百日曽我(一名団扇曽我)
第一
文宣王は大野に狩して麒麟を得。韓退之が獲麟の解に曰く、麟は徳を以てして、形を以てせずと云々。麟は仁獣にして、生けるを食らはず、生草を踏まずとも言へり。道ある君が御狩場や、麒麟を得ずといへども、農業を妨げず、民を助けて山田もる。火串の光明々として、斐たる君子の一遊一予、国をなびかす旗棹の、すぐなる掟、楽しめり。
これ時、建久四年仲夏下旬、征夷将軍頼朝卿、富士の御狩の当日を、待つも程なきみじか夜や、御発向は寅の一点、仮屋の木戸もあけ方に、御出馬の御触れあり。昵近外様の大小名、狩装束に美を尽くし、勢子の人数は所領の高下、面々持ちの場所にまとひを立て、組子には思ひ思ひの笠印、袖印。さて御鷹は、つみ、ゑつさい、さしば、せう、隼、このり、鷲、熊鷹、白鳥捕りの朝鮮鷹、揃へて三千余もとなり。逸物の犬、唐犬、これも同じく三千疋。馬鞍皆具の綺羅飾り、花と紅葉を武蔵野に、一度に眺むる如くにて、御感はなのめならざりけり。
ここに、信濃国の住人、海野の小太郎行氏、八十ばかりの老入道を、御前に引つ据ゑ申すやう、「只今、御仮屋へ参勤仕る処に、この入道、弓矢携へ、ほの暗きに、御仮屋の辺、忍んで徘徊致す体、さながら山賊強盗とも見えず。必定、平家の余党と存じ、早速召し捕り候。きつと御糾明あるべし。」とぞ申しける。頼朝、聞こし召し、「先年、大仏供養の時、悪七兵衛景清が、頼朝を狙ひしためしもあり。いかさま、おのれ、仔細あるに紛れなし。まつすぐに白状すべし。陳じなば、拷問せん。いかに、いかに。」と仰せければ、この入道、ちつとも臆せず。
「今は、何をか包み申さん。某は一とせ、奥州衣川にて御腹召されし、九郎判官義経の家臣、武蔵坊弁慶が父、熊野の別当弁真が、生き残りたる身の果て候。忝くも我が君、今、天下の武将と仰がれ給ふは、全く判官殿の戦功なるに、讒人の口によつて、一日も安堵の思ひなく失はれさせ給ひ、子にて候弁慶も、冥途の御供仕りぬ。せめて無念を晴らさんため、討死したる御家人どもが、産み捨てし子にても候はば、幼少なりとも駆り集め、心ばかりの弔ひ軍、仕らんずる血祭に、まづ讒者を一矢と心がけ、忍び寄つたる甲斐もなく、海野とやらんに見付けられ、白状、無念の至りなれども、君故捨つる老いの命、疾く疾く首を召されよ。」と、返答涼しく申しける。頼朝、聞き給ひ、「これ、一応の事ならず。後日に評議あるべき條。まづそれまでは、いたはれ。」とて、和田の義盛に預け置かれけり。
時に工藤左衛門祐経、進み出、「まことにかの法師、そのまま置かば、何事か仕出し、御遊興の妨げならんに、いしくも仕つたる海野の太郎、御褒美下されしかるべし。」と取りなせば、君、御悦喜の余り、「おお、尤も、尤も。何にても褒美を望め。」と仰せある。海野、面目施し、「御諚、冥加に叶ひ候。しからば御秘蔵の御名馬、陸奥より召されたる、松島月毛を賜はりなば、千町万町の御加増にも、まさりて喜び奉らん。」と、申しも果てぬに祐経、「おお、何しに御意に異変あらん。誰かある、御馬引け。」と取り持つ処へ、新田の四郎忠常、憚らず、つつと出、「暫く、暫く。工藤殿、かの御馬には言ひ分あり。某、先年、富士の人穴へ入り、御褒美望めとありし時、松島月毛拝領を願ひしかど、御出陣の召し料とて、某願ひ、叶はぬ処に、老いぼれの痩せ法師、召し捕つたる御褒美とて、只今海野に賜はつては、忠常が武士道立ち難く、且は上の御依怙に似たり。よし、それとても工藤殿の御取持にて、是非海野に下されなば、某も思案候が、御返答承らん。」と、色を違へて申しける。
祐経、えせ笑ひ、「緩怠なり、忠常。以前は以前、今は今。御辺が望みあればとて、日本の武将として、誰に恐れて御言葉を違へらるべきぞ。この祐経が取持にて、海野に拝領せさせんが、して御分が思案とは、どうした思案。聞かん。」と言へば、「いや、只思案までもなし。かの御馬を胴中より二つに切り、まづは某、頭の方、海野にはともの方、御前にて半分づつ切り取るなり。」と怒りける。
海野もせいて、膝立て直し、「某が拝受の御馬、半分づつ切り取るとは。愛宕白山、指もささば堪忍せぬ。」と詰めかくる。忠常も刀に手をかけ、「おお、拝領したくばしても見よ。諏訪八幡も照覧あれ、馬人共に一討ち。」と、三方論議の意地づくは、危ふくも晴れがましく、各々、手に汗握りし時、大将、扇を上げ給ひ、「新田も海野も静まれ、静まれ。これは双方道理にて、頼朝が不念なり。まづ、かの馬を只今は、頼朝が預かりたり。二人共に今までに、一度づつの誉れあり。これより後、両人の内、二度づつの手柄をして、以上三度の高名あらん者に、相違なく取らすべし。この言葉偽らば、氏の神の御罰を得ん。」と、忝くも御大将、御誓言ありければ、二人は「あつ。」と頭を下げ、恐れ入りたる礼儀の体。大将軍の御料簡、各々感ずるばかりなり。
重ねて仰せ出さるるは、「今、弁真が言葉によつて案ずれば、平家の余類を始め、義経の家人等、錦戸が一族、伊東入道の末葉なんど、頼朝に恨みある者、多かるべし。敵の末は根を絶つて、葉を枯らせと伝へたり。新田、海野に言ひ付くる。父親知れぬ幼き者を、尋ね出して吟味せよ。大磯小磯の遊君は、言ふに及ばず。その父分明ならぬ子は、懐妊たりとも腹を裂き、きつと詮議を加ふべし。」と、仰せ厳しき御狩場の、番手番手の槍印、御馬印の目に高き、富士の裾野に出給ふ。
新田の四郎忠常は、大事の仰せを承り、「あはれ、しかるべき御敵の末を詮議仕出し、高名三度の数を合はせ、松島月毛を拝領し、海野、工藤に手柄を見せん。」と、駒を早むる大磯の、波ここもとや、並木の蔭より、若き女のつつと出、「これ、申し、新田様。お侍と見受けたり。ちと頼みたき事あり。」と、轡づら、しつかと取る。をなご力も駒なづむ。郎等ども立ち騒げば、新田、元よりさる者にて、「さなせそ、さなせそ。見かけて頼むとあるからは、聞き届けでは通られず。して女郎、仔細によつて頼まれうが、無心とは何事。」とあれば、「まづ以て忝し。そのお言葉は違ふまいな。」「はて、疑はしくは、誓文立てうか。」「いや、それまでも及ばず。さあらば語り申すべし。みづからは、今朝御狩場にて海野殿に捕らはれし、入道が娘、花野と申す者にて候。そも、その入道が、武蔵坊弁慶が父、弁真と名乗りしは偽り。まことは、曽我の兄弟の下人、鬼王、団三郎が父、津蔵の入道と申す者。御主の敵、祐経に一矢と思ひ、忍び入り、思ひの外に召し捕られ候を、御前にて、鬼王、団三郎が親と、ありのままに名乗りなば、御勘気の曽我殿の大事と思ひ、名を隠し、弁慶が父弁真と、あらぬ事を申せしと存ずるなり。それにつけて、鎌倉殿より、父親知れぬ子のあらば、懐妊なりとも腹を裂き、詮議せよとの御諚を、承り給ふとかや。頼み申すはここの事。曽我兄弟の人々は、浪人のつれづれに、折々の色里通ひ。馴染の方もありと聞けば、遊女の腹に情けの胤の、宿るまいものでなし。よし、その事は構はねども、それからそれがどうこけて、御兄弟の御身に、万一お祟りある時は、もとみづからが親入道が、仕損じより事起こる。これを哀れと思し召し、御聞き届け候ひて、もしも曽我殿の子胤など候はば、御料簡頼み奉る。」と、理を尽くし事を分け、手を合はせてぞ嘆きける。
新田、聞きもあへず、「さては、お事は、聞き及ぶ鬼王が妹。今朝の入道も、弁慶が父とは偽り。鬼王兄弟が親なるとや。さてさて、余儀なき頼み事。心得たりと言ひたいが、ここに一つの難儀あり。海野と某、御前にて、松島月毛といふ名馬を争ひ、三度の手柄ある者に、賜はらんとの御諚を蒙り、両人が我先に、何をがな手柄にと、意地を張る最中。曽我は伊東の末なれば、我が君の御あだ。海野に先を越され、かの御馬を取られては、某、腹を切るばかり。この事に於いては成り難し。外の事は何なりとも、無心あらば聞くべし。」と、言ひ捨てて乗り出す。
「なう、お情けなし。」と、尾筒を取つて引き戻し、「御理、至極致したり。まことにお侍の、手柄にせんと思し召すを、とどむるは不調法。その返礼に、進ずる宝の候。」と、守り袋より一包み取り出し、「これは、韃靼国より渡りたる、虎の生き爪にて候。死したる虎の爪はあれども、生き爪は稀なる物。まことや、虎は獣の王にして、地を走る獣、おぢ恐るるは必定。わらはが在所、三河国阿部山の狩人、この虎の生き爪を、守りにかけて狩に出づるに、いかなる荒熊、荒猪も、易々手取りに致す事、猫の鼠を取る如し。これを只今参らせん。御身に付けて御狩場にて、猪とも熊とも引つ組んで、人の及ばぬ手柄を遊ばさば、海野が先は、よも越さじ。いでいで、証拠を見せ申さん。随分御馬に鞭打ち給へ。」「心得たり。」と乗り出す。娘は先に立ち塞がり、追ひ戻せば、たぢたぢたぢ、とどろとどろと千鳥足、四足を折つて恐れしは、不思議なりける次第なり。
忠常も、我を折つて喜び、「希代の重宝、手に入るからは、御狩にて高名し、海野が望みの御馬を、拝領して名を挙げん。この上は曽我兄弟、いかなる狼籍ありとても、子孫までも見逃しなり。弓矢八幡大菩薩、この言葉に偽りなし。お事が父も和田殿と、内通して助くべし。人見付けては、いかがぞ。」と、さらばさらばもよそごとに、聞き捨てて行くほととぎす。五月の空の雨曇りに、紛れてこそは別れ路の、宵の移り香焚きしめて、昼まで寝るを作法にて、よそと門地の揚屋町。くつわの亭主、下々まで、それを習ひに朝寝する、大磯小磯化粧坂、朝顔知らぬ里ぞかし。
町の番太、慌ただしく、「何事やらん。御詮議とて、新田殿、海野殿、御出なり。」と触れ歩く。町の年寄五人組、寝ほれ髪に袴肩衣、土にひれ伏し居たりける。程なく両人入り来り、「この度、仔細あつて、孕みたる傾城の父親を御詮議ある。少しも偽るに於いては、腹を切り裂き吟味する。懐妊の傾城ども、残らず出せ。」と申しける。町人ども承り、「懐妊と申しても、三、四人ならでは候はず。それ、まづ藤屋の竹取り、出よ。」と言へば、恋には恥ぢぬ傾城も、包む色にや胸高の、帯で隠すもしをらしし。海野、新田、言葉を揃へ、「汝が孕みし子の親は何者ぞ。帳に記し、鎌倉殿、御覧あるぞ。偽るな。」「さればとよ、この子の親は京の衆。たまたまとは言ひながら、勤めで会はねば真実の、人目を包む闇の夜や。烏丸の烏帽子屋、折り様。」と言ひければ、海野、帳にぞとめにける。
次に出しは、「井筒屋の檜垣と申す新造。」と、傍から言ふも恥づかしく、打掛の褄打ち合はせ、見せじとすれど振袖の、下より洩るるふくよかさ。「その子が父は誰なるぞ。」問はれて顔も赤くなる。「紅葉が谷の客なるが、ひよつと変はるな変はらじの、その言の葉で孕み句や。連歌師の山様。」と、同じく帳にぞ付けにける。その次は眉目悪く、歩きぶりさへ横町の、「青柳と申し候なり。」「さて汝が胎内の子の親は何者ぞ。」「誰と申して我が身には、二人の客も荒磯の、荒井の宿の馬方、本名は六蔵、替へ名は四の二。物思ふ、流れの浮き身を捨ててんあるある、或る人の申されしは、色も顔もお腹も脈も、只ではない。定めて定めてあん青梅、好きやらば、つはりでござろ。面妖な、不思議や。中戸のかね言が、はや七月。」とぞ答へける。
さてその次は虎御前、おめる色なく二人の前に立ちながら、「お尋ねなれどもみづからは、身持ちにては候はず。勤めの憂さがつかへと成り、かかる病を受け候。よし又、身持ちなればとて、夜な夜な替はる男の数、どれがどれやら何のその、それに覚えのあるものか。」と、言ひ捨て帰れば海野の太郎、「やいやい、ばいため。待ちをらう。やあ、の太い奴め。おのれと曽我の十郎事、知るまいと思ふか。祐成が子に極まつた。さあ、ぬかさぬか。」とぞ脅しける。
新田、曽我といふ声に、花野が契約思ひ付き、「いや、海野殿。浪人なれども祐成も侍。おし付けて、さうも言はれず。病とあらば病にして、帳面を済まされよ。」と言へば、海野、聞きも入れず。「宥免するも事による。曽我は君の御あだ。不吟味には成り離し。腹を裂かん。」とひしめきける。忠常、ちやくと思案を出し、「ええ、是非もなし。今は何をか包み申さん。あれは拙者が子にてあり。某、虎に通ひしかど、世間を憚り、曽我といふ仮名をして、遣り手、禿、廓中、懐妊するまで隠せしが、手詰めなれば打ち明ける。沙汰なしに頼み申す。」と言へば、虎は嬉しく、「はて、卑怯千万な。たとへ今死ねばとて、それを今言ふ事か。」と、言葉を合はする利発さよ。
海野、頭を振つて、「お言やるな、おい遣るな。この場をさまし、重ねて曽我がゆかりとて、一人の手柄にせん巧み。当座の出来合ひ。但し、虎と馴染のある証拠は、証拠は。」と、ひどく問はれて、「むむ、して証拠あらば、宥免あらうな。後にいなとは言はせぬが。」と、言葉を詰めても証拠はなく、心を砕き、思ひ付き、花野が与へし猛虎の爪、守りより取り出し、「これ、この書付を見給へ。虎の生き爪と書いてあり。離しくれたる虎が爪、守りにかけたる間夫男。疑ひ召さるは合点、合点。今朝の遺恨に胎内の、倅を殺さうのむさい心底、白癩きかぬ。」とぎしめけば、まこととや思ひけん、勢ひにや恐れけん、「ああ、短し、忠常。証拠あれば疑ひなし。帳面も難かしし。」と、虎は病に片付けける。新田が思案なかりせば、危ふき曽我の運命なり。
校訂者注
・誰かある、御馬引け――底本「誰かある、馬引け」。『近松全集 第3巻』により改めた。
・とどむるは不調法――底本「止むる不調法」。『近松全集 第3巻』により改めた。
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