三部経

 ややあつて禅師坊、「ああ、愚かなり、母上様。病に冒され、剣に伏し、火に入り水に溺るるも、前世の業。品こそ変はれ、生死の縁、逃るる道のあるべくは、世尊入滅あるべしや。十神力をあらはせば、一日も百千歳、迷ひの衆生は以如半日。飽かず惜しと思ひなば、千歳の夢の心ぞや。母も姉も聞き給へ。禅師坊が最後に、自受用即身成仏の、御法を説いて聞かすべし。御前伺候の人々も、鳴りを静めて聞き給へ。
 それ世尊一代、五千七千の経巻は、そも華厳寂滅道場に始まり、法華涅槃に書き終はる。その中間の五時八教、中にも薩達磨芬陀利花、妙法蓮華と翻じたり。三世の諸仏出世の本懐、衆生成仏の直路、超八醍醐の鷲の峯、上なき法と説かれたり。ここに暫く、縁なき衆生を度せんがため、方便の門を構へて、妙法蓮華の五字を隠して、南無阿弥陀仏の六字に摂す。五戒十善の窓の前には、顛倒の霧立ち昇り、座禅の床には、煩悩の眠り深く、修行の天地に至り難き、愚痴の凡夫は、六字を称して極楽に往生す。娑婆分段の凡身には、恩ありあだあり貧福あり。善悪上下の品々も、冥途の道に入りぬれば、刹利も首陀も変はらざりけり。己心の弥陀、唯心の浄土なれば、本来無東西、何処有南北と観ずべし。提婆達多は前生にて、仏の師匠たりし身が、阿鼻に堕して苦を受くる。不軽菩薩は打擲せられ、憎まれながら妙覚の、仏の位に至り給ふ。皆これ一念信解の徳。
 「それ六字の名号と言つぱ、華厳経にて南の字を表し、阿含経にて無の字を摂し、方等経にて阿の字を開き、大般若にて弥の字をつづめ、法華経を以て陀の字を皆会し、南無阿弥陀仏と申すなり。妙楽大師の御釈に、諸経所讃、多在弥陀、縁深厚故と述べ給ふも、深き心や有明の、一心三観の胸の月は、円頓止観の空にかかり、隨縁真如の初潮は、同一鹹味の岸に満つ。中道実相の車は、無二無三の門に轟き、一乗菩提の駒は、平等大恵の園にいばふ。等覚深位の時鳥は、妙覚究竟の峯に鳴き、二乗作仏の鴬は、無作三身の谷に囀り、諸行無常の春の花は、是生滅法の嵐に散り、生滅滅已の秋の時雨は、寂滅為楽の紅葉を染む。一子出家の功力によつて、妙荘厳の悟りを得、韋提希夫人の無生忍に、あやかり給へ、母上様。禅師が素懐、これにあり。思ふ事も言ふ事も、これまでなり。人々、さあ、我が首を召されよ。」と、目を塞いでぞ居たりける。
 頼朝、重ねて、「学問と言ひ、武勇の法師。近頃惜しき者なれども力なし。この上は、罪な作らせそ。早々、討つて捨てよ。」とある。しかる処へ、新田の四郎忠常、「言上の事あり。」と、簀戸を開かせ伺候する。人々は涙ながら、「あれ、祐成討つたる敵。人こそ多きに、あの者が討つたるか。恨めしや、面憎や。腹立ちや、口惜しや。食ひ殺してのけたや。」と、歯噛みをなして嘆かるる。
 忠常、御前に向かひ、「曽我の十郎を討ちとめ、高名三度の都合、合うて候。御契約の御馬、賜はらん。」とぞ申しける。君、聞こし召し、「それは沙汰にも聞きぬらん。新開を使にて、汝が方へ引かせし処に、朝比奈が狼藉にて盗み取り、行き方知らず。それ故、義盛を始め、三浦一党閉門をせさせ、新開までも、出仕をとどめ置きつるわ。」と宣へば、新田、大きに不興し、「いや、これは御諚ともおぼえず。以前、君の仰せには、三度の手柄仕れ。それまでは頼朝が、預かつたりとの御意なれば、畢竟、我らの預け物。盗まれしとは大将の、御意とも存ぜず。馬を得んばかりに、祐成を討つて候間、是非に於いて御馬を、後とも言はず、たつた今、賜はらん。」とぞねだれける。
 垣の外には母上、「憎き奴が言葉やな。たとへ龍馬、千疋万疋にもせよ、人の大事の秘蔵子を、馬に替へて討つたるとは。人非人の畜生め。」と、声を上げてぞ泣き給ふ。頼朝もあぐませ給ひ、「その儀ならば、外の物を、何にても望め。」とある。新田、辺りを見廻し、「しからば、御馬の代はりに、この禅師坊を申し受け候べし。」「いやいや、彼は大事のめしうど。叶ふまじ。頼朝が重代、髭切、膝丸にても望め。」とある。新田、かぶりを振り、「いや、馬は四足ある物に、足も手もなき御太刀は、嫌にて候。是非禅師坊を賜はらずは、但し、始めの通り、松島月毛を賜はるか。二つに一つの御返答、承らぬその内は、全くここを立ち申さじ。」と、どうど座を組み居たりけり。
 頼朝、思案に尽き給ひ、「この上は、せん方なし。禅師坊を取らする。」と、御言葉も収まらぬに、「こは有難し。」と罷り立ち、縄切りほどき、塵打ち払ひ、「これこれ、曽我の母御、疾う疾う連れて帰られよ。」はつとばかりに手を合はせ、「神か仏か新田殿。生々世々の御慈悲なるわ。」と、忠常を拝むやら、禅師坊をさするやら、行きつ戻りつ泣いつ笑うつ、嬉しさ、足も地に付かず。暫しどよめき喜びし、心ぞ思ひ遣られたる。
 かかる処へ朝比奈の三郎、松島月毛の口を取り、御白洲に馳せ参じ、「義秀めは盗みを仕り、ぢきに立ちのき候へども、思案を仕り、我と我が身を訴人に罷り出候。盗んだ処は罪深けれども、自身訴人の御褒美に、この馬は朝比奈が、拝領致し申すべし。もし御聞き入れなくば、訴人致して益もなし。一層、元の盗人なり。和田の一門九十三騎、三浦の一党同類を組し、盗みを致す程ならば、恐らく鎌倉中、東八ヶ国を盗み立て、後には何を盗まうも知れ申さず。時にはかへつて、我が君の御損たらん。理を曲げて、義秀に拝領、仰せ付けられかし。」と、恐れなくこそ申しけれ。
 頼朝、笑はせ給ひ、「朝比奈が我がまま、今に始めぬ事ながら、これは余り興がつたり。さりながら、和田一家に免じて取らするなり。」と仰せける。朝比奈、かうべを地に付け、「有難し、有難し。」と御礼申し、「さて、こりや新田。お主は近頃でかいたり。あの禅師坊が命は、日本国が御訴訟しても、叶はぬ処。まづ、かうせうと思ひ、さて、この馬を盗んだり。朝比奈と同腹中。でかいた、でかいた。さあ、この馬を朝比奈が、引出物にわ殿に遣つた。これでどこも円うなる。名はあさ比奈と名乗れども、智恵は深いな、分別よし秀。褒めてくれよ。」とどつと笑へば、我が君も、伺候の人々一同に、興に入つてぞ感じける。
 かくて大将、簾中に入り給へば、海野太郎行氏、役所より駆け来り、「これ、朝比奈殿。御辺の仕方、新田は喜びなるべきが、この海野は立ち申さず。御辺が馬を盗みし故、某、召し捕つたる禅師坊を、忠常に助けさせ、争ひのあるこの馬を、新田に遣るは何事ぞ。それでは海野が一分立たず。料簡し直せ、朝比奈。」と、言へば義秀、えせ笑ひ、「いや、小癪な一分だて。自体、あの馬は、御辺などには似合はず。お主達には牛が良し。その上あの馬は、手柄三度したる者に、賜はらんとの御事なるに、ろくな手柄を一度もせいで、御馬を望むは、経も読まずに布施取るか。今でも手柄に、さあ、この朝比奈を投げて見よ。」と、大手を広げ、追ひ廻せば、「我がまま者の無法破り。構ひはせぬ。」と口の内、ぶつくさくつぶやきて、表をさして逃げ出づる。
 新田、朝比奈どつと笑ひ、禅師坊親子の人に、礼儀をなせば人々も、「朝比奈の心ざし、新田殿の御情け、敵にてはなかりけり。草の蔭なる兄弟も、さぞ喜びのみつ瀬川。帰らぬ水のあはれ世に、長らへ一所にあるならば、いかがは嬉しかりなん。」と、なほ繰り言の悔やみ草。昔恋草しのぶ葺く、伏せ屋に誘ひ帰らるる。げにや楽しみ悲しみは、定め方なき人界なるわと、今こそ思ひ知られたれ。

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校訂者注
 ・華厳寂滅道場に始まり――底本「華厳寂滅場に始まり」。『近松全集 第3巻』により改めた。
 ・賜はらんとの御事なるに――底本「賜はらんとの御詞に」。『近松全集 第3巻』により改めた。