(第三 下)
太楽の平馬の丞、「祐経が討たれし上は、狼籍者は曽我殿ばら。いでいで、きやつらを討ちとめて、狩場の猪の恥辱をすすげ。」と、愛甲、安西、海野、臼杵が、入れ替へ入れ替へ打ち出づる。兄弟は事ともせず、小柴垣を小楯に取り、揉みに揉うでぞ戦ひける。多勢とは云ひながら、曽我殿ばらが死に狂ひに、手負討死四百人、足の踏みどもなかつし処に、新田の四郎忠常、「祐成に契約あり。首を取らん。」と駆け出しが、「いや、新田の四郎と名乗りなば、首さし延べんは必定。それは武士の本意ならず。運づくの勝負せん。」と、祐成に渡し合ひ、切り結び切りほどき、戦ふ隙にも祐成は、「本望は達したり。惜しからぬ命なれども、新田の四郎忠常に、預かつたる我が首を、人手には渡さじものを。」と、呟きながら打ち合ひたり。新田、これを聞くよりも、「優しき者の心ざし。」と、なほ恥ぢ入りて名乗りもせず。
物の文色も見えざれば、「松明出せ。」と呼ばはる声。祐成、「はつ。」と跳びしさり、「さ言ふわ殿は新田殿か。」「おお、忠常。」と答ふ。「南無三宝、こはいかに。それとも知らず最前より、太刀を合はせし悔しさよ。厚恩と言ひ、契約の、誓文違へし面目なさ。さあ、契約の首取り給へ。」と、太刀を投げ捨て、座を組みて、首さし延べてぞ待ち居たる。
新田、涙をはらはらと流し、「さてもさても、優しき今の振舞。頼もしや、神妙や。蛇は一寸にしてきざしあらはれ、頻伽はかひこの内にて、その声、諸鳥にすぐるとは、殿ばら達の御事よ。幼少より日蔭の身、武士の参会も絶え、百姓土民にうち交じはり、弓馬の道も取り失ひ、給ふべきかと侮りしに、異国の子路が勇にも優る。只今、御扶持を下さるる、鎌倉武士は多けれども、誰か殿ばらに優るべき人は無し。河津殿の御子なりけるぞ。勇力孝行仁義の道、かほど達せし祐成を、いかに契約なればとて、新田などが、むざむざと御首を賜はるは、天の咎め、弓矢の罰、ゆかりの人の嘆きの程、思ひ遣られて今更に、いづくに太刀を当つべきぞ。忠常討たるれば、討たるるまでよ。運に任せ、勝負あれ。なう、祐成殿、十郎殿。」と、なほ堰きかぬる感涙は、理せめて哀れなり。
十郎も涙にくれ、「嬉しき人の言葉や候。年月狙ひし敵を討ち、御辺のやうなる弓取の、手にかかつて死なん事、祐成は何ぼう果報の者。成仏までも疑ひなし。はや、首を取り給へ。」と、涙をとどめ言ひけれども、忠常は目もくれて、討つべき気色はなかりけり。祐成、怒つて、「ええ、曲もなし、忠常。雑兵の手にかかつて、名をくたせとの事なるか。是非に及ばず。自害せん。」と立ち上がれば、忠常、「おお、誤つたり。御免あれ。南無阿弥陀仏。」と諸共に、水もたまらず打ち落とし、きつ先に首貫き、「鬼神と呼ばれたる、曽我の十郎祐成を、武蔵国の住人、新田の四郎忠常、討ち取つたり。」とぞ名乗りける。
無残やな、時宗は、逃ぐる敵を追つかけしが、「今は何をか期すべき。」と、御所の仮屋へ走り込む。簀戸の蔭より女の姿、薄衣かづいて、「時宗を捕つた。」と言うて、しつかと抱く。時宗、振り返り、きつと見て、「さては亀菊ござんなれ。今少し死に狂ひに、よき侍二、三百も、切りとめたくは思へども、契約なれば、やあ、搦めよ。あつぱれ、おのれは日本一の剛の者を、組んでうずよ。」と手を廻すを、高手小手に絡み付け、大音上げて、「天魔波旬と呼ばれたる、曽我の五郎時宗を、御所の五郎丸が生け捕つたり。折り合へや。」と薄衣取れば、童なり。「南無三宝。早まつて搦め捕られし。口惜しや。」と、歯切りをなし、地団駄踏み、鏡のやうなる両眼に、涙を流すぞ哀れなる。是非なく大勢折り重なり、千筋の縄を四方へ取り、引つ立て行くこそ無念なれ。
かくとは知らで、黄瀬川の亀菊は、曽我の五郎に契約あり。組み止めんと顔隠し、縄をかい込みここかしこ、目を配つて尋ねける。虎、少将も、「兄弟は、まだ討たれ給ふまじ。この騒ぎのその内に、ちらとなりとも顔を見て、冥途の契りを結ばん。」と、同じ所を行き帰り、立ち舞ふ揚羽の直垂は、宵に見たりし時宗なり。「余さじ。」と跳びかかり、「黄瀬川の亀菊ぞや。時宗、遣らぬ。」としつかと組む。組まれて少将、振り放さん、振り放さんと悶ゆれども、亀菊は、放さじと捻ぢ合ふ処を、虎御前、両方へ押し分くる。顔を見れば、少将なり。亀菊、「あつ。」と驚きて、暫し呆れて言葉もなし。
ややあつて虎、少将、「つれないぞや、亀菊殿。昨日今日までかう三人は、兄弟よりも底意なく、明かし合ひたる仲ぞかし。時宗遣らぬ、逃さぬと、女子の際にあんまりな。さうしたものではないぞや。」と、言ひ捨て行くを引きとどめて、「御恩を受けし皆様の、殿御とある御兄弟に、そもや如才を致さうものか。宵に早、御兄弟の危ふき処を助け参らせ、今宵の御本意遂げ難かりしを、わらは、心の働き故、さてみづからに組みとめよとの御契約候。」と、宵の次第をあらましに、語るも聞くもいそがはしく、「さあ、この上は、ここの勝手を案内して、御兄弟に今生にて、今一度会はせて賜べ。はや、今の間も御命知れず。はや尋ねん。」と言ふ処に、夜廻りの本田の二郎、馬上ながら大音上げ、「曽我の十郎祐成は、新田の四郎が討ちとめ、弟の五郎時宗は、五郎丸が組み止めて、早、事は収まりぬ。御所の仮屋は安全なり。静まり候へ。静まれ。」と、館々を触れ廻る。人々、「はつ。」と耳に立ち、「あれ、聞き給へ。」と魂も、消ゆるばかりに身にこたへ、「もしやもしやの楽しみの、心の綱も切れ果てたるか。情けなや。同じ道に。」と走り出、駆け出駆け出嘆かるるは、目も当てられぬばかりなり。
亀菊、やうやう慰めて、すかし諫むる言葉の露。「共に消えては誰人か、長き来世を弔はん。この世ばかりは短夜の、空明け暮れに星消えて、沢の蛍や鳴く蛙、昨日の声に変はらねど、今の哀れを忍び音に、弔ひ交はす八声の鳥々。野寺の鐘の響きまで、又待つ宵にいつ聞かん。これや限りの後朝ならん。」と、泣く泣く連れてぞ帰りける。
校訂者注
・御辺のやうなる弓取の――底本「御辺の様な弓取の」。『近松全集 第3巻』により改めた。
・御兄弟に今生にて――底本「御兄弟に今生で」。『近松全集 第3巻』により改めた。
・空明け暮れに――底本「その明けぐれに」。『近松全集 第3巻』により改めた。
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