第二

 己が人に及ばざるを恨みず、人の己に優るるを嫉むは、小人の習ひ。されば、海野小太郎行氏、新田と武功の争ひ、蝸牛の角の角目立ち、挑み励むといへども、新田が猪に乗つたりし、手柄に続く手柄もがなと、心は強情に手も立たず、空しく気根を費やしける。元より祐経、縁者と言ひ、仲良しなれば、あの弁慶が父弁真と、名乗りし津蔵の入道を、鬼王が親とは夢にも知らず、和田に預け置かれしを、工藤祐経取り成しにて、暫く申し預かり、この弁真を目印にて、狩場の見物、群衆の中を、東西南北引き通り、もし見知りたる者あらば、それぞ義経の家来筋、鎌倉殿の御敵と、召し捕つて高名し、新田が手柄を踏み付けんと、巧む思案も廻り遠き、野山を引いてぞ巡りける。
 曽我兄弟は聞き及び、「譜代の下人をめしうどと成し、亡からん後まで恥辱なり。人も多きに和田殿の、御預かりこそ仕合はせなれ。ひそかに嘆き申して見ん。さりながら祐成は、人、見知れり。昨日今日の元服にて、五郎は見知る人なし。」と、鬼王兄弟、妹の花野、和田の仮屋へ急ぎける。海手山手を限りにて、大垣乱杭逆茂木引き、東海東山三十三ヶ国の、大小名の仮屋のしるし、所々に木戸を打ち、御家人給人商人見物、行き交ふ人に紛れても、時宗はこの夕、敵討たんと思ひ込み、眼を四方に見配りて、案内窺ひ通りける。所こそあれ、海野が持ちの木戸口にて、てきめんにはたと会ふ。花野、父の入道を見付け、「あれよ。」と言へば、鬼王、団三郎、「これはいかに。」と仰天す。入道、怒つて、「やあ、某は見知らぬ奴等。何者なればうろたふる。この入道に知られては、穿鑿が難しい。早く通れ。」と、つかうどに言ひ放す。
 海野、聡き男なれば、「いや、待て待て。彼等がし方、両方見知つたるに紛れなし。さあ、何者ぞ。まつすぐに言へ。さなくば、いつかな後へも先へも遣らぬ。」と言ふ。鬼王兄弟、つつと出、「御尤も千万。我等は上方の貧者にてござ候。これなるは妹。老いたる親を育みのため、奉公稼ぎに方々、召し連れ廻りし時、いづ方にてやら、あの御坊、見たるやうに候故、さて只今の通り。」と、言ひ捨てて通らんとす。海野、眉をしかめ、「どこへ、どこへ。して、その見たると言ふは、いづくにて見たるぞ。うろんならば、通しはせぬ。勿論、戻しもせぬ。搦め置くが、いかに、いかに。」と、一面に取り廻す。
 鬼王兄弟、大事と思ひ、「これは近頃、不祥なる処へ、参りかかつて候ものかな。妹が奉公稼ぎのため、方々廻りし事なれば、いづ方とはおぼえ候はねども、まづ上方の女の習ひ、大内方を望む故、中宮女院仙院十二の対の、局々の女嬬お末、内侍所への刀自采女、公家に松殿薄殿、近衛関白政所、一條殿や九條殿、久我菊亭に花山の院、頭の中将頭の弁、儀同三司女三の宮、お比丘尼御所まで稼ぎしが、御所の風には合はずとて、両六波羅の屋敷方、武家は行儀難しく、ここもあり付き縁薄き、衣の棚や珠数屋町、巡り巡りて室町の、糸屋組屋ひさぎ女に、御影堂の扇折り、骨身を砕き稼げども、都の奉公口もなく、西国方へ身を絞る。豊後国の染殿や、そこをも既に立ち別れ、因幡丹後の紙漉き奉公。それより紀州熊野には、よき奉公の口ありと、聞くをしるべに立ち越えしに、それは小歌比丘尼とて、尼にする由承り、逗留もせず帰りしが。おお、それよ。今思ひ合はすれば、熊野山のどこやらにて、ちよつと見たる御坊にて候。さあ、御通し候へ。」と、つつと行かんとする処を、「どつこへ、どつこへ。ええ、うぬめらは痴れ者かな。いりもせぬ長口上、紛らかして通らんとや。熊野山にて見たるとて、似つこらしく言ひ廻す。察する処、おのれは義経の家来、熊野の住人、鈴木亀井が一族よな。この弁真めと心を合はせ、鎌倉殿へあだをなす、御敵の張本。搦め取つて高名にせん。それ、逃がすな。」とひしめく処へ、五郎時宗、編笠取つて大手を広げ、「やあ、権柄な御侍。あの者どもは某が、大分の給銀にて、召し抱へたる下人ども。最前より、いづれもの我がまま。腹綿が燃え返り、胸の虫がむかむかと、こらへかねて候へども、無事に済まば済まさんと、歯を食ひしばり控へし処に、理非もろくに聞き届けず、何ぢや、搦め捕らんとは。いかやうの咎がある。さあ、承らん。もし、咎もないに下人を縛り、搦めさせ、主人の身にて堪忍ならず。町人なれば、太刀刀のお相手には叶はずとも、腕や脛の力は、お侍にも負け申さぬ。張りごくら踏みごくらは、この膝骨の砕くるまで。」と、脛打ち叩いてねめ付くる。
 海野、ちつともひるまず、「いや、こりや、若い者。たとへそちが下人にもせよ、これは頼朝公の御敵。判官殿の因縁を、尋ね求むる穿鑿なれば、言うても天下の御大事。誰をか憚る事あらん。こいつは弁慶が親、熊野の別当弁真。それに親しき者なれば、熊野育ちの鈴木亀井が一族ならんと、咎むるが僻事か。きやつを下人と言ふからは、さては汝は義経の、落とし子のありと聞きしが、それなるよな。ここでの論は無益の事。誤りなくば御前にて、速やかに言ひ訳せよ。御所の仮屋へ同道せん。はや歩め。さあ来い。」と、言はれてさすがの時宗も、御前へ出ては悪しかりなんと、返答遅々して見えにける。
 入道、これぞ一大事と思ひ、大声上げて気色を変へ、「さてさて、おのれらは何者なれば、何の用もなき事を、仔細ありげに言ひなす故、咎もなき判官殿、いよいよ御咎深くなる。勿体なくも御屍に、苦患をかくる後生の迷ひ。いかさま、騙りか物取りか。ええ、腹立ちや、につくい奴。暫し御免。」と郎等が、突いたるより棒押つ取つて、続け打ちに時宗を、ちやうちやうと打つたりける。「これは。」と言つて鬼王兄弟、立ち寄る処を、「やあ、おのれらとても、ただ置かうか。」と、払ひ打ちに叩き付け叩き付け、「伝へ聞く。判官殿、御存生の折から、東下りの忍び路や、安宅の関にて我が子の弁慶、判官殿を打つたるとや。それは富樫をたばかりの、智略の棒の歪みなき、この弁真が心底を、海野殿への言ひ訳に、叩き殺して見せ申さん。」と、口には言へど心根は、主君なり、我が子なり。思ひの色を腹立ちの、涙に見せて打つ杖も、外れよかし、反れよかしと、打てばこなたは悟られじと、用捨もなく身に受くる、互の心ぞ哀れなる。
 海野、我を折り、「やれ、さなせそ、弁真。殺してはいかがなり。もうよいわ。」と引きとむる。「いや、叩き殺さん。」と、なほ振り上ぐるを、棒もぎ放せば、「ええ、残念や、口惜しや。草の蔭にて判官殿、さぞや悲しく思されん。」と、義経にかこつけて、胸に保ちし涙をぞ、わつと泣き出すその心。鬼王兄弟、時宗も、思ひ遣りたる忍び音の、嘆きを隠してうつぶけり。
 海野、重ねて、「これ、若者。以前汝は、あの者が主人と言ひしが、いづくの町人。商売は何ぞ。」時宗、聞きもあへず、「さん候。某は、奥州伊達の郡の、傾城屋にて候が、あれなる女を金銀出し、傾城に召し抱へ、只今連れて下り候。」海野、なほも疑ひ、「ええ、しからば定めて請状あらん。それにて読め。聞かん。」と言ふ。

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校訂者注
 ・昨日今日の元服にて――底本「昨今の元服にて」。『近松全集 第3巻』により改めた。