も武士の憤り、げに、さうもあるべけれ。しかれば、頼朝がためには御辺、また敵なれば、打つて捨つべき者なれど、汝が身には観世音、入り替はりまします故、再び害せば、観音の御頭を再び打つ道理。勿体なし、勿体なし。もし又頼朝、運尽きて、御辺に討たるるものならば、観世音の御手にかかると思ふべし。この上は助け置き、日向国宮崎の荘を宛て行ふ。」と、御懇情の御言葉に、御判を添へて賜はりける。
 景清、涙をとどめかね、「まことに身に余りたる御諚の段、生々世々に有難く、魂に徹つておぼえ候。かく情けある我が君と知らで、狙ひ申せし景清が、所存の程こそ悔しけれ。」と、御前をもうち忘れ、声を上げてぞ泣き居たり。さて、御かはらけ賜はり、諸国の大名残りなく、みなみな杯さし給ふ。重忠、仰せけるは、「かかるめでたき折と言ひ、かつは我が君、御慰みのため、わ殿、屋島にて高名の様子、語つて聞かせ給へ。内々、君も御所望ありしぞ。平に、平に。」とありければ、頼朝公を始め参らせ、満座の人々一同に、「早、疾く疾く。」と望まるる。景清、辞するに及ばねば、袴の裾を高く取り、御前に色代し、過ぎし昔を語りける。
 「いで、その頃は寿永三年、三月下旬の事なりしに、平家は舟、源氏は陸、両陣を海岸に分かつて、互に勝負を決せんと欲す。能登守教経、宣ふやう、『去年、播磨の室山、備中の水島、鵯越に至るまで、一度も味方の利なかりし事、ひとへに義経が謀り事、いみじきによつてなり。いかにもして、九郎を討ち取る謀り事こそあらまほしけれ。』と宣へば、景清、心に思ふやう、判官なればとて、鬼神にてもあらばこそ。命を捨てば易かりなんと、教経に最期の暇乞ひ、陸に上がれば源氏の兵、余すまじとて駆け向かふ。景清、これを見て、物々しやと、夕日影に打ち物ひらめかいて、切つて懸かればこらへずして、刃向かひたる兵は、四方へばつとぞ逃げにける。さもしや、方々よ。源平、互に見る目も恥づかし。一人をとめん事は、案のうち物、小脇にかい込んで、某は平家の侍、悪七兵衛景清よと、名乗りかけ名乗りかけ、手取りにせんとて追うて行く。三保の谷が着たりける兜の錏を取り外し取り外し、二、三度逃げ延びたれども、思ふ敵なれば、逃さじと飛びかかり、兜をおつ取り、えいやと引くしほに、錏は切れて、こなたにとまれば、主は先へ逃げ延びぬ。遥かに隔てて立ち返り、『さるにても汝、恐ろしや。腕の強き。』と言ひければ、景清は、『三保の谷が首の骨こそ強けれ。』と、笑つて左右へ退きにける。昔を忘れぬ物語、お恥づかしう候。」と、語り給へば人々は、一度にどつとぞ感じける。
 かくて我が君、御座を立たせ給ひければ、大名小名、続いて座敷を立ち給ふ。景清、君の御後ろ姿をつくづくと見て、腰の刀をするりと抜き、一文字に飛びかかる。各々、「これは。」と気色を変へ、太刀の柄に手をかくれば、景清、すさつて刀を捨て、五体を投げ打ち、涙を流し、「ああ、南無三宝、あさましや。いづれも聞いて賜はれ。かく有難き御恩賞受けながら、凡夫心の悲しさは、昔に返る恨みの一念。御姿を見申せば、主者の敵なるものをと、当座の御恩は早忘れ、尾籠の振舞、面目なや。まつぴら御免を蒙らん。まことに人の習ひにて、心に任せぬ人心。今より後も、我と我が身を諫むるとも、君を拝む度毎に、とてもこの所存は、やみ申さず。かへつてあだとや成り申さん。とかく、この両眼のある故なれば、今より君を見ぬやうに。」と、言ひもあへず、差添抜き、両の眼玉をくり出し、御前にさし上げて、頭をうなだれ居たりけり。
 頼朝、甚だ御感あり。「前代未聞の侍かな。平家の恩を忘れぬ如く、又、頼朝が恩をも忘れず、末世に忠を尽くす事、仁義の勇士、武士の手本は景清。」と、数の御褒美あさからず。鎌倉さして入り給へば、なほ景清は観音に、三万三千三百巻の、普門品を読誦して、日向国を本領し、喜び喜び退出す。「なほなほ源氏の御繁昌、国静謐の始めなるは。」と、皆万歳をぞ唱へける。

出世景清 終

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校訂者注
 ・重忠、猶も不審晴れず――底本「重忠も不審晴れず」。『近松全集 第1巻』により改めた。
 ・生々世々に有難く――底本「生々世々に有り難き」。『近松全集 第1巻』により改めた。